検索結果を絞り込む

データ種別

本文・本体へのリンク

検索結果 36 件

  • 1 / 1

  • 柴田承桂とその周辺

    小曽戸 洋 薬史学雑誌 58 (2), 87-94, 2023-12-31

    ...は尾張藩医 永坂周二の次男で,同じ尾張藩医 柴田承慶(1794-1868)の養嗣子となった.実兄の永坂石埭(1845-1924)も医師ではあるが,漢学者・文人として著名である.従来承桂の肖像とされる写真は石埭のものである可能性が高い.承桂の長男は桂太,桂太の子は承二,承桂の次男は雄次,その子は南雄.みな著名人である.薬学関係の知人には熊沢善庵(1845-1906),飯盛挺造(1851-1916),下山順一郎...

    DOI Web Site 医中誌

  • 日本初の無鉛白粉作製の背景とその無害証明に関わった薬学者たち

    髙際 麻奈未 薬史学雑誌 57 (2), 93-100, 2022-12-31

    ...日本初の無鉛白粉「御園白粉」の現存する販売宣伝用小冊子には,商品が無害であることを学理上から保証する薬学博士として下山順一郎,田原良純の名前が挙げられている.本稿では日本における白粉の歴史および無鉛白粉が作られた背景について調査した.かつての白粉は鉛白や軽粉からなるものであった.鉛白は 5 世紀中頃に中国より日本へ伝えられ,以後白粉の原料としても使用され続けた.含鉛白粉による鉛中毒が問題となり,明治...

    DOI

  • 【翻訳論文】日本初の無鉛化粧品「御園白粉」,成功した発明品の分析

    ボンテ ルイ, ボンテ フレデリック, 髙際 麻奈未 薬史学雑誌 57 (2), 144-149, 2022-12-31

    ...日本の会社,胡蝶園の化粧品は皇室に認められた日本初の無鉛白粉である.この商品の開発者はフランスで化学を学んだ化学者,長谷部仲彦である.何年もの研究の後,彼は1900年に酸化亜鉛を主成分とする白粉を宮中に献上した.4年後,商品に「御園白粉」と名付けた.本稿では,2人の偉大な日本人薬学者,下山順一郎と田原良純が無害証明を行った御園化粧品の商品を紹介している同社発行の珍しい小冊子を取り上げ,会社の初期の成功...

    DOI Web Site

  • 目次/ミニ特集にあたって/表紙の説明

    ファルマシア 53 (12), 1140-1141, 2017

    ...<br>表紙の説明:池口慶三(1867~1933)は東京大学医科大学薬学科卒業.下山順一郎・丹波敬三・丹羽藤吉郎らに師事.1927年,日本薬剤師会長.丹波敬三逝去のあとを受けて東京薬学専門学校校長に就任.薬事制度の整備や,薬剤師の育成に尽力した.書は「信為萬事本(信は万事の本たり)」.出典は『唐書』褚遂良伝.東京薬科大学所蔵....

    DOI

  • 目次/ミニ特集にあたって/表紙の説明

    ファルマシア 53 (8), 752-753, 2017

    ...<br>表紙の説明:丹波敬三(1854~1927)は,日本現存最古の医薬書『医心方』を著した平安時代の丹波康頼(912~995)の30代目の子孫とされる.丹波敬三は下山順一郎・丹羽藤吉郎らとともに明治11(1878)年,東京大学医学校製薬学科を第1回生として卒業した.大正6(1917)年東京薬学専門学校の初代校長に就任.号を淡斎と称し,書を善くした.表紙の書は「心廣(広)ければ體(体)胖なり.七十三叟...

    DOI

  • 1 / 1
ページトップへ