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検索結果 60 件

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  • [14] 北海道の民具分布マップの試作

    皆川 雅章 デジタルアーカイブ学会誌 4 (s1), s13-s16, 2020

    ...この地で現在の北海道の礎を築いたのは,いまよりもはるかに厳しい自然を乗り越えて原生林を切り拓いた明治初期の屯田兵と呼ばれる人々を含む開拓者たちであり,これらの開拓者たちの苦闘の痕跡や生活の様子は各地に残っている。著者は,デジタルアーカイブ化を目的として北海道の郷土資料を撮影し,デジタルデータの蓄積を行っている。...

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  • 屯田兵と西南戦争 : 屯田兵の戦没者慰霊と遺族扶助

    相庭, 達也 北方人文研究 12 1-17, 2019-03-25

    ...したがって、屯田兵士の死は戸主の死であり、屯田兵が一方で担う北海道開拓に大きな支障を来すものであったのである。  戦没した屯田兵士の慰霊とは、その名誉を顕彰することだけでなく、遺族への保護といった観点が含まれており、緒についたばかりの北海道開拓を確実に進めるためのものであったのである。...

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  • 屯田兵村の集落形態は散村か?

    金森 正郎 日本地理学会発表要旨集 2018s (0), 000266-, 2018

    ...高校地理ではポピュラーな教材のひとつである屯田兵村の集落形態は,大学受験参考書において「北米のタウンシップを模範にして碁盤目状の区画に散村」と説明されていることが多いが,屯田兵村区画と殖民地区画が混同されているのではないか。「碁盤目状の区画に散村」という表現について注目し屯田兵村の集落形態がどのように表現されてきたのかということを整理したところ以下のことがわかった。...

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  • 白滝ジオパークと北海道遠軽高等学校の教育

    杉山 俊明 日本地理学会発表要旨集 2018s (0), 000080-, 2018

    ...②主な講演:遠軽町の沿革と日本近代史、遠軽の観光と歴史、遠軽教会、合気道開祖植芝盛平物語(合気道の演武を含む)、湧別屯田兵村、鴻之舞金山、北の王金山栄枯盛衰、常紋トンネル、薄荷物語、北限の上湧別リンゴ、上湧別のチューリップ他。③主な巡検:白滝赤石山、丸瀬布森林鉄道雨宮21号、北海道家庭学校、遠軽教会、街中写真撮影他。④作業学習・実習:石器作り教室、入植時代の屯田兵食、地元料理バタバタ焼き等。...

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  • 屯田兵村の空間構成と現代コミュニティとの関係

    大槻 政洋, 森 傑 日本建築学会計画系論文集 74 (639), 1067-1073, 2009

    The purpose of this study is to grasp the relationship between next-door neighbors in the linear rural settlement aiming at passages on the site, Yoko-michi in Tondenhei-mura, and to comprehend …

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  • 北海道農村における農家の土地利用に関する課題考察

    芝井 健一, 森 傑, 森下 満 日本建築学会計画系論文集 74 (636), 387-392, 2009

    This study aims to consider the issues concerning the farmers' housing land use in Hokkaido rural settlements through the investigations about Tondenhei-mura and Shokumin-kukaku. Analyzing …

    DOI 参考文献1件

  • 「量から食味へ」北海道の米と南幌町農業

    野中 公文, 荒明 稔, 眞野 弘 農業農村工学会誌 76 (10), 871-875,a1, 2008

    ...北海道の開発は, 明治2年 (1869) の開拓使設置から始まり, 殖民地区画 (9万坪 (29.8ha)) を基本に, 集団移住者や屯田兵によって開拓が進められた。...

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  • 屯田入植地における歴史的ネットワークの実態に関する研究

    高橋 美寛, 久保 勝裕, 白木 里恵子 都市計画論文集 41.3 (0), 923-928, 2006-10-25

    ...北海道の上湧別町は、屯田兵が入植した当時の区画や文化が色濃く残っている。こうした固有の歴史を持つ都市には、固有の住民間の歴史的ネットワークが存在し、そのネットワークをうまく利用すれば、現代のまちづくりにおいて大きな役割を担えると考える。本論では、屯田兵の末裔である町民を「屯田衆」とし、それらの日常的な付き合いである「屯田ネットワーク」の構造を明らかにした。...

    DOI Web Site Web Site 参考文献11件

  • 屯田入植地における歴史的ネットワークの実態に関する研究

    高橋 美寛, 久保 勝裕, 白木 里恵子 都市計画論文集 41 (0), 83-83, 2006

    ...北海道の上湧別町は、屯田兵が入植した当時の区画や文化が色濃く残っている。こうした固有の歴史を持つ都市には、固有の住民間の歴史的ネットワークが存在し、そのネットワークをうまく利用すれば、現代のまちづくりにおいて大きな役割を担えると考える。 本論では、屯田兵の末裔である町民を「屯田衆」とし、それらの日常的な付き合いである「屯田ネットワーク」の構造を明らかにした。...

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  • 屯田兵村の空間構成における計画原理

    柳田 良造, 重村 力 日本建築学会計画系論文集 70 (594), 61-68, 2005

    When we review the modern settlements in Hokkaido began in Meiji Era, Tondenhei-muras are considered to be composing the first among the layers of developments. Here we would like to reveal the …

    DOI Web Site Web Site 被引用文献5件 参考文献5件

  • 北海道地方の衣生活文化の確立

    諏訪原 貴子 一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集 54 (0), 300-300, 2002

    ...それは明治維新による変革と、同時に始まった北海道開拓により本州·大陸からの移住に関係し、屯田兵制度により、更に移民の人口が増加して文化が変化したからである。移住に関しては法令·規則により開拓に必要な物資給与がされ、その中には麻の種、藍染料が含まれ、阿波地方の藍農家を洞爺湖付近の伊達地方に移住し藍作りが進められた。養蚕製紙製麻織機等に使用する事業場も創設され、繊維産業の開拓の先進になったのである。...

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  • 北海道における食生活用具の変遷 : 道央を中心に

    山塙, 圭子 北海道女子大学短期大学部研究紀要 34 57-70, 1998

    ...しかし屯田兵村では道内どこでも最初から井戸の布設があった。いずれにしても,荷桶を使い人手で水を運んだ。火元は伝統的な囲炉裏であるが,開拓初期には薪の焚口がある三方を囲んだ「踏み込み炉」が見られる。特徴的な台所用具として,初期にはこれも伝統的な脚のない「座り流し」がある。北海道における開拓期を象徴する調理用具に,原生林の大木をそのまま利用した容器,まな板等,各種の手製木工品が見られる。...

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  • 野幌屯田兵村地域の変容

    伊藤 久雄 Annals of the Hokkaido Geographical Society 1971 (46), 8-13, 1971

    ...<BR>屯田兵解散後は酪農化が進み一方には煉瓦工業が勃興し野幌は酪農と煉瓦の町として知られるようになった。<BR>昭和37年には自作農が酪農を営む大麻に1部を残して住宅団地開発の計画がたてられ38年、40年の2回に亘って土地買収が行なわれ人口約27, 000戸を予定する一大団地が造成された。<BR>又元野幌はじめ東野幌にも住宅化は進み西野幌まで土地分譲の動きが見られる。...

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