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  • 近世期宮崎郡における取り立てと「身上り」

    大賀, 郁夫 宮崎公立大学人文学部紀要 24 (1), 1-26, 2017-03-10

    ...延岡藩では有馬氏時代に宮崎郡に小侍・足軽が置かれていたことが確認でき、内藤氏の入封以降、宮崎郡では治安の悪化を理由に漸次郷士・郷足軽が取立てられた。化政期以降は藩財政の窮乏にともない、献納銀上納による「身上り」が広汎にみられるようになる。安政改革で宮崎郡に賦課された改革備金は七三〇〇両であり、献納した三五〇余人には銀額に応じて身分・格、下賜物が給された。...

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  • 成均館大学校SSK中型事業団との共同セミナー 北東アジアの国際経済関係 -日韓関係を中心として-

    金星國, 秋山, 憲治, Akiyama, Kenji, 朴明燮, 金敬佑, 久田, 和孝, Hisada, Kazutaka, 李載盛, 金銀珠, 宋俊憲, 魏鐘振, 内藤, 徹雄, Naito 神奈川大学アジア・レビュー 02 128-131, 2015-03-31

    ...最後の内藤氏は、全体的なコメントを3点述べた。まず、現在の日韓関係の現状について、ビジネスや学術、市民など民間交流が重要であること、次に、1997年の通貨危機後、韓国が短期間に危機を克服し、迅速にグローバル化に適応、発展したこと、一方、日本は、バブル崩壊後20年に及ぶ経済の低迷を経験し、なかなかグローバル化に対応できなかったことである。...

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  • アートの記録・再現としての「アートブック」における活字・文字組版表現の研究

    赤崎, 正一, 戸田, ツトム, 寺門, 孝之, 橋本, 英治, Shoichi, AKAZAKI, Tztom, TODA, Takayuki, TERAKADO, Eiji, HASHIMOTO 芸術工学2010 2010-11-24

    ...そうした内藤氏の表現の内実に対応した「本」をつくりあげることが本研究の課題であった。2009年12月、それは単行本「内藤礼〈母型〉」として刊行された。戸田ツトム教授の全面デザインによるこの単行本化の作業は、そうした高度なデザイン課題への挑戦でもあり、また現代デザインの隘路たる「デザインの消滅を企図するデザイン」への回答とも位置づけられるものとなった。...

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  • 食品の異臭 Part I

    岩橋 尊嗣 におい・かおり環境学会誌 41 (4), 215-215, 2010

    ...<BR>内藤氏(愛知学泉短期大学)は,「乳酸菌と酵母による食品工場汚染と食品の異臭変敗」という題目での執筆である.日本の伝統的な味噌,醤油,日本酒などの発酵食品工場では,建屋全体が発酵目的に合った微生物群になっているといわれる.さまざまな乳酸菌や酵母が食品中に残存した場合,食品中の蛋白質,炭水化物,脂質などに作用し増殖することで食品を変質させる.加工食品の変質状況を食品種,微生物種,現象,包装形態,...

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  • 近世期日日向延岡藩の飛地支配と地域社会 -宮崎郡村々の組織と支配-

    大賀, 郁夫 宮崎公立大学人文学部紀要 16 (1), 1-24, 2009-03-06

    ...延享四年の内藤氏入封以降は延岡領となり維新を迎える。飛地宮崎郡の支配は、下北方村に宮崎役所が置かれ、城下から宮崎代官と勘定人が派遣された。役所では在地から採用された手代・郷組・郷足軽などが実務を取り仕切った。手代や郷組については明らかでない部分が多いが、郡内の普請・溝掘り・祭礼時の警護などに出役するなど、治安維持に当たっていたと思われる。...

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  • 近世期日日向延岡藩の飛地支配と地域社会 -宮崎郡村々の組織と支配-

    大賀 郁夫, Ikuo OHGA 宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities 16 (1), 1-24, 2009-03-06

    ...延享四年の内藤氏入封以降は延岡領となり維新を迎える。飛地宮崎郡の支配は、下北方村に宮崎役所が置かれ、城下から宮崎代官と勘定人が派遣された。役所では在地から採用された手代・郷組・郷足軽などが実務を取り仕切った。手代や郷組については明らかでない部分が多いが、郡内の普請・溝掘り・祭礼時の警護などに出役するなど、治安維持に当たっていたと思われる。...

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  • 内藤延岡藩領の特質とその支配 : 木村礎「延岡藩領とその支配」の再検討

    大賀, 郁夫 宮崎公立大学人文学部紀要 13 (1), 1-22, 2006-03-20

    ...延享四年に奥州磐城平から日向延岡へ転封となった内藤氏の新領地延岡領について、かつて木村礎氏は「延岡領は、ひどいの一語に尽きるような様相を持つ。磐城平より延岡領に入った内藤氏の地方役人たちは、その生産力の低さ面積の広さ、山の嶮しさ、所領相互間の速さなどに唖然とし、おそらくは不安感すら持ったのではないか」とその劣悪さを強調した。はたして延岡領は「ひどいの一語に尽きる」のか。...

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  • シンポジウムのねらい

    小川 雄之亮, 桑原 慶紀 周産期学シンポジウム抄録集 4 (0), 8-9, 1986

    ...本日は共同研究者の山南貞夫氏に内藤氏の遺稿となるデータを急拠おまとめいただき,報告していただくこととした。本シンポジウムでのホットなディスカッションを故人に捧げ,冥福を祈ることとしたい。</p>...

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