検索結果を絞り込む

本文・本体へのリンク

検索結果 67 件

  • 1 / 1

  • アマゾニアにおける土地と財の取得をめぐる状況

    後藤 健志 アンデス・アマゾン研究 5 (0), 1-32, 2021-12-20

    ...<br> 入植地における土地利用の分析では、国家による正則化と植民者による自発的植民の相互作用に着目した。自発的植民とは、公式な植民事業に付随して発生してきた民衆による非公式な植民事業である。その過程は、非公式に取得された土地が、行政が体系化したスキームに即して再整形され、占有に基づき適切に管理され、やがて正則化されていく流れを辿ってきた。...

    DOI

  • フロンティア牧畜論

    後藤 健志 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2021 (0), B08-, 2021

    ...本発表では、企業/官僚的技術専門家によって緻密に設計された入植地事業のスキームを、牧畜従事者である植民者が自発的に模倣・再現することにより、有機的に階層化された都市と農地が出現し、フロンティアにおける領域統治が浸透していく動態を、フラクタルの概念を手掛かりに考察する。...

    DOI

  • ヴェルサイユ体制下のChristaller

    杉浦 芳夫 都市地理学 15 (0), 1-46, 2020-03-15

    ...提唱するに至る.自治体地理学の実証研究事例が,後にフライブルク大学において教授資格請求論文として認定された,1937 年出版の『ドイツ帝国における農村集落様式といち場ばまち(=その自治体組織との関連性』であった.Christaller はこの著書において,市町M 段階中心地)を核とする 市場統一体に基づく農村自治体再編論を展開し,実際に市場統一体シェーマに沿った大規模な農村集落建設を実現し得る場は,入植地確保...

    DOI Web Site

  • フロンティア産業景観の技術-生態誌

    後藤 健志 文化人類学 85 (2), 187-205, 2020

    ...事例研究としては、マト・グロッソ州北部のシングー川上流域で域外から流入した植民者が非公式に設立した入植地に注目し、彼らが所有地を基盤に農採取的資源利用、記号的人工物の生産、企業・官僚的運用といった事業を複合的に展開する過程を考察する。...

    DOI Web Site

  • カナダ,沿海諸州におけるフランス系住民アカディアンの記憶と継承

    大石 太郎 日本地理学会発表要旨集 2020s (0), 146-, 2020

    ...</p><p></p><p>アカディアンの先祖であるフランス人入植者は,1755年にイギリス植民地当局によって入植地(現在のノヴァスコシア州)から追放された.この「ディアスポラ」体験は,今日まで彼らのアイデンティティの核となってきた.また,19世紀末の一連のアカディアン・ナショナル会議で選ばれた象徴(守護聖人,旗,歌など)も,アカディアンのアイデンティティを今日まで支え,また可視的なものとしてきた....

    DOI

  • 湿潤アジアの伝統的な水管理組織と集団入植地の水管理組織の特徴

    橋本 晃, 齋藤 晴美 農業農村工学会誌 87 (3), 211-216,a3, 2019

    <p>筆者らは,既報において(一財)日本水土総合研究所が独自に開発した「農家参加型水管理組織評価診断表」による調査結果を報告した。この成果を踏まえ,伝統的な水管理組織が存在するインドネシアのスバック地域およびタイのムアンファイ地域,ならびにスリランカの集団入植した地域において同様な調査を実施した。加えて,これらの地域では地域共同体の存在が参加型水管理の機能発揮によい影響を与えているのではないかと…

    DOI

  • ドミニカ共和国の日系人社会に見る居住環境の持続性と民族的帰属意識

    NAGANO Maki, IMAMURA Fumihiko, 長野 真紀, 今村 文彦 芸術工学2018 2018-11-27

    ...移住の経緯、入植地の環境、生活習慣、住まいの形態、移民母村について調査・分析し、一時的な居住目的とは異なる、現地に定住することを決意した海外移民の暮らし方を読み解き、民族的文化と移住先の文化を互いに補完し合う地域や暮らしの特性を捉え直した。  なお、本研究では在ドミニカ共和国日本国大使館を通じて、各コロニア(集落)に居住する日本人と連絡調整を行い、研究を展開することができた。...

    機関リポジトリ

  • 屯田兵村の集落形態は散村か?

    金森 正郎 日本地理学会発表要旨集 2018s (0), 000266-, 2018

    ...「散村」は,殖民地区画における入植地と,屯田兵村における「粗居制度」あるいは「計画的散居村」との双方を表現している。異なるスケールで観察される2種類の集落形態が,同じ「碁盤目状の区画で散村」という表現になってしまっている。「散村」は屯田兵村解体後の変化のようすでもある。...

    DOI

  • <b>ブラジル・セルトンの水文環境と人間活動(9)</b>

    山下 亜紀郎, 羽田 司, 宮岡 邦任, 吉田 圭一郎, OLINDA Marcelo Eduardo Alves, SHINOHARA Armando Hideki, NUNES Frederico Dias, 大野 文子 日本地理学会発表要旨集 2018s (0), 000190-, 2018

    ...<b>1.はじめに</b><br><br> 1908年にブラジルへの最初の日本移民が渡伯して,100年以上が経過した.その間に日系入植者による入植地は,南部のサンパウロ州とその周辺地域から,北部のアマゾンや北東部のセルトンといった辺境の地へも拡大していった.そのうち,本研究が対象とする北東部のサンフランシスコ川中流域では,1983年にサンパウロのコチア産業組合中央会から,大規模灌漑プロジェクトが実施...

    DOI

  • 地目・等級からみた開墾会社永沢社の入植地整備の特質

    廣橋 碧, 三島 伸雄 都市計画論文集 52 (1), 1-9, 2017-04-25

    本研究の目的は、千葉県印旛郡に位置し明治8年から昭和15年の間に開墾会社永沢社によって開発された八街開墾地の特質を地目と等級の観点から明らかにすることである。永沢社は、佐賀藩士によって明治維新後に武士の地位を失った人々に対する窮民授産のために設立された。本研究では、近年発見されたために今日まで学術的研究に用いられたことのない『明治三十二年 土地?帳 …

    DOI Web Site 参考文献2件

  • エスニックテーマタウン「ソルバング」の構築とその本質

    杉浦 直 日本地理学会発表要旨集 2016a (0), 100022-, 2016

    ...<br> ソルバングは、デンマーク系移民のコロニー(集団入植地)として1911年に創設された。初期に入植・定住した人々は宗教心の篤い人々であり、ルーテル派の牧師B.<br>Nordentoftを指導者として宗教と教育を軸に街づくりを進めた。...

    DOI

  • パレスチナ・イスラエル紛争における宗教と政治に関する地理学的研究の動向

    今野 泰三 人文地理 68 (2), 173-194, 2016

    ...特に,当該紛争において宗教と政治が深く関わるユダヤ人入植地と民族宗教派に関する先行研究を整理・検討し,以下の2つの研究課題が重要であると論じる。第1は,紛争当事者のアイデンティティや他者との関係性を規定する,死/死者に関する語りと表象である。第2は,紛争当事者間の境界と規範と秩序の動態的な相互作用である。...

    DOI Web Site Web Site 参考文献36件

  • 土地占有者たちにとっての自由

    後藤 健志 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2016 (0), F13-, 2016

    ...彼らは入植地の開発や統治の促進を国家に対して求める一方で、その多くが入植地には定住せず、やがて土地を手放し、他所へと移っていく。今日、多くの政策研究においては「よき統治」を前提にした議論がなされているが、本発表は、そもそも「統治されない」ということが、マト・グロッソの農村で遊動生活を送る人々にとっていかなる重要性を持っているのかという問題を議論の俎上に載せる試みである。...

    DOI

  • 帝政ロシア国内移住にみる移動の論理 : 移住者の出身地と移住先の分析から

    青木 恭子 富山大学人文学部紀要 60 1-26, 2014-02-17

    ...本稿では,具体的な送出県から入植地への移動の流れを分析し,そこから読み取れる移住農民の行動の意味,いわば移動の論理を考察する。そして,なぜ農民がアジアロシアへ移住するのか,農業経営の合理化・近代化を図るのではなく,都市労働者になるのでもなく,故郷を離れて農業移住という道を選ぶのはなぜか,その選択の意味するところも探っていきたい。...

    DOI 機関リポジトリ HANDLE ほか1件

  • ジンバブウェ再入植地における入植者の保有地拡大に関する研究

    井戸 雄大 日本地理学会発表要旨集 2010f (0), 41-41, 2010

    ...さらに、この住民の保有地の拡大の方法は、2000年を境に大きく性質が変化しており、第2世代や生産拡大をもくろむ世帯が、村から遠方の林内放牧地に次々と農地を開墾するにとどまらず、新村が再入植地内の未利用地に建設されている。この新村には、近隣のコミュナルランドの土地無し層や再入植した世代の子孫が新たな生活を営んでいる。...

    DOI

  • 「ハワイアンの土地」に住むということ(仮)

    四條 真也 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2010 (0), 52-52, 2010

    ...本発表では、ハワイ随一のハワイ人入植地であり、また多文化的性格を持つワイアナエ地区の住民が、「ハワイ人の土地」の住民としての意識を持つと同時に、どう多文化的状況を捉えているか考察を行う。発表では、同地区でハワイ文化継承に関わる活動参加者を例に、様々な文化背景を持つ参加者の土着文化への取り組みの様子、さらにはハワイ人住民が地域の諸文化をどうとらえているか、同地区における文化の多様性に焦点を当てる。...

    DOI

  • 九州山地の中山間地域における土地利用の変化とその要因

    宗円 典久, 伊藤 哲, 光田 靖 景観生態学 14 (2), 129-138, 2009

    ...針葉樹人工林が拡大したのに対し,上流側では薪炭林,採草地といった里山型土地利用の拡大がみられた.さらに,1965年から1990年までの期間,上流側で一旦拡大した薪炭林および採草地が下流側に比べ遅い時期に人工林化された.すなわち,1902年以降,低標高の急傾斜地から優先的に人工林化が行われてきたと考えられた.上流部と下流部の土地利用変化の動向が異なった理由として,上流部と下流部における地形特性の違いや入植地...

    DOI Web Site 被引用文献2件 参考文献17件

  • 被占領地におけるイスラエル入植地の諸問題

    今野 泰三 人文地理学会大会 研究発表要旨 2009 (0), 53-53, 2009

    ...分野と発表内容:1967年戦争においてイスラエルは、ヨルダン川西岸地区、 ガザ地帯、ゴラン高原等を新たに占領し、政治的な既成事実作りと安全保障上の要請から入植地建設を進めてきた。本発表では、占領と入植地建設を巡る国際法上の議論および、入植地建設に関するイスラエル国内での議論を踏まえた上で、入植地を巡るイスラエル国内での裁判と、イスラエル国内法の変遷に注目したい。...

    DOI

  • 20世紀前半期の満洲への漢人の流入について

    藤田 佳久 人文地理学会大会 研究発表要旨 2009 (0), 18-18, 2009

    ...こうして毎年100万人もの漢人が入植し、遊牧の民・満州族の牧地を手に入れ、満州族を周辺へ追いやる形で南満さらに中満へと入植地を拡大し、一部は北満へも入植した。<BR> <B>(3)</B> 彼らの出身地のほとんどは山東半島のある山東省である。...

    DOI

  • サンパウロの華人社会

    山下 清海 日本地理学会発表要旨集 2007s (0), 70-70, 2007

    ...<BR> <BR> 東洋街への華人の進出<BR>  第二次世界大戦後,日本の敗戦で帰国をあきらめ,ブラジルに残留することを決めた日系人の中には,入植地の農村部から子弟の教育に有利な都市部へ,特に大都市であるサンパウロへ移動する者が増えた。...

    DOI

  • 屯田入植地における歴史的ネットワークの実態に関する研究

    高橋 美寛, 久保 勝裕, 白木 里恵子 都市計画論文集 41.3 (0), 923-928, 2006-10-25

    北海道の上湧別町は、屯田兵が入植した当時の区画や文化が色濃く残っている。こうした固有の歴史を持つ都市には、固有の住民間の歴史的ネットワークが存在し、そのネットワークをうまく利用すれば、現代のまちづくりにおいて大きな役割を担えると考える。本論では、屯田兵の末裔である町民を「屯田衆」とし、それらの日常的な付き合いである「屯田ネットワーク」の構造を明らかにした。分析の結果、上湧別町では、兵村から中心街…

    DOI Web Site Web Site 参考文献11件

  • 屯田入植地における歴史的ネットワークの実態に関する研究

    高橋 美寛, 久保 勝裕, 白木 里恵子 都市計画論文集 41 (0), 83-83, 2006

    北海道の上湧別町は、屯田兵が入植した当時の区画や文化が色濃く残っている。こうした固有の歴史を持つ都市には、固有の住民間の歴史的ネットワークが存在し、そのネットワークをうまく利用すれば、現代のまちづくりにおいて大きな役割を担えると考える。 本論では、屯田兵の末裔である町民を「屯田衆」とし、それらの日常的な付き合いである「屯田ネットワーク」の構造を明らかにした。 …

    DOI

  • 富士山南西麓における戦後開拓地の変容

    北崎 幸之助 日本地理学会発表要旨集 2005f (0), 75-75, 2005

    ...入植地は約400mの標高差があり,700m以上の高冷地にはのちに2代目組合長を務める伊藤義実が率いた長野県からの分村移民者(長野開拓団)が入植した。それ以下の地区には地元の次・三男や旧軍人らが入植した。ともに厳しい自然条件であったが,植松と伊藤の2人が地域スケールにおけるグレートアクターとなって,市や県,開拓の全国組織など様々なアクターとの連携をはかりながら,開拓地をまとめていった。...

    DOI

  • 戦後利根川河川敷へのパラオ引揚者の入植過程

    谷川 尚哉, 相原 正義 日本地理学会発表要旨集 2005f (0), 109-109, 2005

    ...第2次世界大戦後、この遊水地を農地化して食料難と外地からの引揚者の入植地に使用という計画ができた。1946年4月、北太平洋のパラオからの引揚者22戸が入植した。利根川の堤防工事に従事しながらの入植であった。おりからの、キャサリン、アイオン、キティなどの台風により、度重なる洪水との戦いの中での入植であった。パラオからの入植者で、現在も農業に従事しているのは10軒である。...

    DOI

  • 富士・朝霧高原における戦後開拓地の変容とアクターネットワーク

    北崎 幸之助 日本地理学会発表要旨集 2003f (0), 107-107, 2003

    ...<BR><B>4 まとめ</B><BR> 富士開拓農業協同組合は,入植地の立地条件や自然条件,さらには入植者の経歴などの違いによって,酪農を中心に営農を発展させた地区と,離農化が進行し農業集落としての機能を崩壊させた地区とに二分した。両地区を分ける境界は,上記の条件などが明確に分かれる標高700mの線であった。...

    DOI

  • 古墳社会の成立

    友廣 哲也 日本考古学 10 (16), 71-91, 2003

    A large quantity of nonlocal pottery has been excavated in Gunma Prefecture dating to the end of the Yayoi and the Early Kofun periods. For this reason it has been thought that the formation of …

    DOI

  • 公有林野入会の存続とコモンズ

    田中 玄洋, 川村 誠 日本林学会大会発表データベース 114 (0), 16-16, 2003

    ...戦後、一部が開拓者の入植地や鳥取大学演習林へ編入され、60年代以後の拡大造林により、採草地はさらに狭められ、村有地の減少をみた。<BR>なお、現在では人工草地の開発、大根生産のための畑地利用といった個人の営利目的で集落を介さずに直接利用することも可能である。...

    DOI

  • 第二次世界大戦前における北海道移民の空間移動と定着状況

    平井 松午 Geographical Review of Japa,. Ser. A, Chirigaku Hyoron 64 (7), 447-471, 1991

    ...開拓期における北海道移民の「流動性」に関するこれまでの研究は,統計分析かもしくは特定地区についての属地的分析に依拠してきたために,移住者の移動の規模やパターンについてはほとんど把握されていない.そこで本研究では,近年,北海道の農村地域で刊行が進みつつあり,在住世帯ごとに出身地,移住(渡道)年,入植地,分家年などを掲載した『地区誌』を利用することによって,出身地から定着地に至るまでの移住者の一連の移動行動...

    DOI Web Site Web Site 被引用文献4件 参考文献4件

  • <論説>一八世紀南ウクライナの植民とザポロージエ・カザーク

    中村 仁志 史林 69 (6), 894-930, 1986-11-01

    ...この過程で、南ウクライナのもとからの住民であったザポロージエ・カザークに対し、彼らの支配領域たるヴォーリノスチを蚕食しつつ拡大された北部入植地を守る代償として他のカザークに比して大きな自由の余地が許容された。しかし、一七六〇年代末よリザポロージエ・カザークは、北部入植地の住民を連れ去り、これを農業労働力として利用することにより、ザポロージエの農業発展、経済的自立をはかる。...

    DOI HANDLE Web Site

  • 1 / 1
ページトップへ