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検索結果 156 件

  • 1 / 1

  • 近代エジプトのワクフ(イスラム寄進

    加藤 博 アジア・アフリカ地域研究 22 (2), 221-261, 2023-03-31

    <p>Studies on waqf in modern times have focused on the reform of the waqf system, particularly the negative aspects that should be “reformed” as being unsuitable for the modern age based on the …

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  • 石川県主要神社の野外寄進

    府和 正一郎 日本地理学会発表要旨集 2022s (0), 43-, 2022

    ...<p>Ⅰ.はじめに ・研究目的 神社の野外寄進物には,社号標,鳥居,灯篭,狛犬などがある。これらには寄進者の名称,居住地,寄進年代などが刻まれている場合が多く,文化的遺産といえる。大地震発生時には野外寄進物が倒壊,破損した事例も多い。平常時の調査,記録が必要である。本稿では石川県下主要神社20社の野外寄進物について調査し,特色を明らかにすることを目的とする。...

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  • ワクフに関するエジプト最高憲法裁判所2008年違憲判決の解題および全訳

    竹村 和朗 アジア経済 61 (4), 32-51, 2020-12

    ...同法は,一般に「家族ワクフ」と呼ばれていた寄進財制度を廃止し,その財産を関係者に分配することを定めた。これは,相続の取り分に関わるため,広汎な社会層に争いを生み出し,そのうちのひとつが最高憲法裁判所にまで至ったのである。同法が制定されてから半世紀以上の時間が経過した後に,なぜこのような展開が生じたのだろうか。判決の影響力はどこまで及ぶのだろうか。...

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  • [論文] 江戸住大商人の信仰と「行動文化」論 : 「御仏勅」の実践から

    岩淵, 令治 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 222 101-123, 2020-11-30

    ...甲斐善光寺については、宝暦四(一七五四)年の火災からの再建にあたって莫大な寄進を行い、また江戸の旅宿を通じてその後も寄進を続けた。また、哲相院については先祖供養のみならず、最終的には甲斐善光寺の江戸の旅宿を設けている。このほか、信州善光寺、高田善導寺、江戸の十八檀林の一つである本所霊山寺、といった有力な浄土宗寺院にも寄進が及んだ。...

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  • 能登地方における主要神社の野外寄進

    府和 正一郎 日本地理学会発表要旨集 2020s (0), 21-, 2020

    ...<p><b>はじめに</b></p><p></p><p>・研究目的 神社の野外寄進物には鳥居、狛犬、灯篭、社号標、旗竿などがある。これらには寄進者の名称、居住地、寄進年代などが刻まれている場合が多く、文化遺産である。災害で倒壊、破損した事例が多い。神社の野外寄進物の調査と記録が重要である。...

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  • 東南アジアにおけるワクフ制度の再活性化

    ハシャン アンマール 立命館アジア・日本研究学術年報 1 (0), 62-66, 2020

    <p>The Arabic word Waqf, or its plural form, Awqāf, which refers to Islamic endowment, stands for one of the most famous forms of philanthropy in Islamic law. It has been playing a very significant …

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  • 四国・九州・沖縄地方の木地屋とろくろ

    小椋, 裕樹 非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials (18) 111-148, 2019-09-30

    ...また一方で江戸初期以降、滋賀県の永源寺町(現東近江市)の奥地にある神社が全国の木地屋を支配統制し、職の正当性を保証した巻物を配り、寄進を集め、小椋姓を広めたことも彼らの歴史を特色あるものにしている。こうした彼らの技術と移住の歴史を、ろくろという道具に着目して解明することが研究の目的である。...

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  • ラフカデイオ・ハーンの「博多にて」

    茶谷 丹午, CHATANI Tango 人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies 37 111-122, 2019-03-31

    ...それは仏像制作のために信者から寄進されたものであった。ハーンは古鏡が鋳つぶされることへの悲しみを告白する。鏡はかつて,持ち主であった女性たちの顔を映したのであり,彼女たちの魂がいまも鏡に残っていると想像せざるをえないと彼は言う。そして日本における鏡の霊性への信仰に触れ,「松山鏡」の物語を紹介する。...

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  • 高山寺明恵上人七百年遠忌点描2 ―原富太郎(三溪)―

    小林 あづみ 名古屋文理大学紀要 19 (0), 11-41, 2019-03-31

    ...三溪は高山寺の中興開祖である明恵上人の七百年遠忌(1931年)に、六祖慧能像を描き寄進した。その画は、彼が模写した高山寺所蔵の明恵上人像や高山寺印のある出山釈迦像と同様に、3点の特徴を持つ。  ...

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  • 小樽れっけん 住吉神社

    国立大学法人小樽商科大学グローカル戦略推進センター研究支援部門地域経済研究部, 高野, 宏康 小樽チャンネルマガジン = Otaru Channel Magazine 38 10-11, 2019-01

    文部科学省『地(知)の拠点』事業 × 小樽チャンネル

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  • 加賀市菅生石部神社と金沢市大野湊神社の野外寄進

    府和 正一郎 日本地理学会発表要旨集 2019s (0), 23-, 2019

    ...・目的 神社の野外寄進物には鳥居、狛犬、灯篭、社号標などがある。これらには寄進者の名称、居住地、寄進年代などが刻まれている場合が多く、文化的遺産である。加賀一の宮である白山比咩神社の野外寄進物については既に報告した(府和2018)。...

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  • 竹姫の食性と厄除け行為

    佐藤 孝雄, 巌谷 勝正, 長瀬 忍, 森 茂樹, 能城 修一, 吉永 淳, 米田 穣 Anthropological Science (Japanese Series) 127 (1), 15-23, 2019

    ...<p>東京都目黒区祐天寺に所在する阿弥陀堂は,五代将軍徳川綱吉・八代将軍徳川吉宗の養女であった竹姫が,1724(享保九)年,厄除けの為に造営・寄進した堂宇と伝えられる。寺録にはその由来と合わせ,寄進時,施主竹姫の御髪を収めた石箱が須弥壇の下に埋設されたことも記されている。...

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  • ワクフは「寄進」か?

    竹村 和朗 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2018 (0), 83-, 2018

    ...本発表は、イスラーム的財産法制度の一つであるワクフ(waqf)の人類学的研究に関する予備的考察として、一見イスラームに固有な法制度であるワクフが、どのような点において特殊なのか、それは通文化比較が可能なものなのか、そして通常ワクフに充てられる「寄進」の語はその仕組みと法制度の現状にふさわしい訳語であるのか、を検討するものである。...

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  • 中世前期東大寺の財政構造と鎮西米

    三輪 眞嗣 史学雑誌 127 (4), 41-66, 2018

    ...<br> また、一二世紀には東大寺での修学システムが拡充され、学生供に宛てられる供料荘園や諸法会の僧供料の寄進田などが登場した。東大寺財源の分割・多元化が進み、封物を継承した鎮西米と、特定用途に宛てられる荘園・寄進田とに分化することで、「東大寺年中行事」に見られる財政構造が形成されていくと論じた。...

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  • イスラームにおける弱者救済の福祉制度

    岩木, 秀樹, IWAKI, Hideki ソシオロジカ 41 (1・2), 65-79, 2017-03-20

    ...喜捨(ザカート、サダカ)の教えや寄進(ワクフ)の制度、断食や巡礼などは、社会や他者への信頼、規範、ネットワークの総体であるソーシャル・キャピタルとしても機能している。このようにイスラームは、社会福祉、経済的再分配、弱者救済を目指しており、貧困・格差の是正によりテロや戦争の原因を低減している側面もある。...

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  • <研究論文>白醉庵吉村観阿について

    宮武 慶之 日本研究 = NIHON KENKYŪ 54 39-77, 2017-01-31

    ...観阿の行状としては、同人が所持していた俊乗房重源(一一二一―一二〇六)による勧進状――東大寺東塔の完成後は童を配して法華経を千部、転読させたい旨を認めている――を東大寺に寄進し、その敷地内に寿蔵(生前墓碑)の建立を許されたこと、松江藩七代藩主松平治郷(不昧/一七五一―一八一八)や新発田藩十代藩主溝口直諒(翠濤/一七九九―一八五八)の茶会に参会したこと、八十歳の年賀に際し蒔絵師の原羊遊斎(一七六九―一八四五...

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  • 神護寺蔵「和気氏三幅対」の成立と訓釈(続補訂)

    若井, 勲夫 京都産業大学論集. 人文科学系列 49 538-531, 2016-03

    ...これは江戸時代初期に和気清麻呂の後裔の半井瑞雪が高雄山神護寺の開創者である和気清麻呂、和気医道を盛り返し和気氏中興の祖とされる定成の子である時成、その子基成、の三名の肖像画に賛偈を禅僧に書かせたものを当寺に寄進したものである。筆者はその偈(漢詩)について題詞、本文、左注を解読し、訓読して書き下した上に、現代語訳と語釈をつけた。また、その賛が出来上る経緯と揮毫者について考証、解説した。...

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  • 17世紀の讃岐国善通寺における西院伽藍の変遷について

    YAMANOUCHI Makoto, 山之内 誠 芸術工学2015 2015-11-25

    ...『西院図』は弘法大師800年御忌に際し、大檀那たる生駒氏が、それまでの伽藍寄進の実績と今後の援助計画を明示して善通寺へ奉納する目的で製作したもので、為政者の立場から弘法大師への信仰と善通寺を庇護する姿勢を示す意図があった。 2....

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  • 神護寺蔵「和気氏三幅対」の成立と訓釈(補訂)

    若井, 勲夫 京都産業大学論集. 人文科学系列 48 440-431, 2015-03

    ...この三幅対とは、江戸時代初期に高雄山神護寺の開創に関はる和気清麻呂の後裔の半井瑞雪が同寺の復興に寄与するとともに、先祖清麻呂の功績を振返り、その後の和気医学の道統を顕彰するために、和気氏の三名を選び、その肖像画に三名の禅僧(黄檗宗、臨済宗)それぞれに賛の詩偈をつくり揮毫するやう依頼し、三幅対として同寺に寄進したものである。...

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  • 日本最初の盲人専用老人ホーム「慈母園」の設立過程

    小西 律子 社会福祉学 55 (4), 56-69, 2015-02-28

    ...とその実践に共感し,これこそが自分の生きる道だと確信する.壷阪寺の副住職となった常盤は,寺が古来より盲人にゆかりがあることに鑑み,盲人のための福祉事業を始めようとする.しかしそのためには資金が必要であり,当局の理解も必要であった.常盤は大阪近辺の会社を回り,厚生省にも出向いて盲人の置かれた境遇,寺と盲人との関係,盲人のための福祉事業の必要性を説き続けた.やがて常盤の心は通じ,経済界の協力を得て目標の寄進...

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  • 15世紀東インドにおける仏教存続の証跡

    堀 伸一郎 印度學佛教學研究 63 (3), 1322-1328, 2015

    ...「ヴィクラマ暦1503年Bhadrapada月黒分13日水曜日」という日付が,満年数・Karttika月始まり・満月終わりで記述されているものとすれば,Suryasiddhantaに基づくソフトウェアpancangaによって,西暦1447年8月9日水曜日に確定する.寄進者は,sakyabhiksuの肩書を持つJnanasriである.筆写者はJayaramadattaであり,sasanikakaranakayastha...

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  • 11世紀後期Crowland修道院の所領景観

    宮城, 徹, Miyagi, Toru 地理歴史人類学論集 (5) 71-88, 2014-03-31

    ...10世紀中葉の再建以後、聖・俗の有力な士地所有者を中心に複数の人々からの土地の寄進を通じて形成された修道院の所領は、多数の地所が複数の州に跨る形で広範囲に亘って分散保有される当該期の封建所領に典型的な散在所領であった。...

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  • 神護寺蔵「和気氏三幅対」の成立と訓釈

    若井, 勲夫 京都産業大学論集. 人文科学系列 46 414-393, 2013-03

    ...江戸時代初期に、神護寺と関はりの深い和気清麻呂の後裔に当る半井瑞雪は、神護寺の復興に寄与するとともに和気清麻呂の功績を回想し、和気医道の流れを顕彰するために、絵師に肖像画を描かせ、それに僧侶が賛の偈を書いたものを寄進した。この書が世に知られるやうになったのは医史研究家の杉立義一氏の紹介によってであるが、それも成立の簡単な説明と筆者が原案を示した筆蹟の解読と訓読文だけ であった。  ...

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  • ムスリム社会における社会貢献 : 現代シリアのアブー・ヌールの事例

    高尾 賢一郎 宗教と社会貢献 1 (2), 1-21, 2011-10

    ...ムスリム社会には喜捨や寄進といった各種社会貢献活動が根付いているが、近代以降はその影響が弱まった。しかし現代シリアのアブー・ヌール・モスクは、指導者クフターローの政教、官民にまたがった活躍に連動して多彩な活動を展開した。またモスクに併設された公益法人アンサールの「貧困撲滅」活動を通して、アブー・ヌールは宗教組織としての再評価を得ることに成功した。...

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  • 二〇一〇年度修士論文要旨

    史学 80 (2), 157(255)-170(268), 2011-06

    ...鎌倉幕府裁許状の裁許文言に関する若干の考察 / 丹村義鎌倉期の権門訴訟に関する一考察 / 小出麻友美東大寺領兵庫関の寄進背景と経済構造に関する分析 : 密教的及び政治的視座から / 小嶋教寛花押と印章 : 中世女性の発給文書を中心に / 土居由布子近世後期における海苔の献上と贈答 / 結城大佑鴟夷考 : その背景と機能 / 矢島明希子大交易時代の琉球王国における「閩人三十六姓」 : 東アジア海域の港市...

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  • 戦国期「得分」の存在形態と成立過程

    木元, 英策 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 39 117-133, 2011-03-01

    ...そこで数多く伝存する北近江・和泉地域の売券・寄進状をつぶさに検討し、戦国期の「得分」を分類整理した結果、存在形態によっては、領主層が収取すべき部分にまで踏み出して、土豪層が得分を成立させている例を呈示するに至った。...

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  • 平安後期から鎌倉期における大隅国正八幡宮の禰寝院支配

    日隈, 正守 鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science 61 1-14, 2010

    ...その結果禰寝院は一一世紀中頃大隅国内の郡郷制改編の中で形成された事,禰寝院南部を姻戚関係で領有した建部氏は,領主支配の脆弱制を補強する目的で禰寝院南部を大隅国正八幡宮に寄進した事,この寄進は同時に交易利潤の獲得を意図した大隅国正八幡宮の意図とも一致していた事等を解明した。...

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  • 中世金剛福寺の勧進活動と幡多荘

    東近, 伸 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 37 55-72, 2009-03-01

    ...金剛福寺は足摺半島一円はもとより、四万十川下流域に多くの寺領を寄進され、また、幡多荘本郷にある末寺・香山寺や観音寺、大方郷の飯積寺は、いずれも太平洋を臨む、山頂付近にあり、十一面観音菩薩を本尊としている。金剛福寺と末寺は、祈.寺としての宗教的役割を果たしただけでなく、年貢の収取や、四万十川下流域の水運を掌握し、年貢の京上請負等、社会経済的にも一条家の荘園支配を支える重要な役割をはたしていた。...

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  • アウグスチノ修道参事会律院シッフェンベルクの創設事情について

    平, 伊佐雄, TAIRA, ISAO 経済学季報 58 (1), 131-142, 2008-09

    ...の修道院改革と無関係ではなく,そもそも,修道院改革そのものがトリーア大司教による大司教領統治政策に寄与する形をもっていたから,トリーア大司教区としては東端に位置しているシッフェンベルクの地も,律院創設にあたりその例外とはならなかったと考えられる.しかし,当地は11世紀までにライン宮中伯,ルクセンブルク伯が権利を有しており,両者からもそれほど注視されなかった様子はあるものの,シッフェンベルクの領地の寄進...

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  • 長承・保延の飢饉と藤原敦光勘申について

    磯貝, 富士男 大東文化大学紀要. 人文科学 46 177-197, 2008-03-31

    本稿は、平氏政権から鎌倉幕府に至る日本における武家政権成立という歴史現象を十二世紀前半以来の社会的矛盾の展開の中から解明しようとするための作業の一階梯として試みたものである。分析対象は、崇徳天皇が長承・保江の飢饉への対策を求めたのに応じて、藤原敦光が保延元年七月二十七日に提出した「勘申」であって、この飢饉で生じた社会的矛盾の基本的あり方を明らかにしようとしたものである。敦光の視野に入っていた問題…

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  • シトー会修道院のフォークトについて : トリーア大司教区,ヒンメロート修道院を例にして

    平, 伊佐雄, TAIRA, ISAO 経済学季報 57 (3/4), 85-157, 2008-03

    ...とみなされている.しかし,このような見解は,当初から一定の視角からシトー会修道院の特徴を捉え,収斂したものとして扱わねばならず,各修道院の具体的な状況については,各院が存立している地域的な条件を踏まえ,具体的な検証により明らかにしなければならない.とりわけ,かつての帝国内に存在したシトー会の修道院は,各地での貴族,司教,国王による私有教会・私有修道院の形態を保持していたので,必然的に修道院建立者,土地の寄進者...

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  • 『維摩経』と『智光明荘厳経』

    米澤 嘉康 印度學佛教學研究 55 (3), 1085-1091, 2007

    ...そこで, 本稿は,『維摩経』と『智光明荘厳経』という両経典が, 同一の寄進者シーラドヴァジャ, 同一の筆写者チャーンドーカによってほぼ同時期に筆写され, 同帙に収められて保存されてきたという事実を再確認して, 彼らの意図がどのようなものだったか, 考察するものである....

    DOI Web Site 被引用文献2件

  • タイ北部のカノムタイ(タイ伝統菓子)と人々の生活_-_その機能と構造

    宇都宮 由佳, 益本 仁雄, スィワナーソン パタニ 一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集 58 (0), 1-1, 2006

    ...<B>背景・目的 </B>タイ伝統菓子「カノムタイ」は,現地の人々によって作られ,仏日や祭りの際に僧侶や寺へ寄進されている.また市場や商店でも日常的に販売され摂取されている.しかし,経済化,情報化が進行し,諸外国ならびに首都・中央部の文化の強い影響の下,食も含めた地方固有の伝統文化を維持・継承していくことは,当該地域に限らず発展途上国に共通した取組むべき課題となっている.本研究では,タイ王国の古都チェンマイ...

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  • 原典史料紹介 : ドゥッチオ・ディ・アマドーレの『聖帯 : Cincturale』

    金原, 由紀子 尚美学園大学芸術情報学部紀要 3 17-35, 2004-03-31

    ...中部イタリアの小都市プラートのサント・ステファノ聖堂には、聖母が被昇天の際に使徒トマスに与えた帯が12世紀末に寄進されたと伝えられる。この帯の聖遺物崇拝すなわち聖帯崇拝は13世紀第3四半世紀より盛んになり、同聖堂では《聖母被昇天と使徒トマスへの聖帯の授与》の主題が頻繁に造形化された。その際、典拠として重要な役割を果たしたのが、聖帯の由来を物語るテキストである。...

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  • 京都における「銀貨」の成立(4. 貨幣をめぐって)

    中島 圭一 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 113 181-192, 2004-03-01

    ...一五六三年、政治的理由から毛利氏が大森銀山を室町幕府と朝廷に寄進したのを契機として、銀が京都に流入を始めた。その後、京都においては急速に金から銀への交代が進み、七〇年代には銀が送金・贈答の主流となる。この間、六〇年代後半までに金が貨幣的機能を具えるに至っており、それを前提として、六〇年代末までに銀も舶来品取引を中心に用いられる貨幣となった。...

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  • 大原幽学と改心楼の造営(大原幽学と性学教団)

    高橋 敏 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 115 61-82, 2004-02-27

    ...嘉永二年(一八四九)四月十五日の「絵図面定幷材木見立」から翌三年正月十九日の「開校」まで道友寄進の「土普請」から大工方、屋根、畳、石工、左官の職人を雇い入れての建物本体の建造、つづいて家具、食器、蒲団、蚊帳等の生活用具の購入までを実証する。また同時に動員された道友の労働力を克明に追求した。道友の寄進行為こそ、大原幽学の性学教団の力量をはかるバロメーターであるからである。...

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  • 院御願寺領の形成と展開 : 中世前期の最勝光院領を素材に

    高橋 一樹 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 108 75-92, 2003-10-31

    ...その前提には、願主やその姻族(平氏)と関係の深い中央貴族から免田や国衙領が寄進されたが、実際に立荘された荘園は国衙領や他領をも包摂した複合的な荘域構成をとっており、知行国主・国守との連携にもとづく国衙側と協調した収取関係(加納・余田の設定)をもつ中世荘園の形成であった。...

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  • <論説>室町幕府執事施行状の形成と展開 : 下文施行システムを中心として

    亀田 俊和 史林 86 (3), 338-381, 2003-05-01

    南北朝初期室町幕府において、下文等将軍発給文書の後に出された執事施行状は、内乱初期の混乱した社会情勢に対する幕府の対策として出現した考えられる。守護に遵行による下文の実現を命じるなど、下文には存在しない重要な機能を有しており、従来暗黙のうちに了解されてきたような、単なる下文の添え物ではない。初期には、下文拝領者の申状提出を受けてかち発給の可否を決定する方式(申請式) …

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  • 万得(徳)領再考

    日隈, 正守 鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science 54 23-38, 2002

    ...しかし平安後期薩摩国管と新田八幡宮とが浮免田設定や修造に関して対立する様になると,薩摩国管の在庁官人達は自分達が領有している万得領を大隅国正八幡宮に半不輸領として寄進した。その結果,薩摩国内の万得領も大隅国正八幡宮領化した。...

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  • 中世の額安寺と周辺地域(Ⅲ. 中世以降の額田部地域)

    水野 章二 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 88 183-200, 2001-03-30

    ...額安寺が古代以来の額田部・宗岡氏の氏寺の枠を越え、所領寄進・買得や入寺などを通じて、周辺地域の人々との関わりを深め、地域寺院としての性格を強めていくにつれて、氏寺としての経営は次第に困難性を増し、別当職をめぐる相論も起きる。額安寺が地域寺院化していく際、信仰の地域的ネットワークの重要な要素となったのが文殊信仰であり、それを契機に西大寺流律宗の叡尊・忍性との結びつきが強められていく。...

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  • <論説>中世後期ケルンにおける都市と教会 : 市参事会による教会政策の分析を中心に

    森谷 美幸 史林 82 (3), 358-389, 1999-05-01

    ...規制が進まなかった原因として、民衆信仰の高揚と終末思想の広がりにより、市民が自身の救霊の為に教会施設に対し寄進を盛んに行なったことが挙げられる。しかし時代が進むにつれ、市参事会は市の統治組織として成長し、逆に一五二五年に参事会とケルン大司教との間で協約が結ばれ、聖職者免税特権を排することにより参事会は規制を完成させた。この協約は市民の反聖職者感情を和らげる効果をもたらした。...

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  • 「牲祭」への一視座

    田口, 良司 文化女子大学紀要. 人文・社会科学研究 (5) 181-193, 1997-01-01

    ...日本の牲祭が生贄の「寄進」, 「奉納」を主なものとしていること, 生贄動物が寺院の神域にいる動物や魚, 鳥類という野生種が中心をなしているということが特徴としてして指摘できた。このような牲の特質とともに牲祭の頭屋の機能の検討を行った。その結果頭屋の機能には供犠司祭者,神,司祭という3つの機能を同時に会わせ持つことがありうるということが見てとれた。...

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  • クチャ地方の中国様式絵画

    中野, 照男, Nakano, Teruo 美術研究 (364) 1-13, 1996-03-30

    The stone cave temples of the oasis city of Kucha in China's Xinjiang Uighur Autonomous Region were decorated in the 6th to 7th centuries with paintings in that region's own unique style. But with …

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  • 平浜八幡宮『鷹図絵馬(一対)』に関する考察 : 松平直政の奉納動機について

    猿田, 量 島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 27 (2), 29-34, 1994-03-31

    ...さらに年記に言う寄進の時期は、寛永十五年の直政の出雲転封の翌々年であり、金箔張りの作品の制作期間を考慮すると松江入府そうそう発注されたと考えなければならない。そのような急ぎの寄進を促した理由があったとすればそれは何か。  以上の画面内部および寄進の時期をめぐる特徴から、この一対の絵馬の奉納動機は考察に値するであろう。...

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  • 備後国太田荘政所寺院の興亡 : 今高野山の歴史・住侶・文化財

    蔵橋 純海夫 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 45 213-256, 1992-12-25

    ...備後国太田荘は、永万二年(一一六六)平清盛の子重衡によって後白河法皇に寄進され院領荘園となった。その後平氏滅亡により、同荘は文治二年(一一八六)後白河法皇から高野山根本大塔領へ寄進され、以後室町時代に至るまで高野山領荘園の一として続いた。高野山施入当時の荘田面積は、約六一三町歩年貢米一八三八石余を出す大きな荘園であった。...

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  • 刻銘を有する中世陶器(Ⅳ. 政治史と生活史)

    吉岡 康暢 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 36 35-78, 1991-11-11

    ...つぎに,中世後期には,花瓶(けびよう)・瓶子(へいし)・狛(こま)犬のような仏神器ばかりでなく,茶壺・水指・茶入等と大甕・壺に刻銘されるようになるが,銘文形式は整った寄進状・願文の体裁をとるものは少なく,納入先か寄進者のいずれかを省略したり,紀年銘のみが大半を占める。...

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  • 教会領寄進文書の研究

    安野 眞幸 史学雑誌 85 (1), 38-56,127-129, 1976

    <p>This article studies documents dealing with land donations made in 1580 to the Society of Jesus in Nagasaki by Omura Sumitada and his son. The sources used are Spanish language historical …

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  • <論説>紀伊国荒川荘の領主と農民

    本多 隆成 史林 56 (2), 149-192, 1973-03-01

    ...これらは自明のこととみえながら、従来の研究がかかる観点からみて問題を含んでいたことは、陀羅尼田寄進と悪党問題を通じて具体的に検討したところである。またこの観点を基本にすえることによってはじめて、「分田支配」体制の意味もより明らかにしうると考えられるのである。...

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  • <論説>杣工と荘園 (上) : 伊賀国玉滝・黒田荘

    赤松 俊秀 史林 46 (1), 1-55, 1963-01-01

    ...東大寺領伊賀国玉滝•黒田両荘は杣から転化した荘園として特殊な歴史を持ち、開墾地や寄進地系の荘園とはおのずから異なる性格を持っている。またこれらの荘園は、それを地盤として平氏のような有力な武将や地方武士が勢威を張ったことがあり、武家政権成立史研究にとって重要な存在である。...

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  • <論説>叙任権闘争前のテューリンゲンにおける貴族支配制

    早川 良弥 史林 45 (6), 872-902, 1962-11-01

    ...即ち、叙任権闘争前より、まず、辺境の諸司教座は国王政策の担い手となり、王権より豊かな寄進を受け、加えてインムニテート、国王バンなどを獲得して、領域支配権の基礎を固めた。また、世俗の有力貴族は、その自由世襲領を基底とし、官職、グラーフ権、レーンなどを集積しながら、独立的な支配領域を形成した。それらのうちに、未熟ではあるが、すでに早期のランデスヘルシャフトをかたちづくつたものもみられる。...

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  • <論説>越前国東大寺領庄園の経営

    岸 俊男 史林 35 (2), 101-120, 1952-08-01

    ...次に品遅部広耳・生江東人等の地方豪族の寄進墾田により成立した鯖田国富庄や道守庄の経営にみる賃租は直接耕作民との関係を示すものでなく、常に地方豪族を媒介として経営され、ここに桑原庄が早く荒廃したに対し、後者が平安中期まで存続した要因を求めた。又造東大寺司を通じた庄園経営は越前に勢力を扶植していた藤原仲麻呂の失脚を契機として、東大寺三綱の手に移り、私営田領主化せんとする地方豪族との間に緊張が生じた。...

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