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  • 地域ゆかりの人物に由来するスポーツ・イベントの文化的価値と可能性

    山田 理恵 日本体育・スポーツ・健康学会予稿集 73 (0), 626-, 2023

    ...</p><p> 「中馬野球大会」と「の・ボール大会」の名称は、それぞれ、ベースボールを「野球」と訳し日本初の野球専門書『野球』(1897)の著者として知られる中馬庚、野球を好み野球を詠んだ俳句や短歌を遺し、幼名に因んで「野球」(「のぼーる」と読ませる)という雅号をもっていたことでも知られる正岡子規に由来する。...

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  • 地理学者としての高島北海

    島津 俊之 空間・社会・地理思想 15 51-75, 2012

    ...和三郎, 潤蔵そして得三と改められた名や, 和亭, 安處そして北海と改められた雅号そのままに, 変転しかつ多面性ある相貌を窺わせる人物の「記念展開催の趣旨」として, その図録には以下の文言が記されていた(山口県立山口博物館ほか 1961)。……...

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  • 高島得三と地質学

    金折 裕司 応用地質 51 (4), 191-198, 2010

    ...高島得三(雅号北海)は徴兵として大阪にいるときに外国語を学ぶ必要性を痛感し, 明治5(1872)年, 23歳のときに当時フランス人鉱山師のいた生野銀山(生野学校)に仏語を学ぶために入り, 地質学に出会うことになる. 明治11(1878)年, 29歳のときに森林植物学に転向するまで, 約7年間地質学と地質調査に携わった....

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  • 日本最初の地質屋・高島得三と山口県の地質図

    金折 裕司 応用地質 49 (5), 285-292, 2008

    ...高島得三 (雅号北海) は, 明治5 (1872) 年23歳のときに生野鉱山に赴任し, フランス人鉱山技師コワニエについて2年間, フランス語と地質学を学んだ. その後, 郷里の長州萩 (現山口県萩市) に戻り, わずか2年余の間にわが国最初の地質図とその説明書に相当する『山口県地質分色図』と『山口県地質図説』を作成している....

    DOI Web Site 被引用文献7件 参考文献12件

  • <雅号>の終焉(<特集>制度としての「近代」-「負」の領域からの逆照-)

    岩佐 壯四郎 日本文学 45 (11), 47-59, 1996

    ...いわゆる<雅号>は、志賀直哉・谷崎潤一郎など<本名>を署名する文学者の登場した一九一〇年代以降次第に姿を消していった。<雅号>は、いずれは近代における文学という制度の負の領域に追いやられるべき運命にあったといっていいかもしれない。だがそれを、近代文学史の一つのエピソードとして片付けてしまっていいのだろうか。それは逆に、近代文学という制度の性格を照らしだしていはしないだろうか。...

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