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検索結果 12 件

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  • 技能を用いる農外就業とその変化

    雨森 直也 地学雑誌 132 (6), 505-514, 2023-12-25

    <p> Ceurrent trends in non-agricultural work are the subject of a case study on a village of the Bai people in Heqing County, Yunnan Province, China. Non-agricultural work has continued since the …

    DOI Web Site 参考文献3件

  • 中国農業の変化

    雨森 直也 日本地理学会発表要旨集 2023a (0), 48-, 2023

    ...地域概観</p><p>事例となる村は雲南省鶴慶県にある村落であり、450世帯余りで、2000人余りが住んでいる。同村では、川岸に水田が多く広がるほか、山麓を中心に桑畑が多く、養蚕が盛んである。また、トウモロコシや水田の裏作には、ニンニクやソラマメがよく植えられている。1人当たりの耕作面積はおよそ1.2畝であるが、各世帯によって1人当たりの耕作面積は偏在している。</p><p>3....

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  • 民族地区へ農外就業に行くことの意味

    雨森 直也 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2022 (0), G14-, 2022

    本発表は中国雲南省の少数民族ペー族を事例として、彼らの好んで行う農外就業の意味を検討する。事例とした村の住民は、1949年以前から主に大工としてチベット族を主体とする民族地区で農外就業を行い、今日も続けられている。彼らにとって、民族地区で働くことは漢族を主体とする地区で働くことよりも、ペー族として自然に振る舞えることにあり、彼らにとって歴史的な同化圧力を「回避」する行動であった。

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  • 集団保育とインクルーシブ保育 ―保育方法からのアプローチ―

    工藤, 英美, KUDO, Hidemi 日本福祉大学子ども発達学論集 13 59-63, 2021-01-31

    ...本稿は中国雲南省に居住するペー族村落の住民を事例として,2019 年末から 2020 年に中国をはじめ世界中で流行した新型コロナウイルスに対する危機意識の醸成と後退の要因について検討を加える.当該の住民は,地元の鶴慶県内で新型コロナウイルスの感染者が一人発生したことをきっかけに危機意識を抱き始め,マスメディアやスマートフォンなどからの情報や政府の対策から,危機意識を次第に醸成していった.しかし,そうして...

    機関リポジトリ

  • 少数民族の農外就業と凝集力

    雨森 直也 日本地理学会発表要旨集 2021a (0), 34-, 2021

    ...</p><p></p><p>そこで、本稿では雲南省大理白族(ペー族)自治州鶴慶県のペー族が主に居住する1村落を事例として、彼らの農外就業にみる凝集力について検討を加える。ちなみに当該村落では、1981年に行われた「家庭联产承包责任制(生産責任制)」による田畑の利用権の分配以降、村の行政をつかさどる村公所主導による農地の再編は行われていない。...

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  • 中国少数民族の農外就業とその歴史的変遷

    雨森 直也 人文地理学会大会 研究発表要旨 2011 (0), 38-38, 2011

    ...文化大革命期でも、大工は都市建設や家屋の建設で鶴慶県政府所在地の街や周辺の村落だけではなく、ナシ族が多い麗江やチベット族が多い中甸(現在の香格里拉)を就業領域としてきた。村には大工の棟梁や近年では建設業の社長もいる。 改革開放政策が始まり、各家庭に農地が分配されると、多くの家庭では農業で最低限自給できるレベルであった。...

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  • 中国少数民族における世代別通婚圏の変容

    雨森 直也 日本地理学会発表要旨集 2010s (0), 170-170, 2010

    ...<BR><BR> <B>3.事例とした村落における結果</B><BR>  本研究が対象とした村落は、雲南省鶴慶県のペー族を主住民とする2つの自然村である。1つは米や桑栽培などの農業に加え、大工などの出稼ぎで生計を立てているX村であり、村内の世帯の貧富の差は非常に大きい。...

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  • 観光開発による銀加工品とブランド化をめぐるジレンマ

    雨森 直也 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2010 (0), 95-95, 2010

    本発表では、観光開発以前から作られてきたペー族の工芸品である銀加工品が、観光開発にともなってブランド化してきたが、それは、長年にわたって作られてきた歴史にもとづいた技術の高さを表したものである。しかし、それは村としての意識の強さを表す一方で、民族としての意識の低さの双方を表していることを議論する。

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  • 中国雲南省西北部におけるペー族の民族境界維持のメカニズム

    雨森 直也 日本地理学会発表要旨集 2006f (0), 34-34, 2006

    ...<BR> II 漢族からペー族への自動車修理技術の伝播1980年代前半の雲南省大理州では,日本へのマツタケ輸出のラッシュであった.しかし,1987年には大理州政府が統制を強め,鶴慶県のペー族の一部は,徳欽県にマツタケを買い求めるようになった.その後,徳欽県でも県政府の関与が強くなり,バイヤーの1人が,ミャンマーでの出稼ぎが嫌で帰ってきた自分の友人2人と共に,漢族の自動車修理工の徒弟となった.その後,...

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