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湯浅, 治久 国立歴史民俗博物館研究報告 245 203-233, 2024-02-29
...そこで本稿では鎌倉期の同族的展開と東国・西国の所領支配と政治的地位を検討し、さらに佐々木京極氏(有名な導誉)、佐々木朽木氏という同族の間でもタイプと規模の異なる一族をとりあげて、その個々の特色を検討するものである。...
機関リポジトリ
前川 要 日本考古学 12 (19), 51-72, 2005
In recent years, within the field of urban history a reevaluation of the history of the city in Japan has begun. This reevaluation has proposed that the ancient capitals (palaces) and early modern …
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星野, 重治 上智史學 (48) 61-92, 2003-11-16
機関リポジトリ Web Site
太田,浩司 伊吹町文化財調査報告書 : 上平寺城跡遺跡群分布調査概要報告書Ⅱ 高殿地区(上平寺南館跡) 13 13-27, 2000-03-31
DOI 全国遺跡報告総覧
長谷川 博史 史林 76 (3), 346-378, 1993-05-01
...しかも塩冶氏は幕府奉公衆を務めており、京極氏の守護権がほとんど及びえない存在として、出雲国内において最も特徴的な位置を占めていたと言える。尼子経久は、このような性格と動向を示す塩冶氏について、十六世紀のかなり早い段階で実子興久に家督を継がせ、やがてこれを武力討滅することにより、その権力基盤と歴史的性格の大部分を継承し、一国支配権の確立に不可欠な出雲国西部における権力の浸透を実現している。...
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今岡 典和 史林 66 (4), 455-481, 1983-07-01
...出雲尼子氏の戦国大名としての権力の形成については、従来幕府―守護体制に対する反逆的性格が強調される事が多かったが、室町期の出雲守護京極氏との関係に注目すれば、京極氏との連続面が目立ち、尼子氏の守護としての性格が明らかとなる。京極氏の出雲領国支配は、自立性の強い国人・寺社等の伝統的在地勢力によって大きな制約をうけていた。...