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検索結果 57 件

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  • 六孔尺八と八十四調の関係

    明土 真也 音楽学 62 (1), 14-30, 2016

    ...<br> 次に、呂才以降の尺八である太蔟と姑洗の二管を取り上げ、指孔に対し全閉と全開のみで七声音階を奏する平奏法、および、平奏法に対して一つの律のみ、一律低める変奏法と一律高める清奏法を適用することで、唐の天宝十四調、日本の唐楽六調子と高麗三調子の全てを吹奏できること、さらにこの二管に黄鐘管を加えた三管で、俗楽二十八調の全てを吹奏できることを明らかにする。...

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  • 故宮本  十二月朋友相聞書

    高木 義隆 書学書道史研究 2011 (21), 45-58, 2011

    ...On the basis of Wang Sanqing's 王三慶 geo-historical discussion, the text's <i>terminus ad quem</i> can be placed in the Tianbao 天寶 era....

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  • 盛唐の復古論者・李華の意識変革論

    加藤 国安 名古屋大学文学部研究論集. 文学 56 113-134, 2010-03-31

    ...唐开元、天宝年间的文人李华长期以来被视为唐代古文运动的先驱,研究亦多围绕其 古文复兴主张的相关关系而展开。至于李华的作品内容及其为人秉性如何,却鲜有论及。 由此,拙论第一章即以《哀节妇赋》为中心,论述李华不畏传统贞节观、具有强烈的正 义感,探讨李华作为道德家的一面。第二、三两章,考察《正交论》所体现出的他对于 正确交友的思考。...

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  • 藤嶋昭が選ぶ 4月の本・建築・展示

    独立行政法人科学技術振興機構 JSTnews 2 (1), 16-16, 2005

    ...<p>「物華天宝 人傑地霊」は座右の銘。物=科学技術、地霊=雰囲気とし、「科学技術の成果は天からの贈り物であり、人が育つには雰囲気が大事」と私流に解釈している。そんな視点でのオススメを楽しんでもらえれば、まことに幸いです。</p>...

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  • 玄宗「石台孝経」成立再考

    長尾, 秀則 京都語文 6 154-169, 2000-10-07

    ...唐、天宝四年(七四五)の刻で歴代碑林の中心であった。本稿では、玄宗の閲歴と、その書の特質を探り、碑の形状を示し、建碑の理由を中心として考察を加え、「石台孝経」成立の一斑について管見を述べた。そして、その成立には、楊貴妃入内のための政治的意図が働いていたことを無視できないことを結論と した。...

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  • 王維與錢起

    馬 曉地 中國文學報 39 75-96, 1988-10

    ...Wang Wei was the most acclaimed poet in the Age of K'ai-yüan 開元 and T'ien-pao 天寶, while Ch'ien Ch'i was acknowledged as the most outstanding poet among the Ten Talented Writers in the age of Ta-li 大曆十才子...

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  • 韓国における三回の金鉱化期

    島崎 英彦, 李 閔成, 津末 昭生, 金田 博彰 鉱山地質 36 (198), 265-272, 1986

    K-Ar age determinations were carried out on ten specimens from seven representative gold deposits in South Korea. Microclines separated from pegmatites, which are associated with gold alaskite vein …

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  • <論説>唐代の書論

    杉村 邦彦 史林 51 (2), 195-232, 1968-03-01

    ...これに対して、開元・天宝期には、もっと自由奔放な情懐を草書に托して表現しようとする狂草が起ってくる。伝統の束縛に抗しながら、酒興に乗じて狂逸な芸術境をきり開いていった狂草家には、変革期を生きた人間の境涯が露呈されている。...

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  • <論説>唐代府兵制度拾遺

    菊池 英夫 史林 43 (6), 938-963, 1960-11-01

    ...本稿は「開元・天宝期を中心とする唐代兵制の諸様相」と云う題の下にまとめられた論稿の一部で、略々その第一章の主要部分に相当する。...

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  • <論説>大唐天宝元年の戸口統計の地域的考察

    日野 開三郎 史林 42 (4), 527-550, 1959-07-01

    ...天宝末以前に於ける唐の戸口統計は租税台帳たる計帳によつて行はれてゐた。天宝元年の統計を地区別に検べるに、富裕な先進地ほど戸口率が高く、貧窮な後進地ほど戸口率が低く、一戸の平均が一・二口の州さへあって、計帳の記載が決して精確なものではなく、地域によつて精粗の甚しい差があつたことを知る。...

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  • <論説>墨離軍と遼の対西域関係

    岡崎 精郎 史林 40 (1), 21-44, 1957-01-01

    ...ここで問題となるのは、天宝年間の記事を最后として中国側史料より姿を没した墨離軍が、約二世紀をへだてて、遼の太宗の天顕三年(九二八)に至り、遼軍中の一部隊として出現する事実であり、これは太祖の西征(天賛三年・九二四)と関連づけて考うべきものであるが、その后、会同三年(九四〇)に、「墨離の鶻末里」の西ウィグル遣使の伝えられるのは、遼と西ウィグルの交渉を考える場合、看過しえない。...

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  • <論説>唐代の藩鎮について : 浙西の場合

    谷川 道雄 史林 35 (3), 280-299, 1952-10-17

    ...唐帝国の危機はすでに開元・天宝以前からきわめて深刻に進行しており、民衆の反抗はあらわなかたちでしきりにおこつていた。こうした内部の動きは北方民族の侵入とも相まつて軍政的支配体制をつくり出し、安史の乱はこの傾向をますますつよめてついに藩鎮体制を成立させた。しかし一部の藩鎮は反中央的な勢力となつた。...

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  • 葛項寺三層石塔婆の形の解析

    杉山 信三 建築學會論文集 9 (0), 229-237, 1938

    ...塔自身に天寳17年云々と銘記を有して建立年代の極めて明瞭なる葛項寺三層石塔婆が持つ部分の寸法が如何なる比例を有するものか、圖式的に説明をなさんと解析したものである。...

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  • 間島天寶山銀鑛

    村上 鈑藏, 淺田 龜吉 日本鑛業會誌 28 (323), 62-67, 1912

    從來精錬の目的は專ら銀を採るに在りしを以て銅鑛は捨てゝ顧みず且つ其方法幼稚にして鑛滓すらも含銀分少からず此等は何れも再精錬の價値あり其量も所々に散亂せるものを集めなば少なからざる額とならんか (間島調査書には三千噸とあり) 且つ分析の示す處に依るも鑛滓中には尚多量の銀銅を含むを以て一面此等の精錬をなしつゝ他方に於て探鑛の歩を進めんには多大の産額を望むことは難からんも鑛業として望なきに非ざるべし況…

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