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検索結果 5 件

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  • 公衆衛生の黎明期からこれまでの歩み

    多田羅 浩三 日本公衆衛生雑誌 65 (6), 255-265, 2018

    ...‥高木兼寛は当時海軍の糧食が白米のみを主としていることに注目し,麦と米を等分に混入するという方法で兵食改良の必要性を訴えるに至った。‥これらはいずれも脚気の原因が食事の不完全にあるとして栄養問題の解決を一歩前進させたものである。」</p><p> わが国の公衆衛生の扉は,薩摩の医師高木兼寛によって開かれたと理解できる。...

    DOI Web Site PubMed ほか1件

  • 白滝ジオパークと北海道遠軽高等学校の教育

    杉山 俊明 日本地理学会発表要旨集 2018s (0), 000080-, 2018

    ...④作業学習・実習:石器作り教室、入植時代の屯田兵食、地元料理バタバタ焼き等。⑤新聞切抜作業、担当教員の研究発表、⑥学校祭でオホーツク風土研究写真展、学年での研究発表、個人研究のまとめ、「オホーツク風土研究」報告書の作成である。...

    DOI

  • イマイ, IMAI, S. 京都短期大学論集 30 (1), 17-24, 2002-03-15

    ...この論文では明治時代に生活様式の洋風化の風潮のなか副食を充実させた日本食を陸軍の兵食基準に定めた森鴎外と, 衣食住すべてにおいて欧米化を推進すべしと主張した福澤諭吉の食生活論を比較検討した。森鴎外は食糧を自給することの重要性を訴えたが, 福澤諭吉は米をはじめとする食糧も外国から輸入すればよいとした。...

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