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  • 第二の誕生 : 「出生性」についての研究ノート

    藤井 奈津子, FUJII Natsuko 梅花女子大学心理こども学部紀要 (13) 23-28, 2023-03-20

    ...オランダの教育学者ランゲフェルトは、来日講演において、強制収容所に送られたあるユダヤ人少女の絶望と回復のエピソードを語っている。本研究ノートでは、ランゲフェルトが語るこのユダヤ人少女のエピソードが含意するものを、ユダヤ人思想家アーレントの「出生性(Natality)」の概念から読み解く。アーレントによると出生とは始まりである。...

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  • 収容所の過去を再解釈するということ : 『パサジェルカ』映画版と小説版をめぐって

    菅原, 祥 京都産業大学論集. 人文科学系列 55 91-118, 2022-03-31

    ...戦時中を囚人としてアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所で過ごしたゾフィア・ポスミシュの実体験を元に強制収容所における女性看守と女性囚人の関係性を描いたポーランド映画『パサジェルカ』(1963 年)は,制作途中に監督であるアンジェイ・ムンクが急死し未完成の映画として公開されたという経緯もあり,強制収容所を描いたフィクション映画の中でもとりわけ謎めいた作品として知られている。...

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  • The Izumi Family Revisited : Living as Japanese Canadian Exiles in Postwar Japan

    カーク スタンレー, Stanley KIRK 言語と文化 = The Journal of the Institute for Language and Culture 25 101-120, 2021-03-24

    ...この論文は、第二次大戦中にバンクーバーの住居と財産を剥奪されスローカン地区の強制収容所を転々とし終戦時に日本へ追放され日系カナダ人夫婦ジョン・イズミとメイ・イズミ及びその家族のライフヒストリーのケーススタディである。初めに一家の背景とカナダにおける戦前と戦中と暮らしを要約する。...

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  • 詩と強制収容所

    谷口 亜沙子 日本フランス語フランス文学会関東支部論集 30 (0), 113-142, 2021

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  • 全体主義と『アサイラム』 ―E・ゴフマンを強制収容所と全体主義社会の主題に導く四つの繋がり―

    薄井, 明 北海道医療大学看護福祉学部紀要 (27) 11-26, 2020-12-20

    ...著者は、ゴフマンを強制収容所と全体主義社会の主題に導いた四つの繋がりがあったと想定している。第一に、E・ゴフマンがユダヤ人移民二世であったという事実から、第二次世界大戦終結直後に明るみに出た強制収容所・絶滅収容所におけるユダヤ人に対するナチの残虐行為に彼が衝撃を受けたことが示唆される。第二に、シカゴ大学におけるブルーノ・ベッテルハイムの存在がゴフマンに強制収容所への関心を喚起した可能性がある。...

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  • ミネ・オオクボとニューヨーク : 日系二世女性画家の「アフター・キャンプ」

    金田 由紀子, Kaneda Yukiko 青山經濟論集 71 (4), 57-71, 2020-03-30

    ...本稿では,日系二世画家のミネ・オオクボ(Miné Okubo 1912–2001)が戦時中の日系人強制収容所を出て,ニューヨークで画家生活をするようになった経緯をたどる。ミネ・オオクボにとって,芸術都市ニューヨークでの新生活は彼女の過去を購うに足るものであったか,戦後のオオクボの美術作品の評価をどうなすべきか等,強制収容所を出たあとのオオクボの人生と作品を検証する研究の出発点として覚書きを著す。...

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  • トク・シモムラの「日記」 : アメリカ合衆国市民への道

    金田 由紀子, Kaneda Yukiko 青山經濟論集 71 (1), 1-18, 2019-06-30

    ...彼女は長年シアトルで働き暮らしながら国籍は日本という,言わば2国に引き裂かれた状態で,1941年12月,日米戦争に巻きこまれ,日系人強制収容所での過酷な生活を強いられた。しかし,その理不尽な境遇の中,彼女のアメリカ合衆国市民意識が強くなっていった。本論では,従来ほとんど論じられなかった第二次世界大戦が始まった1939年の「日記」に焦点をあて,次に「戦中日記」での変化を論じたい。...

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  • A Japanese Canadian Teenage Exile : The Life History of Kazuko Makihara

    カーク スタンレー, Stanley KIRK 言語と文化 = Language and Culture : The Journal of the Institute for Language and Culture 23 3-20, 2019-03-15

    ...この論文の中ではまず彼女の戦前の子供時代、そして第二次大戦中に西海岸でカナダ政府が行った日系カナダ人強制退去や強制収容所(?)での彼女の思い出と、大戦終了時に約四千人もの日系カナダ人が日本へ追放された際の経験に触れる。次にティーンエイジャーや二十代女性として終戦後の日本で過ごした人生、1958年のカナダへの帰国とその後の人生や多様的な活動について述べる。...

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  • フランクルの「幸福追求のパラドックスの図」の解釈

    雨宮 徹 大阪河﨑リハビリテーション大学紀要 12 15-26, 2018-03

    ...強制収容所からの生還者であり、 精神科医としてニヒリズムと格闘し続けたフランクル(V.E.Frankl、 1905-1997)は、 人間は快感や力よりも、 むしろ本質的には意味を求めるものであると述べている。 快感や力を意志の対象とすることは、 本来的な「意味への意志」からの逸脱であるばかりでなく、 却って快感や力を取り逃がす自滅的な結果をもたらすとされる。...

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  • 日系人強制収容所の調査と日本研究

    中生 勝美 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2017 (0), D16-, 2017

    ...ルース・ベネディクトの『菊と刀』には、現地でのフィールドができない代わりに、日系人強制収容所のデータが使われている。そのデータは、レイトンが企画した日系人収容所での人類学的調査である。レイトンは、アリゾナ州のポストン強制収容所で、若い日系人をアシスタントに使って調査をした。その人脈が、戦中の応用人類学としての日本研究となり、戦後にも影響力があったことを具体的人物に焦点を当てて分析したい。...

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  • “ホロコースト”と“パレスチナ問題”

    二井 彬緒 生活大学研究 1 (1), 45-53, 2015

    ...「ユダヤ人問題」は終わっていない.これはアウシュヴィッツをはじめとしたナチス・ドイツによる「絶滅強制収容所」の解放以降も,「ユダヤ人DP(Displaced Person)問題」や「ユダヤ難民」と名前を変えて続いている問題である.これらの延長に存在するもの,それがパレスチナ問題である.この複雑な紛争を語る時,ユダヤ人問題は切っても切れない存在だ.ホロコーストとパレスチナ問題という異なる歴史上の二点はこのようにして...

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  • ソ連における強制労働と建設 : 囚人と捕虜は、どのように労働利用されたか

    村井 淳 研究論集 91 117-135, 2010-03

    ロシア革命後、ソヴェト当局は反革命勢力などを弾圧するために、収容所を設けた。その後、ソ連邦が成立すると、白海に浮かぶソロヴェツキー島に本格的な強制労働収容所が建設された。1930年代のスターリン時代には、インフラ整備などで労働力が必要なことから、強制労働収容所とそれを管理運営するグラーグ(収容所管理総局)システムが必要に応じて構築されていった。その切っ掛けを提案したのは、自らも最初は囚人であった…

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  • 記念碑と場所の関係

    大平 晃久 人文地理学会大会 研究発表要旨 2009 (0), 59-59, 2009

    ...ザールブリュッケンやカッセルの不可視の「記念碑」,ベルリン・ゾンネンアレのセンサーが感知したときのみ説明文が浮かび上がる「記念碑」、ホロコースト記念碑の計コンペで落選した、ブランデンブルク門を破壊してその破片をばらまくというプラン,ブランデンブルク門南の敷地にヨーロッパ各地の強制収容所跡地行きのバスが発着するバスターミナルを建設し,アウシュヴィッツなどの行き先を表示した真っ赤なバスが市内を毎日行き来...

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  • Jura Soyfer (1912-1938)の演劇と作品 : 政治活動との関連で

    生田, 眞人 京都産業大学論集. 人文科学系列 39 1-17, 2008-03

    ...その後の運命は過酷で,ゾイファーはダッハウ強制収容所送りとなり,さらにブーヘンヴァルト強制収容所へ移送され,同所で病死した。  短い生涯ながら,カバレット(寄席文学演芸)での小作品や劇場で上演されるべき演劇作品を多数創作したゾイファーは,その中でも特に政治的アピールを含むテーマと娯楽性に富む上演形式をたくみに結合し,ユニークな政治演劇を創造した。...

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  • アメリカの強制収容所内での文化空間の創造 : 浅野七之助とトパーズ日本語図書館1943-1945

    ウエルトハイマー アンドリュー 日本図書館情報学会誌 54 (1), 1-15, 2008

    ...通常日系人の強制収容所に関する研究は,英語を第一言語とする日系二世の体験を扱った研究がほとんどであるが,本稿は移民一世である浅野七之助がどのような過程で他の一世,帰米二世と共に日本語図書館を創立するにいたったか,また設立にあたり収容所の管理者であった民間戦時収容機関との間にどのような闘争があったのかに焦点をあてる。...

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  • 生きることの価値と在ることの価値

    山本 登志哉 心の諸問題論叢 2 (1), 51-56, 2004

    ...次にニヒリズムや神の死という西洋社会における重大な歴史的出来事と、個人的な強制収容所体験から生まれたフランクルの思想が、異なる歴史的・文化的文脈を持つ日本などの社会で、どのような意味を持ちうるかについての検討の必要性を指摘した。...

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  • 「話す・聞く」という「文学教育」(<特集>他者との出会い-文学教育の根拠-)

    森 美智代 日本文学 51 (8), 41-50, 2002

    ...本論では「文学教育」の実践例として、強制収容所における関係者の告白を記録した映画『ショアー』における試みを取り上げる。目の前にいる「人」の存在こそが、「他者」として自分に迫ってくることがもたらす学びの生成を描き出したい。そして「話す・聞く」という「文学教育」を、これからの文学教育の可能性として展望する。...

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  • 逆光・現在・逆言 : パウル・ツェランの位置

    江藤 正顕 比較社会文化研究 2 13-24, 1997-10

    ...ドイツ系ユダヤ人としてルーマニアに生まれたパウル・ツェラン (一九二〇─一九七〇) は、第二次世界大戦中、ナチの強制収容所に両親を失った。パリに住むようになってからも、文字どおり彼の「母語」になったドイツ語によって詩作し続けた。...

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  • ナチスの「安楽死」と人体実験

    渡辺, 和行 香川大学生涯学習教育研究センター研究報告 1 59-77, 1996-03-29

    ...本稿は、香川大学生涯学習研究センターの平成6年度大学公開講座「死の風景—過去・現在・未来—」において、筆者が担当した「夜と霧—ナチス強制収容所の生と死—」の報告をもとに加筆したものである。...

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  • [31_4] 図書館情報 : 九州大学附属図書館報 : 31(4)

    図書館情報 31 (4), 31-38, 1996-03-22

    ...ごあいさつ[小山勉] V.E.フランクル著『夜と霧 : ドイツ強制収容所の体験記録』[立石潤] H.D.ソロー著『森の生活 : ウオールデン』[合山究] 桑原武夫著『文学入門』[村田豊久] 中央図書館・医学分館・六本松分館案内 籍崎・病院地区部局図書窓案内 平成6年度特別図書購入一覧 図書館日誌 自著紹介 本学関係者著作寄贈図書...

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  • Japanese-American Literature

    山根 和代 比較文学 21 (0), 148-125, 1978

    ...第二次大戦に入ると強制収容所に抑留されたが、その際アメリカに忠誠だった二世も含まれていた。しかし多くの二世はアメリカへの忠誠を証明するために自主的にヨーロッパで戦った。戦後収容所から出され、一九五二年についに市民権を獲得した。以後黒人等の少数民族と比べ、「よく働き教育水準が高く、おとなしい」等の理由で「少数民族の模範」とされている。...

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