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検索結果 51 件

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  • 北山村における観光筏下り事業の展開

    柴崎 茂光 日本森林学会大会発表データベース 134 (0), 84-, 2023-05-30

    ...筏師の編筏技術と流送技術が高くされ、大正期から昭和初期には、北山川水系の筏師が鴨緑江へ出稼ぎを行った記録も残る。ただし、熊野川の支流である北山川水系では、熊野川電源開発計画に基づく水力発電用ダムの建設が進められ、1960年代前半に筏流しによる運材はいったん消失する。しかし村長(当時)や地元住民からの要望もあり、北山村が主導する形で観光筏事業を計画し、1979年から観光筏下り事業が開始した。...

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  • 二〇世紀初頭の渤海・黄海海域における領海制度と漁業紛争

    佐藤 良聖 史学雑誌 131 (11), 66-91, 2022

    ...朝鮮半島沿岸や鴨緑江下流域において、彼らは朝鮮人住民と交流と対立の入り交じる関係性を形成していた。<br> 一九〇九年、統監府は韓国漁業法を施行し、日本海軍と共同で沿岸監視の方針を作成したことで、領海を制度的根拠とする漁業管理体制を成立させた。中国人漁民は韓国領海への侵入を許可されなかったため、朝鮮半島沿岸から排除された。...

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  • 鴨緑江中州開墾考

    山本, 進 北九州市立大学外国語学部紀要 (153) 19-42, 2021-12

    ...明と朝鮮は鴨緑江を国境と定めていたが、中洲の帰属については未確定であった。世祖は中洲三島の開墾を推進し、成宗期には4回にわたり起耕論が提起されたが挫折した。中宗26年より中洲に定住して起耕を始めた。そこで朝鮮政府は遼東都司に彼らの刷還を要求した。...

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  • 義州長城再考

    山本, 進 北九州市立大学外国語学部紀要 (152) 130-158, 2021-03

    ...朝鮮前期鴨緑江と豆満江の江辺に建設が試みられた長城は、明の遼東辺墻構築を契機とし、辺民の逃亡阻止を名分としつつ、実際には対女真防衛を目的としていた。ところが朝廷では何が最重要課題であり、如何なる方法で対処するのかを明確にしないまま、漫然と議論が続けられ、結果として修築事業はほとんど進まなかった。...

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  • 朝鮮総督府鉄道局による複斜材型トラス橋梁の開発と耐弾性能

    高橋 良和, 小嶋 進太郎, Mya San WAI 土木学会論文集D2(土木史) 76 (1), 16-31, 2020

    ...その開発の経緯を整理した.戦争時に爆撃の対象となる重要構造物である橋梁について,昭和10年代に行われた耐弾性能を高めるための技術的検討を整理し,内的・外的不静定,吊構造などの異なる技術の組み合わせ(多様性)を推奨していたこと,また高次不静定橋梁の構造計算は,近似的解法による一次応力の算出だけではなく,曲げによる二次応力も算出し,その精度が極めて高いことを証明した.また,中国と北朝鮮間の国際橋梁である鴨緑江橋梁...

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  • 戦時期の経理統制下における会計表示実務の満洲への展開

    山下 修平 会計史学会年報 2019 (38), 31-46, 2019

    ...本稿は,1937年から1944年を分析対象とし,満洲の鴨緑江製紙・六合製紙・安東造紙における決算報告書の総勘定元帳を利用して,勘定科目の変遷を分析した。 1941年上期から1941年下期にかけて,勘定科目数が増加し,その名称についても多くの変化が生じていた。対象とした3社の勘定科目名の一致率は,9割弱にまで達し,その標準化が進んだことが明らかになった。...

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  • 1910年代における朝鮮総督府の国境警備政策

    松田 利彦 人文學報 106 53-79, 2015-04-30

    ...他方,鴨緑江岸では,総督府の憲兵・警察官は 常駐しておらず,現地領事館との連携の度合いは小さかった。 とはいえ,基本的な行動の枠組みは両地域とも共通していた。憲兵による対岸地域の内偵や 組織的調査,憲兵・守備隊による対岸への出動と警察活動・軍事行動といった点である。総督 府・朝鮮憲兵隊は,豆満江岸(間島)・鴨緑江岸の両地域を一体の国境警備問題として認識して いた。...

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  • 戦間期の朝鮮・満洲間の食料貿易

    荒木 一視 日本地理学会発表要旨集 2015a (0), 100002-, 2015

    ...安東と鴨緑江を挟んで向かい合うのが朝鮮側の新義州で,ここが朝鮮側の対満洲貿易の主要貿易港となった。なお,貿易港とはいうものの貿易量の大半は鴨緑江橋梁を利用した鉄道によるものである。1911年の同橋梁の完成により京義線(京城・新義州)と安奉線(安東・奉天)が連結され。貿易の中軸を担うようになった。...

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  • 「間島問題」と日露戦争

    白 榮勛 大学教育研究紀要 9 27-42, 2013-12-30

    ...この条約の中で図們江(豆満江)と鴨緑江を暫定的に境界線と見なし、両国官民の無許可の越境を禁止している。しかしその後、ロシアが満洲および間島を支配下におき、清韓の「間島問題」に介入したため韓国は危機感を抱えて、間島を自国領土と主張し、境界線を越えて官憲を派遣した。それに対して清国は抗議をし、清国領土への官憲の派遣は「清韓通商条約」に違反すると反論した。...

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  • 『征清戦袍餘滴』 (二) 山岡金蔵中尉の日清戦争従軍日誌

    井ヶ田 良治, 山岡 高志 社会科学 (76) 139-164, 2006-03-03

    ...山岡中尉の部隊は、10月23日には義州に進み、同地に駐屯し、24日には鴨緑江を渡りはじめ、中州へいたった。25日に渡江し、虎山附近で激戦。清国軍はようやく退却をはじめ、それを追撃した。中隊長が負傷したので、山岡中尉が中隊長を代理した。10月26日に清国軍が撤退したが、抵抗する清国兵には、非文明といえる虐殺を行った。11月18日に岫巖城に入城し、しばらく駐屯する。...

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  • 中国東北部の森林資源の減少と劣化に関する歴史の分析

    王 賀春, 植木 達人, 王 賀新, 宋 相禄 日本林学会大会発表データベース 114 (0), 144-144, 2003

    ...日露戦争に勝利した日本は,さらに資源獲得と長期的な満州地方の支配を強めるため,販路の拡大と企業の進出を企図し,鴨緑江流域から間島地方,さらには吉林地方から東清鉄道へ順次その勢力を拡大した。’31年,満州事変を起し,翌年の初頭までにほぼ東北部一帯を支配下に置き,傀儡国家満州国をを打ち立てた。...

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  • 中国産ヤリタナゴの再発見

    新井 一, 解 玉浩, 赤井 裕 魚類学雑誌 42 (2), 196-199, 1995

    ...の標本を比較した.なお, 森 (1935) は鴨緑江上流域の厚昌 (北朝鮮) 産ヤリタナゴを報告しているが, 1928年の森博士の報告および今回の再発見とを考慮すると, ヤリタナゴは国境をはさんで鴨緑江水系に広く分布している可能性がある....

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  • 北満東清鉄道沿線における森林開発構造の特質

    蘇, 雲山, 岩井, 吉彌 京都大学農学部演習林報告 65 182-193, 1993-12-24

    ...しかし, 1920年以降, 北満材は南満市場圏に進出し, それまでに南満主要市場に圧倒的にシェアを占めていた鴨緑江材を圧迫し, シェアを逆転させるに至った。その要因はロシアの植民地政策に基づく木材生産・流通コストのかなりの部分がロシア国家資本の東清鉄道によって負担されたことに求められる。...

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  • <論説>渤海の交通路と五京

    河上 洋 史林 72 (6), 898-923, 1989-11-01

    ...特に唐との交通は重視されたが、二本あるルートのうち西寄りのそれが奚・契丹によってしばしば塞がれたため、東寄りの鴨緑江を経由するルートの比重が高まり、それが鴨[リョク]府に西京の名が付される要因となった。また、鴨緑江沿いでは従来の政治的中心地である集安ではなく臨江に西京が置かれたのは、その水路と陸路の転換点という地理的条件のためであり、臨江は唐との交易ルートの拠点として重視された。...

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  • 大東港の計画と建設 (1937~1945年)

    越沢 明 日本土木史研究発表会論文集 6 (0), 223-234, 1986

    ...<BR>大東港は朝鮮と国境を流れる鴨緑江の河口帯に計画された。大東港の計画はぐ満州唯一の不凍港をこの地に建設し、地下資源と水力発電を活かして、人口100万人の臨海工業都市を新規に建設しようとするものであった。<BR>この計画岸信介、直倫太郎の支持によって進められ、現地機関では近藤三郎、黒田重治、米田正文らが事業を推進した。...

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  • 九州大学新聞

    九州大学新聞 11 1928-06-05

    ...KI生)/本紙に対する学生の感想と希望 会計を独立せよ(苫米地俊三)/本紙に対する学生の感想と希望 ブルジョア的に堕す勿れ(SY生)/本紙に対する学生の感想と希望 もつと研究を頼む(三郎)/本紙に対する学生の感想と希望 ローカル、カラーを持て(緒方生)/本紙に対する学生の感想と希望 法文会の事業だ(KM生)/本紙に対する学生の感想と希望 もつと溌刺たれ(やきもき生)/満鮮見聞記(三) 妓生の国から鴨緑江...

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  • 遼河鴨緑江の結氷に就いて

    大地 四郎 気象集誌. 第2輯 3 (8), 211-221, 1925

    The dates of complete freezing of the river surface of Liau Ho, Ohryokuko (Amnok Gang or Yalu Kiang) Daidoko (Tai-do_??_Gang or Ta dong Kiang) Kanko (Han Gang or Han Kiang) were recorded for 20 …

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