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検索結果 537 件

  • [論文] 近世陰陽師の祭祀と祭文 : 奈良暦師吉川家文書の地鎮祭の祭文を中心に

    松山, 由布子 国立歴史民俗博物館研究報告 240 1-15, 2023-03-31

    ...安倍(土御門)家の祭文として伝えられる天正十一年(一五八三)書写『地鎮之祭文』と内容上の繋がりを持つ。一方「地鎮祭祝詞」は、現在のところ他家資料との繋がりは見いだせず、吉川家にのみ用いられた地鎮祭の詞章と推察される。 これら二種類の祭文は、吉川家では十八世紀から十九世紀にかけて、歴代の吉川家当主により繰り返し書写されていた。...

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  • 養老-桑名-四日市断層帯と濃尾傾動地塊の特異なふるまい

    小松原 琢 日本地質学会学術大会講演要旨 2023 (0), 249-, 2023

    ...<b>Ⅱ</b><b>-2</b><b> 断層運動の非定向性</b><b> </b>桑名断層は,第四紀前期における活動開始以降の総変位,最終間氷期以降の変位ともに,断層西側の隆起量が東側の沈降量を下回る「沈降卓越型」の断層である.しかし,その最新活動と考えられる1586年天正地震時およびそれ以降の地殻変動は,断層西側の隆起が東側の沈降を上回る (小松原,2020).このことは,桑名断層周辺では,地震性地殻変動...

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  • 断層ガウジの光ルミネッセンス年代―阿寺断層の例―

    林崎 涼, 谷口 友規, 平野 公平, 飯田 高弘, 相山 光太郎, 中田 英二 日本地質学会学術大会講演要旨 2022 (0), 379-, 2022

    ...</p><p> 断層ガウジでOSL年代測定を実施した例として,鴈澤ほか(2013)は跡津川断層(最新活動:1858年飛越地震)から0.2±0.2 kaの年代値を報告している.また,Tsakalos et al.(2020)は,野島断層(最新活動:1995年兵庫県南部地震)から18.5±1.3~62.8±4.3 ka の年代値を報告している.今回,阿寺断層(最新活動:1586年天正地震)の田瀬露頭(遠田...

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  • 東国文献の開音・合音・ウ段音

    江口 泰生 語文研究 130/131 526-512, 2021-06-02

    ...1 問題点― 『天正狂言本』を例として― / 2 東国文献の再検討 / 3 開音・合音・ウ段音の変化とその要因 / 4 開音・合音・ウ段音の展開 / 5 和語におけるオ段ウ段の交替 / 6 結論...

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  • 文献案内

    三島 暁子, 藤原 重雄 東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター通信 91 31-31, 2021-01-31

    ...茶道資料館編『北野大茶湯―天正から現代へ―』(同館、2020年10月) 三島暁子/満田さおり「紫宸殿御帳台の継壇に関する復元的研究―即位関連儀式の玉座にみる平安復古の理想とその実現―」(『宮内庁京都事務所年報』1、宮内庁京都事務所、2020年3月) 藤原重雄...

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  • 藩祖政宗期の仙台藩政に関する一考察(下)―家臣知行地の削減と地方知行を中心に―

    堀田, 幸義 宮城教育大学紀要 55 359-380, 2021-01-29

    ...通説的理解では、天正19年(1591)の国替えによって藩祖政宗が多くの所領を失い、それが家臣知行地の削減に繋がり、膨大な数の家臣たちを抱える政宗は、彼らに対して減知の補填を行い、かつ、荒蕪地を多く含む新領地の開拓を推し進めるために荒れ地や野谷地を与え、これを家臣たちが自らの家中(陪臣)に下し与え耕作開発せしめたことから、かくも広汎な「下中手作」をみるに至ったとされている。...

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  • 1586年天正地震の震源断層推定の試み

    山村 紀香, 加納 靖之 地震 第2輯 73 (0), 97-110, 2020-10-07

    <p>The Chubu and the Kinki regions in central Japan were widely and seriously damaged by the 1586 Tensho earthquake. The detail of this event is not well understood because reliable descriptions in …

    DOI HANDLE Web Site ほか2件 参考文献4件

  • 本能寺の変の再検証 : 先行研究の成果と『石谷家文書』から判明した史実の結合

    熊田, 千尋 京都産業大学日本文化研究所紀要 25 148-102, 2020-03-31

    ...謀叛実行のきっかけは、天正10 年(1582)5 月に羽柴秀吉からの援軍要請により、信長が毛利攻めの親征を決め、光秀がその先陣を命令され、加えて、徳川家康らを接待するため、信長が毛利攻めの途中京都の本能寺に殆ど無防備の状態で立ち寄ったことにあった。本能寺の変は、光秀がこの舞い込んだ一瞬のチャンスを活かし、信長を襲撃したものである。...

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  • 奈良史学 第37号

    奈良史学 (37) 2020-02

    ...論考元明天皇即位に関する覚書, 寺崎保広, 1-13土塔の文字瓦と知識, 竹内亮, 14-27流転する明智光秀の首塚, 村上紀夫, 28-57史料紹介(天正三年)五月二十二日織田信長黒印状写, 河内将芳, 58-61(天正十八年)正月十九日伊達政宗書状, 河内将芳, 62-67奈良東向町(奈良晒商)車屋喜兵衛文書目録・解題 ; 大和国添下郡五条村(西京組大工)文書目録・解題, 奈良大学文学部史学科木下光生研究室...

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  • 藩祖政宗期の仙台藩政に関する一考察(上)―家臣知行地の削減と地方知行を中心に―

    堀田, 幸義 宮城教育大学紀要 54 493-506, 2020-01-30

    ...通説的理解では、天正19年(1591)の国替えによって藩祖政宗が多くの所領を失い、それが家臣知行地の削減に繋がり、膨大な数の家臣たちを抱える政宗 は、彼らに対して減知の補填を行い、かつ、荒蕪地を多く含む新領地の開拓を推し進めるために荒れ地や野谷地を与え、これを家臣たちが自らの家中(陪臣)に下し与え耕作開発せしめたことから、かくも広汎な「下中手作」をみるに至ったとされている。  ...

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  • 徳島藩伊賀者の基礎的研究

    井上 直哉 忍者研究 2019 (2), 1-13, 2019

    ...まずその成立過程として、天正伊賀の乱で伊賀国を追われた後、浜松城主の堀尾家に鉄砲部隊として仕え、大坂の陣などに参加した。堀尾家が改易となると、その一部は高松藩の生駒家へと仕え、生駒家改易後、徳島藩蜂須賀家に仕えた。蜂須賀家では伊賀者を中心に「伊賀役」という役職が設けられ、藩主の参勤交代の道中警備や、城や家老宅での番を勤めた。...

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  • 岐阜県郡上市明宝の水沢上地すべりと1586年天正地震

    栗本 享宥, 苅谷 愛彦, 目代 邦康 日本地理学会発表要旨集 2019s (0), 69-, 2019

    ...<b>はじめに</b><br> 水沢上地すべり(以下ML:35.9363°N,137.0445°E)は岐阜県郡上市明宝に存在する大規模地すべり地である.MLは古文書に基づきAD1586天正地震で生じたとされてきた<b><sup>1,2)</sup></b>.しかし先行研究では地質学的論拠が示されていない.筆者らは地質調査と地形判読を基礎として,MLの地形・地質的特徴と最新滑動年代を明らかにした....

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  • 戦国期京都における都市民の社会的結合と『家』

    長﨑 健吾 史学雑誌 128 (9), 1-38, 2019

    ...本論文では天正4(1576)年に法華宗(日蓮宗)教団が京都で実施した勧進に関する史料を分析し、戦国期の都市民における永続的な「家」(イエ)および都市民の社会的結合について考察する。第一章では勧進史料における家の位置付けを「家数」記載や信徒数の集計方法に注目して分析する。法華宗教団は家単位で信徒を把握しようとしていた。...

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  • <論説>徳川家康の叙位任官

    藤井 讓治 史林 101 (4), 663-698, 2018-07-31

    ...さらに天正十五年の任左大将は、正保二年(一六四五)の将軍家光の要請をうけて口宣案が改められた折に遡及して任じられたものであり、天正十五年時点での任官の事実はなく、この任左大将をめぐる論争はそもそも成立しないとした。...

    DOI HANDLE Web Site ほか1件

  • 鳥の子皿稿 —伝世した白磁の皿—

    小澤,一弘, 堀木,真美子 研究紀要 19 55-78, 2018-05

    ...『策彦入明記』と茶会記から「トリ皿」にはじまり「鳥皿」「鳥の子」への名称の変遷をたどり、遺跡出土品と茶会記から天正年間以前に「鳥の子」が存在していたことをあきらかにするとともに、名称では天文16年頃にさかのぼる可能性があることを推察した。  今回紹介した伝世品の釉薬や覆輪などの蛍光X 線分析を行った。その結果、覆輪が真鍮製であることが判明した。...

    DOI Web Site 全国遺跡報告総覧

  • 津久井城出土金粒かわらけと小田原城出土金箔かわらけ等の主成分分析結果

    齋藤, 努 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 210 153-169, 2018-03-30

    ...しかし,歴史的にみると,本分析資料は天正年間以降の,武田氏と後北条氏の関係が悪化していた時期のものと捉えられ,甲斐から金がもたらされたとは考えにくい。金・銀・銅・鉛・亜鉛などが一連の熱水鉱床で形成されていくことを勘案すると,駿河や伊豆の金山の可能性を考えておいた方がよい。特に,亜鉛が検出された中山金山と同じ鉱脈に属する富士金山には,注意を払っておく必要がある。...

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  • 伊賀者・甲賀者考

    藤田 達生 忍者研究 2018 (1), 16-27, 2018

    ...伊賀衆や甲賀衆は信長に抵抗して惣国一揆や郡中惣による領域支配を維持しようとするが、甲賀衆は天正二年に、伊賀衆は天正九年に敗退して臣従する。豊臣秀吉は、当初彼らの軍事力を活用するが、天正十三年閏八月、畿内近国を制圧した直後に兵農分離策を断行して、兵として他国で仕官するか、農として在国するかの選択を迫った。...

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  • 丸岡城天守の掘立柱について

    吉田 純一, Yoshida Junichi FUT福井城郭研究所年報・研究紀要 (4) 48-50, 2017-04-13

    ...丸岡城天守は天正4 年(1576)に柴田勝豊によってつくられたと伝わる。昭和23 年の福井地震で倒壊したが、昭和26年~30年に復元再建され、犬山城天守とともに初期望楼型天守の典型として知られ、石瓦葺や掘立柱の使用など類例のない特徴を持ち合わせている。平成27 年、坂井市に当天守の国宝化を目指す「丸岡城国宝化推進室」が設置され、新たな資料の蒐集や新知見を探る調査研究を進行中である。...

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  • 紀伊半島南端の国境変遷と画定

    水田 義一 日本地理学会発表要旨集 2017s (0), 100269-, 2017

    ...最後に新宮に本拠を置く堀内氏善が天正10年(1581)、尾鷲において北村氏を討ち、荷坂峠までを領国とした。堀内氏は天正13年の秀吉による紀州統一に際して、大名として領域を認められた。その結果、紀伊と伊勢は荷坂峠が国境と定まった。...

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  • <b>2つのパラダイムシフトの実現にむけて</b>

    滝沢 茂男 バイオフィリア リハビリテーション研究 2017 (1), 104-106, 2017

    ...</p><p> 天正遣欧少年使節団、バチカン、ローマ帝国など日本とイタリアの間には、豊かな歴史や文化、そして交流があります。またバチカン、ローマ帝国というと12使徒といわれる少数の人々から始まった世界中に20億人を超える信者がいるキリスト教を思い浮かべます。さらに80歳を超える平均寿命という共通点もあります。...

    DOI Web Site 被引用文献1件 参考文献1件

  • 静岡市立芹沢銈介美術館所蔵「中尊寺参詣曼荼羅二曲屏風」について

    門脇 佳代子 東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報 7 63-74, 2016-06-23

    ...類例として岩手県中尊寺に伝来する「平泉諸寺参詣曼陀羅図」が知られており、天正元(1573)年に回禄した毛越寺や観自在王院の堂塔を再建するため制作された可能性が高いと考えられている。本稿では、描写および構図の比較を通して、この二作品が同一の工房で制作されたこと、また「平泉諸寺参詣曼荼羅図」が先行して描かれ、後に平泉古図などの影響も受けつつ「中尊寺参詣曼荼羅二曲屏風」が描かれたことを指摘する。...

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  • 「大坂遷都論」再考

    中村 博司 史学雑誌 125 (11), 40-64, 2016

    ...天正11年(1583)4月の賤ヶ岳合戦に勝利して織田信長の後継者たる地位を獲得した秀吉は、間もなく大坂に新たな居城構築を始める(大坂築城工事)が、内田は一連の論文を通じて「秀吉はこれと並行して大坂遷都を断行し、そのうえで自らが将軍となって大坂に幕府を開くという構想を持っていた。...

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  • 大津市の軒下地慣行にみる官民境界の歴史性

    西村 和洋 日本地理学会発表要旨集 2016s (0), 100101-, 2016

    ...明治期の「大津市街軒下地に係る経緯文書」(県庁文書) によると、「軒下地ノ起源ハ…(中略)…天正年間明智光秀ヨリ地子銭ヲ免セラレ以テ地租改正ニ至リ…(後略)」 とある。その子細はよく分からないが、地租改正を進めるにあたって中世末以来の慣行として認識されていた点は極めて重要な意味を持っている。江戸時代にも同じような検証が公的に行われており、その様子は元禄絵図に詳細に描かれている(県立図書館蔵)。...

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  • 佐賀城下町絵図にみる都市の空間構造とその変化

    宮崎 良美, 出田 和久, 南出 眞助 日本地理学会発表要旨集 2016a (0), 100072-, 2016

    ...<br> 佐賀城下町の建設は、天正12年(1584)肥前の戦国大名竜造寺隆信の死後、家老であった鍋島直茂が竜造寺氏の村中城を拡張、改修して佐賀城としたことに始まり、天正19年には、蠣久の地から六座町・伊勢屋町・中町・白山町が城下の北西に移された。慶長年間(1596~1615)に、外曲輪の普請及び家中屋敷や町小路の建設がなされ、同じ頃、白山町の東に呉服町・元町、紺屋町、材木町などが成立したらしい。...

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  • 徳島城下絵図のGIS分析

    平井 松午, 塚本 章宏, 田中 耕市, 根津 寿夫 日本地理学会発表要旨集 2016a (0), 100122-, 2016

    ...<br> そこで本発表では,豊臣期の1585(天正13)年に城下町が建設着手された徳島城下町を事例に,近世期における各期の城下絵図をもとに城下町構造の変化についてGIS分析を試みるものである。<br><b>2 徳島城下町の概要</b><br> 1585年の四国平定後に入封した蜂須賀家政は渭山(現在の城山,標高61.7m)に平山城を築き,翌1586年には布令によって積極的に町人の移住を奨励した。...

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  • 装束からみた豊臣政権の支配秩序

    寺嶋 一根 洛北史学 17 (0), 68-92, 2015-06-06

    ...天正一二年から堂上公 家衆は室町期・織田期における武家権力者との対面儀礼の先例に則り、惣礼の際に「直垂」を着用した。これは秀吉の関白就任によっても変わることはなかった。秀吉は、天正一五年以降、官位・家格を利用することで惣礼を公家・武家全体を包括する秩序編成の場に改編するとともに、儀礼空間における「衣冠化」をすすめた。...

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  • <論説>豊臣政権の訴訟対応 : 畿内・近国の村落出訴を中心に

    谷 徹也 史林 98 (2), 320-353, 2015-03-30

    ...政権側は増田長盛を中心とする奉行が対応する体制を徐々に形成し、天正十六年(一五八八) 前後からは二名、文禄三年(一五九四) 前後からは三名の奉行によって訴訟を処理した。社会の望んだ保証力と唯一性を有した裁定を奉行が行うことで、政権の統治方式は社会に浸透したと評価できよう。...

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  • ハムストリング腱を用いた膝前十字靱帯再建術症例における膝関節周囲筋の筋活動量

    保科 渡, 山室 慎太郎, 青木 幹昌, 天正 恵治 理学療法学Supplement 2014 (0), 1429-, 2015

    【はじめに,目的】ハムストリング腱を用いた膝前十字靭帯(以下,ACLとする)再建術後の膝関節周囲筋において,筋力が低下している症例をしばしば経験する。ACL再建術後のリハビリテーションにおいて客観的筋力評価は不可欠であることは周知の通りであり,その回復過程に関する報告は散見される。しかし,その報告の多くは筋力値や筋体積を測定するものであり,膝関節周囲筋の筋活動量を客観的に検討したものはわれわれが…

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  • 洪水氾濫シミュレーションを用いた忍城水攻めに関する研究

    根元 裕樹 日本地理学会発表要旨集 2015a (0), 100036-, 2015

    ...1590(天正18)年旧暦6月、現在の埼玉県行田市にて忍城水攻めが行われた。この時、石田三成は、延長14kmもの水攻め堤を築き、利根川と荒川を引き込んで、忍城を水攻めした。しかし、忍城水攻めは、備中高松城水攻めと紀伊太田城水攻めと並んで日本三大水攻めに数えられているが、失敗した唯一の例となっている。...

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  • トカラ列島小宝島の海賊伝説

    原田 信之 新見公立大学紀要 36 182-192, 2015

    ...与助は実在した海賊だったとみられ、『島津家列朝制度』や『三国名勝図会』には、弘治(一五五五〜一五五八)・天正(一五七三〜一五九二)の頃、日向国より海賊与助らが兵船を仕立ててトカラの島々(七島)に年々やってきたが中之島で殺害されたと記されている。興味深いのは与助の殺害方法で、中之島の伝承では焼き殺したと伝えられているが、小宝島では落とし穴に落として生き埋めにしたと伝えられている。...

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  • トピックモデルを用いた天正期古記録『上井覚兼日記』における人物間関係の検出

    山田, 太造, 野村, 朋弘, 井上, 聡 じんもんこん2014論文集 2014 (3), 131-138, 2014-12-06

    ...本論文では,天正期古記録『上井覚兼日記』のテキストを用いて,そこに出現する人名に対する関連検出の手法および提案手法を用いてプロトタイピングしたテキスト検索システムについて述べる.人名間関連検出は,トピックモデルLDA(Latent Dirichlet Allocation)により検出された潜在トピックを利用することで実現した....

    情報処理学会

  • 中世都市研究としての天文法華の乱(Ⅱ. 洛中洛外図屏風と社会的背景)

    古川 元也 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 180 129-140, 2014-02-28

    ...その後も教団内部における門流の対立や和合、織田信長による天正七年の安土宗論敗北など教団内の運営は安定性を欠き、通説的理解では十六世紀後半の教団の恢復は十分にはなされなかったとされている。ところで、天文法華の乱を前後して制作されている洛中洛外図の諸本には日蓮教団系寺院が描きこまれている。...

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  • 戦国期武家の日常使いの貿易陶磁の実像 : 十五世紀中葉〜十六世紀中葉を中心に

    水澤 幸一 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 182 45-72, 2014-01-31

    ...そして青花磁が量的に広く日本社会に浸透するには十六世紀中葉をまたねばならなかったが、その時期は白磁皿がより多くを占めることから、青花磁が貿易陶磁の中で主体を占める時期は一五七〇年代以降の天正年間以降にずれ込むことを明らかにできた。器種としては、十六世紀以降白磁、青花磁皿が圧倒的であり、碗は青磁から青花磁へと移るが、主体的には漆器椀が用いられていたと考えられる。...

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  • 城の受け取りと武家の財 : 近世の城、その構成要素

    佐藤 宏之 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 182 75-86, 2014-01-31

    ...こうした動向の契機となったのが、天正一八年四月二九日に真田昌幸宛てに出した豊臣秀吉の朱印状ではないかという仮説を提示する。秀吉は、降伏した城々は兵粮・鉄砲・玉薬・武具を備えたままで受け取るという戦闘力を具備した城郭の接収確保を指示し、接収直後に破城とするのではなく、無抵抗で明け渡す城の力(兵粮・鉄砲・玉薬・武具)を温存した。...

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  • 重力性山体変形現象の発達時間スケールと地震

    八木 浩司, 佐藤 剛, 今泉 文寿, 林 一成 日本地理学会発表要旨集 2014s (0), 100118-, 2014

    ...に包含されるテフラを抽出し,その屈折率や主成分組成からその起源を同定した.高起伏山地山稜部の逆向き小急崖・線状凹地は,重力性山体変形の進行を示しているが,AT降下以前から発生していることからその発達時間スケールは数万年に及ぶ.また,大日峠周辺では,AT降下以降アカホヤ火山灰降下前に新たに変形が発生した.また,15~16世紀に凹地内堆積物が陥没するような動きが認められた.その原因としては明応あるいは天正地震...

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  • 2014年7月梅雨前線による山形県南陽市の大雨被害と防災図の検証

    阿子島 功 日本地理学会発表要旨集 2014a (0), 52-, 2014

    ...数条の旧河道がみえるが今回の溢流箇所ではない(ひとつは天正年間)。大正前期の1:50,000地形図では、市街地は宮内と赤湯のみであり、吉野川下流(約6km)の上半は無堤で水田が広い。下半(赤湯旧市街沿い)は<u>天井川の性格を帯び</u>、最下流外側には広い後背湿地(大谷地。中心に白竜湖)がある。昭和後期に宅地・業務地が宮内と赤湯の間の水田地帯に、さらには大谷地低地の縁まで進出した。...

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  • 松原市指定文化財調書 栄久寺紙本墨書教如上人消息

    松原市教育委員会 松原市指定文化財調書 栄久寺紙本墨書教如上人消息 1-8, 2013-12-20

    ...名称:栄久寺 紙本墨書 教如上人消息 種類:松原市指定有形文化財 美術工芸品 古文書 員数:1幅 時代:安土桃山時代・天正8年(1580年) 所在地:大阪府松原市立部1丁目 所有者:宗教法人 栄久寺 指定年月日:平成25年(2013)12月20日...

    DOI 全国遺跡報告総覧

  • 備中高松城水攻めに関する水文学的研究

    根元 裕樹, 泉 岳樹, 中山 大地, 松山 洋 地理学評論 Series A 86 (4), 315-337, 2013

    ...1582(天正10)年,岡山県の備中高松で備中高松城水攻めが行われた.近年の研究では,備中高松城の西側の自然堤防を利用した上で基底幅21 m,上幅10 m,高さ7 mの水攻め堤が3 kmにわたって築かれたとされているが,わずか12日間でこの巨大な堤防が本当に築けたのか,その信憑性が疑われている.そこで本研究では,流出解析と氾濫解析を組み合わせた水攻めモデルを開発し,水攻め堤の有無と高さによる複数のシナリオ...

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  • 「第10回国際バイオフィリア リハビリテーション大会」開会に際しての太田公使メッセージ

    太田 裕造 BIOPHILIA 3 (1), 6-6, 2013

    ...<br>このキエーティは、今から約400年前に、日本でキリスト教の布教にあたり、天正遣欧少年使節を率いたイエズス会士・アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父の故郷として知られています。このことが縁となり、キエーティ市と、使節が出発した九州の南島原市の間では、数年前から交流が活発化しております。今回、キエーティにて、本大会が開催されることにより、日伊交流の機運が更に高まることを願っております。 ...

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  • 2011.3.11地震による福島県須賀川市の河岸段丘面上の地盤災害と中世城館の埋没濠遺構

    阿子島 功 日本地理学会発表要旨集 2013s (0), 231-, 2013

    ...<BR><B> [中世末の二階堂氏時代の町割りの復元] </B> 二階堂氏居城時代は、文安年間(1429~1449)築城より150年後の天正17(1589)年[伊達政宗の攻略によって落城]までであり、伊達・蒲生・上杉氏の支配を経て江戸時代初期に廃城となり宿場町として整備された。このとき二ノ丸を貫いて南北の街道が開かれた。...

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  • 土佐国岡豊新町の歴史地理学的復原

    片岡 健 地理学評論 Series A 86 (2), 158-172, 2013

    ...本研究では,土佐国の長宗我部氏の市町であった岡豊新町を復原した.従来の研究成果を踏まえ明治期地籍図の地筆を基に,天正期『長宗我部地検帳』と明治期土地台帳の記載面積を使用して比定地の地割を再検討した.さらに,同時代史料により岡豊新町周辺の河道を復原して比定地との整合性を検討した....

    DOI Web Site Web Site 被引用文献2件 参考文献1件

  • 人工股関節置換術後の脱臼予防行動に関するDVD改訂とその評価

    坂村, 絵里子, 小穴, 恵子, 津田, 和恵, 太谷, 美果, 赤池, 勝美, 天正, 恵治 信州大学医学部附属病院看護研究集録 40 (1), 43-45, 2012-03

    人工股関節置換術(以下THA)の合併症の一つに脱臼がある。昨年の当病棟の研究で脱臼予防に対するDVDを作成し,動画から情報を得ることで理解を深められるということが分かった。しかし右足用のDVDLかないため患肢が逆の患者は理解しにくいや,退院後の日常生活動作についての動画が見たいとの意見があり,改善点が明らかとなった。そこでDVDを改訂しその評価を目的として,入院患者を対象に日常生活動作10項目に…

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  • 養老断層の断層活動に伴う断層崖麓扇状地の形成

    須貝 俊彦 日本地理学会発表要旨集 2012a (0), 100119-, 2012

    ...濃尾平野と養老山地を分化させてきた養老断層は,1586年天正地震,および,745年天平地震の震源断層であると考えられている(須貝,2011など).養老断層の活動に伴う斜面崩壊と土石流によって,養老断層崖麓に発達する扇状地群は,間欠的に成長してきた可能性がある(須貝・柏野,2011など).本発表では,これらの土石流扇状地群の露頭調査とAMS-14C年代測定に基づき,土石流の発生時期について議論する.本発表...

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  • 洪水氾濫シミュレーションを用いた備中高松城水攻めに関する研究

    根元 裕樹, 中山 大地, 松山 洋 日本地理学会発表要旨集 2012s (0), 100111-, 2012

    ...1582(天正10)年旧暦5月、岡山県の備中高松にて備中高松城水攻めが行われた。このとき、羽柴(豊臣)秀吉は、基底幅21m、上幅10m、高さ7mの水攻め堤を3kmに渡って築き、備中高松城側の足守川を堰き止め、その水を引き入れることによって備中高松城を水攻めした。この水攻め堤は12日間で完成したと伝わるが、12日間で築くには大規模すぎると指摘されていた。...

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  • 術前の股関節可動域は術後の靴下着脱動作と足趾の爪切り動作に影響を及ぼすのか?

    中曽根 沙妃, 田島 泰裕, 天正 恵治, 畑 幸彦 理学療法学Supplement 2011 (0), Cb1370-Cb1370, 2012

    【はじめに、目的】 日常診療において,人工股関節全置換術(以下,THA)後に靴下着脱動作や足趾の爪切り動作に困難さを訴える症例をしばしば経験する.米沢らはTHA施行後の患者に対して行った日常生活動作(以下,ADL)に関するアンケート調査で42%の患者が足趾の爪切りが出来なかったと報告しており,McGroryらはTHA施行患者における術後の靴下着脱動作や足趾の爪切り動作には術後の股関節可動域が影響…

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  • 近世中期の盛岡藩における知行形態と地域資源の分布

    清水 克志, 山下 須美礼 日本地理学会発表要旨集 2012s (0), 100138-, 2012

    ...「諸士」に含まれる上級・譜代中級家臣に対する給地は,南部氏の伝統的な本貫の地である藩領北部で旧領安堵の形をとり,加増分は天正18年(1590)以降に確定した藩領南部から給与されるのに対し,新参系統の家臣の給地は,藩領南部に限られるのが一般的であった.「在々御給人」の多くは,盛岡以北に所在する12の代官所に所属しており,その給地も所属代官所内の村にある場合がほとんどであった. ...

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  • 人工股関節置換術後の脱臼予防行動におけるDVD作成への取り組み

    越山, 真希, 中野, 由生樹, 香川, 裕美, 鰐川, 洋子, 永田, 賢子, 天正, 恵治 信州大学医学部附属病院看護研究集録 39 (1), 110-112, 2011-03

    人工股関節置換術(以下THA) の合併症の一つに脱臼がある。昨年の当病棟の研究により、患者が脱臼予防行動を取れない原因の一つに看護師の説明不足があることが分かった。当病棟では主に術前にパンフレットを用いて指導を行っているが、術前に説明する期間が短く、指導内容を短縮してしまうなど個々の看護師によって指導内容が異なっていた。近年動画を用いた指導の有効性が報告されており、指導方法と情報提供の統一化を図…

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  • 天正地震とこれを引き起こした活断層

    岡田 篤正 活断層研究 2011 (35), 1-13, 2011

    The 1586 Tensho earthquake occurred around the western part of central Japan. The magnitude is estimated to be around 8, as large as the 1891 Nohbi earthquake, mainly based on the intensity …

    DOI Web Site 被引用文献1件

  • 御母衣断層系と1586年天正地震

    杉山 雄一 活断層研究 2011 (35), 57-65, 2011

    The Miboro Fault System or Shokawa Fault Zone extends for about 67 km along the upper course of the Shogawa River in the western Hida Mountains, central Japan. A trenching survey conducted by the …

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  • 1586年天正地震と阿寺断層帯の最新活動

    廣内 大助, 安江 健一 活断層研究 2011 (35), 51-56, 2011

    Based on existing geological information and historical records, we discuss the hypothesis that the Atera fault zone is the source fault of the 1586 Tensho earthquake. Geological data, such as …

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  • 1586年天正地震における阿寺断層周辺地域の被害実態

    細萱 京子, 服部 亜由未, 安江 健一, 廣内 大助 日本地理学会発表要旨集 2011s (0), 180-180, 2011

    ...<BR>  地震調査研究推進本部地震調査委員会(2004)では,阿寺断層南部の最新活動が天正地震であるとされている.一方で,歴史地震調査では阿寺断層周辺での同時代の史料がなく,阿寺断層を天正地震の震源として考えるには難しいと言われてきた....

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  • 新宿御苑における土地利用履歴と土壌硬度プロファイルにもとづく炭素貯留量の推定

    渡邊 眞紀子, 大野 真知子, 坂上 伸生, 村田 智吉 日本地理学会発表要旨集 2011s (0), 133-133, 2011

    ...<BR> 新宿御苑の始まりは徳川家康が江戸城に入城した天正19年、譜代の家臣であった内藤清成に屋敷領が授けられたことによる。その敷地に近代農業振興を目的とする内藤新宿試験場が明治5年に設置され、その後フランス式庭園を導入し、今日のような庭園の形になったのは明治39年であるとされる。...

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  • 天正地震の震源域特定:

    松浦 律子 活断層研究 2011 (35), 29-39, 2011

    Tensho earthquake is one of the most famous large inland earthquakes during the medieval times of Japan. It occurred on Jan. 18, 1586 in Chubu district. It was almost the equal size to Nobi …

    DOI Web Site 被引用文献1件

  • 愛宕神社旧蔵「三十六歌仙絵扁額」について

    下原, 美保 鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science 61 29-41, 2010

    ...天正年間以前に制作された三十六歌仙絵扁額は全国的にも非常に少なく、注目すべき作品といえる。...

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  • 安土築城期における大中の湖の湖沼環境変化

    古関 大樹 日本地理学会発表要旨集 2010s (0), 204-204, 2010

    ...ところが天正13年(1585)に築城された八幡城では,堀の出口がU字型で津田内湖へと抜かれている。もちろん安土廃城-八幡築城は本質的には豊臣新政権の権力再構築に起因しよう。しかし,砂州が発達して次第に通行可能な空間が狭くなっていく様子は当時の社会においても十分に認識されていたと思われる。八幡築城における水運の要地移動は内湾機能の消失を示唆している。...

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  • 広島城出土の金箔鯱瓦についての考察 <原著論文>

    佐藤 大規 広島大学総合博物館研究報告 1 1-11, 2009-12-25

    ...城郭建築で鯱を用いた初例は, 天正四年(1576)築城開始の織田信長の安土城と考えられる。 ところで, 平成二十年(2008)十二月に広島市に所在する広島城三の丸跡の井戸から, 目・耳・牙・鰭など部分的に金箔を押した鯱瓦が, ほとんど完全な形で出土した。全体や細部の形状から毛利氏時代の十六世紀末期に制作されたと考えられる。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 高出力電球形蛍光ランプの開発

    伊藤 和彦, 高橋 潤一, 業天 正芳, グスティオノ カヤニ, 鄭 愛華 照明学会 全国大会講演論文集 42 (0), 14-14, 2009

    従来高W品に対して形状を大型化することなく、9%省電力・67%長寿命であり、かつ頻繁に点灯・消灯を繰返す場所でも短寿命にならない高Wタイフ゜電球形蛍光ランプを開発した。

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  • 濃尾平野西部の上部完新統に残された養老断層系の活動による沈降イベント

    丹羽 雄一, 須貝 俊彦, 大上 隆史, 田力 正好, 安江 健一, 齋藤 龍郎, 藤原 治 第四紀研究 48 (5), 339-349, 2009

    ...増加と河口の後退により,粗粒物質の供給が激減した可能性を示す.急激な海面上昇は養老断層系の活動による地震性沈降に起因すると考えられ,この活動はAD 745年天平地震に対比しうる.また,約500年前にはKZNコアにおいて湿地の水没を示唆する植物遺体の含有量が急減し,YMコアではデルタフロント堆積物の急激な細粒化が認められた.これらの変化も同様に,相対的海面上昇を記録していると考えられ,AD 1586年天正地震...

    DOI Web Site 被引用文献5件 参考文献29件

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