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  • <研究ノート>『万葉集』にみる「みやこ」と「ひな」への意識

    久葉 智代 日本研究 = NIHON KENKYŪ 61 137-169, 2020-11-30

    ...飛鳥にみやこが置かれていた時代は、天皇がやってきた行幸先や行宮を「みやこ」と呼んでおり、必ずしも特定の場所を指すものではない。藤原京の時代の「やまと」を経て、平城京の時代になると、「みやこ」の語が現れるようになる。それまでと異なり、平城京をピンポイントで中央として捉えており、長期間固定して存在したことで「みやこ」が実体を持った生活空間として確立したことがわかる。 ...

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  • 中世大越の地方支配~唐宋変革期「小帝国」の比較史への問題提起~

    桃木, 至朗 周縁の文化交渉学シリーズ6 『周縁と中心の概念で読み解く東アジアの「越・韓・琉」―歴史学・考古学研究からの視座―』 3-17, 2012-03-01

    ...他方、皇帝の頻繁な行幸と行宮のネットワーク、地方首長に「降嫁」した公主たちの働きなど、非律令制的なチャンネルが、地方支配に大きな役割を果たしていた。こうした唐制をローカライズする方法について、高麗などとの比較ができれば幸いである。...

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  • 「楼」建築の「見られる」「登れる」要素

    海野 聡 日本建築学会計画系論文集 76 (669), 2177-2182, 2011

    This study aims at “Ro” architecture in Nara period. The research method used in this article is detailed study on both historical documents and existing buildings. There is a commonly-held view …

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  • 9-1 長岡市宮内 旧田上商店倉庫について(計画系)

    平山 育男, 西澤 哉子, 梅嶋 修 日本建築学会北陸支部研究報告集 (52) 493-496, 2009-07-12

    ...旧田上商店倉庫は、大正14(1925)年9月に長岡貯蓄銀行宮内支店として新築され、昭和27(1952)年、前面道路の拡幅により曳家がなされた、後年は倉庫として利用された。本館は天井周り、フレンチトラスの小屋組、外壁立面に当初の形式がよく残り、これらを保存しながら今後の活用が望まれる。...

    日本建築学会

  • 南朝和歌の都 : 『新葉集』宮中の花歌群から

    君嶋 亜紀 日本文学 56 (12), 25-34, 2007

    ...南朝末期に成立した『新葉集』春下巻の「宮中の花」歌群に登場する「都」には、京都の内裏と南朝の行宮の意が混在している。そのような「都」の両義性は、集としての不統一ではなく、『新葉集』の構想に南朝の現実を反映させたものであり、撰者宗良親王の意図するところであったと捉えられる。...

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  • 古代日向の地域的中心と交通路

    藤岡 謙二郎 地理学評論 46 (10), 633-642, 1973

    This paper is intended to be a summary of the results obtained from the historico-geographical survey of ancient cities and traffic roads in South Kyushu, on which we have not seen any reports as …

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