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  • 船津辰一郎在奉天総領事と榊原農場商租料事件

    孫, 雨涵 北方人文研究 16 1-17, 2023-03-25

    ...本論では船津は「幣原外交」に従っているだけでなく、中国側利権回収運動の影響を実感し、東三省での張作霖の地位を維持することによって日本の満蒙権益を守るべきだと考え、独自の判断、経験に基づいて具体的な対応策を講じたことを明らかにする。...

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  • <論説>近代中国における日系漢字紙の宣伝と筆禍 --一九二七年の『盛京時報』筆禍事件をめぐって--

    徐 璐 史林 103 (5), 679-710, 2020-10-20

    本稿は、近代日本の対中宣伝と紛争について、日本人が中国で経営していた漢字新聞を手掛かりに解明を試みるものである。行論では、満洲を舞台とした日系漢字紙である『盛京時報』の筆禍事件を中心に、それをめぐる経緯と日中交渉を明らかにし、日中関係への影響と歴史的意義を示した。『盛京時報』は一九二七年六月に北伐戦争中の奉天軍戦況に関する記事を掲載したことで、中国官憲に購読を禁止された。元より新聞業界の騒ぎに過…

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  • 「満洲国軍」創設と「満系」軍官および 日系軍事顧問の出自・背景

    及川 琢英 史学雑誌 125 (9), 41-67, 2016

    ...張作霖が奉天軍閥を形成していく中で、特別任務班出身者、陸士留学生は淘汰されずに生き延び、張作霖に重用され、軍内で一定の地位を築いた。張学良期になると、両者は自身の地位に不満を貯めている傾向にあった。そこに満洲事変が起こり、日本軍は武力を背景に両者を強引に再編していった。 一方、内モンゴル東部地域では特別任務班出身の巴布扎布(バボージャブ)が官職に就いたが、独立運動に従事し戦死していた。...

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  • 中国東北地区における地域開発の変遷

    小野寺 淳 日本地理学会発表要旨集 2014a (0), 173-, 2014

    ...これが張作霖政権のそして「満洲国」の経済的な基盤となった。その後、戦略物資の調達のために日本による炭鉱や製鉄など鉱工業への投資が積極的に行われた。また、日本からの開拓団の入植先となり、一貫して食料供給地としての役割を担っていた(劉ほか 2006; 安富 2013)。...

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  • 加藤高明内閣成立の底流と幣原外交 : 国際的自立と内外融和への挑戦

    宮田 昌明 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 32 149-179, 2006-03-31

    ...一九二四年九月に第二次奉直戦争が勃発した際、幣原は張作霖への支援を要請する芳沢謙吉駐華公使に対し、内政不干渉の方針を徹底した。幣原は中国の政治的・経済的再建を目標とするワシントン条約の理念を意識し、中国政府に国際的責任意識を喚起させるため、国家主権独立の原則を積極的に適用しようとした。中国における国家意識の形成は、中国の政治的再建と日中関係の安定化の前提条件と考えられたからである。...

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