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検索結果 61 件

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  • 十字架と労働法制

    野川 忍 明治大学社会科学研究所紀要 62 (2), 60-79, 2024-03-25

    ...本稿は、19世紀初頭にドイツがナポレオン戦争により神聖ローマ帝国の桎梏から解放され、その後ドイツ革命を経てドイツ帝国成立に至るまでの動乱の時期に、ドイツにも台頭しつつあった資本主義的生産体制の中で翻弄される労働者の窮状に、カトリックを中心とするキリスト教勢力が、どのように、またいかなる契機によって関与を深め、また具体的な機能を果たしたかを、歴史的背景や政治社会の動きなどを織り込みながら検討し、キリスト...

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  • 近世アルザスにおける紛争と秩序

    安酸 香織 史学雑誌 129 (11), 1-33, 2020

    ...しかし、一七世紀のアルザス譲渡以降についてフランスとの関係にのみ注目し、神聖ローマ帝国とのつながりを度外視するならば、同地域の秩序を根本的に理解することはできない。近年では両関係が考慮されつつあるが、いまだ事例研究の数は少なく、まして体系的な研究には至っていない。...

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  • 一六五四年「帝国宮内法院令」の成立

    鈴木 山海 法制史研究 66 (0), 89-131,en7, 2017-03-30

    ...<p> 本論文は、近世の神聖ローマ帝国が保持した二つの最高裁判所のうち、皇帝に直属する帝国宮内法院に着目することで、三十年戦争後における、領邦を越えた、帝国レベルでの秩序維持のあり方、とりわけ、そこにおいて発揮された皇帝の主導性を明らかにしようとするものである。...

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  • 手書き通信の成立と拡散について

    江口, 豊 メディア・コミュニケーション研究 70 37-58, 2017-03-25

    ...また、手書き通信がイタリアや神聖ローマ帝国のみならず、ヨーロッパ全体にかなり広まっていたことも最近の研究で確認されつつある。...

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  • 薬局発の情報学

    漆原 尚巳 ファルマシア 51 (2), 135-139, 2015

    ...神聖ローマ帝国皇帝は,西暦1240年に発布した薬剤師大憲章にて,薬剤師の職能を「医師の処方せんに基づき調剤された医薬品が正しく効果を有し安全な物質であると保証する事」と定め,これにより医薬分業が確立したとされている.以降,医薬品としての品質保証を目的に,医薬品そのものの性質を深く突き詰め情報を収集すること,つまり情報の深化が重要であった.しかし,今や社会は,医薬品に関する専門知識だけでなく,医療と健康...

    DOI 医中誌

  • 中世後期の北ドイツ・ハンザにおける学問と外交

    中田 恵理子 洛北史学 15 (0), 1-27, 2013-06-01

    ...神聖ローマ帝国北部のハンザ諸都市においては、一五世紀後半頃から大学で法学をはじめとする学問を修めた参事会員が登場し、司法よりも外交(渉外)の場で活動していた。本稿では特にこれら学識参事会員の、そして書記や法律顧問など都市役職者の出自と経歴を調査対象とし、学識者および大学の位置づけについて検討した。...

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  • 真空技術の先駆者としてのグエリケの業績と生涯

    宮原 昭 Journal of the Vacuum Society of Japan 52 (2), 85-91, 2009

    ...の結語において今後検討すべき課題について述べる.なお日本の文献は殆どが生まれたときの名前である Otto Gericke の姓であるゲーリケと書いてあるのに,本稿では“グエリケ”としたのは,現在欧米の文献は1666年の神聖ローマ帝国貴族の叙爵後の名前である Otto von Guericke を用いているから,それに従ったのである.<br>...

    DOI Web Site 参考文献38件

  • <論説>近世ティロールの「地域」・「境界」認識と領邦誌

    佐久間 大介 史林 90 (3), 425-453, 2007-05-01

    ...一七・一八世紀の領邦誌作者は、ティロールが神聖ローマ帝国に属していることを当然視し、「ドイツ」の一部としてティロールを捉える認識も共有していた。一八世紀の領邦誌では、これに加え、ハプスブルク帝国という枠組みの存在感も高まったが、中央集権化に抵抗する諸身分の議論も反映された。地理的位置の特殊性を指摘することで、ハプスブルク帝国におけるティロールの重要性を強調するようになったのである。...

    DOI HANDLE Web Site ほか1件

  • ベルリンの科学アカデミー

    鈴木 潔 言語文化 8 (3), 609-637, 2006-01-20

    ...神学、哲学、数学、物理学、言語学など多くの学問領域で抜きん出た業績を挙げた天才が、キリスト教会と世俗権力の軋轢、新旧宗教対立の騒擾、神聖ローマ帝国の凋落、ドイツ領邦の権力抗争の只中でどのようにアカデミー創設に関わったのかを追ってゆくと、科学アカデミーについて、文化史上の意味ばかりではなく、科学者を組織化することの宗教的・政治的な文脈も見えてくる。...

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  • ヨーロッパ統合時代のフランス・ドイツ・スイス国境地域(5)

    三木 一彦 日本地理学会発表要旨集 2003f (0), 13-13, 2003

    ...2 歴史的展開 神聖ローマ帝国領であったアルザスがフランス領に組み込まれたのは、三十年戦争後の1648年のことである。これ以降、公用語としてフランス語が導入され、徐々に浸透していったとはいえ、民衆の間では依然としてアルザス語が日常的な言語であった。そのことは、普仏戦争後(1871年)にアルザスがドイツ領に編入されたときの状況を描いたドーデの「最後の授業」からも読みとることができる。...

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  • フランツ・グリルパルツァー評伝

    森川 晃卿 人文研究 15 (10), 1004-1035, 1964

    ...一八世紀の後半にオーストリアの世襲領地であった、神聖ローマ帝国の首都に、ヨーゼフ・グリルパルツァー(Joseph Grillparzer)とその妻カタリーナ(Katharina)が住んでいて、ヴィントハーク伯の慈善館内の飲食店を経営しており、後にホーエンマルクトの市裁判所でも同様に出前を行っていた。……...

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