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  • 次世代シーケンサーデータの解析手法 第 17 回 バイオインフォマティクス教育の今後

    門田 幸二, 大森 良弘, 寺田 朋子, 三浦 文, 寺田 透, 清水 謙多郎 日本乳酸菌学会誌 32 (3), 129-137, 2021-11-15

    <p>2020 年より続くコロナ禍の影響により、我々のバイオインフォマティクス(以下、バイオインフォ)教育の枠組みも大きな変革を強いられた。2020 年以降はオンライン講義が当たり前となり、2019 年まで売りにしていた「1人1台のノートPC を用いた講義」という特徴が消滅しただけでなく、多様なPC 環境に起因する様々な困難に直面した。2021 年は、チームコミュニケーションツールである …

    DOI Web Site Web Site 参考文献5件

  • 寺田透の「正宗白鳥論」(1947年)

    井田 琇穂 言語文化 11 (3), 309-347, 2009-01-20

    ...寺田透(1915-1995)は文芸批評家で、同時にフランス文学者であった。彼は、小林秀雄(1902-1983)の後に現れた批評家であった。彼は小林の強い影響を受けている。この論文では、寺田が、正宗白鳥(1897-1962)の初期小説をどのように評価したかを扱う。寺田は、白鳥論を1947年に発表して、文芸評論家として出発した。この寺田による評論は、白鳥自身に認められた。...

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  • 寺田透の徳田秋声観

    井田 琇穂 言語文化 10 (1), 1-21, 2007-08-25

    ...本論文で、寺田透(1915-1995)が徳田秋声(1871-1943)をどのように見たかということと、さらに、寺田の文学的な立場とを扱った。徳田の晩年の二作品(<仮装人物>と<縮図>)に、寺田は愛欲の濃さと悶えとを見、徳田を非知識人と規定した。寺田がこの徳田秋声論を発表した頃、彼自身、離婚と再婚とを体験した。寺田自身、生活の同伴者との関係に悩んだ。...

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  • 寺田透の夏目漱石観

    井田 琇穂 言語文化 9 (2), 303-321, 2006-12-31

    ...寺田透(1915-1995)は文芸批評家でフランス文学の研究者であった。彼は小林秀雄(1902-1983)以後に出現した批評家であった(小林の影響が強かった)。本論文では寺田が夏目漱石(1867-1916)の作品をどのように考えたかということと、寺田自身の批評の立場とを扱った。...

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