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検索結果 26 件

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  • 『律書残篇』と蝦夷・隼人

    伊藤, 循, Ito, Jun 拓殖大学教課程年報 4 19-34, 2021-10-20

    ...また、『律書残篇』によれば、8世紀前期の薩摩国では、隼人域に特徴的な1郡1郷に象徴される郷里制や郷戸・房戸制の再編成が行われ、律令制的な国郡制や籍帳支配が進展していた可能性がうかがわれる。蝦夷・隼人政策の目的を版図拡大に求める見解が近年有力であるが、『律書残篇』の分析によれば、東西辺境の支配政策は版図拡大にとどまらない歴史的意義をもつ可能性が指摘される。...

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  • 大和言葉による身体表現と古代日本人の身体観(膝周辺の古語)

    ノダ, トオル 藍野大学紀要 33 13-21, 2021-08-31

    ...後膝部の名称であった「ヨホロ」という語は,律令制のもとで成人男子を示す「丁(ヨホロ)」,その他の名をしめす多くの語を生んだ。さらに古代日本語の名残を残す東北地方や琉球方言を見ると,古代日本語の「ヒザ」の表す範囲は現在とは異なっていた可能性がある。こうした膝に関係した大和言葉の用例を示しつつ,古代日本人の身体観を考察する。(著者抄録)...

    機関リポジトリ 医中誌

  • 礼の古典的意味と現代的解釈 ―日本が受け入れなかった中国文化の核心

    長谷部, 茂 拓殖大学国際日本文化研究 4 1-53, 2021-03-25

    ...当初は律令制度導入のため、のちには皇室に関わる有故実として。皇室の行事の中で、現代でもたまに「~の礼」のようなかたくるしい言葉を聞くことがあるが、ほとんどは世俗化し、御礼、謝礼、お辞儀等、マナーやエチケットの意味として定着した。当初、中国から学んだ膨大かつ深遠な礼の意味内容は、ほとんど忘れ去られた。...

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  • 黄櫨染色の特殊性

    國本 学史 日本色彩学会誌 44 (3+), 200-, 2020-05-01

    ...影響が大きいと考えられるが,中国の櫨と日本の櫨は文字が同じながら異なる植物と推測され,両国の櫨材染色を比較しても同色ではない.平安時代の『延喜式』の記録では,黄櫨と蘇芳の交染であるとされたが,これは中国皇帝の袍・衫の赭黄や赤黄の色に似せるためとも考えられる.中国の服色制度の受容に際して,黄櫨染以外は唐の常服の色を日本の礼服(後,束帯)に適用している.しかし,中国皇帝の常服の赭黄・赤黄の色は,日本の律令制度...

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  • 律令租税免除制度の研究

    神戸, 航介 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 212 1-39, 2018-12-20

    ...律令制において租税制度を定めた篇目である賦役令の租税免除規定は、(1)身分的特権、(2)特定役務に任じられた一般人民、(3)儒教思想に基づく免除、(4)民衆の再生産維持のための免除、の四種類に分類することが可能である。...

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  • 日本古代における大学・国学教育と釈奠

    伊藤, 循, Ito, Jun 拓殖大学教課程年報 1 46-60, 2018-10-20

    ...まず従来の通説では、大学は八世紀初頭の大宝令制段階で完成するとされてきたが、律令制的な大学の基本骨格は七世紀末の浄御原令制で成立しているとみてよい。大学からの官人登用より蔭位や舎人経由の登用の方が有利であり、実態としても貴族の大学就学が少なかったことが諸研究で明らかにされており、大学を官吏養成機関とする教科書的見解はそのままでは成立しがたい。...

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  • 律令官衙財政の基本構造

    神戸 航介 史学雑誌 126 (11), 1-37, 2017

    ...日本は比部の掌を民部省・主計寮の掌に継承したが、日本では各官衙の備品状況を確認するだけで年間予算との関係は薄く、律令制当初は官衙独立財源も存在しなかったため、決算制度の意義は小さかった。<br> このようなシステムで日本の律令官衙財政は運営されていた。...

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  • 徳川将軍家の元服儀礼と朝幕交渉

    吉田 昌彦 地球社会統合科学 23 (2), 13-27, 2016-12-25

    ...①徳川将軍家の元服儀礼に関する朝幕交渉において、律令制的官位制度にもとづく有故実・先例や家例が原理として貫徹していたこと。②官位叙任儀礼において天皇と将軍との間の君臣関係が確認できること。...

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  • 摂関期における左右近衛府の内裏夜行と宿直

    鈴木 裕之 史学雑誌 125 (6), 37-62, 2016

    ...律令制以来、衛府は内裏警備を主たる掌とした。夜間の警備も同じく規定されていた。延喜式段階でも、その掌は継承された。本稿の問題意識は、このような内裏の夜間警備が摂関期(一一世紀)に機能していたか、あるいは貴族に認識されていたかという点にある。従来の研究で否定的に理解されてきた摂関期の左右近衛府の治安維持機能について、内裏夜行・宿直の観点から再検討した。...

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  • 諸宗の制度的兼学と重層的(包摂的)兼修

    苫米地 誠一 智山学報 65 (0), 141-158, 2016

    ...ここでいう「制度的な兼学」とは、太政官符などによって知られる朝廷の律令制度(格)上の問題として規定される諸「宗」を兼学することである。しかし一方では、それとは異なる形で諸「宗」を重層的(包摂的)に位置づけた諸宗の兼学・兼修という事態が存在する。この問題については「宗」の語の意味を含めて、まだ十分な議論・認識がなされていないと思われる。...

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  • わが国の「土木事業の空白期」における土木と関係する官

    西山 孝樹, 藤田 龍之 土木学会論文集D2(土木史) 70 (1), 9-19, 2014

    ...<br> わが国の律令制度が倣った中国の唐および空白期と同時期に成立していた宋には,土木と関係する官が設置されていた.一方,わが国の中央政府には土木事業を行う官は設けられておらず,地方では災害発生時など臨時に設置されていたに過ぎなかった.9世紀から11世紀には,社会基盤整備に通じる事業を専門に掌っていた官は存在していなかったことを本研究で示した....

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  • 9世紀日本における女官の変容と「キサキの女房」の出現契機

    伊集院 葉子 ジェンダー史学 9 (0), 39-51, 2013

    ...日本の律令女官制度は、男女ともに王権への仕奉(奉仕)を担った律令制以前(7世紀以前)の遺制を踏襲し、天皇の意思伝達・政務運営・日常生活への奉仕を中心的な役割として出発した。しかし、平安初期の9世紀には、律令女官制度は大きな変容を遂げた。...

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  • 「たくむ」「たくみ」語義の形成と変遷 : 日本におけるデザイン思考・行為をあらわす言語概念の研究(1)

    樋口 孝之, 宮崎 清 デザイン学研究 50 (2), 101-110, 2003

    ...また,律令制度のなかで官や雇役民の名称となり,能や人の身分を示すことばとして定着した。近代以後,「たくむ」「たくみ」とも仕様される度合が減じた。日常的な話ことばにおいても,意味を代替する漢語(および漢語サ変動詞)が用いられることが顕著になったことによる。これらのことばが元来有する語義を,あらためて認識することの重要性が示唆された。...

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  • 額田部氏の研究 : 畿内中小豪族の歴史(Ⅱ. 額田部氏と飽波評・条里制)

    森 公章 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 88 119-179, 2001-03-30

    ...以上のような額田部氏のあり方の一般化を求めて、畿内の郡司氏族全般についても検討し、畿内郡司氏族は畿内の中小豪族として名代の管理者や業部民の管理者などとしてヤマト王権の実務を支え、律令制下においても中下級官人として国家の日常業務を担う存在であり、同時に郡司として在地での勢威も保持しており、中下級官人と在地豪族の二面性を備えた存在であったことを確認した。...

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  • 里刀自小論 : いわき市荒田目条里遺跡第二号木簡から

    平川 南 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 66 5-24, 1996-02-29

    ...この郡符木簡はあくまでも律令制下の公式令符式という書式にもとづいているのである。したがって、差出と宛所を明記し、原則として律令地方行政組織〔郡―里(郷)など〕を通じて、人の召喚を内容とする命令伝達が行われるのであろう。これまでに出土した一〇点ほどの郡符木簡はいずれも里(郷)長に宛てたもので、例外の津長(港の管理責任者)の場合は個人名を加えている。...

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  • 倭京から藤原京へ : 律令国家と都城制

    仁藤 敦史 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 45 39-77, 1992-12-25

    ...これに対して、律令制下の都城制の特徴は、天皇の住居たる内裏が京内の他の邸宅とは隔絶した存在となり、王族・貴族から一般百姓に至る位階制秩序を京という平面空間で実現させたことにある。...

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  • <研究ノート>中世手工業の二・三の問題 : 特に建築生産を中心に

    仲村 研 史林 45 (4), 614-630, 1962-07-01

    ...中世建築工の主流は律令制建築生産機構の変質、すなわち木工寮・修理→荘園領主の私工房 「所」 →座という過程の中に生まれ、中世を通じて寮・は技術統轄機関として存続する。中世建築工の発生は作料・請負制の成立に特徴づけられるが、建築生産が本来注文生産たるにより得分の下賜的性格は払拭されない。...

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  • <論説>保証刀禰について

    秋宗 康子 史林 44 (4), 485-503, 1961-07-01

    ...律令制の解体過程で、地方政治の実権は郷長から郷司に移行する事が知られている。この郷司のもとにあつて補助的役割を果したと思われる刀禰は、統合力の弱かつた五保の組織に代つて、京師では保、村落では村を単位に在地有力者 (実際に村落に居住し、私出挙なども行い、従類などを従えて、公田・庄田・墾田を耕作する大名田堵的存在の者) であつて、京及び国衙の所管のもとに、非違の検察、私有地の確認等を任務としていた。...

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