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検索結果 75 件

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  • 7世紀『隋書』流求国伝・沖縄島説

    壱岐 一郎, Iki Ichiro 地域研究 (26) 29-38, 2021-04

    ...7世紀の『隋書』東夷伝は流求国・俀国(倭国)を記録したが、この流求国については内外で台湾とする説が有力とされてきた。しかし、東夷伝と流求国に侵攻した隋軍の将・陳稜伝を仔細に検討すると、当時の流求政治社会は複数構造をもち、文明化の道を歩んでいたといえる。さらにその舞踊・音楽は現琉舞と音楽に通底する完成度の高い文化を示していた。...

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  • 斉梁類書の誕生

    付 晨晨 史学雑誌 128 (2), 1-35, 2019

    類書は、魏晋南朝時代に新たに出現した書籍であり、経史子集の各文献から網羅的に集めて抄撮配列し、テーマごとに纏めた、百科全書のような資料集である。本稿では、知識の資料庫という役割を担った類書の発展経緯を考察することで、初期類書がもつ意味、編纂される契機と背景を検討し、漢唐間の知識の整理と受容のあり方を考察する。 <br> …

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  • <論説>国造制と大化改新 : 大化前代の支配構造

    北 康宏 史林 94 (2), 235-268, 2011-03-31

    本稿は、孝徳朝立評が先行する如何なる地域編成を前提として遂行されたのかを考究するものである。大化前代の地域編成は、[A]国造―県稲置―国家民、[B]大小屯倉の伴造―部民、という国制を構成する二つの支配系統と、[C]王・臣連伴造―入部・部曲という私的領有の系統とからなっていた。[A]は、(1)別(ワケ)の貴種性に基礎づけられた五世紀以来の宗教的族制的秩序たる<プレ国造制>、(2)国宰(ミコトモチ)…

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  • カンボジア・プレアンコール時代王都の存立基盤に関する一考察

    南雲 直子, 須貝 俊彦 日本地理学会発表要旨集 2011s (0), 65-65, 2011

    ...,その北側には都城区とセン川を結ぶ水路状の遺構が確認できる.プレアンコール時代の住居址は現在のところ発見されていないが,人々は木造の家屋に居住していたと考えられる.その一方で,寺院区や都城区の一部で見られる祠堂には主にレンガが使用され,破風やドア枠材には砂岩が使用された.また,祠堂内部にはハリハラ神やブラフマー神の彫像が安置され(下田・中川,2008),寺院区はヒンズー教の聖域として具現化された.隋書...

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  • 奇門遁甲の基礎的研究

    猪野, 毅 研究論集 10 161-185, 2010-12-24

    ...また、『古今図書集成』や『隋書』経籍志にも遁甲の書が見える。 「遁甲」なる言葉は、史書においては『後漢書』方術伝・高獲伝・趙彦伝に初めて見え、また『陳書』『魏書』『北斉書』『南史』などにも「遁甲」の名称が見える。日本でも『日本書紀』推古天皇十年(602)条に「遁甲」が伝来したことが見える。...

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  • 安息国・安国とソグド人

    斉藤 達也 国際仏教学大学院大学研究紀要 (11) 1-32, 2007-03-31

    ...It appears that the mistaken identification of the two regions, which is clearly seen in the Chapter on the Western Regions西域傅of the Suishu隋書, is not found in any source from the time of the Former Han...

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  • 『日本書紀』書名論序説

    池田, 昌広 佛教大學大學院紀要 35 93-107, 2007-03-01

    ...并せて、『日本書紀』の史体が六朝時代に流行した「通史」体であること、「日本書紀」の名称の発明された理由と「隋書」「経籍志」に初出する「正史」の概念の伝来とが関連しているだろうことを述べた。...

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  • 安東将軍から天皇へ : 5-7世紀における倭国の変容とアジア

    川本, 芳昭 中國古中世史研究 18 109-122, 2007-03

    일본에서 天皇칭호가 언제 성립되었는가는 推古시기와 天武시기로 보는 두가지 설이 있는데 후자의 견해가 현재 많은 지지를 받고 있다. 이에 대해 鋼敏-써는 천황어라는 용어가 먼저 외교문서에서 사용되가 시작하ö:l 종래 대왕 오오기미와 병행되면서 국내에 통용된 것은 아닌가그래서 마침내 율령에 천황외 칭호가 정착된 된 것이라는 홍미로운 의견 을 제시한 바 …

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  • 煬帝の百戯と日本の正月中旬饗宴儀礼

    平間 充子 東洋音楽研究 2006 (71), 39-63, 2006

    In the ancient court of Japan they held <i>Toka Sechie</i> _??__??__??__??_, one of the types of Imperial ceremony or feast celebrated on the sixteenth day of each new year. We know it as <i>Toka …

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  • <論説>日出処天子と日没処天子 : 倭国王の国書について

    増村 宏 史林 51 (3), 332-359, 1968-05-01

    『隋書』倭国伝の倭王の国書「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや……煬帝これを覧て悦ばず……」によって、わが国と隋朝との「対等の国交」、または「対等以上の国交」を説き、この日本の態度を煬帝が「悦ば」なかったのであるとする解釈が行なわれた。この従来の理解には「日出ずる処・東・日本」、「日没する処・西・中国・隋」を自明の命題とする「日本史観」ともいうべきものが感じられる。しかし中国…

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  • 南朝の租、調

    越智 重明 史淵 80 1-26, 1959-12-20

    ...はしがき / 一 戸対象に戸貲を案じて賦課する調 / 二 宋斉時代の租 / 三 隋書食貨志の一部記事の検討 / 四 梁陳時代の租、調 / むすび...

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  • 靺鞨七部考

    日野 開三郎 史淵 36/37 1-84, 1947-03-31

    ...第一章 七部の住域 / 第一節 住拠研究の基礎史料 / 第二節 七部住域の比定 / 第一項 粟末靺鞨の住域 / 第二項 伯咄・安車骨・黒水諸靺鞨の住域 / 第三項 拂湼靺鞨の住域 / 第四項 號室靺鞨の住域 / 第五項 白山靺鞨の住域 / 第三節 七部の兵力及び部間距離に関する所傳史料の批判 / 第一項 七部兵力に関する隋書・靺鞨傳記事の批判 / 第二項 部間距離に関する新唐書・靺鞨傳記事の批判...

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