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  • <論文>義認と公共 --金泰昌の「公共哲学」とマルティン・ルターの「信仰義認論」の対話--

    金 珍赫, 神山 美奈子 アジア・キリスト教・多元性 16 43-58, 2018-03

    ...近代神学者や政治哲学者は、「神の王国」と「世俗の王国」を区分するルターの理論が個人倫理と社会倫理を分けることで信仰の私事化(privatization)を持つと批判する。しかしこのような読解法は、現代政治哲学の近代性、あるいは「公論場」概念に照らし合わせてみる時、ルターを脱歴史的にアプローチした結果、彼の神学の中に内包されている「公共すること」の価値を見逃す危険性がある。...

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  • キリスト教神学における歴史認識 -ラインホルド・ニーバーにとっての歴史の意味-

    佐久間 重 名古屋文理大学紀要 6 (0), 21-27, 2006-03-31

    ...イエスが時代の期待を満たす救世主であるという信仰によりキリスト教の共同体が出てきた.キリスト教信仰では,生きた人物としての,そして語り継がれた人物としてのイエス・キリストにおいて,歴史の意味,神の王国が完成する,とされている.イエス・キリストの人生,死,復活の中で歴史に対する神の支配が明らかにされる.ニーバーは,キリスト教信仰で受け入れられる救世主はメシア待望論を拒否する救世主である,として,イエス...

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  • キリスト教神学における歴史認識 -ラインホールド・ニーバーのキリスト教現実主義-

    佐久間 重 名古屋文理大学紀要 5 (0), 21-28, 2005-03-31

    ...王国での成就との中間として,人間の歴史を捉えている.この見方が象徴するのは,人間の歴史的存在が無意味なものではなく,歴史的存在があってこそ神の王国が実現することを意味している.ここで,キリストの愛は,神の王国での法ばかりでなく,人間の歴史での規範にもなる.他方,現世と神の王国との間には,大きな溝がある.キリスト教の「神の審判」という概念が示していることは,人間の努力が真剣なものだとしても,それだけでは...

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