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日経ビジネス = Nikkei business (1302) 122-124, 2005-08-01
...6月16日、大阪府立体育館で開催された、うどんチェーンなどを展開する外食大手グルメ杵屋の株主総会。株主席の一角に、およそ場違いな制服姿の中学生46人が座っていた。 「株主からいろいろな不満が出ていて、経営は大変だと思った」「難しい用語ばかりで、よく分からなかった」 総会見学後に、こんな感想を語るのは、大阪府堺市にある私立初芝堺中学校の3年生。...
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中村 芳平 日経レストラン = Nikkei restaurants : 飲食ビジネスを勝ち抜く繁盛店経営誌 (300) 78-80, 2001-05
なかむら・よしへい 1947年群馬県生まれ。流通業界、編集プロダクション勤務を経てフリージャーナリスト。著書に「13人の起業家たち」(日本能率協会マネジメントセンター)、「キリンビールの大逆襲」(日刊工業新聞社)ほかがある 椋本が大阪初芝学園の再建で最も大切にしたのは、いわゆる「CS(顧客満足)経営」であった。
中村 芳平 日経レストラン = Nikkei restaurants : 飲食ビジネスを勝ち抜く繁盛店経営誌 (298) 86-88, 2001-04
椋本が、大阪初芝学園の理事長に就く経緯については、前回でも簡単に触れたが、もう少し背景を説明しておこう。 1991年(平成3年)に約94億円の負債を抱えて経営破綻に陥った大阪初芝学園の再建には、商社やゼネコンなどの有力企業が名乗りを上げた。だが、バブル崩壊の影響で地価も株価も暴落を続ける中で、先行きの見通しが立たないのを嫌気して、次々に撤退した。
中村 芳平 日経レストラン = Nikkei restaurants : 飲食ビジネスを勝ち抜く繁盛店経営誌 (297) 106-108, 2001-03
...グルメ杵屋と元気寿司という二つの上場企業の社長、大阪外食産業協会会長など、椋本の肩書は多い。そしてもう一つ、椋本には意外な肩書がある。大阪初芝学園理事長というものだ。 椋本が全く異業種である学校法人の理事長に就いているのは、一般の目から見ると分かりにくいところがある——。...
中村 芳平 日経レストラン = Nikkei restaurants : 飲食ビジネスを勝ち抜く繁盛店経営誌 (296) 82-84, 2001-02
大証二部上場という大きな目標を掲げて、椋本の率いる両国食品は、84年(昭和59年)頃から出店ペースを加速した。 この頃、外食市場は急成長し、84年度の市場規模は18兆7730億円(外食産業総合調査研究センター推計)に達し、20兆円の大台突破を目前にしていた。ちなみに、日本マクドナルドが年商1000億円を超えたのも84年のことだ。
中村 芳平 日経レストラン = Nikkei restaurants : 飲食ビジネスを勝ち抜く繁盛店経営誌 (294) 82-84, 2000-12
「日本一の味であれば、どこに出しても通用する」——これが、椋本が「杵屋」をスタートする時の基本的な考え方である。 そこで、うどんの日本一として椋本が白羽の矢を立てたのが、讃岐うどんだったわけだが、一方、うどんのつゆにも徹底的にこだわった。椋本がうどんのつゆとして選んだのは、大阪風のうす味のつゆだ。 うどんは大阪の名物でもある。
中村 芳平 日経レストラン = Nikkei restaurants : 飲食ビジネスを勝ち抜く繁盛店経営誌 (293) 94-96, 2000-11
椋本は、「昭和40年(1965年)不況」の株価大暴落で、大損をした。この時、椋本を正気に戻したのは、子供の頃にたたき込まれた、母ノブのしつけ教育だった。 母は、「相場には手を出すな!」と言い、「商いのコツは小さい金をコツコツ儲けることだ」と教えた。椋本は母の教えが正しかったことを、身をもって知った。
中村 芳平 日経レストラン = Nikkei restaurants : 飲食ビジネスを勝ち抜く繁盛店経営誌 (292) 82-84, 2000-10
椋本が妻裕子と結婚式を挙げたのは、米国ツアーから帰って間もない1960年10月12日、椋本24歳、両国米穀販売店創業3年目の秋のことだった。 「偶然にも母ノブの命日で、13回忌の日でした。私はすっかり忘れていたのですが、後からそう言われてびっくりしました。
中村 芳平 日経レストラン = Nikkei restaurants : 飲食ビジネスを勝ち抜く繁盛店経営誌 (290) 32-35, 2000-09
椋本は,毎朝牛乳を500ml飲む。新聞を読みながら,ゆっくり時間をかけて飲むのが習慣だ。「牛乳を飲むことが,私の健康の秘訣かもしれない」と言う。 府立阿倍野高校時代から,浪人した3年間の合計約6年間,家業の米穀店を手伝う一方で,椋本は牛乳配達のアルバイトを続けた。毎朝4時頃に起き出し,3時間ぐらいかけて,約180軒の家に250本の牛乳を配達していた。
中村 芳平 日経レストラン = Nikkei restaurants : 飲食ビジネスを勝ち抜く繁盛店経営誌 (289) 32-35, 2000-08
...椋本は,グルメ杵屋のオーナー経営者であるが,一方では日本ボーイスカウト大阪連盟副理事長,大阪初芝学園理事長を務め,青少年教育に熱心に取り組んでいる。 経営も教育も,人を育てることに変わりはない。しかし,小・中・高校生など,これからの若い世代を育てることに,椋本は,より大きな可能性とロマンを見いだしているようだ。...
椋本 彦之, 中村 芳平 日経レストラン = Nikkei restaurants : 飲食ビジネスを勝ち抜く繁盛店経営誌 (288) 32-35, 2000-07
...グルメ杵屋の主力業態の一つであるそば居酒屋の「そじ坊」は,社内ベンチャー事業制度のモデルとなった成功事例である。 「そじ坊」は現在,東京・大阪地区を中心に99店舗を数え,年商80億円に迫る。グルメ杵屋の柱である「実演手打ちうどん・杵屋」と並ぶ主力業態に成長してきた。...
中村 芳平 日経レストラン = Nikkei restaurants : 飲食ビジネスを勝ち抜く繁盛店経営誌 (287) 32-35, 2000-06-08
...■グルメ杵屋の椋本彦之社長が,資本・業務提携している元気寿司の社長を兼務することになった(6月27日就任予定)。上場外食企業2社,しかも本社は大阪と宇都宮と,東西に分かれる企業の社長を兼務するのは,異例なことといえる。だが,椋本は,経営不振に陥った学校法人,大阪・初芝学園の理事長を兼務し,再建した実績を持つ。...
礒部 道生 日経ビジネス = Nikkei business (963) 104-106, 1998-10-26
1960年、安保闘争で日本中が揺れていたこの年の秋、ロサンゼルスのとあるハンバーガーチェーンの店内に1人の日本人青年がいた。彼は日がな1日、店内に粘り、カウンターの接客とキッチンの様子をじっと見つめている。青年は初めて見るマニュアル化されたサービスの手際よさに感銘を受けていた。だが、肝心のハンバーガーの味はどうも口に合わない。