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  • Longing for the Refinement of the Heian Court during the Edo Period: Development of Printed Books with Kasen-e

    KANSAKU Ken’ichi 国文学研究資料館紀要 文学研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature 48 13-70, 2022-03-18

    ...特にD絵師では、(ア)菱川師宣、(イ)西川祐信、(ウ)長谷川光信、(エ)勝川春章、(オ)土佐光貞、(カ)喜多武清、都合6人を取り上げて、それぞれの代表的作品に即して特徴を析出する。その上で、江戸期全体を改めて俯瞰し、刊本における歌仙絵の伝統と革新の諸相を引き出した。 本稿は、神作研一「江戸の王朝美—歌仙絵入刊本の展開—」(『近世和歌史の研究』所収、角川学芸出版、2013)を英訳したものである。...

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  • 膝を抱えた南畝像(<特集>近世の絵を読む)

    小林 ふみ子 日本文学 58 (10), 32-40, 2009

    ...これらは歌仙絵本「やつし」の形式であるため、当時流布していた歌仙絵本に原拠を求めれば、菱川師宣画『百人一首像讃抄』(延宝六年刊)の藤原定家像である蓋然性が高い。本の形式のみならず像の形態までもが歌仙絵に求められることは、この頃の天明狂歌が古典和歌のやつしとしての性格を強めていたことを示すものであろう。...

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  • <原著>高橋宗恒・高橋宗直 : 笄と簪を発案した有職故実の学者たち

    鈴木 昌子 山野研究紀要 4 (0), 13-23, 1996-03-25

    ...桃山時代から江戸時代にかけて結髪が流行していたが,あの絢爛豪華な元禄時代を迎えようとしていた貞享年間(1684〜1688)に結髪が発展せず,菱川師宣の「見返り美人」図に見られる「玉結び」が流行していた。当代随一といわれた有職故実の学者である高橋宗恒が,工人に種々の形の笄(当時に笄と簪との区別がない)を作らせた。また,この宗直が簪を発案したともいわれ曖昧になっている。...

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