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検索結果 123 件

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  • 《再生》する詩的言語

    山本 勇人 関西近代文学 3 (0), 21-41, 2024-03-20

    ...「富永太郎」(1925年)から「中原中也の思ひ出」(1949年)に至る小林の詩人への哀悼の軌跡は、彼に固有な「詩」の創出の過程でもあった。...

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  • 中原中也の「見た」人魚

    山口 豊, Yutaka YAMAGUCHI 武庫川女子大学紀要 67 71-77, 2020-03-31

    The word “mermaid” appears in the poem “North Sea”, one of Nakahara's masterpieces.Mermaids are legendary creatures that are well-known regardless of whether they are east or west, but their images …

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  • 中原中也を再々読!

    アリュー, イヴ=マリ 人間存在論 21 45-73, 2015-07-01

    Trois axes de «re-re-lecture» de NAKAHARA Chûya ont été privilégiés dans notre approche: la vision de la nature, le caractère politique, la thématique amoureuse. Même si on peut la rapprocher de …

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  • 丸山薫「物象詩」の展開

    安 智史 日本近代文学 93 (0), 46-61, 2015

    ...研究史上見落とされがちであったその特質を、稲垣足穂、萩原朔太郎、立原道造、中原中也および、無機的風景詩の先駆者とされる小野十三郎や、瀧口修造、山中散生(ちるう)らシュルレアリストとの、同時代性と影響関係を中心に解明した。</p>...

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  • 「秋岸清涼居士」の<道化調>考 : 中原中也と<宮沢賢治>

    吉田 恵理 日本近代文学 89 (0), 79-94, 2013

    ...本論は、一九三四年に書かれた中原中也の「秋岸清涼居士」という未発表詩篇と、この時期に集中して書かれた<宮沢賢治>論との関連を考察するものである。本論はまず、<宮沢賢治>評価が急速に高まる没後の同時代状況に対し、中原がどのようにその作品を読むことで距離を取ろうとしたのかを明らかにする。...

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  • 中原中也『山羊の歌』の構成と表現

    今井 克佳 東洋学園大学紀要 = Bulletin of Toyo Gakuen University 20 280-272, 2012-03-15

    ...中原中也の第一詩集『山羊の歌』について、菅谷規矩雄の「中原中也の七五調 方法と表現史での必然性」をヒントとし、構成意識が高く形式的、イメージ的な「歌」としての詩の表現と、より散文的な「告白体」ともいえる「述志」としての詩の表現という二つの表現のタイプを考え、それらに基づき、『山羊の歌』がどのように構成されているかを分析する。...

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  • On the staind sadness

    村上 由美子, 大津 はつね, 李 容旭, 名手 久貴 画像電子学会研究会講演予稿 05-08 (0), 81-82, 2006

    ...私は中原中也程言葉を美しく、心境豊かに表現する人は現在居ないのではないかと考えています。「汚れちまった悲しみに」という決して丁寧とは言えない言葉使いの中に隠された心理描写。暴力的にも関わらず、繊細さを持ち合わせたこの詩に魅力を感じたので視覚化しアニメーション化したいと思い制作を行いました。...

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  • 一九二七年の中原中也 : ダダと象徴の詩精神

    長沼 光彦 日本文学 51 (2), 30-37, 2002

    ...従来の論で一九二七年の中原中也は、ダダに対する熱意を失っていたとされる。だが当時の日記には、むしろダダを積極的に考察した痕跡が見られる。当時の中原は様々な文学的教養に照らしながら、自己の詩心の在処を確かめようとしていた。特に現象の流動性を捉えることを詩人の本領と考え、ダダの精神にその典型を見たのである。また流動性の表現は中原にとって、ダダと象徴詩をつなぐものであり、詩心の行方を決めるものだった。...

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  • 中原中也詩の表現特質 : あまりにも悲しき生の心象風景

    藤掛 和美 名古屋大学国語国文学 63 59-75, 1988-12-03

    ダダイストを自負し、同時代の西脇順三郎と詩的表現に共通項を持って出発した中也は、以後に辿る、エリート西脇の履歴とは異る「あまりにも悲しき生」の遍歴の中で、ダダイズムを「過程」に封じ込め、それと異質の「悲しき生の心象スケッチ」の表現技法を執るに至る。「心象スケッチ」は宮沢賢治詩の影響でもあった。彼の詩的表現は、「私」の生活や人生の記録であり独白であった。その意味で「私小説」に共通する「私詩」の位相…

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  • 中原中也とランボオ

    鈴木 みどり 比較文学 6 (0), 44-53, 1963

    <p> Rimbaud fut connu au Japon dès l’époque de Meiji, cependant son influence ne commença à s’exercer que sur le groupe de Hideo Kobayashi qui le fit connaître à deux poètes de ses amis: Tarô …

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