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検索結果 28 件

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  • 小氷期における強風災害の変動と夏季の気候状態について

    田上 善夫 日本地理学会発表要旨集 2017a (0), 100185-, 2017

    ...相対的な出現割合は循環の影響と考えられることから,前者をa,後者をbとし,比率をb/(a+b)で示すと,1610年代,1650代,1700年代,1740年代,1780年代,1830年代の低下がみられる。上記の変動が,夏季の太平洋高気圧の盛衰の影響である場合,その低下期には夏季に太平洋高気圧が衰退ないしは東偏していたとみられる。...

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  • 近世日本における本草学の自立について

    ミヒェル, ヴォルフガング Proceedings of the 5th International Symposium on the History of Indigenous Knowledge (ISHIK 2015) 93-106, 2015-11-01

    Since the pioneering work by the phytopathologist and natural historian Shirai Mitsutarō (1863–1932), the beginnings of genuine native studies on Japanese herbs have been linked to Kaibara Ekiken’s …

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  • 第1回 ミルクティ論争と検定

    酒井 弘憲 ファルマシア 51 (6), 566-567, 2015

    ...<br>英国に初めてコーヒーハウスなる店が開店し,コーヒーを提供し始めたのが1650とされている.オックスフォードでは,1654年に開業したクィーンズ・レイン・コーヒーハウスが現在でも営業を続けているらしい.ロンドンでも1652年からコーヒーハウスが開店し,情報収集の重要な役割を果たすようになる.当時から金融センターであったロンドン・シティの取引所近くのコーヒーハウスには,多くの商人が情報を求めて...

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  • 初期近代英詩における錬金術(中編)

    松本 舞 島根大学教育学部紀要 48 55-63, 2014-12-25

    ...錬金術によって取り出される第五元素の効果は、1650代の錬金術復興運動の時期を経て変化していったこと、死からの復活を可能にするものとして錬金術が描かれていることに注目した。  本編では、トマス・ロッジの「錬金術の解剖」やエイブラハム・カウリーの「オード」の中で描かれる、錬金術師の表現をみていく。...

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  • 乳癌の手術療法

    小山, 諭 新潟医学会雑誌 128 (8), 343-351, 2014-08

    ...乳癌に対する外科治療の歴史は正確にはわからないが, 紀元前1650頃のパピルスに記録として残っている最古のものと考えられており, 乳房の腫瘍性病変を切開して排膿し残存腫瘍を焼却・腐敗させた内容が記されている....

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  • ハートリッブ『改革された学校』(1650

    森谷, 峰雄 文学部論集 98 83-99, 2014-03-01

    ハートリッブが主張する教育論の特質は、教育によりてアダムイブにおいて失われた本来の人間の霊的状態を回復するということと、教育によって、国家・社会に有用な人間を育てるという二大目的を有していることである。この教育論は、彼独特のようにみえて、実は、コメニウス、ジョン・ミルトンのそれに共通する教育理念であり、今日の教育界においても、妥当する古くて新しい普遍的基礎的教育論である。この訳は、生徒の年齢が四…

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  • 初期近代英詩における錬金術(前編)

    松本 舞 島根大学教育学部紀要 47 81-88, 2013-12-25

    ...錬金術師は一種の詐欺師であると、皮肉を込められて描かれることが多いが、錬金術によって取り出される第五元素の効果は、1650代の錬金術復興運動の時期を経て、変化していく。さらに本論では、死からの復活を可能にするものとして錬金術が描かれていることに注目する。...

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  • ロバート・カーターとコロトマンの「家族」

    滝野 哲郎 言語文化学研究. 英米言語文化編 3 15-27, 2008-03-31

    ...父親が1650ごろに移り住んだこの地は、カーターが生まれ育ち、若い頃に渡英した6年間のあと、晩年まで暮らしたところである。ここで彼は、2度結婚し、多くの子どもを育て上げた。またこの場所には、タバコを栽培する広大なプランテーションがあって、多数の奴隷が労働力として使われていた。コロトマンで暮らすカーターの様子について知る手がかりとなるものは、当時彼が書き送った数多くの書簡である。...

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  • ウルム出身のハンス・ヴォルフガング・ブラウン : 日本でのドイツ人先駆者

    Till Weber 言語文化研究紀要 : Scripsimus (13) 25-43, 2004-10

    ...1650以来、幕府の臼砲に対する興味も薄らいで行った。西洋の作家たち(例えばペリン 1979年)や「ザ・ラスト・サムライ」(2003年)のような映画は、誤った歴史像を大衆に伝えようとしているが、実際には火器は一般には幕府や大名、あるいは侍から拒絶されてはいなかった。なるほど16世紀から18世紀まで日本における火器はさまざまな流派の極秘の知識としてのみ知られ、故に公にされてはいなかった。...

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  • 17世紀の出島蘭館医が交付した阿蘭陀外科免許状について

    ミヒェル ヴォルフガング 言語文化論究 19 137-155, 2004-01-31

    ...17世紀の出島蘭館医が交付した阿蘭陀外科免許状についていわゆるカスパル流外科の誕生後、1650代から約30年間オランダ東インド会社の外科医が日本人「弟子」に外科免許状を交付していた時期がある。このような免許状は蘭方医としての経歴上、有用なものとされていたようであり、初期紅毛流外科の医学的・社会的受容を示す重要な史料である。...

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  • 英語の文字体系における不規則制についての通時的概観

    堀江 周三, Horie Shuso 広島文化短期大学紀要 36 7-11, 2003-07-31

    ...その理由をこれまでの歴史的なときの流れの中で考えてみると,1650頃には既に本の出版者の間には今日と同じように確りとしたスペリングについての規範ができていた。そして,1770年以降には「ミススペリング」という概念も生まれてきたのであるが,個人の書く手書きの文章にはかなりの多様性が見られたようであった。しかし,それらのスペリングについての規範は次第に社会に定着し,今日に至っているのである。...

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  • スュブレ・ド・ノワイエのグループによる古典主義の導入

    笠原 英明 日本建築学会北陸支部研究報告集 (45) 411-414, 2002-06-23

    ...対比は、1650に古代の参照の復活を掲げて登場するフレアールの『比較論』と、それ以前の十七世紀の建築書の間にも明確に現れることになる。また、彼らの不満は、建築の意匠に留まらず、企業家としての建築家のあり方に対しても向けられていた。しかし、建築アカデミー設立の頃には、王権の強まるなか、古典主義は完全に優勢となり、多くの建築家は統制の元に置かれることになる。...

    日本建築学会

  • 日本におけるカスパル・シャムベルゲルの活動について

    Michel, Wolfgang 日本医史学雑誌 41 (1), 3-28, 1995-03-20

    蘭館医カスパルが二度江戸に滞在し、患者の治療に当たり、大目付井上筑後守正重の興味を引いたことは周知のことであるが、彼の活動の様子を明らかにするためには、これまで唯一の手がかりとされてきた出島商館の日誌以外の文献を調査しなければならない。書簡、報告書、出納簿、「カスパル流」の写本など、欧日両方の新資料を数多く紹介、分析しながら、カスパル・シャムベルゲルの日本滞在中(1649〜1651年)における活…

    HANDLE Web Site 医中誌 被引用文献1件 参考文献31件

  • 日本におけるカスパル・シャムベルゲルによる医療活動

    ミヒェル, ヴォルフガング 独仏文學研究 44 149-186, 1994-09

    日本におけるカスパル・シャムベルゲルによる医療活動 蘭館医カスパルが二度江戸に滞在し、患者の治療に当たり、大目付井上筑後守の興味を引いたことは周知のことであるが、彼の活動の様子を明らかにするためには、これまで唯一の手がかりとされてきた出島商館の日誌以外の文献を調査しなければならない。書簡、報告書、出納簿、「カスパル流」の写本など、欧日両方の新資料を数多く紹介、分析しながら、カスパル・シャムベルゲ…

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  • ウィレム・バイレフェルトの金銭出納簿

    Michel, Wolfgang 洋学史研究 10 38-81, 1993-04

    Expense journal kept by Willen Bijlevelt during his stay there in 1650. It shows what he and his three companions (Caspar Schamberger, Jurian Schedel, Jan Smid) were eating and drinking, what they …

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  • A Study on the Problems of English Spelling System : From Chronological Viewpoint

    堀江 周三, Horie Shuso 広島文化女子短期大学紀要 23 19-26, 1990-07-10

    ...つまり約1650頃より,印刷の定着によって,印刷職人達が定着化したスペリング方式を使用し始めたことにより今日まで続いているスペリングの問題が出てきたのである。Menckenによれば,その定着化したスペリング方式の原典は1755年に発刊されたJohnsonの辞典に出てくるとのことである。...

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  • 17世紀中葉オランダの東インド通商圏

    科野 孝蔵 地学雑誌 90 (5), 314-335, 1981

    It is a well-known fact that the Dutch people were the most active in the world trade in the mid-seventeenth century. For their East Indian trade they established the Dutch East India Company which …

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  • 西紀1650―暗黒から黎明への時代

    速水, 頌一郎 京都大学防災研究所年報. A 10 (A), 1-11, 1967-03-01

    Relation between human life and its natural environment is a very fascinating prob-lem and has attracted thinking minds from ancient times. In this lecture, taking as acase study the history and its …

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