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検索結果 142 件

  • 1 / 1

  • 法華験記における神仏習合

    辻本 臣哉 印度學佛教學研究 71 (3), 1140-1144, 2023-03-25

    ...,本地である仏・菩薩が衆生を救済するために神として現れるとする,本地垂迹説が登場し,徐々に神仏習合理論の主役となる....

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  • 東南アジアで再発見する四国

    片岡 樹 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2022 (0), D01-, 2022

    ...具体的には、中世顕密体制に由来する神仏習合や、国家の周縁部における独自のゾミア的な権力のあり方を事例にとりあげ、むしろ中世までの基本的な文化のパターンが日本と東南アジアで並行関係にあったという仮説を提示したい。...

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  • 宮古・八重山の御嶽と神社の位相

    大城 直樹 日本地理学会発表要旨集 2022a (0), 128-, 2022

    ...</p><p>このように元々神社の存在が希薄な沖縄の地において,神仏習合的な「権現」を介して神社を建立しようという動きを宮古と八重山で確認することが出来た。興味深いのは,この二つの神社に関わる知識人としての元教員の役割である。学校教育に当初は従事していたものの,地域の社会教育も担うことになることから,その後はむしろ政治や行政に関与していく。...

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  • <雲南懇話会からの寄稿>日本人にとって山とは何か --自然と人間、神と仏--

    鈴木 正崇 ヒマラヤ学誌 20 54-62, 2019-03-28

    ...神仏習合は、奈良時代に始まったが、平安時代中期の本地垂迹の思想の浸透で日本の山の神は権現と呼ばれ、700年以上の神仏混淆の時代が続いた。しかし、明治維新の神仏分離で山岳信仰は根本的に覆った。2018年は明治維新150年で同時に神仏分離150年である。山岳信仰は、山中他界観を根源に持ち、農耕民や狩猟民に支えられ都市でも展開した。日本は世界でも稀な長い山岳登拝の歴史持つ。...

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  • 明治維新と修験道

    鈴木 正崇 宗教研究 92 (2), 131-157, 2018-09-30

    ...最後に学術用語として神仏習合と神仏分離の概念について再検討する。</p>...

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  • 良源の山王信仰と神前論義の形成

    久保田, 實 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 46 19-36, 2018-03-01

    ...従来の神仏習合研究史は、神前読経が中心に研究されてきた。神前読経は神の苦悩を鎮める技法である。それに対し神前論義は神を悟りに導く技法である。それが良源の時代前後に始まっている。こうした状況を踏まえて、「良源の山王信仰と神前論義」について検討する。良源自筆とされる国宝『御遺告』から良源の論義に懸ける想いは、「選択的論義の思想」といえるものであり、論義を聞くものを悟りに至らしめると考えていた。...

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  • 筑波山門前町における観光空間の変容と特性(1)

    喜馬 佳也乃, 猪股 泰広, 曽 斌丹, 岡田 浩平, 加藤 ゆかり, 松村 健太郎, 山本 純, 劉 博文 日本地理学会発表要旨集 2017a (0), 100163-, 2017

    ...<br> 筑波山は古代から文献に登場しており,万葉集には歌垣の地として紹介されている.古くから人々に親しまれる筑波山には筑波山神社が古代,知足院中禅寺が781年には建立された.しかし,中世には神仏習合が進んだ.江戸時代には,都の鬼門を守護する山として幕府の保護を受け,中禅寺の南方に門前町が整備された.それによって旅籠や遊女屋,茶屋や土産物屋が集積し,現在まで続く門前町が形成されることとなる.明治時代...

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  • 日本におけるシンクレティズムの系譜に関する一考察 : 文化的思想的視点から

    黄, 海玉 佛教大学総合研究所紀要 20 121-140, 2013-03-25

    ...多元的な構造をなしている日本人の信仰形態については,これまで主として「神仏習合」において理解され,解釈されてきた。しかし,神仏二教では日本人の信仰の全貌と真相を解明することはできない。本論文では,日本のシンクレティズムを神道・儒教・仏教の三教による構成と捉え,その所以を明らかにする。方法としては,古代から近世におけるシンクレティズムをなす事例を確認し,その変遷を辿りながら系譜付けを行う。...

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  • 三輪流神道灌頂の場の特質

    米澤 貴紀 日本建築学会計画系論文集 78 (687), 1127-1133, 2013

    This paper clarified the characteristic of the place of Miwa-ryu Sinto Kanjo. Points are forrowings;<br>1. The "Shintou Kanjo dojo" is formed of the frame of ritual procedure and space from esoteric …

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  • 神道灌頂の場と建物

    米澤 貴紀 日本建築学会計画系論文集 78 (688), 1381-1388, 2013

    This paper consider the width and the usage of the place of the Shinto Kanjo and the building which held Shinto Kanjo. Main Points are forrowings;<br>1. The Shinto Kanjo Dojo had indispensable width …

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  • 唐崎再考 : 「唐崎祓え」の再認識

    高倉, 瑞穂 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 38 157-167, 2010-03-01

    ...そして中世以降は、神仏習合の高まりから仏教とも結びつき、唐崎の信仰はさらなる発展を遂げていく。現在では「七瀬の祓」として難波などとともに人口に膾炙される。ところが唐崎を描く作品を見たとき、こうした一点からでは唐崎を忠実に捉える事ができず、いまだに「七瀬の祓」にも揺れがあることからも、古代・中世期における位置がはっきりしないままでいる。...

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  • 中世日本陰陽道における神仏習合について

    DRAKAKIS Athanasios 印度學佛教學研究 58 (3), 1293-1298, 2010

    ...本稿では,中世日本陰陽道の重要な資料である『簠簋内伝』における神仏習合の融合的なパターンを分析する.このパターンは主に仏教の神々ではない垂迹と仏教関係の本地を結びつく本字垂迹説に従う.しかし,『簠簋内伝』における神仏習合は神道と仏教の神々を結びつくだけではなく,十二支や十干などの陰陽道的な概念も取り込む.したがって,『簠簋内伝』における融合的なパターンは元来の神仏習合思想を拡大し,複雑な融合のパターン...

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  • 古代日本の神仏信仰

    北條 勝貴 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 148 7-38, 2008-12-25

    ...なお、聖武朝の国家的仏教喧伝は新たな奉祀方法としての仏教を浮かび上がらせ、仏の力で神祇を活性化させる初期神仏習合が流行する。本地垂迹説によってその傾向はさらに強まるが、社殿の普及や神像の創出など、この仏教との相関性が神祇信仰の明確化を生じた点は無視できない。平安期に入ると、律令制祭祀の本質を示す祈年祭班幣は次第に途絶し、各社奉祀の統括は神祇官から国司の手に移行してゆく。...

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  • 近世神社通史稿

    井上 智勝 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 148 269-287, 2008-12-25

    ...それは、兵農分離・検地・村切り・農業生産力の向上と商品経済の進展など中世的在り方の断絶面、領主による「神事」遂行の責務認識・神仏習合など中世からの継承面の総和として展開する。一七世紀前半期には、近世統一権力による社領の没収と再付与、東照宮の創設による新たな宗教秩序の構築などが進められ、神社・神職の統制機構が設置され始めた。...

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  • 空海における神仏習合思想

    熊本, 幸子, KUMAMOTO, Sachiko 大学院教育改革支援プログラム「日本文化研究の国際的情報伝達スキルの育成」活動報告書 平成19年度 シンポジウム編 112-118, 2008-03-31

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  • 了誉聖冏『麗気記拾遺鈔』における神体 : 教相判釈される神々

    鈴木 英之 宗教研究 82 (3), 711-733, 2008

    浄土宗や浄土真宗などの浄土系諸派が「専修念仏」「礼拝雑行」という教理上の制約から、神に対して消極的な態度をとらざるをえなかったことは良く知られている、しかし中世浄土宗の礎を築き、後に浄土宗中興の祖と称えられた了誉聖冏(一三四一-一四二〇)は、日本の神々に強い関心を抱き、盛んに研究を行った。聖冏は、中世最重要の両部神道書『麗気記』の註釈書である『麗気記拾遺鈔』を著し、浄土教学上に神々を位置づけてい…

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  • <論説>近世前期郷鎮守における神宮寺と本末関係の形成 : 近江国甲賀郡森尻村矢川寺を事例に

    藤田 和敏 史林 90 (6), 866-892, 2007-11-01

    ...近江国甲賀郡森尻村に所在する矢川大明神は、中世段階の当該地域に存在した池原杣庄の荘鎮守であったと推測される神社であり、神宮寺である矢川寺は神仏習合形態で祭祀を執行していた。戦国末期における荘園制の解体の後に、中世的な神社の運営構造を再編成した新たな存立基盤を構築する必要に迫られた矢川寺は、氏子村々に所在する祈祷寺・鎮守の祭祀を掌握することにより、当該地域に宗教的権力秩序を形成する。...

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  • 大隅国正八幡宮社家機構の形成過程

    日隈, 正守 鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science 59 75-87, 2007

    本稿は,大隅国の国一宮である大隅国正八幡宮において,平安中期~鎌倉前期に至る間に社家機構や支配組織がどのように形成されてきたかという課題について考察したものである。その結果,一一世紀前期九州において国内外の争乱により鎮護国家的性格を有す八幡神が広がっていった事,鹿児島神社に八幡神が合祀されて大隅国正八幡宮が成立した事,鎮護国家的色彩を持つ大隅国正八幡宮と大隅国衝とは緊密な関係を持ち,一一世紀後期…

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  • 神話的世界と菩薩 : 本居宣長の「真心」論を手がかりに(<特集>神仏習合とモダニティ)

    菅野 覚明 宗教研究 81 (2), 309-332, 2007

    ...神仏習合という現象についての従来の研究は、教義や制度の側面に重点が置かれがちで、信仰者の内面の問題として本質を探究した研究は数少ない。本論文は、人間精神の最深部、すなわち意識と実在との関係において、神と仏の結合が何を意味していたのかを考察する。日本神話に登場する理想的人間は、神と交わる人々である。彼らに共通する特徴は、激しい感情(これは和歌を詠む能力に対応する)と、生への執着(死への恐怖)である。...

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  • 神仏習合という可能性 : 仏教研究と近代(<特集>神仏習合とモダニティ)

    下田 正弘 宗教研究 81 (2), 283-308, 2007

    ...神仏習合の裏面の問いとしての神仏分離には、近世から近代にかけて中央集権国家を構築した日本の歴史全体が反映する。仏教の迫害と変容の基点となった明治維新をとりまく暈繝には、権力支配の構造の変容と諸知識体系化の歴史が重なりあう。経世済民の思想、国学の進展、一国史編纂の企図は一体化して明治国家の理念を形成し、仏教を非神話化しながらあらたな神話を完成する。...

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  • 神仏習合理論の変容 : 中世から近世へ(<特集>神仏習合とモダニティ)

    伊藤 聡 宗教研究 81 (2), 385-409, 2007

    ...神仏習合の現象は、平安時代に至り本地垂迹説の成立を見るが、それが中世においてどのように変容していったかを跡づけようとするものである。中世における本地垂迹説の浸透によって、神観念はさまざまに変化したが、そのなかでも神が人間の心に内在すると考えられるようになったのが、最も大きい変化だった。...

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  • 近代仏教の自画像としての護法論(<特集>神仏習合とモダニティ)

    森 和也 宗教研究 81 (2), 411-436, 2007

    従来は消極的な評価ばかりを与えられている、排仏論に対抗して生み出された護法論という言説の積極的な意味づけを考えた場合、それは仏教の自己認識、すなわち自画像であると考えられる。その中から読み取れる仏教の日本における自らの存在証明として、近世、近代の仏教者たちに多く見られるのは、天皇との関係性の強調であった。この天皇との関係性は天皇の崇仏の歴史および日本という国土との結びつきにおいて確認されている。…

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  • 神仏分離後に語られた藩政期の神社と社僧 : 旧金沢市域の例から(<特集>神仏習合とモダニティ)

    由谷 裕哉 宗教研究 81 (2), 437-461, 2007

    本稿は、旧金沢市域に位置する神社を事例として、神仏分離以降の郷土史家の言説において藩政期の神社と社僧別当がどのように描かれたか、考察するものである。事例としての金沢は、藩政期に社人が奉仕した神社がむしろ稀少で、幕末までに存在していた多くの社僧や修験が明治以降に復飾し、神職として新たに神社に奉仕するようになった地域というのが通説である。この対象に関して本稿では、幕末・明治期の郷土史家・森田平次(一…

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  • 仏教的王権論・神仏習合・モダニティ : 比較文化論的考察(<特集>神仏習合とモダニティ)

    ランベッリ ファビオ 宗教研究 81 (2), 478-462, 2007

    ...支配者に直接適用された言説は神仏習合の要素をほとんど含まず、それらが見出されるのは寺社内部で利用された王権論とそのシンボリズム、そして両部神道や伊勢神道などで展開された「天王」(デーヴァラージャ)型王権論である。中でもデーヴァラージャ論は、インドとの関連を剥奪された後、天皇の近代的神聖化を支える知的源泉の一つとなってきたのである。しかし、神仏習合の弾圧は、これらの王権論を否定する意味もあった。...

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  • 神仏隔離の要因をめぐる考察(<特集>神仏習合とモダニティ)

    佐藤 真人 宗教研究 81 (2), 359-383, 2007

    ...平安時代中期以降は、神仏習合の進展にもかかわらず、神仏隔離はさらにその領域を広げていった。後世の展開を見ると神仏隔離は天皇祭祀の領域に限られるものではなく、貴族社会に広く浸透しさらには一般社会にも規範として定着していき今日の神道を形作る大きな要因となった。...

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  • 神仏習合と多配列クラス(<特集>神仏習合とモダニティ)

    白川 琢磨 宗教研究 81 (2), 235-258, 2007

    ...それ以前の宗教的状態を一言で言い表すなら「神仏習合」ということになるがその記述には困難を伴う。その理由は、この両者を規定する認識の違いに求められる。神仏分離は、今日の我々が馴染んでいる近代的・科学的認識(単配列分類)に基づいているが、後者はそれとは別の分類に基づく可能性がある。人類学者R・ニーダムは、それに対して「多配列分類」という概念を呈示している。...

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  • 神仏習合の系譜(<特集>神仏習合とモダニティ)

    ブッシイ アンヌ, 福島 勲 宗教研究 81 (2), 259-282, 2007

    ...現在も生き生きとした神仏習合的な信仰と実践が続けられていることは民俗学と民族学を研究する者に多くの問いを投げかけている。本論の出発点もそうした問いの一つである。現代の宗教世界にこうした信仰と祭祀形態が必要とされる理由は何だろうか。...

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  • 日本人の「エトニ」と宗教共同体

    吉田, 昌彦 東アジアと日本 : 交流と変容 3 127-140, 2006-03

    ...「日本国」と自他区別意識 3.宗教共同体、その1 : 「儒教共同体」 4.宗教共同体 : 仏教共同体、その2 5.神仏習合 6.結びにかえて...

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  • 社寺の密度と霊場について

    田上 善夫 日本地理学会発表要旨集 2006f (0), 90-90, 2006

    ...そのため寺院密度は人口に対応する一方で神社は開創時の状況を示すとともに,近世以前に神仏習合下にあったことが,神社密度の高さが霊場につながるものと考えられる。<BR> IV おわりに<BR>  霊場のような地域的まとまりが成立するには,寺社などの信仰施設が基盤として存在する様子がそれらの密度分布にも示されている。...

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  • 北日本における地方霊場への寺社分布の影響について

    田上 善夫 日本地理学会発表要旨集 2004f (0), 53-53, 2004

    ...そもそも霊場はその起源においても仏教のみならず修験との深いかかわりが認められ,神仏習合のもとでは観音を本地とする神社も多いため,札所は神社の内や隣接することも多く,さらに背景に民間信仰が認められるものも多い。...

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  • 加賀藩内の寺社建築と神仏習合に関する研究

    田中 徳英 日本建築学会北陸支部研究報告集 (45) 13-20, 2002-06-23

    ...神仏習合は中世以降に白山・立山などの山岳信仰で盛んになっていった。江戸時代の白山宮は鳥居もなく、本殿・拝殿と本地堂・鐘撞堂など神仏混淆の建物配置であった。峰本社は「立山権現」で知られ、立山信仰の中心であり、室堂は参詣のために宿泊するだけでなく、信仰の対象となる施設であった。藩内有数の大社である気多社は、前田家の手厚い保護を受け、本殿など多くの建物は「御普請」であった。...

    日本建築学会

  • 国庁神社の登場 : 惣社の系譜

    村井 康彦 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 12 11-32, 1995-06-30

    ...なかでも仏教界の方からはじまった、いわゆる神仏習合がこの時代にひろがり、社会的な影響を及ぼしはじめたことの意味は大きい。興味深いのは、そうした神仏習合の進むなかで神祇側が覚醒し、さまざまなリアクションを起こし、神祇の世界に波紋を投じている事実である。...

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  • 明治期制限図の制定経緯と意匠規制に関する考察 : 制限図様式と創建神社の意匠に関する研究(1)

    藤原 惠洋 デザイン学研究 1992 (91), 53-60, 1992

    ...次に検討期を経て整理された制限図の規制内容が,(1)神仏習合の近世神社を遡り古式遵奉をめざすため,流造本殿・入母屋造拝殿を中心とする独立社殿により構成された。(2)社殿の配置・平面・規模を決めた平面的規制と,立面姿絵・仕様表示による造形的規定から成る意匠規制の性格を持つ。(3)大中小の社格に応じた規模と仕様の差異を厳格に見せた,という3点に代表されることを明らかにした。...

    DOI 被引用文献1件

  • 室生、長谷、大神神社(おおみわじんじゃ)の神仏習合の源流

    八田 幸雄 智山学報 40 (0), 53-67, 1991

    ...大神神社の神仏習合の問題を考える場合、その隣接する長谷寺、更には東方の室生寺も併せて考察していかなければならない。いうまでもなく長谷寺は中世、三輪流神道の教義がうちたてられ、神道灌頂が行われ、神仏一体の信仰の中にあった寺である。...

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  • 日本學としての日本國家學

    佐治 謙譲 法政研究 7 (2), 447-538, 1937-08-05

    ...一 序論科學に於ける普遍と特殊 二 日本民族共同社會の成立及び其の性質 一 大和朝廷の執られたる日本民族の家族主義的融合政策 二 氏族の崩壊と階級の結成 三 日本全体國家の成立 一 家と祖先祭祀 二 神佛習合 三 日本全体國家の性質 四 階級、政体、國禮 三 結論...

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