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検索結果 63 件

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  • 刀と銃

    山折 哲雄 武道学研究 51 (1), 61-62, 2018-08-31

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  • 「恩」と人間形成 : 山折哲雄の恩人観を手掛かりに

    工藤 真由美 四條畷学園短期大学紀要 50 66-73, 2017-12-25

    ...山折哲雄は自己の三人の恩人との出会いを通して、人間における恩や恩人との関係を考察した。それは夏目漱石の『虞美人草』『草枕』『こゝろ』に描かれた近代的な人間のエゴの問題、人間の善、悪の複雑な心性と道義心、義理、人情の問題とも複雑に絡んでいる。...

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  • 刀と銃

    山折 哲雄 武道学研究 50 (Supplement), S_1-S_1, 2017

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  • 山折哲雄著「『教行信証』を読む--親鸞の世界へ」

    城, 浩介 人間文化研究 15 202-193, 2011-06-30

    ...山折哲雄氏が、『人間蓮如』(洋泉社一九九五年)で地道な資料の蒐集とその比較によって、神話化された虚像をひきはがし、激動の時代に生きた宗教指導者蓮如の明暗を、生彩豊かに描ききったのは記憶に新しい。親鸞研究を最終的な目標とする著者が、今回は、オウム真理教事件で悪とまぢかに対峙した体験をふまえ、親鸞の主著『教行信証』を「悪人と救済」という主題のもとに読み解いた作品である。...

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  • 【記録】京都文教大学臨床心理学部開設記念対談記録

    山折, 哲雄, 鑪, 幹八郎, Tesuo, YAMAORI, Mikihachiro, TATARA, 国際日本文化研究センター, 京都文教大学, Kyoto Bunkyo University Department of Clinical Psychology Faculty of Clinical Psychology, International Research Center for Japanese Studies 臨床心理学部研究報告 = Reports from the Faculty of Clinical Psychology, Kyoto Bunkyo University 1 3-20, 2009-03-31

    type:講演会

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  • この頃, 想うこと ヒトは死んで美しい皮膚を残すことができるのか

    山折 哲雄 日本化粧品技術者会誌 42 (4), 285-288, 2008

    人間はかって, 鹿や虎の皮をはいで着物にし, わが身を飾るようになった。必要に迫られたということもあっただろう。動物たちにたいする共感の気持が, それによって育くまれたということもあっただろう。鹿や虎は死んでのち, 人間のために朽ちることのない皮という天与の贈物をのこしたのである。われわれはいったい死んでのち, 何をのこすことができるのであろうか。<br>そのために, …

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  • 日本〈仏舎利〉信仰史

    中村, 一基 岩大語文 11 1-9, 2006-12-08

    ...本稿の基本的な構成・趣旨は、この概説に沿っている。)仏舎利を納める仏塔とともにアジアへ広がった。遺骨の聖性は釈迦に限定された特殊なものだったのか。《遺骨》は舎利信仰と接触することで、聖性への契機を掴んだのでないか。山折哲雄氏は仏教と結びついた舎利崇拝は、上層階級に受け入れられ、漸次一般に浸透していったが、「あくまでも「仏」という特定のカリスマの「舎利」にたいする崇拝」であり「例外的な遺骨崇拝」である...

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  • <研究ノート>夢見られる夢見る人 : 覚醒・夢・熟睡をめぐって

    山折 哲雄 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 27 239-250, 2003-03-31

    人は毎日のように眠りにつき、そして目覚める。その眠りのなかには、むろん夢の時間が訪れる。だが、その眠りがさらに深くなっていくと、夢の世界が消え、闇のような熟睡がやってくる。この熟睡状態におちた人間の顔を観察すると、ほとんど死者の顔に近いことに気づかされる。  このように考えてみると、人は毎日のように眠りにつくことによって死と再生をくり返しているということになるのではないか。浅い眠り、夢、熟睡、目…

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  • 脳死・臓器移植問題とある仏教者の対応 : 『私は臓器を提供しない』における山折氏の主張をめぐって

    渡辺 義嗣 生命倫理 13 (1), 140-149, 2003

    ...山折哲雄氏の脳死・臓器移植反対論は非常に興味深いものであるが、反対に成功しているとは言い難いように思われる。その理由は次のとおりである。1)彼は脳死・臓器移植に際して死の作法が本来的に成り立たないというが、必ずしもそうとはいえない事例がある。2)彼は捨身飼虎の説話成立の過程に遡って臓器提供を否定するが、それは歴史的批判に基づく否定であって、仏教精神に基づく否定とはいえない。...

    DOI 医中誌 参考文献8件

  • 白骨と遺骨崇拝

    中村, 一基 岩大語文 8 1-9, 2000-11-25

    ...それは、どの程度の浸透力をもって人々の葬送習俗の規範となったのか。〔納骨/散骨〕という遺骨処理の方法は、〔遺骨尊重/遺骨軽視〕の意識とパラフレーズするのか。さらに、霊魂の依代としての骨という観念と、祖霊信仰の成立との関連は霊肉二元論の次元では把握しきれない問題を孕んでいる。その意味で、山折哲雄の次のような方法論は示唆的であった。...

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  • <研究ノート>「捨身飼虎」の変容

    山折 哲雄 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 15 93-103, 1996-12-27

    仏教の説話文学に登場する「捨身飼虎」の物語は、インドでつくられ、中国の千仏洞の壁画に描かれ、やがて日本の法隆寺にある厨子の側壁に再現されることになった。しかしこの絵はその残酷なシーンのためか、わが国では、その後しだいに敬遠され忌避されるようになった。ところが中世になって、三匹の野生の虎に見守られて瞑想する僧の絵がつくられることになる。「華厳絵巻」のなかに出てくる七世紀の韓国僧・元暁にかんする一シ…

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  • 平安朝文学における身体の主題 : 足と沓をめぐって(<特集>古代文学と身体)

    葛綿 正一 日本文学 43 (6), 59-67, 1994

    ...中世が「脚の価値の発見」(山折哲雄氏)の時代であることは確かであるとしても、古代や平安貴族の時代が身体性に対して全く無感覚であったわけではないだろう。本稿ではまず古事記における足の大地性や異形性を確かめる。次に枕草子や源氏物語においてはほとんど露出することのない足が、それゆえかえって重要な役割を担っている点を論じる。足は沓とのずれをはらんだ関係を通して作品に様々な力学を及ぼしているのである。...

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  • 序文

    山折 哲雄 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 49 1-6, 1993-03-25

    source:https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun2/index.html#no49

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  • 道頓堀とベナレス : 葬墓制と他界観の一局面

    山折 哲雄 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 49 195-208, 1993-03-25

    近松門左衛門の「曽根崎心中」は、元禄十六年(一七〇三)の四月七日に、大阪梅田の曽根崎天神で実際におこった事件をモデルにしている。ところがそれ以後、心中事件が多発するようになり、二十年後の享保八年(一七二三)になって心中取締令がだされた。そのうえ心中者の死骸は心中現場に近い墓所に取り捨てるべきことが申しわたされていた。なかでも道頓堀墓所には多くの心中者の遺骸がかつぎこまれ、その方面での筆頭格であっ…

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  • <研究ノート>方法としての「もどき」 : 折口信夫の場合

    山折 哲雄 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 1 97-105, 1989-05-21

    折口信夫は、日本の文学や芸能における基本的な方法が、先行する文学や芸能の形式を模倣するところにあると考え、それを「もどき」の方法と称した。「もどき」という術語には「真似る」という意味と「抵抗する」という意味の両義性があるとかれはいう。模倣しつつ批評するというように解釈してもいいだろう。和歌文学における「本歌取り」も謡曲「翁」における三番叟の演出も、みなこの「もどき」の方法にもとづいているのである…

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  • 後七日御修法と大嘗祭

    山折 哲雄 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 7 365-394, 1985-03-30

    Kūkai, the Heian Buddhist (774-835) received permission from the government to construct a hall called Shingonin in the center of the royal palace for the performance of rituals of Esoteric …

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