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検索結果 169 件

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  • 『マニ・カブム』に見られる仏身説の特徴

    谷口 富士夫 印度學佛教學研究 71 (2), 768-762, 2023-03-22

    <p>This paper examines the Buddha-body theory in the <i>Ma ṇi bka’ ’bum,</i> and compares it with those of the <i>rGyal rabs gsal ba’i me long</i> and certain texts belonging to the Yogācāra school. …

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  • 『逆修説法』における法然の阿弥陀仏観

    一ノ瀬, 和夫 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 49 1-14, 2021-03-31

    ...そこで改めて、『逆修説法』の文言から法然の仏身観、阿弥陀仏観を抽出し、それを通仏教的な仏身論や、法然が参照したことが確実な源信の仏身観を通して再検討し、法然の阿弥陀仏観が、源信などの浄土思想に見られる三身一体論に基づくものであることを明らかにする。...

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  • 報身報土について ―真言密教の論義書を中心に―

    北川 真寛 智山学報 69 (0), 257-277, 2020

    ...阿弥陀の仏身仏土論については、すでに中国仏教界において論じられていて、日本においても浄土宗では報身報土、天台宗では化身化土を主張している。</p><p> 真言宗においても、古義・新義を問わず阿弥陀の身土を報身報土と規定しているが、その理由として『釈論』自身や浄土門の教説に依ること、そして天台宗との対弁を主張していることも考えられる。</p>...

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  • 『華厳経』諸品にみられる法身について

    松本 亮太 佛教文化学会紀要 2019 (28), L105-L126, 2019

    ...そのことを踏まえ本論文では、『華厳経』に説かれる仏身観は二身説に基づいたものであるとされてきたが、このことは諸品に共通するものであるのか、また、諸品間で法身の語は同義で使用されているのかを検証した。その結果、「入法界品」「十地品」で説かれていた法身の用例と「性起品」やその他諸品での用例との間で差異を認めることができた。特に仏陀跋陀羅訳の六十華厳に特徴的な用例を確認することができた。...

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  • 『逆修説法』の概要(2)

    齋藤, 蒙光 佛教大学法然仏教学研究センター紀要 3 69-84, 2017-03-25

    ...全六回の説法はそれぞれ、阿弥陀仏の仏身や名号、光明、寿命、依正二報などの諸々の功徳を説明する「仏徳讃嘆」と、浄土三部経の要点を挙げながら善導、法然の念仏思想を説き示す「経徳讃嘆」との二部構成となっており、特に後者では同じ話題が繰り返される。また大部の資料であるため、何処に何が説かれているのか、内容を把握し難い。拙稿は、その手助けとなるよう、『逆修説法』の科文、要旨、頁数を列記したものである。...

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  • 『最後灌頂常行心要法』における「信知」

    亀山 隆彦 印度學佛教學研究 64 (3), 1310-1315, 2016

    ...『心要法』によれば,真言密教が主張する「自身本成之一致」や「自身成仏」の道理にわずかの疑惑もさしはさむことなく,六大,四曼,三密の体相用三大から成る肉身がそのまま仏身と一念でも「信知」したなら,その修行者は,すでに「自証仏」であるという.その際行者が三密行を完遂しているかどうかは,問題にならない.あまたの功徳から構成されるみずからの肉身に対して信知を獲得したなら,その行者のあらゆる三業の所作は,そのまま...

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  • 『即身成仏義』の構成について

    大塚 伸夫 智山学報 65 (0), 195-208, 2016

    ...端的にいえば、入唐より帰朝後間もない当初は単純な速疾成仏の強調に過ぎなかったものが、弘仁8(817)年ころを契機に、密教の成仏に関する解説の中に筆者のいう「心的成仏(仏智)」と「身的成仏(仏身)」の両面を強調するようになってきた傾向が認められるからなのである。...

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  • 『逆修説法』の概要(1)

    齋藤, 蒙光 佛教大学法然仏教学研究センター紀要 1 57-71, 2015-03-25

    ...全六回の説法は、それぞれが、阿弥陀仏の仏身や名号、光明、寿命、依正二報などの諸々の功徳を説明する「仏徳讃嘆」と、浄土三部経の要点を挙げながら善導、法然の念仏思想を説き示す「経徳讃嘆」との、二部構成となっており、特に後者では同じ話題が繰り返し説かれる。大部の資料であるため、何処に何が説かれているのか、概要すら把握し難い。...

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  • 『大乗大義章』における仏身と念仏三昧

    曽和, 義宏 仏教学部論集 96 15-30, 2012-03-01

    廬山の慧遠が『般舟三昧経』に基づく念仏三昧を修していたことは周知のことである。慧遠と鳩摩羅什の間で交わされた質疑応答の書簡である『大乗大義章』において、慧遠は、「『般舟三昧経』では念仏三昧を多く夢に譬え、その三昧中で仏に見え問答して疑いを決す、というが、その仏はいったい何処から顕現するのか」ということを鳩摩羅什に質問している。その質問に対する鳩摩羅什の回答から、念仏三昧とその対象となる仏身がいか…

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  • 浄影寺慧遠『観無量寿経義疏』「第九仏身観」における「光明摂取文」釈の特殊性

    伊藤, 瑛梨 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 38 1-12, 2010-03-01

    「光明摂取文」と称される「一一光明徧照十方世界念佛衆生攝取不捨」は、『観経』第九観に説示される一文である。善導は『観経疏』において、この文を殊に重視し、念仏の衆生は阿弥陀仏の「光明」によって「摂取」されると説いた。しかし最古の「観経」釈といわれる浄影寺慧遠撰『観経義疏』は、この文を「一一光明.照十方世界」と「念佛衆生攝取不捨」とに切り離して解釈する。本稿では、まずその点についてテキストクリティー…

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  • 浄影寺慧遠『観無量寿経義疏』「第九仏身観」における「光明摂取文」釈の特殊性

    伊藤 瑛梨 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (38) 1-12, 2010-03-01

    「光明摂取文」と称される「一一光明徧照十方世界念佛衆生攝取不捨」は、『観経』第九観に説示される一文である。善導は『観経疏』において、この文を殊に重視し、念仏の衆生は阿弥陀仏の「光明」によって「摂取」されると説いた。しかし最古の「観経」釈といわれる浄影寺慧遠撰『観経義疏』は、この文を「一一光明.照十方世界」と「念佛衆生攝取不捨」とに切り離して解釈する。本稿では、まずその点についてテキストクリティー…

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  • Abhisamayalamkaraにおける仏身論の分類

    中村 法道 印度學佛教學研究 58 (3), 1198-1202, 2010

    ...Abhisamayalamkaraは般若経を修道論の観点から要約したものと言われ,Maitreyaに帰される.第8章では仏身論が説かれ,三身説・四身説として解釈されてきた.この仏身論は天野宏英氏・佐久間秀範氏・John J.Makransky氏等によって研究されたが,現存最古の注釈書を著したArya-Vimuktisenaをs,或いは三身説を正面から取り上げた研究は少ない.本研究の目的はAbhisamayalamkara...

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  • 宗教的存在観についての研究 : 親鸞の仏身仏土観を中心として

    中山, 彰信 九州情報大学研究論集 = Bulletin Kyushu Institute of Information Sciences / 研究論集編集委員会 編 10 (1), 96-82, 2008-03

    ...ということについて考えていくうちに仏身仏土観に行きあたる。その仏身仏士観を考えた場合、新鸞は如何に捉えていたかに疑問を感じ、本人の捉え方について考察してみることになる。特に、仏身仏土の問題は、宗教的存在観として考えられるものであろう。仏身仏土は視覚的存在としては証明出来ないものである。しかし、生死の問題としては大切な存在の問題と考えるからである。...

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  • 迦才『浄土論』の仏身仏土論の背景

    松尾 得晃 印度學佛教學研究 55 (2), 631-634,1247, 2007

    Jiacai demonstrated that the transformed lands exist in Amida's Pure Land in order that ordinary people may be able to attain birth there. Concerning this, three points may be made:<br>1. In those …

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  • 『法華経文外義』研究序説

    菅野 博史 印度學佛教學研究 55 (1), 499-492,1232, 2006

    The <i>Fahua jing wen waiyi</i> is preserved in a Dunhuang manuscript kept in the Shanghai Museum. We can read a photocopy of that text in <i>Shanghai bowuguan cang Dunhuang Tulufan wenxian</i>, …

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  • 親鸞の仏身論は「基体説」ではない

    宇野 惠教 印度學佛教學研究 54 (2), 726-730,1310, 2006

    The term “dhatuvada” (j. kitai-setsu) was invented by Dr. Shiro Matsumoto in order to develop his critical examination of Buddhist thought in general. In this paper, I would like to claim that …

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  • 曇鸞の「是心作佛是心是佛」釈

    吉水 岳彦 印度學佛教學研究 54 (1), 72-75,1243, 2005

    I discuss Tanluan's interpretation of “<i>shixinzuofo shixinshifo</i> _??__??__??__??__??__??__??__??_” in the Guan jing _??__??_ in relation to the Buddha's interpretation of “<i>sanye zhuangyan …

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  • 基の仏身・仏土論 : 特に阿弥陀仏の仏格の判定について

    林 香奈 宗教研究 79 (3), 745-767, 2005

    ...隋から唐代にかけての中国仏教において、仏身・仏土論特に阿弥陀仏の仏格の判定は、その浄土に凡夫も往生が可能なのかとの問題と絡み、重要な意味を持っていた。そして、中国法相宗の祖である基の仏身・仏土論については、従来『義林章』「仏土章」などに見られる通報化説が注目され、これが基の見解であるとされる向きがあった。...

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  • 『安楽集』と迦才の『浄土論』の比較研究 : 特に二書に見られる仏身、仏土観を中心として

    佐藤, 健 文学部論集 86 15-26, 2002-03-01

    唐初、河北并州太原を中心に、阿弥陀仏の他力信仰を一般民衆に勧めた、道悼の『安楽集』に見られる浄土教を、本書と関連深い迦才の『浄土論』のそれと比較検討することにより、のもつ性格の異なりを明らかにすることにある。道綽を敬慕する迦才が『安楽集』の文義、章品を整え、後世に便利を与えようとの目的で著された『浄土論』ではあるが、結果的には道綽の浄土教に反することも多く見られることになる。これは迦才が長安の弘…

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  • 『即身成仏義』の背景

    渡辺 新治 智山学報 48 (0), 77-90, 1999

    ...当然のことながら、『弁顕密二教論』(以下に『二教論』)に弘法大師空海が、真言宗の特徴として、一、能説の仏身 二、所説の教法 三、成仏の遅速 四、教益の勝劣があげられるが、これらは、法身説法と即身成仏の二点に集約することができ、また、法身説法と即身成仏はかけ離れたものではない。即身成仏を述べる時、法身説法の考えが重要であり、また逆に法身説法を語る時に、即身成仏の考えが基盤となっている。...

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  • 興教大師覚鑁の成仏論(1) : 現生・生身の成仏

    苫米地 誠一 智山学報 41 (0), 73-90, 1992

    ...この即身の意味に於て現生、特に生身を問題とするのは天台宗の〈円教の即身成仏〉思想の特徴と考えられるものであり、三身即一の妙覚仏というのも天台宗の仏身論に拠るもので、即ち覚鑁に於る天台(台密を含むか)教学からの影響を認める事ができる。...

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  • 仏像光背の研究: 飛天光背と板光背の変遷についての考察

    松本 彩 文化財学報 (6) 19-36, 1988-03

    ...仏像光背は、仏身より発する光明を具体的に表現したものであり、仏像彫刻の一部として意味深い存在でもある。インドで聖者を示す光背が釈迦牟尼像にとりつけられて以来、インド、西域、中国、朝鮮と時代や地域を経て展開し、わが国には飛鳥時代に伝来する。そして、断続的な大陸との交流によってその様式を受容しつつも、わが国独自の発展を遂げてきた。...

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  • 仏身論をめぐりて

    長尾 雅人 哲學研究 45 (3), 179-204, 1971-10-01

    The problem how and in what manner the Buddha is to be conceived was dealt with in what is called the "Doctrine of Buddha-body (Buddha-kāya), " which was variously formulated in early times and …

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