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検索結果 142 件

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  • 近世大野城市域出土人骨の栄養・健康状態に関する検討:ハリス線について

    米元 史織 九州大学総合研究博物館研究報告 21 53-66, 2024-03-31

    ...を勤めた家の係累である可能性が高く,次ぐ原口遺跡の被葬者は寺子屋を営むなど大庄屋ほどではないが百姓の中ではやや裕福であった.このようにハリス線の出現頻度の違いが生じた要因として農民の中に階層差が表れたことが挙げられる.近世・近代における健康・栄養状態は同じ街道沿いの農村部でもその程度が異なり,農民の階層分化に伴う一部農民を除く大多数の農民層の貧窮化の影響を表している可能性を指摘することができよう....

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  • 馬鳴,無著,世親――『釈軌論』第5章より――

    堀内 俊郎 印度學佛教學研究 70 (3), 1109-1114, 2022-03-25

    ...『荘厳経論』からの引用であり,一方,『大乗荘厳経論』当該偈は,馬鳴の同論の偈頌を素材にして作成されたものだということである.タイトルの類似から両『スートラ・アランカーラ』の関連は推測されてはいた.すなわち,『大乗荘厳経論』は馬鳴の『スートラ・アランカーラ』の大乗版(大乗・荘厳経論)であるという可能性が.しかし,後者は後代の文献での断片的な引用などによってしか知られておらず(いうまでもなく,漢訳の『大荘厳論経...

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  • 明治初期京都における備荒貯蓄の制度化 : 窮民救助と相互扶助

    並松, 信久 京都産業大学日本文化研究所紀要 26 266-234, 2021-03-31

    ...一つは、郡を単位とし大庄屋・村庄屋などの富農層を中心とする農業資金貸付機関といえるものであった。二つは、旧来の自然村がもっていた相互扶助組織としての特徴をもっていた。三つは、他の事業や産業と関連をもっているという特徴であった。社倉の廃止の原因は、備荒儲蓄法の公布(1880 年)、槇村正直知事の離任(1881 年)缺減米の増加などであった。...

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  • シェイクスピアと農業(3) : エリザベス朝「農書」の系譜

    上村 幸弘 梅花女子大学文化表現学部紀要 = Baika Women's University Faculty of Cultural and Expression Studies Bulletin 16 1-19, 2020-03-20

    ...大荘園の維持が困難になり、分割・転売された土地を受け継ぐのは後のイングランドの市場経済を牽引するヨーマンたちである。彼らに向けて書かれた当時の農書は、利益を生み出す農業を肯定的に捉え、プロテスタントの合理的かつ倹約の精神に富む労働倫理を打ち出している。前章「中世から初期近代イングランドにおける農業倫理」を承け、本稿はその第3章として「エリザベス朝農書と文芸作品」の関係を論じる。...

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  • 福島県中通り北部の江戸期婚礼献立の特徴

    津田 和加子, 菊池 節子 日本調理科学会大会研究発表要旨集 30 (0), 5-, 2018

    ...<br><br>【結果】豪農豪商といわれ大庄屋でもあった堀切家の婚礼献立の中で,年時が明確であるものが5件存在した。A寛政8(1796)年10代目治安、B文政2(1819)年治安の次女ふさの聟入り婚、C文政10(1827)年11代目治之、D文政11(1828)年ふさの再婚,E嘉永5(1852)年12代目治宣の献立を比較した。膳部の構成を見るとAとEは,三汁七菜,Cは三汁共七菜であった。...

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  • 9-1 三条市月岡川俣家住宅(見附市旧渋谷家)長屋門について : 三条市歴史的建造物調査 その35(計画系)

    西澤 哉子, 平山 育男 日本建築学会北陸支部研究報告集 (57) 361-364, 2014-07-13

    三条市月岡に位置する川俣家住宅長屋門に調査から明らかとなるのは以下の点である。1)長屋門は見附市に別置される棟札の記載から天保9(1838)年の建築と判断でき、これが昭和50(1975)年代前半、当地へ移築したものと判断される。2)現状の長屋門は当初における規模をよく伝えていると判断できる。3)長屋門が当初所在したのは、現在の見附市傍所町の旧渋谷家住宅で、この敷地において南面東寄りに長屋門は位置…

    日本建築学会

  • 「御用日記」にみる幕末の宮崎 -「湯地栄四郎日記」を読む-

    大賀, 郁夫 宮崎公立大学人文学部紀要 20 (1), 1-24, 2013-03-08

    ...第一章では宮崎郡支配の仕組みについて、宮崎役所と組・村との関係、代官と村役人、大庄屋元詰を通して明らかにした。第二章では宮崎郡の年貢と諸役について、太田組を対象に年貢上納米と運上銀、郡中勘定および献納賦課銀について考察した。 第三章街道と村では、宮崎郡を往来する諸階層の実相と長州出兵時の出役状況を明らかにした。...

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  • 「御用日記」にみる幕末の宮崎 -「湯地栄四郎日記」を読む-

    大賀 郁夫, Ikuo OHGA 宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities 20 (1), 1-24, 2013-03-08

    ...第一章では宮崎郡支配の仕組みについて、宮崎役所と組・村との関係、代官と村役人、大庄屋元詰を通して明らかにした。第二章では宮崎郡の年貢と諸役について、太田組を対象に年貢上納米と運上銀、郡中勘定および献納賦課銀について考察した。 第三章街道と村では、宮崎郡を往来する諸階層の実相と長州出兵時の出役状況を明らかにした。...

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  • ウパグプタ伝説の諸伝承

    山崎 一穂 印度學佛教學研究 60 (3), 1214-1219, 2012

    ...』,『賢愚経』,『注維摩詰経』,チベット僧ターラナータの『仏教史』所収の七つの並行話である.マーラ調伏譯はLODERS [1926]の先行研究に基づくと概ね二系統に分類することが可能である.すなわち『大荘厳論経』の梵本であるKumaralata(二世紀後半)のKalpanamanditikaを大幅に借用して著されたDivy,漢訳『阿育王伝』,『阿育王経』の三本と『大荘厳論経』に代表されるDivy系統伝本...

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  • 日向延岡藩領宮崎郡における村役人と地域社会

    大賀, 郁夫 宮崎公立大学人文学部紀要 17 (1), 1-23, 2010-03-05

    ...大庄屋跡を庄屋が継いだり、大庄屋が庄屋を兼帯するなど、両者はともに地域自治の担い手として位置づけられる。また、功績により郷士に取り立てられることもあり、その際は大庄屋・庄屋を免じられたが、幕末期には兼帯もみられた。文政十一年瓜生野村騒動、天保三年跡江村・薩摩藩領有田村出入および同八年幕領細江村強訴をみると、それらの騒動は実質的には地元を知る大庄屋・庄屋および郷士などによって内済されていた。...

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  • 宝暦10年の巡見使と熊野地方

    カサハラ, マサオ, KASAHARA, Masao 鈴鹿国際大学紀要Campana 13 71-85, 2007-03-20

    ...を駆使して行なった.本稿で利用した「万覚留帳」は,新宮領請川組大庄屋須川善六が書き留めた記録であるが,巡見使の通行に際し多岐にわたる任務に領民をどう徴発するのか,その状況を明らかにしながら領主権力が領内の村や領民支配が貫徹していく実状を解明する....

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  • 新宮領の木炭政策と山方の農民

    カサハラ, マサオ, KASAHARA, Masao 鈴鹿国際大学紀要Campana 14 145-158, 2007-01-01

    ...ってその益金をあてた.領内の山村では,山林地主などの焼主が食糧や資金を焼子に前貸し,焼いた炭で返済させた.また川船へ積み込む所まで,炭を運ぶ人足を常に確保しなければならなかった.これらはすべて農民で,平時は農耕を営み,農閑期に作間稼ぎとして炭の生産や運搬にたずさわった.炭が高騰して販売するチャンスであるのに新宮には炭の貯えがなく,池田御役所の炭方役人が村々へ出向いて焼主たちにきびしい催促をしたり,大庄屋...

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  • 戦略 仕入れ革新 経営:大庄(大衆割烹チェーン) 「日替わり産直」で喜ばす

    日経ビジネス = Nikkei business (1300) 62-64, 2005-07-18

    ...大庄直営の「やるき茶屋赤坂通り店」(東京都港区)には、月曜から土曜まで毎日昼頃、6〜7種類の魚が2匹ほどずつ入った発泡スチロールの箱が届く。前日の朝、全国の港で詰められたこの箱は「魚の小箱」と呼ばれる。 箱のふたには、イナダ、タチウオ、赤舌ビラメなど、中の魚介の名前が太いペンで書かれている。店は箱の個数を注文するだけ。...

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  • 近世の国継浦触と海事

    水本 邦彦 洛北史学 4 (0), 1-20, 2002-06-29

    ...本稿は九州地域の庄屋・大庄屋文書の二・三を題材として、近世後期、この地域に到来した公儀浦触などさまざまな海事関係触れの内容や廻達の様子を整理したものである。...

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  • 老農中井太一郎の稲作技術

    内田, 和義, 平田, 浩一 島根大学生物資源科学部研究報告 4 31-38, 1999-12-20

    ...中井太一郎は,天保元(1830)年伯耆国久米郡小鴨村(現在の鳥取県倉吉市)に生まれた.青壮年期には,農業のかたわら,「御改正方」,中庄屋,大庄屋等の役を務めた.太一郎が「稲作改良ノコトニ注意」するようになったのは,「安政年度ノ頃」であった.そして,明治十一(1878)年ころより本格的に稲作改良に励むようになる.明治十八年には鳥取県勧業諮問会員となり,明治二十年には鳥取県立農学校の実業教師となる.また...

    機関リポジトリ 日本農学文献記事索引 Web Site 被引用文献1件

  • <研究ノート>佐賀藩の点役方小庄屋

    城島 正祥 史林 44 (4), 592-608, 1961-07-01

    ...本来点役庄屋は石方庄屋より優位の庄屋であつたが、次第に石方庄屋に圧倒され、後期には小庄屋の格を失い、幕末には郷にまとめられて、大庄屋が兼任することが多かつた。点役庄屋の主な職貴には夫役の賦課・夫料米の取立ての外に、本来夫料米としての意味をもつた反米や大小庄屋料・竹木買料等の取立てがあり、また夫役に無関係のことに運上銀等の取立てがあつた。...

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