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検索結果 607 件

  • 「唯心」「唯物」のペアとしての成立と複合語による展開

    李, 穏 拓殖大学大学院言語教育研究 (24) 21-43, 2024-03-31

    ...それから、中国の宋明理学、とくに陽明学の導入とともに、「唯心」と「唯物」は広く使われるようになった。近代に入ると、西洋概念「Idealism」「Materialism」に対して、それぞれ「唯心論」「唯物論」という訳語が使用された。一方、中国においては日本の翻訳書を通じて西洋の哲学や思想を受容した。...

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  • 銭穆の陽明学について

    饒 佳栄 東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies 17 315-340, 2024-03-31

    Qian Mu went through a substantial intellectual transformation from Yangming Learning to Zhu Xi Learning during his lifetime. This article comprehensively examines his discourse on Yangming …

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  • 安岡正篤の東洋宰相論 ―「万世の為に太平を開く」―

    田中, 学 拓殖大学国際日本文化研究 (7) 141-171, 2024-03-25

    安岡正篤は、在野の思想家でありながら、戦前、戦中、戦後と、政財界を牽引する多くのリーダーたちに大きなインパクトを与えた人物である。戦前は金鶏学院や日本農士学校を設立し人材育成に努め、戦時中の小磯国昭内閣では大東亜省顧問に就任し、終戦を告げる昭和天皇の「終戦の詔書」の刪修にも関わり、その中に「萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」との一文を加えた。戦後の一時期は公職追放の憂き目に遭いながらも、解除後は師友…

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  • 『鈍吟書要』に見られる道学思考のかたちに就いての一考察

    松宮, 貴之 京都語文 31 301-312, 2024-02-29

    ...中国書論史に於いて近世以後、蘇軾・黄庭堅・米フツに代表される外向型(陽明学系)、個性系の思惟潮流が脚光を浴びる裏面で、やや日陰で朱子学的な内向型の精神書論も同時に研究されていたが、それが一つの節目として、ここで登場する。趙孟フの書を朱子学、董其昌の書を陽明学の反映とみる観方を突き抜けて、朱王一致の時代を象徴する両者の結実の書論を構築した、馮班の思考構造を垣間見る。...

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  • 「禮敎」の滲透・汎化とその展開 --中國を中心とする近世東アジアの事例から--

    伊東 貴之 中國思想史研究 43 103-145, 2022-03-31

    ...從當時的儒敎敎說的層面來看,有朱子學、陽明學、考證學等諸多發展,而在實踐及社會性的層面,也能看到「禮敎」在向更廣泛的人群滲透,可以說是某種「文明化」。爲了與西歐、日本、韓國(朝鮮)相對照,小論首先梳理了作爲儒敎的、中華的「禮」及「禮敎」的解釋。在此之上,將之與近世朝鮮王朝和日本的事例進行了比較。...

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  • 嘉納治五郎は「剣道、弓道、柔道、合気道」などを包摂する「武道の定義」(戒・定・慧)を分かっていた

    高平 健司 日本体育・スポーツ・健康学会予稿集 72 (0), 194-, 2022

    ...そして「嘉納の理想とした柔道」と「日常生活としての修行(修養)」が同じ「構造」であることに気づき、その「道」・「精力善用自他共栄」の形成に日常生活で「良知」を磨く事上磨鎌を重んじる儒教心学(陽明学)をベースとする三宅雪嶺の現象即実在論・宇宙有機体説が応用された。このことを「構造化される構造、他のものに転移可能な」とするハビトウスの概念と関連づけて論考してきた。...

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  • <研究論文>近代日本における「人格」の意味 : 修養と陽明学の関係性から

    山村 奨 日本研究 = NIHON KENKYŪ 62 111-130, 2021-03-31

    ...中島は人格の向上のために修養を求めたが、続いて、近代日本における修養の考え方について、陽明学との関連で考察した。明治期には時代的な影響から、陽明学による精神修養を国家主義に援用する向きもあり、本論文では吉本襄や東敬治を紹介した。それに対して亘理章三郎は、陽明学によって「人格修養上の教訓」を得ようとしている点が、特徴的である。...

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  • 02社-12-口-23 嘉納柔道修行とその「道」:「精力善用自他共栄」との関係を「体用」の関係としての西田哲学から考察する

    高平 健司 日本体育学会大会予稿集 70 (0), 113_2-113_2, 2019

    ...嘉納治五郎の理想とした最小限の力で相手を倒す自然体による「つくり」と「かけ」の善行としての柔道修行の実践による「意識の厳密なる統一」として現前成就する「実在」としての「精力善用自他共栄」は「道」に相当するが、その形成過程に三宅雪嶺の陽明学をベースとした現象即実在論・宇宙有機体説が応用されている。また、西田哲学においても、日常生活で「良知」を磨く事情磨練を重んじる陽明学との関係が指摘されている。...

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  • 02社-24-口-09 嘉納柔道思想の形成過程からこれからの武道教育における教育理念について考える

    高平 健司 日本体育学会大会予稿集 69 (0), 80_3-80_3, 2018

    ...嘉納柔道思想の形成過程を「体育、勝負、修心」としていた第一期、嘉納柔道思想「精力善用自他共栄」の形成に三宅雪嶺の日常生活で「良知」を磨く事上磨練を重んじる儒教心学(陽明学)をベースとした現象即実在論・宇宙有機体説が応用された第二期、グローバルスタンダードが意識され自他共栄が国際道徳として展開した第三期に区分して、その思想形成過程を固有性としての国民道徳と普遍性としての国際道徳という視点から考察しこれからの...

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  • 渋沢栄一の貨殖に関する思想 : 論語解釈の比較分析に基づく一考察

    大江, 清一 埼玉学園大学紀要. 経済経営学部篇 17 15-26, 2017-12-01

    ...本稿の目的は、渋沢栄一の貨殖に関する思想の一端を、「貨殖の才」、「投資と投機」、「浪費と倹約」、「富貴」の4つの視角から探ることである。渋沢の思想はその論語解釈に反映されると考え、渋沢の主著である『論語講義』の注釈を、陽明学、徂徠学、朱子学の流れをくむ3注釈書に通釈書を加えた4つの見解と比較しその特徴を析出する。 渋沢は清貧の中で仁義道徳の頂点を極めようとする学才豊かな顔淵よりも、むしろ貨殖の才に恵...

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  • 02社-10-口-32 有機体の哲学の系譜を汲む嘉納柔道思想「精力善用自他共栄」とその構成理論である三宅雪嶺の宇宙有機体説

    高平 健司 日本体育学会大会予稿集 68 (0), 84_2-84_2, 2017

    ...<p> 「心と体を一体としてとらえ」、平成元年改定で世界の中の日本人という視点から「武道」は再登場したが、嘉納が柔道の実践より求めた(東洋の)「道」・「精力善用自他共栄」の形成に日常生活で「良知」を磨く事上磨練を重んじ、修養による我(の「心」)と宇宙(の「原理」)の小我大我の渾一を説く、陽明学をベースとした三宅の現象即実在論・宇宙有機体説が応用され、さらに、それが「精力善用」「自他共栄」として、「自他共栄...

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  • 義利合一説の思想的基盤 : 三島中洲の義利合一説の考察

    大江, 清一 埼玉学園大学紀要. 経済経営学部篇 16 13-25, 2016-12-01

    ...比較によって判明した。 中洲は、「人の経済」を「天の経済」が投影されたものと捉え、天の存在を義利合一説の論拠とした。そして、天の被造物である不完全な人間が経済を営むがゆえに離反する、義と利は一体化すべきと説いた。 中洲は、利と仁義を結びつけて理解した。法律家として司法に従事した中洲にとっては、法体系に則って厳正な司法判断を下すことが義利合一の実践であった。中洲と同じく渋沢も、義利合一の思想的淵源を、陽明学...

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  • 02社−26−口−32 「武道」とは何か?嘉納治五郎の「柔術」から「柔道」への展開から考察する

    高平 健司 日本体育学会大会予稿集 67 (0), 106_2-106_2, 2016

    ...この関係に日常生活で「良知」を磨く「事上磨錬」を重んじる陽明学をベースとした三宅雪嶺の「現象即実在論」・「宇宙有機体」が応用され、(1)精力善用は①柔道技術に存する根本義であり、同時に②世の各般の事柄をなす上の原理(2)柔道の定義:①攻撃防禦の技術に存する根本原理であり、同時に②世の各般の事柄をなす上の根本原理たる身体精神の力を、最も有効に使用する道(1)(2)において、「①即②」の関係が成立し、三宅...

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  • 管志道『從先維俗議』の政治思想

    岩本 眞利繪 東洋史研究 72 (3), 367-397, 2013-12-31

    ...This leads to the conclusion that that Guan Zhidao's ju was more thoroughly external than the ju as defined in Zhuzixue 朱子學, naturally much far from the ju of Yangmingxue 陽明學, which sought the ju within...

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  • 熊沢蕃山の「神道」

    孫 路易 大学教育研究紀要 9 135-146, 2013-12-30

    ...熊沢蕃山の思想を、朱子学または陽明学と比較しつつできるだけ深く掘り下げて解明することを試みる。本稿では、その本体論と生成論について考察する。  太虚と太極の両概念を用いるところにその本体論の特徴が見られる。...

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  • 「リハ医学が間違っている。」

    滝沢 茂男 バイオフィリア リハビリテーション学会研究大会予稿集 2013.5 (0), 1132-1133, 2013

    ...陽明学徒はそう考えました。そして結果を省みず実行しました。 </tt></p><p><tt> その問題提起を10 年以上前にし、研究を進めてきた結果、今日、50 年間リハ医学を進めてきた医師と国立リハセンター病院の元院長は、リハ医学改革の必要性を私と共に訴えています。そして「健側主導のリハの推進」という解決策を提案できるようになりました。...

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  • 阪谷朗廬の学問とその新思想の転化

    徐, 興慶 関西大学東西学術研究所紀要 45 13-14, 2012-04

    ...彼は七歳から陽明学者大塩平八郎(1793‒1837)の漢学塾「洗心洞」に入り、ついで江戸で同郷の朱子学者昌谷碩(精溪、1792-1858)に入門、十七歳になって儒学者の古賀侗庵(1788-1847)に師事し、のち広島藩の藩儒にも迎えられた。1853年、ペリー艦隊の「黑船」が来航した際、朗廬は岡山にて「興譲館」(興譲館高等學校前身)を創設し、漢学を普及しながら、洋学を兼修していた。...

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  • 中江藤樹の孝思想について

    邢, 永鳳 東アジア研究 10 89-97, 2012-03

    ...他被称为日本阳明学之祖、近江圣人等。其思想对后世的日本影响很大。他的孝道理也因是理论上的独特性和他的躬身践行、在日本孝道历史上绽放异彩。这主要是因为他把孝道理论由传统的伦理道德意义、拓展到了孝的本体论。其精神实质可以用“全孝”来加以概括。孝道源干中国、是儒学思想的重要组成部分、孝道传入日本的过程即是≪孝经≫在日本的接受过程。...

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  • 「浙学」の呼称とその系譜

    銭, 明[著], 久米, 裕子[訳] 京都産業大学論集. 人文科学系列 42 254-270, 2010-03

    ...陽明学研究者として日中両国において知られ,現在は浙江国際陽明学研究中心主任研究員,中国計量学院人文学院教授,杭州師範大学教授である。  「浙学」に関する明確な定義が生まれたのは,民国以降のことで,それ以前の「浙学」の概念は,浙江地方のどの地域の思潮を指すのか,またどの時代の思潮を指すのか,その指し示す内容が各時代によって異なる。...

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  • 池田光政と儒教喪祭儀礼

    吾妻, 重二 東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian Cultural Interaction Studies 1 79-104, 2008-03-31

    This paper adds consideration to the issue of the burial systems, funeral services, the erecting of family mausoleums, and ancestral rituals, etc., that are based on the practice of Confucian …

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