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検索結果 117 件

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  • 神政学の台頭?

    高橋 沙奈美 宗教哲学研究 41 (0), 1-17, 2024-03-31

    <p>This paper delves into the concept of theopolitics, which was originally coined to depict ecclesiastical geopolitics within the Eastern Orthodox Church. Through an exploration of its historical …

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  • 境界線を引きなおす

    藤田 風花 洛北史学 24 (0), 59-81, 2022-06-04

    ...エフェソス公会議(四三一)以来の独立正教会であったキプロス正教会は、一二世紀末からはじまるリュジニャン朝においてあらたに導入されたカトリック教会に従属していた。本稿は、キプロス正教会が一四〇五年にコンスタンティノープル総主教座教会との「合同」を要求した事例に焦点をあて、同時代的に 議論されていた東西教会合同運動の文脈のなかで再検討することを目的とする。...

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  • キリスト教における輪廻転生思想

    林 昌子 人体科学 28 (1), 22-30, 2019-07-15

    ...公会議等によって正統と異端とが峻別されていった歴史は、同時に、異端とされたキリスト教が、中心のローマから東西の辺境に拡散した歴史でもある。辺境世界のキリスト教では、輪廻転生思想が採用されることも珍しくない。多様性と実用性が重んじられる近代においてはなおさら、キリスト教がその教理の内に輪廻転生思想を取り入れる余地がある。...

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  • [書評] アズィズ・アティーヤ (1968) 『東方キリスト教の歴史』ロンドン

    曽我 篤嗣 東方キリスト教世界研究 1 75-86, 2017-05-01

    ...本書はカルケドン公会議で異端とみなされた東方諸教会の歴史について,これらの教会が辿った歴史や各教会の神学的な特徴を網羅的に記したものである。本書は日本でも馴染みが薄いこれらの研究分野の概説書としての意義を持つと評者は考えるが,2014年に村山盛忠によって日本語訳も刊行された。このことに関してはII章で詳述する。...

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  • キリスト教はいかに日本における生者と死者の交流に関わり得るか

    佐藤 泰彦 一神教世界 4 14-29, 2013-03-31

    キリスト教は、日本における宣教の開始以来、日本の民俗的風習、たとえば先祖祭祀や死者儀礼に対して否定的な姿勢をとってきた。その結果として、キリスト教と伝統的な日本の風習との間に軋轢を生じてきた。カトリックも多くのプロテスタント各派も含めてキリスト教は、概ね先祖祭祀の概念に対して否定的であったが故に、日本人キリスト教徒は、戸惑いながら、大多数が非キリスト教徒である社会の伝統的風習に自らを合わせている…

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  • 教会建築設計資料としての宗教改革から第二バチカン公会議までのキリスト教変遷に関する研究

    村上 晶子, 湯本 長伯 日本インテリア学会 論文報告集 23 (0), 117-122, 2013

    ...特に宗教改革から現代の第二バチカン公会議に繋がる変遷は重要であり,本論文は現代教会建築の設計指針を得る研究の一つとして,2000年続くキリスト教の大きな構造変革の背景を,教会建築設計の中に位置づけるものである。この現代教会建築に繋がる構造変革は,具体の教会建築設計において神父司祭や信徒役員と設計内容を共有するために必要な資料として,こだわるべきポイントに留意して整理し設計資料としたものである。...

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  • 魂を脅かす平和

    橋川 裕之 洛北史学 10 (0), 1-28, 2008

    ...一二七四年の第二回リヨン公会議において、ローマ・カトリック教会とビザンツの正教会の史上初めての合同が成立した。公会議の開催に先立って、ビザンツ皇帝ミカエル・パレオロゴスは合同を両教会の平和として提示し、総主教や高位聖職者の同意を求めたが、一部の反対派はラテン人を異端者と呼び、ミカエルの望む合同は魂を脅かす過ちの平和であると主張した。...

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  • 『記憶と和解 教会と過去の過ち』要旨と考察

    妹尾, 剛光 関西大学社会学部紀要 38 (3), 185-211, 2007-03-30

    ...この文書は従って、カトリック以外のさまざまな信仰、信念を、それが当然の社会秩序、即ち、人間の権利、万人に共通の善を傷つけない限り、それぞれに独自な価値を持つものとして尊重し、寛容すること(第二ヴァティカン公会議教令)を基にしている。...

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  • 反宗教改革期都市ミュンヘンの宗教審問

    小野, 善彦 言語と文化 247-269, 1993-03-20

    ...ローマ・カトリックとルター派の二宗派体制(カルヴァン派等他の諸宗派は除外)を帝国法的に樹立したのは1555年の「アウグスブルクの宗教和議」(1)であるが,この和議が,いわばドイツの教会組織における新旧教両陣営の境界線の最初の画定(ルター主義領邦においては,「領邦君主は領邦内の最高の司教である」(2))の試みであったのに対して,カトリック教会の側から教義面でこの「境界画定」を企てたのが,「トリエント公会議決議...

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  • 日本と西欧における個人と社会 : 神判の問題を中心にして(Ⅲ. 世界のなかの日本歴史)

    阿部 謹也 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 35 431-461, 1991-11-11

    ...これにたいしてヨーロッパでは同じく鉄火や湯起請などの神判が行われていたが,1215年の第4回ラテラノ公会議を境にしてほぼ全面的に消滅の方向に向かっている。神判の消滅についてはP.ブラウンやR.バートレットそのほかの学者の意見が対立しているが,聖と俗の分離という点では両者は一致しており,特に告解の義務づけと神判の消滅の間には深い関係があると考えられる。...

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