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  • 重度障害児と家族への支援に生体医工学ができること

    小崎 慶介 生体医工学 Annual61 (Abstract), 154_1-154_1, 2023

    ...<p> 演者の所属施設の前身である日本初の肢体不自由児施設「整肢療護園」を開設した高木憲次博士は、運動器の障害のある小児に対して医学的治療・学校教育・職業教育を融合させた「療育」という小児の総合的なリハビリテーション体系を提唱した。そして、療育の実践にあたっては「時代の科学を総動員すべきこと」を主張した。 ...

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  • 育児工学への小児リハビリテーション医学からの期待

    小崎 慶介 生体医工学 Annual60 (Abstract), 119_1-119_1, 2022

    ...運動器の障害により、肢体不自由となっている小児に対して治療と教育を融合させた「療育」という体系を提唱した高木憲次博士は、療育の実践にあたって「時代の科学を総動員すべきこと」を主張した。 小児を対象とする医学及び関連学術領域の知見の蓄積により、従前は治療や対応が困難であった病態や状況に対してより良い対応が可能となってきた。...

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  • 肢体不自由児とは

    朝貝 芳美 The Japanese Journal of Rehabilitation Medicine 57 (7), 584-588, 2020-07-17

    ...<p>肢体不自由児という名称は高木憲次先生により提唱され,医療だけでなく教育,職能指導,社会参加といった肢体不自由児療育の理念は,わが国リハビリテーション医療の源流となった.しかし,その定義は時代の変化とともに少しずつ変化してきている.高木先生の定義では「原因は四肢・体幹に限るものではなく,肢体疾患と同義語ではない」とされたが,単に「手足が不自由」な「肢体疾患」とみられることもある.地域生活を支援し...

    DOI Web Site Web Site ほか1件 参考文献2件

  • 療育センターの理学療法士が障害児の母親に与える影響

    佐伯 香菜, 隆島 研吾 理学療法学Supplement 2016 (0), 0912-, 2017

    ...<p>【はじめに,目的】我が国では,昭和17年に高木憲次氏によって『療育』の概念が提示され障害児の通園施設が整備されてきた。今日の療育システムでは児童発達支援センターがその中核を担い,障害児が地域で療育を受けられる環境作りが進められている。療育センターにおける理学療法士(以下,PT)の研究は主に児の運動機能に関する報告が主であり,障害児の母親に対する関わりについての報告は少ない。...

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  • 日本における障害児療育の歴史

    小﨑 慶介 The Japanese Journal of Rehabilitation Medicine 53 (5), 348-352, 2016

    ...日本の小児リハビリテーションの歴史は,田代義徳,柏倉松蔵,高木憲次らを中心として,1910年代に始まった肢体不自由児療育運動が1つの発端となっている.この運動を通して,社会から隔絶された手足の不自由な児童に教育,整形外科的治療とリハビリテーション(医学的治療),職業教育が施されるという枠組みが形成された.戦争によっていったんこの仕組みは壊滅的な打撃を受けたが,戦後は児童福祉法制定などを通して制度の整備...

    DOI Web Site Web Site ほか1件 被引用文献3件 参考文献1件

  • 重症心身障害児(者)を支える理学療法士の専門性向上

    金子 断行 日本重症心身障害学会誌 40 (1), 41-47, 2015

    ...どんなに障害が重くともみんなその福祉を守ってあげなければと深く心に誓う」、療育の父である高木憲次先生が1926年に提唱された「療育とは現代の科学を総動員して不自由な肢体をできるだけ克服し自活の途の立つように育成する」理念をわれわれは重く受け止めている。...

    DOI 医中誌

  • 重症心身障害児(者)に対する理学療法の専門性向上

    金子 断行 日本重症心身障害学会誌 39 (2), 204-204, 2014

    ...故糸賀一雄先生が1963年に述べられた「身体的、精神的な不幸を一身に担って生まれてきたこの子どもたちにも、幸福に生きる権利がある」、さらに療育の父である故高木憲次先生が1926年に提唱された療育理念をわれわれは重く受け止めている。彼らの障害は、障害者の中でも少数派であり、そのことをして、彼らが医療の恩恵を他の国民と等しく受けることが、脅かされる危険性がある。...

    DOI 医中誌

  • 戦前の高木憲次の療育論の形成における『公的肢体不自由者福祉法』の影響

    趙 没名 社会福祉学 49 (2), 30-43, 2008-08-31

    ...日本における療育施設の法制化は,1947年の児童福祉法の制定によって初めて実現された.同法の制定過程において高木憲次の療育論が大きく寄与したこと,そしてその療育論の構築に高木がドイツのプロイセン州『公的肢体不自由者福祉法』および同法施行令を参考にしたことは,先行研究ではすでに言及されている.しかし,同法の具体像,全体像はまだ解明されていない.本論文では,プロイセン州『公的肢体不自由者福祉法』および同法施行令...

    DOI Web Site 医中誌

  • 学童期の立場から

    松浦 保茂 理学療法学 18 (3), 321-324, 1991-05-10

    ...肢体不自由児の父と呼ばれている高木憲次博士は障害児のリハビリテーションを療育という言葉で表現している。博士は療育の内容を, 肢体不自由児に対して医療・教育および職業指導を施し経済的自立を導くこととしている。学童期の理学療法はこの療育のシステムの歯車の一つである。...

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