検索結果を絞り込む

本文・本体へのリンク

検索結果 160 件

  • 1 / 1

  • 高等学校歴史教育における「パフォーマンス課題」の開発-明治の文明開化を題材として-

    山下, 大喜 宇部工業高等専門学校研究報告 70 36-41, 2024-03

    ...本稿では、明治の文明開化を題材に「パフォーマンス課題」を設定した実践を取りあげる。当該の実践は、執筆者が教科担任として担当し開発したものである。「歴史総合」、「日本史探究」を射程に入れた試行的実践であるため、科目名は限定せずに表題を「高等学校歴史教育」とした。まず第1節では、今次改訂で高等学校に導入された観点別評価の概要をふまえながら、本実践で設定した「パフォーマンス課題」との関係性を示す。...

    機関リポジトリ

  • [論文] 明治初年の博覧会と地域社会 : 筑摩県下博覧会にみる「開化」の諸相

    塩原, 佳典 国立歴史民俗博物館研究報告 236 27-45, 2022-10-31

    一九世紀後半は、「博覧会時代」ともいわれる。ヨーロッパで始まった万国博覧会を契機として、博覧会ブームが世界に広がっていく。その波を受け、明治維新後の日本でも各地で博覧会が催されていった。 本稿では、明治初年における地方博覧会の諸相について、筑摩県(現在の長野県中南部および岐阜県北東部)の事例から検討を加えた。筑摩県の特徴は、中心地である松本だけでなく、県下各地で博覧会が催されていた点にある。その…

    機関リポジトリ

  • 青少年期の福島安正と情報活動の起源

    澤田, 次郎, Sawada, Jiro 拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 48 1-27, 2022-10-31

    ...それとともに日本の西洋化、「文明開化」を歓迎し、その進展を願う彼は、たとえば陸軍省文官時代、マッカーマント大尉を案内した際に見られたように、イギリスについては文明国としてポジティブなイメージを抱いていた。 第三に、司法省文官となった福島に大きな衝撃を与えたのは、一八七四(明治七)年の台湾出兵であった。...

    機関リポジトリ Web Site

  • 大学の博物館を訪問しよう!

    山納 康, 西里 啓, 鴨下 優太 電気学会誌 142 (4), 192-194, 2022-04-01

    ...<p>1.はじめに</p><p>我が国の文明開化からの産業と工業の発展は,工作機械を抜きにして語ることはできない。工作機械は,あらゆる機械や器具,装置,そしてシステムを作るマザーマシーンとして働いてき</p>...

    DOI Web Site

  • 英語教育法(14) 文明開化の外国人宣教師と英語教授

    井出 裕美 太成学院大学紀要 24 (0), 1-12, 2022-03-31

    ...明治,文明開化と共に始まった外国文化の輸入は日本の教育制度に大きな影響を与えた。英語なくしては何も学ぶことが出来なかったため,新日本政府はその教授学習に力を入れた。開国された日本国にキリスト教の布教目的にやってきた,英米の宣教師たちが,「英語教授」を手段として日本国に英米の文化や教養を広げていったのは当然のことである。...

    DOI

  • 明治初期の京の公衆トイレ事情

    山崎 達雄 廃棄物資源循環学会研究発表会講演集 33 (0), 141-, 2022

    ...明治期に入ると、文明開化の風潮から、小便桶は辻便所へ建て替えられていきます。その後、コレラの流行による規制の強化、平安遷都千百年紀念祭の開催を契機とした公衆トイレの公営化が図られます。本稿では、京都の公衆トイレ史として、近世の小便桶から明治初期の辻便所まで、明治初期の京の公衆トイレ事情を報告する。</p>...

    DOI

  • 人文科学・自然科学博物館の歴史の違いと現在の博物館教育への影響について

    田中 梨枝子 都市文化研究 23 133-143, 2021-03

    ...一方, 国立科学博物館は「文明開化」による学校教育の実施支援を行う文部省系博物館として出発している。異なる使命を担い発展してきた両館は, 国内の多くの博物館へ影響を与え続けてきた, いわば我が国の博物館の象徴的存在である。2系統の博物館の発展経緯の中で, 特に博物館教育の理念の構築と具体的取り組みに注目し, 明治から現代までの変遷を辿るものとする。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • サブカルチャーとしてタトゥーを彫るスポーツ選手のグローバルな身体意識

    千葉 直樹 日本体育・スポーツ・健康学会予稿集 71 (0), 73-, 2021

    ...文化人類学者の山本は、江戸時代の飛脚などの彫り物や、20世紀初頭まで存続した沖縄女性のハジチには、元々否定的な意味はなく、明治政府による文明開化政策のために禁止されるようになり、1960年代以降に、東映によって放映されたヤクザ映画によって、刺青に反社会的なイメージが形成されたことを指摘した。...

    DOI

  • 明治期日本の「国際人材」育成とその軌跡 ―拓殖大学を事例として

    長谷部, 茂 拓殖大学国際日本文化研究 3 1-43, 2020-03-25

    ...当時の日本人にとって欧米は、異民族異文化そのものであり、それと意識しないまでに同化することが、いわゆる文明開化、同時に「国際社会」への参画であった。その意味では、脱亜か興亜かを論ずる前に、日本の国策はすでに脱亜入欧以外の何ものでもなかったと言える。欧米文化の受容に汲々としていた明治前半期において、「国際人材」とは即ち欧米の文化― 政治制度から科学技術、芸術まで― を身につけた日本人であった。...

    機関リポジトリ Web Site

  • 身体性システム科学から考える「一歩先」の神経理学療法

    森岡 周 理学療法学Supplement 47S1 (0), F-5-F-5, 2020

    ...文明開化後の人間が当たり前のように靴を履き,いわばそれが無意識化され,身体の一部として受け入れられているのも,この水準の表象が関係している。義足や装具の許容にももちろん影響する。子供が靴を嫌がり脱ぎたがるのも,その概念がまだ形成されていないからである。このように概念的表象は個人の経験や信念に影響を受ける。また,メタ的表象には一般常識や社会的規範,そして他者と比べた自己という意識が加わる。...

    DOI

  • 絵巻物から絵草紙そしてマンガへの流れ

    細萱 敦 日本画像学会誌 58 (5), 513-522, 2019-10-10

    ...<p>現代日本のビジュアルエンターテイメントの中心に位置しているマンガ.国際的にも大きな影響力を及ぼしているが,ここに至るまでに,わが国には絵と文字の組み合わせによる“物語コンテンツ”追究の長い歴史があった.平安時代に宮中で作られた絵巻物に始まり,江戸時代の木版印刷の発達によって浮世絵とともに大衆文化として花開く絵草紙 (本).葛飾北斎による“漫画”の語の使用の開始を経て,明治時代の文明開化以降,昭和戦前...

    DOI Web Site

  • 生徒の現実に応える中学校歴史学習の可能性 ─ 小林朗の「歴史日記」実践を通して ─

    中妻, 雅彦 弘前大学大学院教育学研究科教職実践専攻(教職大学院)年報 1 1-8, 2019-03-20

    ...実践者である小林朗iは,日本社会科教育学会・歴史教育者協議会などで,「原始人日記」「江戸時代の農民日記」「文明開化日記」(以下,「歴史日記」とする)を生徒に書かせ,議論する中学校の歴史教育実践を発表している。小林は,生徒の現実から,生徒同士が互いに意見を発表し,思ったことや考えたことを自由に言える環境を作り,授業を進めることを考えている。...

    機関リポジトリ HANDLE Web Site

  • 御髪のたしなみに見られる意匠

    水井 遥夏, 禹 在勇, 石川 義宗 日本デザイン学会研究発表大会概要集 66 (0), 448-, 2019

    ...その中でも明治時代は文明開化と共に西洋文化が大きな広がりを見せた時代であり、それまで主流であった髪型である「日本髪」のあり方にも変化が見られる。それに伴って「洋髪」や「束髪」と言った新しい髪形が誕生する。<br/>本報告では髪型の意匠が変わっていく背景と、人々の髪型に対する意識の変遷を、日本の伝統的な世界観である「ハレ」ち「ケ」という観点から考察し、まとめている。</p>...

    DOI

  • 授業書「明治政府の国づくり・国民づくり」の開発 ― 美術・音楽政策を組み込んで ―

    吉田 正生 社会科研究 88 (0), 1-12, 2018-03-31

    ...</p><p> これまで,国民国家の形成については,政治・軍事・経済,そして文明開化といった社会面の変化から教えられてきた。このとき“芸術も国民国家形成の重要な契機であった”という視点の育成は,欠落していたのである。例えば,「日本画」が国民国家形成のなかで創出されたものだということを指摘している中学校社会科歴史教科書は,皆無である。だが「日本画」は昔からあったものではない。...

    DOI Web Site

  • 『月刊食道楽』における外来語の機能―明治末期と昭和初期に刊行されたグルメ雑誌を資料にして―

    ホシノ ユウコ, Yuko, HOSHINO 十文字学園女子大学紀要 47 91-104, 2017-03-24

    ...近代日本における外来語の受容と定着過程をみてみると、明治期は、文明開化をきっかけに西洋語由来の外来語が、日本語の語彙体系に大量に組み込まれた時期としてみなすことができる。続く大正期は、外来語のカタカナ表記が徐々に定着し、表記の標準化が図られた時期として、そして、昭和初期は、大正期に大衆化した外来語が徐々に整理され、定着していく途上の時期として捉えることができる。...

    機関リポジトリ

  • 『月刊食道楽』における外来語の機能―明治末期と昭和初期に刊行されたグルメ雑誌を資料にして―

    星野 祐子 十文字学園女子大学紀要 = Bulletin of Jumonji University (47) 91-104, 2017-03-24

    ...近代日本における外来語の受容と定着過程をみてみると、明治期は、文明開化をきっかけに西洋語由来の外来語が、日本語の語彙体系に大量に組み込まれた時期としてみなすことができる。続く大正期は、外来語のカタカナ表記が徐々に定着し、表記の標準化が図られた時期として、そして、昭和初期は、大正期に大衆化した外来語が徐々に整理され、定着していく途上の時期として捉えることができる。...

    機関リポジトリ

  • 視覚文化のグローバル化: 映画ポスターの日英比較を受けて

    林, 佐和子 論文集:金沢大学人間社会学域経済学類社会言語学演習 12 1-31, 2017-03-22

    ...この目の動きの文化、 視覚文化も文明開化により統一性が失われてきていると熊倉は論じている。 本研究では、 この視覚文化に着目し、 グロ ーバル化以前と現代とでは日本語話者の視覚文化と英語話者の視覚文化には実際に変化が起きているのかをデータを用いて考察し、 どのように変化したか、 それを形作った言語 文化にはどのような変化が起きているかを明らかにする。...

    機関リポジトリ HANDLE

  • 近代都市公園と女性

    小坂 美保, Miho OSAKA 女性学評論 = Women's Studies Forum 31 107-131, 2017-03-20

    ...明治維新後の文明開化の光景を視覚的情報として民衆へ提供してきた。言語的メッセージに比べ、視覚的メッセージである錦絵は、多くの人びとに日比谷公園という新しい空間を知らしめるだけでなく、そのような新しい空間において人びとがどのように過ごすべきなのかをも伝えたのではないだろうか。このような視点から、日比谷公園が描かれた7枚の錦絵を「女性」を中心に詳細な分析を行った。錦絵には、多くの女性が描かれていた。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • Les Collections des Textiles Japonais en Le Musée des Arts Décoratifs

    関根 理恵 江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University (26) 2016-03-15

    ...明治期に入り,文明開化により西欧との交流が盛んとなり西洋文化が普及するとともに,日本の伝統文化が海外に知られることとなった。そして数多くの美術品が,当時日本にいる外国人の手を経て海外に渡った。その当時の記録が史資料に散見される。その多くは,絵画および彫刻に関する情報が多く知られているが,工芸品については,具体的にどの作品が海外にわたったのか,数例を除きその詳細は具体的にわかっていない。...

    機関リポジトリ

  • 日本における「笑い学」の黎明 : 明治期の「笑い」理論

    浦 和男 笑い学研究 21 (0), 60-73, 2014

    ...文明開化は、「笑い」の研究にも影響した。最初に「滑稽」を扱うのは、自由民権運動の雄弁書の訳者黒岩大と、その影響を受けた真宗の加藤恵証であった。本格的な「笑い学」は、土子金四郎に始まる。実業家の土子は「洒落」を日常言語として分析し、哲学者の井上円了は詩的言語として分析する。発笑理論の嚆矢は、哲学者大西祝による。英文学者で女子教育の先駆者の松浦政泰は、「滑稽」と「笑い」を区別して扱った。...

    DOI

  • 明治期日本の「文明と野蛮」理解

    渡邉, 憲正 経済系 : 関東学院大学経済学会研究論集 257 22-44, 2013-10

    ...明治期の日本が文明開化を図ろうとしたとき,福沢諭吉ら多くの論者は文明史を基本的に「野蛮(未開)—半開—文明」の3 段階に区分し,日本を「半開」として,周辺に「野蛮(未開)」をさまざまに設定した。...

    機関リポジトリ Web Site

  • 「平民道徳」とキリスト教── 徳富蘇峰の福澤諭吉批判──

    梅津 順一 人文科学研究 : キリスト教と文化 (44) 21-55, 2013-03-31

    ...徳富は「文明開化」とともに、知識青年の間に道徳的な空洞化が広がっ ていると見た。これに対して、伝統道徳の「復古主義」、西洋知識と東洋 道徳の「折衷主義」、知識偏重の「偏知主義」の立場があり、徳富は福澤 を「偏知主義者」と位置づけた。福澤は、知識の向上がおのずから道徳を 生み出すと考え、積極的な道徳論を展開することはなかったからだ。  ...

    DOI 機関リポジトリ

  • 子どもの領分からみた近代 : もし明治生まれの子どもだったら

    田澤 薫 聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University 第25巻 (第2号), 57-71, 2013-03

    ...この研究では,これらの方法を探る目的で,明治維新後の文明開化の時期を取り上げた。この時期の子どもに関する社会の変化に着目し,その変化を子どもの視点から検討した。その結果,従来の制度論とは全く異なる制度に対する見方や評価が得られた。この結果から,同様な手法を用いて,今日の子どもに関する制度についても検証できると考えられる。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 俗信と「文明開化」 : 明治初年代から一〇年代にかけて

    荻野 夏木 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 174 201-234, 2012-03-30

    まじないをはじめとする俗信の類が、現代に至るまで絶えないのはなぜか。この問題を考えるにあたり、「近代」という新たな価値観が強く意識された明治初期に、庶民の間でまじないや祈祷がどのように行われていたか、それが社会からどのようなまなざしを向けられていたかを検討した。明治初年代、庶民の生活においてまじないや祈祷などは、とくに病気治しなどの目的で日常的に接するものであった。国や地方行政がさまざまな風俗取…

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 明治初年の京都のビール

    吉田 元 日本醸造協会誌 106 (12), 826-831, 2011

    ...明治初年,文明開化の風潮に乗じて全国各地に小さなビール会社が数多く設立された。<br> 著者は,東京遷都後の京都で産業振興のために設立された京都舎密局麦酒醸造所,そして扇麦酒,井筒麦酒,九重麦酒,兜麦酒などの知られざる興亡の経緯を,京都府庁文書,地元新聞記事を発掘調査して興味深く紹介された。...

    DOI 日本農学文献記事索引 Web Site ほか1件 参考文献29件

  • <共同研究報告>再布置される文体ヒエラルキー : 正史と戯作の変体漢文

    佐藤 一樹 日本研究 42 171-186, 2010-09-30

    ...『東京新繁昌記』の著者服部誠一は、新たな造語を数多く作り出すことで、文明開化の東京を活写することが可能となった。それにたいし、正史のほうは漢文戯作とおなじ、修辞、典故にとらわれない記事体を選択したものの、大胆な造語や傍訓を取り入れることまではできず、結果として本来の意図に反し、無味乾燥でそっけない叙述に終始することになってしまったのである。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 近代知識人の天皇観 : 福沢諭吉と植木枝盛

    李 王燕 岩手大学大学院人文社会科学研究科研究紀要 17 109-126, 2008-07

    ...福沢が、日本の文明開化の指導者と言われるのも当然であろう。このような活動を行った福沢が考え出した日本の天皇のあるべき姿はどのようなものであろうか、関心を持った。  植木枝盛は戦前までは殆んど知られていなかったが、自由民権運動の実践家かつ理論家である。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 世界のフロンティア東北と地域の持続的革新機構

    宮川 泰夫 日本地理学会発表要旨集 2008f (0), 6-6, 2008

    ...2030年の推計値を基に筆者も参画した東北経済連合会(07年)の計画は、1972年からの現代産業革命の開闢期を踏まえ、97年からの現代文明開化開展期の最終段階(2017-22年)を次元転換・場所変換の時とした。持続的発展には、革新主体と風土文化、可逆的革新機構、き還的自働安定化機構に加え、地域資源の起業化と企業資源の地域化の循環機構構築が必須である(Miyakawa,2007)。  ...

    DOI

  • 『タイピー』を通して見る「白鯨」 : 直截な白人文明糾弾から象徴的断罪へ

    五十嵐, 博 東海大学紀要. 海洋学部 4 (3), 159-168, 2007-03-31

    メルヴィルにとって書くという行為は, 『モービィ・ディック』の語り手イシュメイルにとっての「海に出ること」と同様に, 「拳銃と弾丸の代わり」だった. 彼は, 作家としての人生を歩みだした当初から, 見せかけの善悪の背後にあるものを書き, われわれの目に映る世界と人間の虚偽的な外観の背後にある真実を常に追究した.

    Web Site

  • 樺島正義の仕事と橋梁設計思想

    中井 祐 土木計画学研究・論文集 24 1-15, 2007

    This paper discusses on the design works of Masayoshi Kabashima (1878-1949), one of the famous bridge engineers in the modern period of Japan, for the pourpose of showing characteristics of his …

    DOI

  • 黃遵憲と日本漢詩

    蔡 毅 中國文學報 71 50-77, 2006-04

    ...Unnoticed but phenomenal, he tried to introduce western concepts and vocabularies in composing classic Chinese poems, which was quite likely influenced by the movement of poetry civilization 文明開化新詩 during...

    DOI HANDLE Web Site

  • 大原幽学没後門人と明治の旧幕臣

    樋口 雄彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 125 119-156, 2006-03-25

    ...彼らの生活ぶりは、丁髷を切らず、肉食はせず、馬車・鉄道には乗らずといった、文明開化の世相に反するものであり、周囲からは隔絶した一種異様なコロニーを形成したようである。反文明・反西洋の態度を取った明治の旧幕臣性理学徒であるが、そのグループの中には、幕末維新期に横浜語学所・沼津兵学校・静岡学問所といった先端的な洋学機関で学び教えた経歴を持つ人物がいた。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 樺島正義の仕事と橋梁設計思想

    中井 祐 土木学会論文集 2005 (800), 800_67-800_86, 2005

    ...これは, 橋の美観即ち装飾設計と考えられていた文明開化期以来の従前の手法に対して, 都市空間や景観という価値に基づいて市街橋設計の新たな方法論を示した点において, 日本近代橋梁設計史上のエポックとして位置付けられるものである....

    DOI Web Site Web Site 被引用文献2件 参考文献109件

  • 総合雑誌の誕生とその発展

    近藤 大博 国際情報研究 1 (1), 1-9, 2004

    ...<p>月刊総合雑誌は、文明開化期に誕生し、それ以来、日本人の生活の知的文化的側面において重要な役割を担ってきた。現在もなお、50 数誌が発行されており、数多くの熱心な読者を有している。月刊総合雑誌は、一貫して政治、社会、文化面での思索家たちの営みを紹介し続けてきた。日本近代史そのものを映し出してきていると表現してもよい。...

    DOI

  • 生活宗教としてのキリシタン信仰(<特集>「生活の宗教」としてのキリスト教)

    宮崎 賢太郎 宗教研究 77 (2), 243-268, 2003

    ...一方、キリスト教は明治以降、文明開化の象徴として、進んだもの、高級なものとして都市部のインテリ層を中心に受け入れられた。従来キリシタン研究に関しては、教義の問題、布教史、殉教史が中心であり、キリシタン民衆の日常生活にはほとんど触れられてこなかった。本稿では、伝来初期より潜伏時代を経て幕末にいたるキリシタン信徒、現存する長崎県下生月島のカタレキリシタン信徒の日常的な信仰生活を紹介する。...

    DOI Web Site

  • 「牛鍋」はどんな鍋だったか 『安愚楽鍋』を中心に

    坂井, 健 京都語文 9 212-227, 2002-10-05

    ...文明開化の象徴とも言える「牛鍋」は、魯文の『安愚楽鍋』を筆頭として様々な作品に、往時の流行の風俗として描き込まれているポピュラーな料理である。だが、では、いったいその「牛鍋」とはどんな鍋だったのか、中に入れる材料は何か。味付けはどうしていたのか。「牛鍋」を食べることにどんな意味があったのか、などと考えるとあまりはっきりしない。...

    機関リポジトリ Web Site

  • 「牛鍋」はどんな鍋だったか 『安愚楽鍋』を中心に

    坂井 健 京都語文 (9) 212-227, 2002-10-05

    ...文明開化の象徴とも言える「牛鍋」は、魯文の『安愚楽鍋』を筆頭として様々な作品に、往時の流行の風俗として描き込まれているポピュラーな料理である。だが、では、いったいその「牛鍋」とはどんな鍋だったのか、中に入れる材料は何か。味付けはどうしていたのか。「牛鍋」を食べることにどんな意味があったのか、などと考えるとあまりはっきりしない。...

    機関リポジトリ

  • 日本における技術者倫理と事故の事例学習

    藤江 邦男 工学教育 49 (2), 14-20, 2001

    At the time of Meiji Restoration, modern technology and social system were brought into Japan, and utilitarian rationalism was rapidly civilized. Under such circumstances, when the social morals got …

    DOI 被引用文献1件 参考文献8件

  • トヨタ博物館新館ミュージアムデザイン

    田中 俊行, 西川 稔 デザイン学研究作品集 6 (1), 18-21, 2000

    ...日本の文明開化と相前後してもたらされた自動車は、国産化へのさまざまな挑戦の時代を経て、第2次世界大戦の荒波を越えた後、本格的な発展の歴史を歩むことになる。わが国の自動車文化は、生活文化の向上とともに、互いに影響し合いながら進化してきた。展示では、路上を走る自動車とともに、各時代の特徴的な生活資料約2,000点を集積し、「車文化」と「もの文化」の変遷を見せている。...

    DOI

  • 初期擬洋風建築の天守閣形状塔屋に関する一考察

    井上 章一 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 16 49-57, 1997-09-30

    ...明治維新後、文明開化期につくられた西洋をめざす建築に、天守閣形式の要素がまぎれこんだのも、それがなにほどか南蛮風、西洋的だと思われていたことに一因があるのではないかとする仮説を、ここではたててみたしだいである。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 林羅山と知識の伝播

    神谷 勝広 名古屋文理短期大学紀要 22 (0), 132-126, 1997-04-01

    ...文明開化の中で平等を唱えた諭吉に対し,羅山は,封建制度成立に荷担した人物として対立的に見なされがちだが,知識の公開の流れは,羅山を含めた江戸初期の啓蒙家達と,諭吉を含めた明治初期の啓蒙家達によって,二段階で大きく進展した。知識の公開へと進もうとした方向性において,羅山と諭吉は,むしろ近似するのではないだろうか。...

    DOI

  • 脳病の神話 : "脳化"社会の来歴(<特集>制度としての「近代」-「負」の領域からの逆照-)

    川村 邦光 日本文学 45 (11), 10-18, 1996

    ...明治初年の文明開化のなかで、断髪令とともに、人間の中枢が頭脳だとする啓蒙思想によって、脳力を重視する社会が形成されていった。啓蒙家は狐憑きを"愚民の迷信"として排撃排除しただけでなく、頭・神経の錯乱による脳病だと啓蒙しようとした。法制化された座敷牢への監禁だけでなく、脳病薬の販売や都市の病としての脳病の物語化・神話化によって、脳病という言葉が通俗化していった。...

    DOI Web Site

  • 明治期の攻玉社土木科同窓会誌

    長谷川 博, 雨宮 邦之, 吉田 成男 土木史研究 15 345-352, 1995

    ...この会誌は会員の親睦誌というよりは, むしろ, 「文明開化」によってもたらされた, 新しい欧米式の設計・施工等に関する知識の説明や紹介が主体であった。また本誌には全国の土木事業の計画 (予算を含む) や工事報告 (清算額を含む) も掲載されるので, 会員の過半数は外員で, あたかも総合技術誌として購読されたと考えられる。...

    DOI

  • 文明開化の石桁橋

    伊東 孝, 石崎 正和 土木史研究 13 69-80, 1993

    小泉橋は、多摩川から取水する二ヶ領用水に架けられた江戸時代の石桁橋である。本橋は、明治期および昭和戦前期に、拡築・補強が行われたが、近世の石桁橋が現役で使用されていた希有の事例である。しかし、二ヶ領用水の河川改修の伴って、本橋が架け替えられることになった。そこで、橋の解体発掘調査を進めた結果、架橋に関する古文書が発見されるなど、興味深い特徴が明らかになった。その一つは、橋台壁にも橋脚を設置してい…

    DOI

  • 『安愚楽鍋』研究(1)(智豊合同教学大会紀要,興教大師850年御遠忌記念号)

    杉崎 夏夫 智山学報 42 (0), 327-344, 1993

    ...文明開化の象徴のような牛肉を食べにやって来る、様々な階層の客たちの会話を細かに描写することによって、滑稽なさまを描き出した作品である。従って、そこに描写されている言葉は生粋の東京語である。よって、明治初期の言語を究明して行くうえで、是非扱うべき資料と判断し考察を試みた。...

    DOI Web Site

  • 明治期における主要な橋の配置計画とデザイン思想

    伊東 孝 日本土木史研究発表会論文集 7 (0), 155-162, 1987

    ...<BR>i) 文明開化期には、江戸からの幹線道路、および文明開化の“表玄関”と“顔” の地域に、永久橋梁が架設されていた。<BR>ii) 市区改正期になると、永久橋梁は、日本橋・京橋地区に面的に架設されるようになり、さらに、周辺地域にも架設されるようになった。<BR>とくに大正期に入ると、隅田川をこえて本所・深川に、また月島や芝浦の埋立地にも、永久橋梁が架設されるようになった。...

    DOI

  • 絵地図にみる橋詰広場施設と景観の移り変り

    伊東 孝 日本土木史研究発表会論文集 6 (0), 198-207, 1986

    ...<BR>江戸から今日までの時代を, i) 江戸初期, ii) 江戸後期, iii) 文明開化期, iv) モダニズム期, v) 現代の5期にわけ, それぞれの時代を代表する絵図・写真・地図などを手がかりに橋詰広場施設と景観の変遷を, 日本橋を例にして, 検討している。<BR>結論として,<BR>i) 時代を経るにしたがって, 橋詰広場は自由な空間ではなくなったこと。言いかえれば。...

    DOI

  • 懐徳堂講座講演要旨

    都出, 比呂志, 田中, 文英, 宮本, 又郎, 脇田, 修, 本城, 正徳, 梅溪, 昇, 神林, 恒道, 岩城, 見一, 出川, 哲朗, 源, 高根, 太田, 喬夫, 潮江, 宏三 懐徳 54 64-72, 1985-12-25

    ...昭和60年春季【大阪の町々 : 歴史の舞台として】都出比呂志「上町台地のあけぼの : 原始時代の大阪」, 田中文英「天王寺と渡辺 : 中世の大阪」, 宮本又郎「船場」, 脇田修「道頓堀」, 本城正徳「堂島」, 梅渓昇「川口居留地 : 文明開化の大阪」...

    HANDLE

  • 新教育思想と舞踊教育 : 玉川学園・小原国芳の論と実践を中心として

    中野, 祐子 島根大学教育学部紀要. 教育科学 18 31-45, 1984-12-25

    ...明治の前期,文明開化の波にのって,封建的な女性観が打ち破られ,明治5年の「学制」によって,男女が小学校に入学する。また,フェリス女学院(明3),神戸女学院(明8),共立女学校(明8)など女子校は次々に建てられ,私学の創立は,今日の女性の教育に少なからぬ役割を果たしている。  明治4年に,はやくもアメリカ大陸におくられた女子留学生は,後に,津田塾大学(明33)の創始者(津田梅子)となる。  ...

    機関リポジトリ Web Site

  • 中学校・高校英語教師のジレンマ-アンケートによる一考察-

    平良, 辰夫, Taira, Tatsuo 沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO (3) 75-97, 1983-03-31

    ...2世紀以上にわたる徳川幕府の鎖国政策の後に、日本は1858年、日米通修条約の締結を余儀なくされた。この文明開化と同時に日本の英語教育の歴史も始まったといえよう。従って英語教育の歴史は百年以上にもさかのぼる。この間、種々の新教授法が外国から紹介され、また著名な教授たちが来日し、講演していった。しかし、そのような努力にもかかわらず、「日本人はリスニングとスピーキングがへた」というイメージは国内外に浸透している...

    機関リポジトリ

  • 明治初期における塵芥処理制度に関する二, 三の考察

    山崎 達雄 日本土木史研究発表会論文集 3 (0), 55-62, 1983

    ...化芥所は, 殖産興業・文明開化の世相を背景に, 塵芥の再資源化を目的として設置されたものである。化芥所による塵芥収集の方法は, 現代における一般廃棄物の収集システムと大差はないが, 化芥所が目的とした塵芥の再資源化については多様なことが計画されているが, 堆肥以外, その実態は確認できていない。...

    DOI

  • 日本文化論の歴史

    鹿野 政直 史学雑誌 87 (3), 275-309,409-41, 1978

    ...The first stage saw a spate of comments seeking to bring enlightenment (文明開化) to Japanese culture. in the 1870's....

    DOI Web Site

  • 明治大正期の酒造断片

    池見 元一 日本釀造協會雜誌 70 (6), 387-390, 1975

    ...従って文明開化の波はいち早く酒母育成の技術を洗った。東北の酪醸地秋田県技師として永年指導に当られた筆者に, 酒母を中心に清酒仕込みの変遷を辿って頂いた。...

    DOI

  • 味噌業界を顧みて

    川村 渉 日本釀造協會雜誌 70 (4), 215-218, 1975

    ...<BR>激動の歴史記録にわれらの味噌が載ることはなく, したがって資料も甚だ乏しいが, 文明開化の波にも味噌は動かされることなく, 庶民の中に生き続けて役割を果してきた。このことを十分に顧みることを著者は訴えている。...

    DOI Web Site

  • 「東京医事新誌」  明治初期の医学雑誌について

    近藤 禧〓男 医学図書館 20 (2), 141-152, 1973

    ...<br>明治維新後の文明開化による西洋医学の紹介は各種の医学雑誌を通じて行われたが, 東京医事新誌は創刊者太田雄寧の我国医学の発展を願って欧米に比すべき雑誌として創刊された。医学の無秩序時代といわれた明治初期において「衛生局録事」を始めとする官令を載せ医学情報・医事衛生を普及すると共に, 西洋医学, 特に英米の医学を紹介し我国の医学の指標となった。...

    DOI 医中誌

  • 「文明」と「文化」の変容

    Sato, Yoko, 佐藤, 洋子 早稲田大学日本語研究教育センター紀要 3 45-73,

    「文明」の「文化」は, わが国においては, 歴史的・杜会的事象と結ぴついて変容を遂げてきた.複雑かつ微妙な要素がからみ合う, 有機的統合体としての両概念が, どのような動態を示すか, 時代を追って考察する.明治期の「文明」の概念形成とその受容を, 福沢諭吉が『文明論之概略』において展開した文明論のなかに探る・次第に国家的ナショナリズムに統合されていった開化思想に対し, 酉洋文明導入法の批判が, …

    機関リポジトリ HANDLE

  • 1 / 1
ページトップへ