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  • 大隈言道自筆資料『自詠集中抄』-言道門下小林重治歌集-(二)

    進藤, 康子 九州情報大学研究論集 = Bulletin Kyushu Institute of Information Sciences / 研究論集編集委員会 編 11 143-148, 2009-03

    ...前回に続き、江戸時代後期に活躍した福岡の歌人、大隈言道の自筆新資料を紹介する。言道門下の小林重治の歌集『自詠集中抄』は、飯塚歌壇の当時のおもかげや、門下生同士の歌集の貸し借りの様子も詞書などから看取できる。また、この歌集を添削および清書した、師言道の指導方針をかいまみることはもとより、のびやかな言道の筆の跡をも辿ることができる好資料であり、この和本全体が、鑑賞に堪えうる芸術作品である。...

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  • せちに思ふ心 : 萩原広道の歌論

    山崎 勝昭 日本文学 41 (12), 24-34, 1992

    ...大隈言道が、古歌のまねをしただけの歌を木偶歌と呼び、自分の生きている時代に即した歌を詠むべきだと批判したことは、よく知られている。しかし、古歌をまねるべきだと、いわば木偶歌を意識的につくろうとした者もいた。萩原広道がその一人であるが、今から見れば徒労としか見えないその行為にも、やはり意味があったように思う。本稿は、そのことを主として、広道の「歌論」を批判した江戸派の井上文雄と比較して、考えてみた。...

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  • 大隈言道研究 年譜編第 I 部

    進藤, 康子 16 77-88,

    ...江戸時代後期の博多の歌人大隈言道(おおくまことみち)は寛政十(1798)年生まれ、慶応四(1876)年没、七一歳。先祖は清原姓で、天武天皇第三皇子舎人親王の子孫であることを誇りとし、家集『草径集』には、清原言道とも記す。黒田藩士二川相近(ふたがわすけちか)のもとで、書や和歌を学ぶ。家業を弟に譲り、専ら和歌の師として福岡今泉の自宅「ささのや」にて門下歌会を開き活動する。日田の広瀬淡窓にも師事する。...

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  • 大隈言道自筆資料『自詠集中抄』 : 小林重治家集

    進藤, 康子 10 (1), 80-74,

    ...江戸時代後期の福岡が生んだ歌人大隈言道に関する自筆資料の中から、飯塚歌壇における門下生の家集『自詠集中抄』を翻刻する。まず始めに大隈言道について紹介する。言道は、寛政十年(1797)に生まれ、慶應四年(1876)に没している。享年71歳。福岡薬院抱安学橋の商家の二男で、通称清助、池萍堂と号す。若き頃は、黒田藩士の二川相近に師事し、和歌や書を学んだ。...

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