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検索結果 38 件

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  • 続 歴史人物の病を量る 第3回 シャルル・ド・ゴールと白内障

    大川内 幸代 糖尿病・内分泌プラクティスWeb フランスの国際空港にその名前を冠するシャルル・ド・ゴール(図)は1890年11月22日、フランスのリールに5人兄弟の3番目として生まれた。ド・ゴール家は古い有産階級の家柄で父のアンリはパリのイエズス会系私立学校の平服教授であった 1, 2)。ド・ゴールは1909年から1912年にかけて陸軍士官学校に-, 2023-11

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  • [論文] 「御城使」としての奥女中 : 選任と役務の検討を中心に

    柳谷, 慶子 国立歴史民俗博物館研究報告 235 193-223, 2022-09-30

    ...よって、大奥勤めの使者となる御城使は、仕える主人の名誉と家柄を誇示する存在となり、登城の華やかな行列にその様相が顕れていた。 御城使は奥女中の職階の最高位である上臈、もしくは老女が担当する。大奥勤めの使者として、しきたりと規式の作法をわきまえた振る舞いを求められ、これを担う能力を必要とされた。また、役方の複数の職階の奥女中が献物や書状の準備などを分担分業し、協同して、御城使を支えた。...

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  • 太宰治「裸川」論 : 西鶴とジッドの影響をめぐって

    北野 元生 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (48) 63-79, 2020-03-01

    ...さて本作品では、内容的に原案とされる西鶴の「我が物ゆえに裸川」ではかなり重要な登場人物の千馬孫九郎から家柄や姓名を剥奪し、宴会場面の一人の点景人物にしてしまった。そして、才覚に富むひとりの人足に淺田小五郎の名を与え、主役の青砥左衛門尉藤綱を淺田と同じ位置までひきずりおろして戯画化するなどで相対化した。...

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  • 「新疆文学」研究初探 -詩集『漠魂』の読解を通して-

    西原 明史, Nishihara Akifumi 安田女子大学紀要 (48) 77-88, 2020-02-28

    ...本研究は文芸評論家柄谷行人の近代文学論に依拠して、中国少数民族の一つウイグル族の詩人の作品を分析したものである。柄谷によれば、内面重視という明治の価値観から言文一致体や三人称客観の文体で書かれる「近代文学」が誕生した。しかし漱石や子規はそれに与せず、外面である関係に翻弄される人物を造形したり、内面に頼らない技法で創作したりする。また共に漢字にこだわっていた。...

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  • <論説>平安貴族社会と「貴種」

    KIM Hyunkyung 史林 100 (4), 465-490, 2017-07-31

    ...歴史学ではあまり使われなかった詩序を史料として活用し、貴族日記の記事を分析することで、持続的な公卿地位の継承なしに「貴種」と称される家柄の存在を一一世紀後半から確認した。同じ先祖を持つ門流から「貴種」の家とそうでない家が分岐する現象を通して、一一世紀中葉には貴族社会の変動に伴って「貴種」の家が成立し、家格の性格を帯びるようになった「貴種」が中世権門の身分へとつながった点を指摘した。...

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  • テキスト解析による紋章情報の分類

    柴田, みゆき, 生田, 敦司, 横澤, 大典, 杉山, 正治, 平塚, 聡 第79回全国大会講演論文集 2017 (1), 535-536, 2017-03-16

    ...西洋の紋章は,図像と解説の文字情報をセットとして作成されたものが国家機関のもとに承認や管理がなされることが主流である.そうなる以前は,図像情報のみが収集されるに留まっていた.このため,現存する紋章は,家柄や個人の続柄等を特定できるものばかりではない.従って,紋章情報をデータベース化して検索可能にする際,画像解析に基づいたアプローチによって有用な情報へ充分に遡及することはできない.かつて画像からの検索...

    情報処理学会

  • バングラデシュ農村におけるムスリムの通婚パターン

    杉江 あい 日本地理学会発表要旨集 2015s (0), 100118-, 2015

    ...従来の通婚パターンに関する研究は,通婚パターンの形成の原理を解明するものと,通婚パターンを社会変動や社会関係の指標として扱うものとに大きく分かれる.本発表は後者の立場から,通婚パターンの世代間比較をおこなうことにより,バングラデシュ農村のムスリムの間の社会関係形成における出自や家柄の相対的重要性の変化を考察する.バングラデシュのムスリム社会は一般に父系制であり,調整婚(見合い婚),嫁入婚が主流である...

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  • 二つの長者窮子喩

    鈴木 隆泰 印度學佛教學研究 63 (3), 1263-1270, 2015

    ...をしつつも財産を望まず,長者から真実を告げられ,思いもかけずに相続者となるのに対し,『大法鼓経』では,長者から真実を聞かされる前であったにもかかわらず,貧者は自発的に財産の相続者となることを望み,そして長者から真実を告げられ,望み通りに相続者となる,という点が挙げられる.この『大法鼓経』の長者窮子喩は,実子で〔あると〕は〔まだ知らされてい〕ない者が相続者になりたいと自ら望むという点において,血統・家柄...

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  • 世間という牢獄 : 結婚差別の構造

    青木 秀男 人権問題研究 14 81-100, 2014-12

    ...差別意識の背後には〈家意識〉があり、〈家意識〉の背後には、家格(家柄)を評定する〈世間〉がある。家は系譜をなし、それに親族が連なる。本稿は、「世間学」の知見を援用し、世間・親族・家の排他性を分析する。そして、家格評定の尺度が〈血〉の観念にあること、だから結婚が「特別のこと」とされていること、このシステム(牢獄)の中で、被差別部落民が「序列外の存在」として排除されていることを指摘する。...

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  • 惣領番入制度、その成立と意義 : 吉宗期の武芸奨励と関連して

    横山 輝樹 日本研究 45 51-113, 2012-03-30

    本研究は、八代将軍徳川吉宗が幕臣に対して実施した武芸奨励策の中で、これまでほとんど論じられなかった惣領番入制度について分析するものである。従来の研究で論じられた吉宗の武芸奨励とは、弓馬上覧や古式射礼の復興、海外馬術の研究、狩猟の復活等である。士風刷新という目的のため広範な奨励が実施されたことは分かるが、それは吉宗の個人的な嗜好に負うものであって、吉宗の引退後であっても受け継がれるものであるとは言…

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  • 神社祭祀の伝承力 : 美保神社と佐太神社の祭祀から

    関沢 まゆみ 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 148 413-434, 2008-12-25

    ...そのために、美保関では頭筋、佐太神社では社人という伝統的な旧来の家柄の意識は伝えながらもそれだけにこだわらず、自発的に奉仕を希望する人物を新たに迎え入れることによって祭礼の伝統を維持継承していこうとしている。第三、神社祭祀はそれに携わる人びと個々人の「奉仕の心」に支えられており、その奉仕の心の獲得のためには、集団的に共有される一定の環境設定が必要である。...

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  • 「神祇管領長上」考 : 室町期の吉田家と神祇官

    井上 智勝 宗教研究 78 (1), 71-94, 2004

    ...吉田家は、神祇官次官の家柄ながら、一五世紀以降幕末まで神道界に大きな勢力を振るった公家である。特に一五世紀後期に出た吉田兼倶は、家説の超然を説く吉田神道を大成し、それに基づく活動を「神祇管領長上」と称して展開した。この称号は、吉田家が、神紙伯(神祇官長官)を凌駕して自らが神道の主宰者たることを誇示するための偽称・僭称であった。しかし兼倶は、一方で旧来の制度である神祇官の復興にも協力していた。...

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  • 医学館で行われた口科考試について

    "戸出,一郎, 別部,智司, 雨宮,義弘" 日本歯科医史学会会誌 24 (3), 167-175, 2002-03-29

    ...成績のよかったものは忽ち昇進し,悪かったものは没落している.仮に昇進は実力で,試験の結果は影響しなかったとしても,試験の成績とその後の昇進が明確に一致している事実は否定の仕様がない.またこの考試はその内容を見れば,古典を身につけ実技を重ねていなければ答え得ないような問題ばかりであったから試験の成績はよく実力を表していたのであろう.注目すべき事は,当時,家督制度の時代であったにも拘わらず,彼等の黜陟に家柄...

    NDLデジタルコレクション 医中誌 参考文献6件

  • 藤原清輔詠歌の父祖詠の受容をめぐって

    蘆田 耕一 島根大学法文学部紀要文学科編 24 13-32, 1995-12-25

    ...では、歌の家柄である清輔が祖父顕季や父顕輔の詠歌をどう扱っているのであろうか。果して、父祖詠を拠り所にしているのが散見されるが、この詠作技法が近親者の歌の場合は万葉歌とは違うのか否かなど大いに興味を持つところである。本稿ではここに重点を置いて論を進めていきたい。  ...

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  • 19世紀のクラヴァットにみるダンデイズム

    神部, 晴子 文化女子大学紀要. 服装学・生活造形学研究 (24) 43-56, 1993-01-31

    ...それらには, クラヴァットを単なる装飾品としてではなく,男性の家柄や教養を示す一つの紹介状である, とも定義づけられている。ところが, 同中期に入るとクラヴァットは簡略化に向かったことが多くの服飾史文献から読み取れる。なぜ, 19世紀初期のクラヴァットは男性にとって重要であったのか。そして, いつ頃からその表退傾向が始まり, またその理由は何だったのか。...

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  • 作庭資料 山水路地石立

    永松 義博 造園雑誌 57 (1), 34-38, 1993

    I introduce an old secret records on garden making of “Sansui Roji Isidate”, a legacy of Asada family in Enjuji Yosii Town Ukiha district Fukuoka Prefecture. The record had been made in 1846 (Kouka …

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  • 円空造仏の動機について

    青山 玄 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 2 69-78, 1990-03-10

    ...――筆者は、谷口氏のこのような円空観がいかに根拠薄弱であるかを明らかにすると共に、同氏が軽視した『浄海雑記』『近世畸人伝』に読まれる円空略伝やその他の断片的史料、ならびに円空の和歌などから、彼が単に天才的芸術家であっただけではなく、かなりの教養の持ち主で、その家柄も悪くなかったと思われることを明示した。...

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  • <論説>古典期アテネのフラトリア : IG II^<2> 1237 の場合

    伊藤 貞夫 史林 71 (5), 677-713, 1988-09-01

    ...古典期アテネのフラトリアは、貴族政期以来の家柄を誇るゲンネータイ(氏族員) と然らざるオルゲオーネスとから成ると同時に、両者を共に含むティアソスなる下部単位によって構成される側面をももつ。この二つの編制原理の並存・交錯にフラトリアの組織上の特徴があり、前四世紀以降は少くとも入籍資格審査に関し、ゲンネータイの優位が消滅したのであろうとするのが、本稿の結論である。...

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  • 自己言及性と有限回帰的構成:柄谷のゲーデル不完全性定理把握

    国崎 敬一 理論と方法 3 (1), 1-25, 1988

    ...<BR> 日本において広く知識界のゲーデルへの関心を掻き立てたのは、やはり文芸批評家柄谷行人のエッセイ「隠喩としての建築」(およびそのリライト「形式化の諸問題」)であろう。そこで彼は近代の諸学問・芸術に現われる“形式主義”を取り上げ、その本質と限界をゲーデルの証明を武器としながら鮮やかに切ってみせている。...

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  • <論説>ヴェネツィア貴族階級の確立とその背景

    永井 三明 史林 63 (5), 675-705, 1980-09-01

    ...支配階級としてのヴェネツィア貴族階級が確立したのは、一二九七年のセラータと呼ばれる行為 (大議会メンバーを特定の家柄に限定) によるのではない。ヴェネツィア貴族階級が排他的独占的カーストとしてその形態をととのえるのは、十四世紀という長い過程を経たあとで、一四〇三年、中産階級を貴族階級に加えるという提案を拒否したときであった。...

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  • 八大山人の生涯と別号

    中山 八郎 人文研究 21 (7), 538-597, 1970

    ...一 家柄 : 八大山人(以下、単に山人という。)は寧藩石城王属の一員として、明の天啓六年に江西省南昌に生まれた。寧藩の本宗は明の太祖の庶十七子権に始まる親王家である。……...

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  • <論説>漢唐問における良家の一解釈

    片倉 穣 史林 48 (6), 826-843, 1965-11-01

    ...その結果、良家は一定の条件を具備した家柄を示す用語であり、その一定の条件とは大功以上の親にいわゆる七科の謫に該当する人物が存在しないことの確認できる家ということである。このように縦の系列でいえば、三世以上にわたって無疵の家の子弟・子女が良家の子として宮廷宿衛の官史、あるいは後宮の宮人などに採択されたのである。...

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  • 民家における書院的座敷の成立時期の一例 : 長野県南佐久郡八千穂村の場合

    宮沢 智士 日本建築学会論文報告集 95 (0), 27-32, 1964

    ...図1佐々木家の外観[figure]佐々木家は名主格の家柄であり,住宅遺構もしっかりしており,普請帳などの文献資料によって,2室続きの座敷のできに時期がはっきりする。佐々木家は住宅が建てられた頃,享保11年,寛保2年には上畑村の名主をしているが,享保16年には名主をしていない。ここでは名主は世襲制でなく,廻り持ちだった。...

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