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  • 1 / 1

  • <研究論文>「阿蘭陀国主」宛家康書状 : 日本側とオランダ側の認識

    クレインス 桂子 日本研究 67 7-33, 2023-09-29

    ...まずは、写しの来歴を目録情報から確認し、旧所蔵者や関係者の追跡調査をおこなうとともに、家康書状に纏わるオランダ東インド会社文書の関連記述や写しの裏面に付された覚書を検討した。  続いて、「異国日記」における関連記事から同書状作成の経緯を紹介したのちに、控と写しを比較し、内容がほぼ同じであることを確認したうえで、書状内容の分析をおこなった。...

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  • <研究ノート>日蘭英史料にみる朱印船貿易家木屋弥三右衛門の活動と人物像

    クレインス 桂子 日本研究 = NIHON KENKYŪ 65 339-357, 2022-10-31

    ...その結果、オランダ側史料にみられる「Jassemondonno」が木屋弥三右衛門であること、弥三右衛門が日本とシャムのそれぞれの拠点に駐在するオランダ東インド会社の商館員のあいだで交わされる書状の運搬を渡航時の定例として担っていたこと、さらに、シャムでの貿易や会社船の艤装費用についてもオランダ人へ助言をおこなっていたことなどの事実関係を明らかにした。...

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  • 紀年銘箱書と阿蘭陀焼 資料紹介01~松浦コレクションから~

    武部,真木, 堀木,真美子 研究紀要 23 41-50, 2022-05

    ...「阿蘭陀焼」とは、長崎出島へオランダ船(連合オランダ東インド会社)が運んできたやきものをいう総称名詞である。日本で古美術品として扱われているプリントウェアは1800 年~ 1860 年頃の鎖国期に伝来したもので、出土資料には18 世紀末~ 1870 年頃に製作されたものが多い。...

    DOI 全国遺跡報告総覧

  • 財務諸表の歴史的展開 : 14世紀から20世紀にかけての史的考察

    中野, 常男 国士舘大学経営論叢 = Kokushikan business review 10 (1), 21-57, 2020-10-31

    ...Ⅰ 開 題:簿記手続の一巡の過程と財務諸表の作成Ⅱ 財務諸表の歴史的展開 Ⅱ-1 財務諸表の生成・発展の諸段階 Ⅱ-2 14~15世紀イタリア:Pacioloとアヴィニヨン・ダティーニ商会 Ⅱ-3 17世紀ネーデルラント:Stevinとオランダ東インド会社 Ⅱ-4 17世紀インドランド:Dafforneとイギリス東インド会社 Ⅱ-5 18世紀スコットランド:MacGhie, MalcolmとHamilton...

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  • バタヴィアにおけるアヘン消費

    大久保 翔平 東南アジア -歴史と文化- 2019 (48), 27-49, 2019

    <p>This paper examines opium consumption in the colonial city of Batavia (current-day Jakarta) and its hinterland (<i>Ommelanden</i>), focusing on regulations of <i>madat</i>—a mixture of opium and …

    DOI Web Site Web Site 参考文献6件

  • H・ハメル『朝鮮幽囚記』に関する考察

    小川 隆章 環太平洋大学研究紀要 = Bulletin of International Pacific University 13 99-105, 2018-11-30

    ...乗組員36人が抑留され,そのうち書記のヘンドリック・ハメルが朝鮮脱出後に勤務先のオランダ東インド会社に提出した報告書はオランダで出版(1669年)され,ヨーロッパに未知の国・朝鮮を知らせた。ヨーロッパ人の目から見た17世紀の朝鮮を記述した記録として貴重な資料となった(日本では『朝鮮幽囚記』,韓国では『ハメル漂流記』の書名で出版)。...

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  • 東南アジア法史研究回顧

    西澤 希久男, 桑原 尚子, 島田 弦 法制史研究 66 (0), 133-175,en9, 2017-03-30

    ...しかし、植民地初期においては、インドネシア地域を支配したオランダ東インド会社は、現地の法に大きな関心を払わなかった。一八三〇年に植民地収益を増加させるために、オランダは強制栽培制度を導入した。そして、オランダは強制栽培制度を運営するために慣習法に基づく伝統的権力を利用した。特に、ヨーロッパ人と原住民を区別し、人種ごとに異なった法体系を適用する政策は現在に至るまで影響を残している。...

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  • 近世日本における本草学の自立について

    ミヒェル, ヴォルフガング Proceedings of the 5th International Symposium on the History of Indigenous Knowledge (ISHIK 2015) 93-106, 2015-11-01

    Since the pioneering work by the phytopathologist and natural historian Shirai Mitsutarō (1863–1932), the beginnings of genuine native studies on Japanese herbs have been linked to Kaibara Ekiken’s …

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  • 16~17世紀のブトン王国と周辺諸勢力間関係

    山口 裕子 東南アジア -歴史と文化- 2007 (36), 119-152, 2008-03-31

    Buton Kingdom is supposed to have been founded in the thirteenth century on Buton Island in Southeast Sulawesi; the kingdom existed until 1960. The purpose of this paper is to investigate the …

    DOI Web Site 参考文献12件

  • 桟瓦・レンガのオランダから日本への伝播の実態について

    小林 克, 堀内 秀樹, 岩下 哲典, 金田 明美, 小川 保 住宅総合研究財団研究論文集 34 (0), 337-348, 2008

    オランダ各都市・アユタヤ・ゼーランディア・平戸・長崎(出島)から出土した資料をサンプリングし,胎土分析を行った。この結果,黄色レンガは,オランダ地域からアジア各地にもたらされた可能性が高いこと。平戸・長崎(出島)出土の赤色レンガの多くは台南地域からもたらされた可能性が高いことが明らかになった。更に日本の瓦と同質のレンガが平戸と出島から確認され,日本人によりレンガが生産されていたと考えられる。オラ…

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  • 柿右衛門様式陶芸の技術と芸術

    下村 耕史 応用物理 76 (11), 1279-1282, 2007-11-10

    ...<p>九州産業大学21世紀COE「柿右衛門様式陶芸研究センタープログラム」は,日本が伝統的な文化財として世界に誇る柿右衛門様式磁器について,意匠,技法,歴史の3部門から総合的に研究し,その成果を大学院の陶芸専攻のカリキュラムに生かすものである.研究活動として,オランダ東インド会社による肥前磁器輸出の解明の研究,国内と欧州所在の柿右衛門様式磁器の調査とコレクション内容の比較研究,古陶磁器の科学的分析と...

    DOI Web Site 参考文献21件

  • Western Medicine and Pharmaceutics in Seventeenth Century Japan

    Michel, Wolfgang Proceedings of the International Conference on the History of Science in East Asia 10 173-184, 2005-07

    Scholarly discussion of “Dutch Studies” (rangaku) as the foundation of modernization in Japan focuses on the 18th and early 19th centuries, while the previous century has been grossly neglected. …

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  • 17世紀の日本における西洋の蒸留技術の導入について

    ミヒェル, ヴォルフガング, Werger-Klein, Elke 日本医史学雑誌 50 (4), 463-492, 2004-09

    ...交易条件の改善を念頭に、オランダ東インド会社は寛文8年から薬草や薬草の種及び苗木を日本へ送ることを決定した。その翌年出島に派遣された若き薬剤師ゴットフリード(ホーデフリード)・ヘックは長崎周辺での薬草調査を行っているが、奉行の要請を受け寛文11年に出島へ派遣された経験豊富な薬剤師フランス・ブラウンの赴任によりヘックは更迭された。...

    HANDLE Web Site 医中誌 参考文献16件

  • 17世紀の出島蘭館医が交付した阿蘭陀外科免許状について

    ミヒェル ヴォルフガング 言語文化論究 19 137-155, 2004-01-31

    ...本稿ではオランダ東インド会社の新しい史料に基づいてその免許状交付に至る歴史的展開を追究した上で、現存の免許状及び出島商館の阿蘭陀通詞が付録として作成した和文を比較・分析している。また、現存する五通のうち、これまでその背景が明らかにされていなかった一通の免許状の取得者太田黒玄淡の生涯を解明する。...

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  • 江戸初期の光学製品輸入について

    ミヒェル, ヴォルフガング 洋学 12 119-164, 2003-05

    Based on unpublished sources of the Dutch East Indian Company (VOC) this study traces the imports of spectacles, magnifying glasses, telescopes and microscopes during the 17th and early 18th …

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  • 日本に関する二十の観察(1669年)

    W・ミヒェル 言語文化論究 12 49-64, 2000-08-31

    ...それはまた、カトリックの宣教師やオランダ東インド会社の関係者を除く一般の人々の知識水準がまだどれほど低いものであったかをも物語っている。...

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  • 「ジャポニスムの諸相」--日本を題材としたイエズス会劇を中心に

    古瀬, 徳雄 関西福祉大学研究紀要 (2) 189-219, 2000-03

    ...17世紀中頃からヨーロッパの王侯貴族、財を得た商人等の富裕層は、異文化のエキゾティシズムを求め中国・朝鮮・日本からオランダ東インド会社(VOC)の商人などを通じて、陶磁器をはじめとする美術工芸品、絹織物、家具、什器、香辛料、茶などが大量にヨーロッパに運び込まれた。当時のヨーロッパの製陶技術は品質の高い東洋の磁器に及ばず、輸入に頼る他なかった。...

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  • 「会社」の探究

    馬場, 宏二 Research papers J 31 1-32, 1999-12

    ...その例外は、オランダ東インド会社の類の特権会社を「会社」と呼んだ場合である。4. これは「会社」の原語がオランダ語の Genootschap (団体、協会) か Maatschapppij (社会、協会・学会・団体、会社) だったことに由来する。江戸時代の辞書では、前者を学会、後者を組合と訳している。...

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  • 「会社」の探究

    馬場 宏二 Research papers J (31) 1-32, 1999-12

    ...その例外は、オランダ東インド会社の類の特権会社を「会社」と呼んだ場合である。4. これは「会社」の原語がオランダ語の Genootschap (団体、協会) か Maatschapppij (社会、協会・学会・団体、会社) だったことに由来する。江戸時代の辞書では、前者を学会、後者を組合と訳している。...

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  • 株式会社の形成

    柿沢 昭宣, カキザワ アキノブ, Akinobu KAKIZAWA 経営情報研究 : 摂南大学経営情報学部論集 7 (1), 1-25, 1999-07

    ...よく知られているように、株式会社の発生は、1602年設立のオランダ東インド会社にもとめられるというのが学会の定説である。定説とされている理由は、株式会社が資本の大量動員に適した会社企業であって経済活動の発展とともにその重要性をいちじるしく高めてきているなかで、このオランダ東インド会社は今日の株式会社の形態的特徴をほぼそなえていて、その後の株式会社の形成に大きな影響をあたえたという点にある。...

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  • New Source Material related to the Medical Personal at the VOC Trading Post Dejima

    W・ミヒェル 言語文化論究 10 179-194, 1999-03-01

    17世紀の平戸・出島蘭館の医薬関係者に関する新資料 日蘭学会編『洋学史辞典』などに掲載してある出島蘭館医の一覧表には特に17世紀について空欄や、出典のはっきりしない人物が目につく。本論文においては、オランダ国立文書館で行った、商館長の手紙、後任への申し送り状、契約更新の記録などの調査により上記の表の不正確な箇所や未知の人物(Stamper, Pauts, Kempf, Gessel, …

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  • <論説>オランダ東インド会社によるダイヤモンド交易 : J・P・クーンの書簡集を中心に

    和田 郁子 史林 81 (6), 779-814, 1998-11-01

    ...オランダ東インド会社によるダイヤモンドの購入は、まずボルネオ島北西岸スカダナを中心に始められ、一六二〇年代にコロマンデル海岸を積み出し港とするインド産のものへと拡大していった。後者は埋蔵量・産出量ともに豊富と見なされ、会社も当初は大きな期待を寄せたが、実際には現地での紛争・政策等に左右された不安定な供給量、購入価格の高騰に悩まされ続けた。...

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  • ハンス・ユリアン・ハンケ、ツァハリアス・ワーゲネル、向井元升 : 17世紀のある出会い

    Michel Wolfgang 比較社会文化 1 109-114, 1995-04-28

    Japanese Abstract: ハンス・ユリアン・ハンケ、ツァハリアス・ワーゲネル、向井元升 − 17世紀のある出会い 儒学者向井元升(玄松)が大目付井上政重の依頼により1656〜57年出島で西洋医法について教わった事柄について、その背景と経過及びドイツ出身の出島商館長ワーゲネルや、同胞の商館医ハンコの役割を明らかにし、向井元升とハンコのコミュニケーションにおける諸問題を論じている。 …

    DOI HANDLE 被引用文献1件

  • ウィレム・バイレフェルトの金銭出納簿

    Michel, Wolfgang 洋学史研究 10 38-81, 1993-04

    Expense journal kept by Willen Bijlevelt during his stay there in 1650. It shows what he and his three companions (Caspar Schamberger, Jurian Schedel, Jan Smid) were eating and drinking, what they …

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  • Johann Konrad Ratzel(1672-1754)--Erste Spuren eines Ostindienfahrers und Raritatensammlers

    Michel Wolfgang 言語文化論究 4 1-14, 1993-02

    本論文は、これまでの日欧文化交渉史の研究において見落とされてきたドイツ東部ハルバーシュタット市出身コンラート・レーツェルを紹介したものである。博学者M.B.ヴァレンティーニの「Museum Museorum」を手掛かりにして、レーツェルが17世紀の30年代ごろ自費出版したコレクションの目録を調査した。記載されている収集品は彼が日本、中国、セラム島, アンボン島, …

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  • Ein Ostindianisches Sendschreiben : Andreas Cleyers Brief an Sebastian Scheffer vom 20. Dezember 1683

    Michel, Wolfgang (Michel-Zaitsu) 独仏文學研究 41 15-98, 1991-08-30

    1680年代2回も出島商館長として来日したドイツ人医師兼上位商人アンドレアス・クライエルがオランダ、ドイツなどの学者へ送った手紙、標本などの資料は当時の知識人に極めて大きな影響を及ぼし、その痕跡はあらゆる出版物にも見られる。残念ながらこれらの書簡の原文はほとんど行方不明となっている。ここで紹介できたものは、1683年出島での1回目の任務を終えたクライエルが船上で書いたもので、生々しい日本関係の記…

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  • 出島蘭館医カスパル ・シャムベルゲルの生涯について

    Michel, Wolfgang (Michel-Zaitsu) 日本医史学雑誌 36 (3), 201-210, 1990-07

    西洋医学の日本への導入史上、最初の紅毛流派として有名な「カスパル流外科」の元祖カスパルについては、数十年間にわたる先行的な研究にもかかわらず、その人物の名字、生涯等などについて何も明らかになっていなかった。17世紀のドイ

    HANDLE Web Site 医中誌 被引用文献2件

  • カスパル・シャムベルゲルの履歴

    Michel Wolfgang 言語文化論究 1 41-52, 1990-03-30

    日本から離れたシャムベルゲルは帰国後、もとの外科医の職を捨て、商人としての高い社会的地位を得た。一般に身分の高い市民が死亡した際には、牧師の説教や亡くなった人の略歴、様々な挨拶文が印刷され、関係者に配られていたという当時の慣習に着目して、ドイツ、ヴォルフェンビュッテル研究図書館の弔辞コレクションを調査し、その結果、カスパル・シャムベルゲルの「弔辞」を発見することができた。論文はその中に含まれてい…

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  • ウィレム・テン・ライネと日本の医学 (1)

    Wolfgang Michel (Michel-Zaitsu) 独仏文學研究 39 75-125, 1989-08-30

    幕府からそのような要望があると思い込んでいた東インド会社はオランダ出身の医学博士ウィレム・テン・ライネを1674年長崎へ派遣した。バタビアでお灸を研究していた牧師ブショフ及び東インドにおける薬草などを調査していたドイツ人医師クレイエルの影響を受けたテン・ライネは日本滞在中積極的に日本の医学について調べ、その成果を1682年刊行の著書に取り入れる。筆者は、「関節炎論」を中心にテン・ライネから見たの…

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  • ツァハリアス・ワーゲネルと日本について : 「雷男」の自伝

    Michel, Wolfgang (Michel-Zaitsu) 独仏文學研究 37 53-102, 1987-07-15

    ツァハリアス・ワーゲネルと日本について — 「雷男」の自伝。   17世紀半ば頃の長崎出島蘭館長ツァハリアス・ワーゲネルは有田の磁器を初めて発注したことと明暦の大火を観察したことでよく知られている。彼の出生地ドイツ、ドレースデンで発見した手書きの自伝を紹介、分析している。 前書き、 オランダ国立文書館およびドイツ、ドレースデン銅版画資料館にあるワーゲネル関係の資料の概略、ワーゲネルの自伝、全文の…

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  • Ein frühes deutsch-japanisches Glossar aus dem 17. Jahrhundert

    Michel, Wolfgang かいろす 24 (1986), 1-26, 1986-11-25

    ドイツ・ゴーター研究図書館蔵書カスパル・シュマルカルデンの旅行日記の付録中に見つけた日本語の単語集を紹介し、それらを、17世紀初め頃来日した宣教師コリアドの日本語文典などと比較することによって、そのローマ字表記の特徴を明らかにしている。

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  • ゲオルグ・マイステルの日本語研究

    Michel, Wolfgang 独仏文學研究 35 1-50, 1986-07-15

    ゲオルグ・マイステルの日本語研究 バタビアにおいて東インド会社の薬草園を担当していたドイツ・チューリンゲン生まれの庭師ゲオルグ・マイステルは出島商館長を務める同胞アンドレアス・クライエルと一緒に1682ー83年および1685ー86年に来日した。合計2年間に亙って彼は日本の植物及び日本語について積極的に調べ、帰国後、それら収集の諸成果を、ドレースデン宮殿の「宮廷園師」として、東インドで入手したその…

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  • 17世紀中葉オランダの東インド通商圏

    科野 孝蔵 地学雑誌 90 (5), 314-335, 1981

    It is a well-known fact that the Dutch people were the most active in the world trade in the mid-seventeenth century. For their East Indian trade they established the Dutch East India Company which …

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  • <ノート>1804年の「植民地憲章」について : オランダ東インド会社崩壊後の植民政策

    田淵 保雄 史林 54 (4), 594-607, 1971-07-01

    ...オランダ東インド会社崩壊後、東インドの統治に関して相反する二つの政治方向があった。一つは旧会社のとってきた現地土侯を媒介とする「間接支配」を継承しようとする方向である。旧会社はジャワの土侯達をしたがえる上級封建領主であった。土侯は会社に対して強制出荷義務と賦役義務を負った。会社はこの制度の上に立って商業を経営していたのである。...

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