検索結果を絞り込む

本文・本体へのリンク

検索結果 101 件

  • 1 / 1

  • 沖縄県におけるスポーツツーリズム推進の現状と課題

    稲葉, 慎太郎 天理大学学報 75 (3), 17-28, 2024-04-29

    ...沖縄が本土復帰を果たした後,日本政府は沖縄の社会的・経済的な復興に向けた振興計画を策定した。その中で,沖縄の温暖な気候や豊かな自然環境という特性を活かし,観光に特化した振興計画も策定されるに至った。2000年代以降,国の観光推進に向けた政策的基盤が整うことによって,沖縄県では県独自の観光推進計画が策定された。...

    機関リポジトリ

  • 本土復帰にむけた沖縄における電力一元化の過程

    宮地 英敏 エネルギー史研究 : 石炭を中心として 38 31-53, 2023-03-25

    ...一、 はじめに / 二、占領下の沖縄における電力業の概要 / 三、沖縄の本土復帰にむけた電力体制の模索のはじまり / 四、琉球政府通産局と民間配電会社側との交渉 / 五、沖縄電気事業調査団の報告書が打ちだした方向性 / 六、十電力体制への道 / 七、おわりに...

    DOI HANDLE Web Site

  • <論説>戦後沖縄における熱帯果樹の導入と産業形成 (特集 : 食)

    中窪 啓介 史林 106 (1), 218-258, 2023-01-31

    ...本土復帰前にはハワイ大学の園芸研究者が実地調査と勧告、新品種の導入、研究者の育成を図り、産業形成の芽が生じた。一九八〇年代に熱帯果樹は県外移出を妨げていたミバエ類の根絶に目処が立つ中、地元紙誌での関連記事の掲載、地元新聞社と種苗業者の組合との協働の取り組みにより、庭先栽培と経済栽培の両面で導入が活性化した。...

    DOI HANDLE

  • 戦後沖縄の食生活と食文化に関する一考察

    田原 美和, 浅井 玲子 日本調理科学会大会研究発表要旨集 34 (0), 100-, 2023

    ...本報は,文献,高齢者を対象とした調査等を通して米国統治期における食生活の工夫や思い出,外来の配給食料の食体験などを記録しながら,これまでの食生活や食文化を踏まえつつ外来の食文化の何をどのように受容してきたのか,併せて本土復帰以降の食品流通の変化が沖縄の食生活に与えた影響等を考察するための基礎資料を得る事を目的とした。...

    DOI

  • 沖縄の“いま”からみる戦争の歴史と記憶

    関 礼子 学術の動向 27 (12), 12_50-12_51, 2022-12-01

    ...ここでは、沖縄本土復帰50年となる2022年放映のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」で描かれた、沖縄での戦没者の遺骨収集とハワイ移民による豚の贈与という二つのエピソードから、戦争の歴史と記憶が“いま”、何を問いかけているのかを考える。</p>...

    DOI Web Site

  • 沖縄の人たちは,本土復帰をどう評価し,今の沖縄をどうみているのか

    中川 和明, 中山 準之助 放送研究と調査 72 (8), 36-70, 2022-08-01

    ...沖縄の本土復帰50年に合わせてNHK放送文化研究所は、米軍基地や日米安全保障体制、沖縄の経済などについて人々がどのように考えているか把握するため、沖縄県と全国を対象に世論調査を実施した。復帰に対する評価や沖縄と米軍基地の関係などのテーマごとに結果を報告する。「沖縄の本土復帰の評価」▼本土復帰を『よかった』と評価している人は沖縄では8割超、全国で9割超。...

    DOI

  • 近代史概要

    土田,宏成 瀬戸内町文化財調査報告書 : 瀬戸内町内の遺跡3 第7集 187-196, 2022-03-31

    ...江戸時代後期から沖縄本土復帰に至る、日本と関係諸国との政治・外交・戦争を中心とした日本近代史について理解することができる。...

    DOI 全国遺跡報告総覧

  • 湧き水と生物文化多様性

    高橋 そよ 学術の動向 27 (1), 1_50-1_55, 2022-01-01

    ...1972年の本土復帰後、ダム建設などによって水源が確保されると、沖縄の水―社会システムは急激に変化した。このように貴重な資源であった水は、琉球弧の島々において、1)実利的な在来的知識や技術の対象、2)聖なる水として文化的価値を見出されてきた。しかしながら、現在は赤土流出や水質悪化など様々な問題に直面している。...

    DOI Web Site 参考文献2件

  • 米軍基地周辺の観光地化の可能性

    澤田 聖也 年報カルチュラル・スタディーズ 9 (0), 43-70, 2021-06-30

    ...しかし、本土復帰に伴って基地経済は衰退し、軍人・軍属の歓楽街も徐々に衰退していった。沖縄市はこうした状況から基地経済脱却を掲げて、市の音楽資源を活用した地域活性化と観光誘致に取り組み始め、その際に軍人・軍属の娯楽施設だったA サインクラブやポストA サインクラブも観光資源の一つとして活用するようになった。...

    DOI

  • 「大東文化大学の思い出 チルーin本土(ナイチ)」(前編)

    宮城, 静子 大東文化大学史研究紀要 5 91-114, 2021-03-31

    ...沖縄が本土復帰して4年後の1976(昭和51)年、高校卒業後に、恩師や友人の影響で大東文化大学に入学。それに至るまでの進路選択や故郷沖縄を遠く離れて東京へ上京することへの葛藤や期待、素直な気持ちを示した。幼い頃から教師になるのが夢で大東文化大学を選択した。自身の体験した学生生活・授業などを具体的にまとめた。...

    機関リポジトリ Web Site

  • 近現代ハンセン病資料アーカイブス事業

    森 修一, 阿戸 学 日本ハンセン病学会雑誌 89 (3), 101-142, 2021

    ...本資料は前回の資料と関連するものであり、前資料と同様、本土復帰前の沖縄のハンセン病医療を援助した記録であり、軽快退所者の実態とその管理を沖縄と本土の比較で検討するなど、当時の沖縄と本土のハンセン病管理の違いや疫学状況を知る貴重な資料である。表などの数値も原本に従いそのまま記載した。</p>...

    DOI Web Site Web Site

  • 復帰前後の沖縄における民謡クラブのコミュニティの変化

    澤田 聖也 年報カルチュラル・スタディーズ 8 (0), 101-125, 2020

    ...だが、1972年に沖縄が本土復帰を果たすと、沖縄には、観光客が訪れるようになったことで、民謡クラブの客層が徐々に地元民から観光客に移り、それに伴いながら民謡クラブのシステム、音楽、環境なども変化していった。<br>  復帰前の民謡酒場が、「演奏者―客」の連帯感が強い相互コミュニケーションがあったコミュニティに対し、復帰後は、「演奏者―客」の連帯感が弱いコミュニティーになった。...

    DOI Web Site

  • 近現代ハンセン病資料アーカイブス事業

    森 修一, 阿戸 学 日本ハンセン病学会雑誌 89 (2), 27-95, 2020

    ...</p><p> 「沖縄らい検診等援助計画報告書」 (原本は手書き) は本土復帰前の沖縄のハンセン病医療を援助した記録であり、当時の沖縄のハンセン病事情を知る貴重な資料である。</p>...

    DOI Web Site Web Site

  • 沖縄本島における「字」のリアリティ : 南部ニュータウンの事例をもとに

    牧野, 芳子 佛教大学大学院紀要. 社会学研究科篇 47 1-15, 2019-03-01

    ...一方,本島南部では,南城市に本土復帰直後,民間主導で開発されたニュータウンであるつきしろ地域が,2013年タウン内の字界を統合して「字つきしろ」となった。新規流入住民の集落であるつきしろが,なぜ「字」になれたのか。本稿では,つきしろ地域の建設から字の誕生までを概観し「字になること」の意味を考察した。...

    機関リポジトリ

  • 琉球政府期の沖縄への教育指導委員派遣

    近藤 健一郎 教育学研究 86 (4), 497-508, 2019

    ...<p> 本稿は、アメリカ統治下の沖縄に対し文部省が学校教員の研修指導者として委員を派遣した沖縄派遣教育指導委員制度について、その発端となる1950年代後半から沖縄の本土復帰(1972年)までを対象時期とし、とくに制度の形成変容の節目となる制度の発足(1959年度)、第2年目の派遣(1960年度)、中断を挟んでの再開(1962年度)に注目し、日本政府、米国民政府、琉球政府の三者関係に留意しながら、その...

    DOI Web Site

  • 日本政府の沖縄政策 : 戦後処理から沖縄振興へ

    宮田 裕, Miyata Hiroshi 地域研究 = Regional Studies (22) 81-110, 2018-10

    ...2012年は、本土復帰後40周年の節目に当たり、民間主導の自立型経済の発展という沖縄振興の基本方向が大きく変わった。沖縄振興特別措置法が抜本的に改正された。改正法の柱のひとつは、沖縄振興における沖縄県の主体性を尊重し、その自主性の発揮にあった。従来、国(内閣総理大臣)が策定していた沖縄振興計画について、策定主体を沖縄県(知事)に権限移譲。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 沖縄の神社、その歴史と独自性

    加治, 順人 非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials (16) 37-68, 2018-09-30

    ...薩摩の琉球侵攻、明治維新による琉球処分、日清戦争以後の日本の近代戦争、沖縄戦、アメリカによる占領期、本土復帰、と琉球・沖縄の近現代史はめまぐるしい変動にさらされた。だが、逆説的なことに、明治時代の改革、太平洋戦争、本土復帰、と「日本化」の風圧が特に強まった時期に、かえって民間信仰が正式に神社神道へ参入する道が拓かれてきたのである。その結果、沖縄では独自の神社文化が形成されたと筆者は考えている。  ...

    機関リポジトリ HANDLE Web Site

  • 放送のオーラル・ヒストリー : “ゼロ”からの出発

    吉田 功, 広谷 鏡子 放送研究と調査 68 (12), 2-19, 2018

    ...彼は戦後の沖縄において、放送の立ち上げから本土復帰まで、一貫して放送に関わった稀有の存在である。各局面において放送の当事者のひとりである川平朝清がどう考え、どう行動したのか、そして、行動の背景になにがあったのか、に焦点をあて、沖縄の放送史が立体的に浮かび上がることを目指す。...

    DOI Web Site

  • 沖縄映画における笑いの考察

    脇本 忍 笑い学研究 24 (0), 33-42, 2017

    ...1945年に終戦を迎え、1972年に本土復帰を果たした沖縄は、独自の特色ある文化や地域性を注目され、その後多くの映画作品のテーマや撮影地とされてきた。...

    DOI

  • 沖縄県那覇市と浦添市における学童保育の地域的展開

    由井 義通, 久保 倫子, 久木元 美琴, 若林 芳樹 都市地理学 12 (0), 108-118, 2017

    ...<p>本研究の目的は,沖縄県那覇市と浦添市における学童保育の地域的展開を明らかにすることである.沖縄県における学童保育は,本土復帰以降もアメリカ統治下の保育システムが残ったことが大きな要因となって独特の展開をしており,5 歳児になると90%近くは保育所を卒園し,小学校の敷地内に設置された幼稚園に通園する.しかし,幼稚園は午前中の保育のために,放課後の幼稚園児や低学年児童の託児先として保育所が夕方まで...

    DOI Web Site

  • 出生力と家族にみる沖縄

    澤田 佳世 社会学評論 67 (4), 400-414, 2016

    ...<p>本土復帰後, 沖縄の出生率は日本で最も高い水準を維持している. 高出生力を誇る沖縄は, 家族に価値をおく社会でもある. こうした中, 「少子化」する日本社会で, 相対的に高い出生率を維持する沖縄県に政策的な関心が寄せられる向きもある. 一方, 沖縄は, 出生力と家族の戦後史を日本本土と共有していない....

    DOI Web Site 参考文献6件

  • 琉球列島産陸水性魚類相および文献目録

    吉郷, 英範, Yoshigou, Hidenori Fauna Ryukyuana 9 1-153, 2014-01-24

    ...二回の世界大戦中に報告のない年もあったが, 沖縄県の本土復帰 (1972 年) 以後に顕著に増加した. 記録の得られた島嶼は琉球列島の33 島および魚釣島と南大東島であり, このうち西表島と沖縄島における報告が特に多かった.これらの文献により27 目110 科678 種の魚類が記録されていた....

    機関リポジトリ HANDLE

  • 宮古島における農業用水開発の歴史と農業水利施設の継承

    花田 潤也 農業農村工学会誌 82 (11), 859-862,a1, 2014

    ...本報では,当地域における農業用水開発の歴史として,有史から水道普及までの時代,「水なし農業」の時代,沖縄本土復帰後の「与那覇湾淡水湖計画」と「地下水開発計画」などについて紹介し,その後,農業水利施設を次世代に継承するための具体的な取組みとして,「宮古水まつり」や「畑水の日」制定などについて紹介する。</p>...

    DOI 日本農学文献記事索引 Web Site

  • 沖縄県離島地域における渇水問題と観光の影響に関する分析

    神谷 大介, 赤松 良久, 宮良 工 土木学会論文集G(環境) 69 (5), I_13-I_18, 2013

    ...沖縄県は亜熱帯海洋性気候に属し,特に小規模な島嶼では元々水資源に乏しかった.1972年の本土復帰以降,種々の水資源開発により水供給可能量は増加してきたが,人口および観光客の増加により,需要量は増加しており,給水制限の可能性を高めている.本研究では沖縄県の離島地域における渇水を地域社会の問題として捉え,水道事業の課題を整理し,水に関わる問題を地域社会との関係で構造化した.さらに,座間味島を対象に,観光客増加...

    DOI 機関リポジトリ HANDLE 参考文献1件

  • 映像メディアによる観光地の新しい空間表象と現地の反応

    神田 孝治 日本地理学会発表要旨集 2013s (0), 321-, 2013

    ...この地は、1953年から1972年の沖縄本土復帰まで、南西諸島における日本最南端となっており、1970年前後にはサンゴ礁と美しい海の観光地として人気を博した。かかる観光ブーム時の与論島は、若者にとっての「自由」の島、「恋愛」の島であるとされ、ある週刊誌ではそこを奔放な性の楽園として描き出した。そうした与論島の空間表象や、それをもとに展開される若い観光客たちの実践は、地域社会の大きな反発を招いた。...

    DOI

  • 歴史的変遷を通した沖縄の森林利用の課題と展望

    芝 正己 日本森林学会大会発表データベース 124 (0), 610-, 2013

    ...本報告では,本土復帰の1972年以降このヤンバル地域で展開された森林・林業に関わる諸事象,例えば,沖縄振興開発計画事業,長期渇水給水制限と北部ダム開発,森林組合の設立とチップ工場の稼働,希少野生動植物種の発見,ヤンバル林道訴訟,広葉樹材チップ生産禁止,エコツーリズム・レク事業展開等を通して,今後のヤンバル地域の森林管理・利活用の在り方を模索しようとするものである。...

    DOI

  • 連載:変革期に挑む九州の底力−第15回− 九州の多様な集客戦略

    鳥丸 聡 東アジアへの視点 24 (3), 59-67, 2013

    ...ところが,1972年の沖縄本土復帰と75年の沖縄国際海洋博覧会を契機に,沖縄がリゾート地として集客力を高めるようになるにつれて,九州の南国イメージは希薄化していった。その後,1985年のプラザ合意で円高が定着して以降は,全国的な海外旅行ブームで,九州は海外との競争を強いられるようになった。...

    DOI Web Site

  • 沖縄地方における赤土流出抑制・サンゴ礁保全に向けた環境経済調和型農業生産モデルの実証実験

    入嵩西 正治, 安谷屋 隆司, 松下 潤 土木学会論文集G(環境) 68 (5), I_89-I_98, 2012

    ...第一に、本問題の原因について、本土復帰以降の大規模土地改良事業と換金作物としてトウキビ単品目栽培の普及が影響している点を明らかにする。第二に、その対策として、零細農家が多い亜熱帯島嶼の地域特性のもとで、収益効果の高い環境経済調和型農業生産モデルを設定し、二年間に亘る栽培実証実験をもとにその収量・品質,収益性,環境性を実証した。...

    DOI

  • 土地を「守る」こと

    越智 郁乃 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2012 (0), 85-85, 2012

    ...しかし本土復帰を経て土地の大規模返還が開始されると、一転して地主らが主体的に土地を開発していく必要に迫られることになった。本発表では、返還地である那覇市A地区の地域集団と彼らが持つ入会地の開発の事例を取り上げ、地域集団の共同性が土地の利用をめぐって変化する側面に着目する。そして、米軍」対「沖縄民衆」という従来の二項対立的な図式を逃れる実践のあり方について考察を試みる。...

    DOI

  • 地区診断における生命表の活用方法について

    須田 秀俊, 横山 孝子 日本農村医学会学術総会抄録集 60 (0), 372-372, 2011

    ...5) 沖縄県本土復帰までの 乳児死亡率は 出生届が 提出されないことによる     死亡届欠損の疑いがある。  6) 青年期の沖縄男子の高死亡率は 戦前から見られる。 近年に見られる、青年期の高死亡率は  沖縄県の伝統的ライフスタイルの反映かもしれない。  ...

    DOI

  • 森林簿にもとづく沖縄県国頭村域の林齢分布の分析

    齋藤 和彦 環境情報科学論文集 ceis25 (0), 245-250, 2011

    ...分析の結果,戦前更新の高齢林分は脊梁山脈とその東側に分布したが,1972 年の本土復帰後,一部で伐採が進んでいた。また,既知の1950 年代に加え,1920 年代半ば~30 年代に更新のピークが現れた。当地の森林の大部分は人手が入っており,人為の影響が少ない林分は保護が必要である。一方,人手の入った領域では過去の人為の影響評価と野生生物に配慮した施業研究が必要である。...

    DOI Web Site

  • 担い手のライフヒストリーにみる「八重山ミンサー」の変容

    井口 梓 日本地理学会発表要旨集 2011f (0), 100158-100158, 2011

    ...本土復帰後は、竹富島における観光化と民芸ブームが相まってミンサーの需要が伸び、女性たちは民宿経営の傍ら、土産品としてミンサー帯を生産した。一方で、技術が途絶えていた石垣島では、竹富島出身のA氏がミンサー織りの技術を学び、1971年にミンサー生産と加工、販売を手掛けるA社を設立した。1989年に八重山諸島のミンサーは「八重山ミンサー」として体系化され、国指定伝統的工芸品に指定された。...

    DOI

  • 占領という名の異文化接合

    森田 真也 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2011 (0), 4-4, 2011

    ...戦後沖縄は、1972年の日本本土復帰まで米軍統治下にあった。しかし、文化人類学において軍隊が直接的な研究対象とされたことは少ない。本発表では、第一に戦後沖縄に米軍支配が与えた社会的影響について、第二に米軍の政策に沖縄の人々がどのような形で接し、どう捉えたのかについて、主に米軍の社会教育政策の一つである琉米文化会館の事例から考察する。そして、軍隊と社会の相互規定的な接合の在り方について検討していく。...

    DOI

  • 復興への胎動と住民の生活

    川平 成雄, Kabora Nario 琉球大学経済研究 (77) 1-28, 2009-03

    ...沖縄は1972年5月15日の本土復帰までの27年間、米軍政府の統治下に置かれるが、この27年間に5回もの通貨交換を実施する。27年間に5回もの通貨交換をした例は、世界の貨幣史上、類をみない。米国政府は、これまで極東政策における中心軸を中国においていたが、内部革命による政情不安によって日本、その中でも沖縄に注目・転換する。...

    DOI 機関リポジトリ HANDLE ほか1件

  • 沖縄島南部の石灰岩地域におけるガイドツアーの実践

    高橋 巧 日本地理学会発表要旨集 2009f (0), 174-174, 2009

    ...1.はじめに<BR>  おきなわワールド(玉泉洞)は、沖縄の本土復帰前に観光鍾乳洞からスタートした、県内初の有料観光施設である。100%地元沖縄資本の民間企業であり、沖縄県から博物館相当施設に指定されている。2008年8月、河川環境の問題から閉鎖していた「ガンガラーの谷」も公開され、完全予約制のガイドツアーが実施されている。...

    DOI

  • 同郷者団体と母村の空間的関係

    須山 聡 日本地理学会発表要旨集 2009f (0), 189-189, 2009

    ...本土復帰以降,名瀬の郷友会組織が充実する一方,シマでは過疎化と高齢化にともなう集落組織の縮小が見られた。近接性が改善された結果,両者の接触が頻繁にくり返され,組織的な行事の開催にまで発展した。シマ・郷友会双方の人的資源の不足を相互に補完する関係が形成され,元来組織的な関係がなかった両者間に密接な結合が生まれた。...

    DOI

  • 戦後那覇の都市計画と「場所の政治」

    加藤 政洋 日本地理学会発表要旨集 2009f (0), 122-122, 2009

    ...というのも、本土復帰と同時に「トルコ風呂」ならびにモーテルの「規制外地域」、すなわち営業許可地域として指定されたことで、現在にまでいたる風俗営業地区となったからである。<br> 5. 風俗営業取り締まりと「場所の文化政治」<br> 興味が持たれるのは、「辻への返り咲き」ないし移転を待望する業者もいたことである。...

    DOI

  • 沖縄における死の現在 : 火葬の普及・葬儀社の利用・僧侶への依頼

    塩月 亮子 日本橋学館大学紀要 7 (0), 49-65, 2008

    ...その結果、沖縄では近代化が進むなか、特に1972年の本土復帰以降、火葬場が多数設置されて火葬が広まり、土葬や洗骨の風習が廃れていったこと、および、今ではその多くが入棺が済むとすぐ火葬場へ行き、そこに隣接する葬祭場で告別式をおこなうという順番に変わったことを明らかにした。また、葬儀社の出現が、葬儀の均一化・商品化、仏教との提携をもたらしたことを指摘した。...

    DOI Web Site

  • 地籍図による近代西表島東北部における出作り趨勢の復元

    藤井 紘司 日本地理学会発表要旨集 2008f (0), 141-141, 2008

    ...しかし、沖縄の本土復帰前後に消滅したこの海を越える出作りは、旧慣制度の撤廃を分岐点に、ただただ衰退の過程にあったのだろうか。<BR> これらの研究背景を踏まえ、本研究は、1903(明治36)年の新税法施行以降、つまり近代期における海を越える出作りの変遷、その消長をあきらかにすることを目的とした。...

    DOI

  • 石垣島白保「垣」再生-住民主体のサンゴ礁保全に向けて-

    上村, 真仁, Kamimura, Masahito 地域研究 = Regional Studies (3) 175-188, 2007-03-31

    ...これにより1972年の本土復帰以降初めて許可を受けた垣(カチィ)の構築が実施された。白保魚湧く海保全協議会は、サンゴ礁環境を保全し、上手に利用することで持続的な地域の発展を進めようと白保集落の住民によって設立された組織である。同協議会では、地域の人々が海と接し、子どもたちが海の文化や魚の生態などを学ぶ場として垣を復元することを目指した。...

    機関リポジトリ Web Site 被引用文献1件

  • 沖縄県那覇市における都市構造の変化

    上江洲 朝彦 日本地理学会発表要旨集 2007f (0), 67-67, 2007

    ...しかし、本土復帰を境に沖縄にも訪れたモータリゼーションの影響は、軌道交通を持たずかつ自動車による移動が前提となっていた沖縄社会に一気に浸透していった。結果、那覇市内を中心に慢性的な交通渋滞が発生し、バス交通の利便性は低下しそれが更なる自家用車利用を拡大させるという悪循環を招く結果となった。現在、沖縄県は全国的にみても渋滞による経済損失が大きい地域となっている。...

    DOI

  • 軍政下奄美の酒 (1)

    吉田 元 日本醸造協会誌 101 (11), 862-866, 2006

    ...以来, 紆余曲折を経て, 昭和28年に宿願の本土復帰をはたしたが, 軍政下の8年間は奄美の歴史のなかでも極めて特異な時期であった。 すなわち, 軍政下という小さな独立国のなかで, 奄美島民が主体的に行政, 経済, 文化を担うことになったからである。...

    DOI

  • 沖縄県における小ギク生産と流通の構造

    城戸 美也 日本地理学会発表要旨集 2004s (0), 105-105, 2004

    ...<br> 沖縄県は1972年の本土復帰を契機として、わが国の花き生産拡大期にキクの産地間競争に参入した。「後発産地」「遠隔産地」といった不利性を有する中で、産地形成初期における出荷の組織化は必然的なものであったといえるが、その後の生産拡大期においても、生産・流通の両面で出荷組織の果たした役割は大きい。<br> 本研究では、沖縄県の小ギク生産と流通の構造を次の二つの側面から検討し明らかにする。...

    DOI

  • 沖縄経済の地域間投入産出分析 : 現状と振興政策の課題

    平安名 栄志 同志社政策科学研究 4 65-82, 2003-03-18

    ...これらを背景として、本土復帰以後は沖縄経済の自立を図るため、産業基盤整備を中心とした特別措置や経済格差是正のための様々な施策・事業が行われてきた。しかし、現在沖縄の状況をみると、これらの施策・事業によってめざましい成果があったという点には、疑問を投げかけざるを得ない。そこで本稿では、地域間産業連関表を用い、沖縄の産業構造の特徴や、日本のなかでの沖縄の経済的位置を明らかにすることを試みる。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 沖縄の国営かんがい排水事業の現況

    高橋 進 農業土木学会誌 71 (5), 407-410,a2, 2003

    ...平成14年5月に本土復帰30周年を迎えた沖縄の国営かんがい排水事業は, 宮良川地区, 名蔵川地区および宮古地区においては事業完了し, 所期の効果を発揮しているところである。また, 羽地大川地区, 沖縄本島南部地区, および伊是名地区においては鋭意事業実施中であり, 早期の事業効果発現が望まれるところである。...

    DOI

  • 沖縄経済における農業経済の計量経済分析

    奥平, 均, 吉田, 茂 農業経済論集 53 (2), 93-105, 2002-12

    ...歴史的には本土復帰が1972年であるため、農地改革を経験せず、その間、基地経済に依存した消費型経済の定着という構造的特徴が挙げられる。このようにある意味、特殊な地域的事情から、沖縄の農業と経済は定性的な側面から論じられることが多かった。少なくとも現状の沖縄の農業と経済に関してポジティブな評価を与えるのは厳しいと考えるのが大勢であろう。...

    日本農学文献記事索引 Web Site 参考文献10件

  • 水源地域振興の為の水源地・水に関する意識調査

    新垣, 裕治 名桜大学総合研究 / 名桜大学総合研究所 編 (4) 43-57, 2002-03

    ...人口の増加、生活水準の向上、産業活動及びリゾート開発等の増加により、沖縄における水の需要は、1972年の本土復帰当時と比べると約2倍に増加している。これら需要の増加に対応するために、沖縄島北部には福地ダム、新川ダム、安波ダム、普久川ダム、辺野喜ダム、漢那ダムが建設された。現在建設中のダム、今後建設が予定のダムもまだあり、更なるダム数の増加が見込まれる。...

    機関リポジトリ Web Site

  • 沖縄の米式住宅における再生の実態と居住者評価に関する研究

    田上 健一, 上江田 常実, 鈴木 雅明, 本村 政敏, 新城 敦子, 本庄 正之 住宅総合研究財団研究年報 28 (0), 191-202, 2002

    ...しかし,本土復帰以降は基地縮小や基地内住居施設の拡充によって基地外の米式住宅の需要は激減し,その結果,住み手は地域住民へと変化した。本研究ではこのような米式住宅を対象として,地域への移行の過程に着目し,その成立と展開の歴史的経緯,非住居機能への転用,増改築を中心とする住宅再生,また居住者評価の諸相を明らかにした。...

    DOI

  • 沖縄県における老朽化した貯水池の改修

    親川 榮喜, 親川 健作, 新崎 盛林, 新城 俊也 農業土木学会誌 69 (5), 497-500,a2, 2001

    ...沖縄地方の離島では畑地帯集水方式による貯水池の整備が本土復帰後すすめられてきたが, その後の水需要の増加と施設の老朽化により貯水施設の改修や補修が課題となっている。特に, 貯水池の構造は, 従来の遮水シートによる表面遮水工法では材質の老朽化と台風時の損傷により貯水能力の低下をきたしており, コンクリートライニングあるいはコンクリート直立壁による改修が図られている。...

    DOI

  • 沖縄県の森林資源と素材生産に関する研究

    篠原, 武夫, Shinohara, Takeo 琉球大学農学部学術報告 (46) 37-50, 1999-12

    ...本土復帰後の各種開発で生ずる支障木の有効利用が注目される。今日,専業の素材生産業者はわずか3事業体であり,素材生産は少量・分散伐出である。各地域の林道網の整備も必要である。マツクイムシの被害を受ける前にリュウキュウマツを積極的に利用する体制を整備して,マツクイムシ被害地域のマツの有効利用を促進すべきである。伐倒マツ材への青かび(青変菌。...

    機関リポジトリ 日本農学文献記事索引 HANDLE ほか1件

  • 沖縄の農業農村整備

    柴田 知広, 与那嶺 眞徳, 谷口 宏文 農業土木学会誌 63 (6), 611-616,a2, 1995

    ...昭和47年に沖縄の本土復帰が実現し, 23年が経過した。復帰以降, 沖縄の農業農村整備は, 亜熱帯の地域特性を生かした沖縄農業振興の基礎条件を整備する事業として, 積極的な取組みがなされてきた。...

    DOI

  • 沖縄の農業の変遷と潅漑施設

    吉永 安俊 農業土木学会誌 58 (2), 147-152,a1, 1990

    ...また, 本土復帰後の莫大な社会資本投入による畑地潅漑施設の整備は, 第三の理由としてあげた畑地潅漑の普及につながった。第二, 第三の理由により沖縄農業における水利用の主体は, 昭和30年から同40年代にかけて水田から畑地へ移行する。しかし耐旱性の強いサトウキビを潅漑対象にしているため, 畑地での水利用状況はよくない。...

    DOI Web Site

  • 沖縄の杣山制度・利用に関する史的研究(林学科)

    仲間, 勇栄, Nakama, Yuei 琉球大学農学部学術報告 (31) 129-180, 1984-11-19

    ...沖縄県は亜熱帯の地理的・自然的特質をもつ一方, 歴史的には島津藩による琉球王朝の支配, 明治政府の琉球処分, 米国の沖縄統治, 本土復帰という, 日本本土の他の地域にはみられない展開過程を辿ってきた。そしてこのような目まぐるしい政治体制の変革の下で沖縄県の林野制度と林野利用も大きな影響をうけ, 他府県と異なる展開構造を示してきた。...

    機関リポジトリ 日本農学文献記事索引 HANDLE ほか1件

  • あわもり1号酵母の性質とその実用化

    玉城 武 日本釀造協會雜誌 77 (2), 74-77, 1982

    ...昭和47年の本土復帰以来, 沖縄国税事務所歴代の鑑定官の努力により優良泡盛酵母が分離され, その実用化によって泡盛の品質及び収量が一段と向上した。本研究の中心的役割を果してきた筆者に, この酵母について解説していただいた。...

    DOI Web Site 医中誌

  • 琉球泡盛

    菅間 誠之助 日本釀造協會雜誌 67 (3), 209-213, 1972

    ...沖縄の本土復帰直前の泡盛製造の姿を御紹介する。新しい技術をとり入れると共に, 簡単にまねのできないような昔の技法を見せ場として保存して行くことが蒸留酒メーカーとして大切なことを本稿は訴えている。...

    DOI Web Site 被引用文献1件

  • 沖縄における泡盛の現状

    西谷 尚道 日本釀造協會雜誌 66 (5), 447-450, 1971

    ...その製法には, 日本, 中国, タイ, 遠くスペインの影響をうけているという考察などおりまぜ, 本土復帰も間近い沖縄の酒類業界の近況を紹介していただいた。...

    DOI

  • 沖縄しょう油業界の現況

    具志堅 宗悦 日本釀造協會雜誌 66 (5), 451-452, 1971

    ...沖縄の本土復帰も時間の問題となったわけであるが, 醸造業界特にしょう油製造界にはどんな反応があるであろうか。本文は, 赤マルソウ味噌醤油株式会社の首脳部の一員である宗悦氏を煩わして島内の業界の事情ならびに復帰後の当面する諸問題について, 一応の御説明をいただいた。御一読願いたい。...

    DOI

  • 1 / 1
ページトップへ