検索結果を絞り込む

データ種別

本文・本体へのリンク

検索結果 1 件

  • 1 / 1

  • ロシア・オスマン関係の中のワラキア・モルドヴァ公問題(1774-1806)

    黛,秋津 Japanese Slavic and East European studies 27 1-31, 2007-03-30

    ...この問題は、その後フランスがオスマン帝国に接近するにあたって、露土間の離反のために利用され、1806年にオスマン政府がフランスの主張に従って、ロシアへの通告なしに突然公を解任したことが、オスマン外交の親仏路線への転換とロシアに見なされた結果、同年末に開始される露土戦争勃発の直接の契機となった。...

    NDLデジタルコレクション

  • 1 / 1
ページトップへ