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  • 1886年における「軍歌」の誕生/明治期における「文学」の形成過程をめぐる国民国家論(16)

    オオモト, タツヤ, Tatsuya, OMOTO 鈴鹿大学・鈴鹿大学短期大学部紀要 人文科学・社会科学編 (2) 243-270, 2019-03-29

    ...本論では、明治期における軍歌の形成過程を考察する。軍歌というジャンルは明治期において成立する。『小学唱歌集』(1881-4)や『新体詩抄・初編』(1882)、『新体詩歌』(1882-3)においてすでに軍歌的な作品が作られていたが、それらが軍歌と呼ばれることはなかった。885年末の「喇叭吹奏歌」の制定を機に、1886年に河井源蔵編『軍歌』が刊行されることによって軍歌というジャンルが立ち上がる。...

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  • 『兵隊やくざ』論序説

    李 建志 関西学院大学先端社会研究所紀要 11 (0), 27-46, 2014

    ...当時軍隊で好んで歌われていたのは軍歌ではなく、「満期操典」や「軍隊数え唄」といったものであった。このような兵隊の唄を知ることで、当時の日本軍の生活を知ることができるようになることだろう。...

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  • チンギス・ハーン崇拝の近代的起源 : 日本とモンゴルの応答関係から

    小長谷 有紀, Yuki Konagaya 国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology 37 (4), 425-447, 2013-03-29

    ...こうしたナショナリズムとむすびついた,近代的なチンギス・ハーン崇拝の起源について考察するために,本稿では,社会主義以前の中国内モンゴルで日本人によって流布されたと思われる「肖像画」と「軍歌」に着目し,協働的ナショナリズムが明示される資料をあきらかにした。...

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  • 「家族団欒図」 : 父親の再婚と"敗戦"の終焉

    モスタファ アフマド M. F. 日本研究 41 373-409, 2010-03-31

    安岡章太郎は学徒兵世代の一員であったが、入隊してまもなく満洲で発熱して内地に送り帰された。二十五歳の時に金沢の陸軍病院で終戦を迎えた。安岡章太郎は一人っ子で、終戦当時は獣医でランクの高い軍人だった父親はシンガポールの戦線で捕虜となってしまった。東京の家も空襲で焼かれたということで安岡章太郎は母親と二人で鵠沼海岸にある叔父の家を借りた。父親が帰還するまでの鵠沼海岸暮らしの数ヶ月の間は"戦後"とはま…

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  • "北原白秋作詞による歯学,医学の歌"

    "齊藤,力" 日本歯科医史学会会誌 23 (4), 291-302, 2000-10-01

    ..."北原白秋は詩人・歌人で,童謡,歌曲,器楽曲,合唱曲,管弦楽曲などの作詞を多数行ったことで,あまりにも高名であるが,校歌,団歌,社歌,市町村歌,地力民謡・音頭,軍歌なども数多くつくっていたことは余り知られていない.これらの中に歯学,医学に関連する学校の校歌,および団歌などをいくつかみることができる。...

    NDLデジタルコレクション 医中誌 参考文献28件

  • 九州大学新聞

    九州大学新聞 557 1967-05-10

    ...」意志の芸術論への展開 情況への対応のしかた(K)/研究室 感覚を追究して(桑原万壽太郎)/編集部から/表現と立場 -鳥尾敏雄の文学をめぐって(三) 言葉と状況との危機の意識 あとずさりしていきついた奄美体験(河野玄)/私の読書ノート(10) 現代に通じる「ハムレット」 解釈の可能性に驚く(海老原啓)/第十回松原賞小説募集(九州大学新聞部)/台湾の旧友たち 山岳部親善登山から帰って 太白酒に流れる軍歌...

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