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中 純夫 洛北史学 12 (0), 67-91, 2010-06-05
...代わって政権を取った少論は老論に対する攻撃を強め、翌二年壬寅(一七二二)には老論四大臣の処刑をはじめとする大規模な粛正を断行した(壬寅獄、辛壬士禍)。そしてこの過程で少論は、峻少(金一鏡、朴弼夢、李真儒等)と緩少(李光佐、趙泰耇、尹淳、徐命均等)に分派した。分派の背景や要因についての詳細な研究は、これまでほとんど存在しなかった。本稿では、緩少の側から見た両派の主たる対立点を以下の五点に整理した。...
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