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  • 近世大名家における刀剣管理と記録作成 ― 常陸国土浦藩土屋家を事例に ―

    西口 正隆 国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies 52 (17), 43-61, 2021-03-29

    ...本稿は、土浦藩土屋家を事例に、大名家が所持する刀剣の管理方法や管理担当者、管理 記録作成の意義を検討するものである。これまで美術史以外の観点から分析されることが 少なかったが刀剣であるが、武器や鑑賞品としてのみならず、贈答品としても重宝された 代物であり、その贈答経緯や管理体制を分析することは重要である。...

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  • 嘉永・安政期の大坂城代 : 常陸国土浦藩・土屋寅直の大坂、兵庫開港問題への対応を中心に

    菅 良樹 日本研究 43 43-70, 2011-03-31

    大坂の幕府支配機構について、城代の職権を中心に論説し、以下の点に注目した。  史料としては、幕府法令ではなく、土屋家文書に伝来する書状や留書などを使用した。  1.従来、大坂の重職者については、定番が大坂城の守衛など軍事を担当し、町奉行が大坂や西国の民政を担当し、城代がそれを統括していたと一般的に考えられている。しかし、実際には、城代と町奉行が軸となって軍事および民政に取り組み、定番がその合意形…

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  • 安政期常陸国土浦町における検地 : その顚末と意義(東総村落社会史)

    木塚 久仁子 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 115 209-223, 2004-02-27

    ...三中の朋友であった長嶋尉信(一七八〇〜一八六七)は土浦藩領常陸国新治郡小田村出身の百姓でありながら江戸で測量術や暦学を学び、田制研究の功績が認められ天保十(一八三九)年水戸藩に取り立てられた。天保十四年には土浦藩に仕官替えとなり、嘉永五(一八五二)年には東崎町分地改御用掛として東崎・中城両町の検地において実務を担当して中心的な役割を果たした。...

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