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  • 第21回 山形市郷土館(旧済生館本館)

    池田 幸弘 ファルマシア 54 (7), 704-705, 2018

    山形市郷土館は,山形城の城跡を整備した霞城公園に建てられている.山形城は,延文元年(1356年)に羽州探題として山形に入部した斯波兼頼(最上家初代)が築城したのが始まりと伝えられ,歴史のある城の部類に入ると言えそうである.城主が最上義光(1546〜1614年)のとき,この地でもう1つの関ヶ原合戦と呼ばれる「長谷堂合戦」(1600年)が繰り広げられた.上杉家の直江兼続らが本城に攻め込んできた際,1…

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  • <論説>教部省教化政策の転回と挫折 : 「教育と宗教の分離」を中心として

    谷川 穣 史林 83 (6), 977-1009, 2000-11-01

    ...三島通庸を中心とする教化政策に、重要な転回をもたらしたのは、田中不二麿らの「教育と宗教の分離」理念であった。これにより、学校教育への教化政策組み込みは失敗し、教化の路線も変容してゆく。だがそれは島地黙雷の激しい批判にあい、教化政策は挫折するに至った。その島地も、教化政策を批判してゆくうちに、僧侶が初等教育を担当すべきだという自説を放棄することになる。...

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  • 山形の石橋

    井上 肇, 市村 幸夫 土木史研究 20 337-348, 2000

    ...明治初期に当時の山形県令三島通庸は地域開発を目指して県内の道路整備を強力に推進し, 橋梁65橋を架けた。その内12橋が石拱橋であった。三島が去った後に架設された拱石橋を合わせて19橋に達した。明治以後には新しい石拱橋は架設されていないが, その内11橋が現存している。...

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