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  • 枕団子と死者の想

    山田 慎也 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 174 31-42, 2012-03-30

    ...そしてその後の研究において、枕団子自体に注目したのは、五来重など一部の人々であった。五来は枕飯を死者のための鎮魂のための依り代とし、枕団子を死者以外の邪霊的な存在に対する饗供とする視点を打ち出すことで枕団子の性格を分析した。ところで、民俗誌をみると秋田県を中心に青森県、山形県において、枕団子の色が黒くなると、死者の寿命であったと判断する地域が多い。...

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  • 現代の布橋灌頂会 : 富山県中新川郡立山町芦峅寺の事例から

    吉川 智子 名古屋大学人文科学研究 41 69-80, 2012-03

    ...儀式は擬似的な死と生まれ変わりの体験であり、五来重によって擬死再生儀礼の法要として位置付けられている。この布橋灌頂会は現在も開催されており、筆者は現代における布橋灌頂会に参加する機会を得ることができた。本稿は、布橋灌頂会に関わった方への開き取り調査や筆者の体験とリハーサルの見学をもとにして、実際の儀式内容や周囲の環境など儀式の全体像を報告するものである。...

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  • 仏教民俗学の思想 : 五来重について

    碧海 寿広 宗教研究 81 (1), 117-141, 2007

    ...ゆえに、日本人の「生活」の歴史と仏教との関係をよく考えてきた仏教民俗学、特に五来重によるそれの思想的な意義を再検討する必要が出てきた。五来は彼の同時代の仏教をめぐる学問や実践のあり方に対して非常に批判的だった。特に仏教を哲学的なものとして理解する想定に疑問を抱き、代わりに仏教を受容する普通の人々の現実生活に即した彼の日本仏教観を提示した。...

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  • 日本〈仏舎利〉信仰史

    中村, 一基 岩大語文 11 1-9, 2006-12-08

    ...聖性は釈迦に限定された特殊なものだったのか。《遺骨》は舎利信仰と接触することで、聖性への契機を掴んだのでないか。山折哲雄氏は仏教と結びついた舎利崇拝は、上層階級に受け入れられ、漸次一般に浸透していったが、「あくまでも「仏」という特定のカリスマの「舎利」にたいする崇拝」であり「例外的な遺骨崇拝」である(「死と民俗-遺骨崇拝の源流-」『死の民俗学』岩波書店、一九九〇年、四八頁)という前提に立ちながらも、五来重氏...

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  • 平戸・生月の民間宗教者について - 陰陽道とシャーマニズム

    福島, 邦夫 長崎大学教養部紀要. 人文科学篇 36 (2), 93-104, 1996-01-31

    ...五来重氏は中世の遊女の呪具である木偶人形、百太夫に注目し、百太夫がイタコのオシラ様につながるものとして、中世の遊女(巫女)と東北のイタコとの関係を連続するものとして跡づけた。従来の日本のシャーマニズム研究には歴史的な視点が欠落しており、単なる現状のモノグラフとその分析に終わっているといえよう。五来重氏のこの指摘はそれに一石を投じたものであった。...

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  • 北陸門徒の關東移民

    五來 重 史林 33 (6), 597-612, 1950-12-01

    近世封建制度崩壞期に簇生した複雜な農村問題は重税、饑饉、貧困、疾病、間引き、一揆、逃散、欠落などの陰慘な色彩にぬりつぶされている。下層農民はこの變動期を生きのびるために瘠腕に血みどろの努力をかさねていた。一方搾収者でありながら沒落寸前の武士階級も農民の保護につとめたが、恐ろしい勢で勃興しつゝある資本主義の前にはほとんど無力にひとしかつた。このとき關東と北陸という局部的な現象ではあつたが宗敎を媒介…

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