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検索結果 83 件

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  • ジオ鉄のさきがけ脇水鉄五郎(1867-1942)

    矢島 道子 日本地質学会学術大会講演要旨 2022 (0), 265-, 2022

    ...『車窓から観た自然界』は、特に『山陽道』のほうは死後出版だが、若いころ学んだ地質学の上に、土壌学が載り、そして諸外国の地形を視察後に天然記念物、国立公園制定にかかわったことが大きく関係していると思われる。地質学出身で地形学、地理学に興味が動いていくのはそんなに珍しいことではない。しかし、脇水のそれは大衆的である。 脇水の集めた土壌標本は現在でも東京大学農学部に保存されている。...

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  • 学際的な手法を用いた近世後半新田開発の進展過程の復元

    熊原 康博, 岩佐 佳哉, 横川 知司, 原田 歩, 弘胤 佑, 竹下 紘平 日本地理学会発表要旨集 2021a (0), 49-, 2021

    ...道路は江戸時代からあり,山陽道が通過する西条四日市と,広町の瀬戸内海の沿岸を結ぶ主要な道路である。</p><p>3. 新田開発の進展過程 開発は1808(文化5)年から1819(文政2)年の12年間において,1808〜1810年の唐櫨の植え付けと枯死による失敗の3年間,空白期間の3年間,1814〜1819年の水田の稲作と畑作をすすめた6年間に区分できる。...

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  • 広島県東広島市における道しるべの分布とその特徴

    岩佐 佳哉 日本地理学会発表要旨集 2021a (0), 41-, 2021

    ...道しるべは主要な街道からの分岐点に設置されると考えられるが、旧山陽道(旧西国街道)沿いには2基しか分布しない。一方で、東広島市西条と呉市広を結ぶ旧往還沿いには多く分布する。</p><p> 設置年がわかる50基は1878(明治11)年から1934(昭和9)年の間に設置され、1915(大正4)年と1928(昭和3)年の御大典記念に設置されたものが多い。...

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  • 倉敷市真備町岡田地区の被災伝承の取組みと地理学の貢献

    松多 信尚 日本地理学会発表要旨集 2021s (0), 148-, 2021

    ...</p><p></p><p><b>倉敷市真備地区の概要</b></p><p></p><p> 真備地区は南北に流れる高梁川とそれに合流する東西に流れる小田川の影響を受けた低地が広がり,古代より山陽道が通り栄えた土地で川辺,岡田,箭田が中心的な地区である.真備町史編纂委員会(1979)によると,江戸時代以降,主たる水害だけでも25回以上の記録があり,10年に一回程度の割合で大きな水害に遭遇してきた地域で...

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  • 〔研究ノート〕北九州の万葉歌をめぐって

    島田, 裕子 梅光学院大学論集 48 1-11, 2015-01-31

    ...万葉集の中には、北九州市の地名を詠んだ歌がある。関門海峡に位置した北九州は古代から交通の要衝であった。山陽道から九州の西海道を結ぶ結節点で、ここから九州の中心である大宰府政庁へと向かい、九州全土へ広がる。また、関門海峡を通って九州に、あるいは朝鮮半島や大陸へと航海した。北九州の地名を詠んだ万葉歌は、新勝山公園、貴布祢神社、岡田宮などに歌碑が建てられ現在に至っている。万葉集の地名歌、今回は北九州地域を...

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  • 7世紀の地域社会と領域支配 : 播磨国揖保郡の古墳と寺院,郡里の成立(第1部 7世紀の地域社会)

    岸本 道昭 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 179 73-113, 2013-11-15

    ...また,官道である山陽道と美作道が通る里での寺院建立は徹底されていたことから,護国仏教の浸透とあわせ,往来から見せる律令国家の機能を考えた。18里の設定原理を探ったところ,里の総面積に大きな差があっても,開発(生産)面積は小差で均等的であることがわかった。このことから,里は従来からの古墳を媒介とする族制的支配を否定し,均等的かつ網羅的な土地の領域支配の基礎単位と推定する。...

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  • 長門国府・国分寺を中心とした軒瓦の様相 <原著論文>

    妹尾 周三 広島大学総合博物館研究報告 4 23-42, 2012-12-25

    ...筆者は,これまで古代安芸国のあり方を論じてきたが,これとの比較のため,同じ山陽道に属する古代長門国の国庁・駅家・国分寺などと推定される遺跡から出土した軒瓦を中心に,瓦当文様とともに製作技法の検討を行った。 その結果,瓦当文様は時間の経過とともに型式変化が生じるが,製作技法は一貫して当初のものが続いており,しかも国庁など地方官衙での使用が先行し,その後,国分寺に供給されているのである。...

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  • 高島北海と日本最初の広域地質図

    金折 裕司 応用地質 53 (2), 89-97, 2012

    ...画家として名声の高い高島北海(本名得三)は明治 7 (1874)年10月生野銀山にいたときに,故郷萩への帰省の往路(山陽道)と復路(山陰道)で観察した地質を,『山陽山陰地質記事』(稿本)としてまとめた.これと同時に作成された『山陽山陰地質記事』の原図が下関市立美術館に保存されていることが判明した.原図には,中国地方の地形図(約100万分の 1 )とその左側に約150万分の 1 で〈山陰地域の地質図〉...

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  • 山城国における古代道路の復原

    村上 晴澄 人文地理学会大会 研究発表要旨 2012 (0), 24-25, 2012

    ...地形図や文字史料・発掘調査資料等を用いて、山城国における平安時代初期の山陽道の経路を復原した。...

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  • 中世東日本における使用升の容積と標準升

    水鳥川 和夫 社会経済史学 78 (1), 99-118, 2012

    ...一方,15〜16世紀に畿内から山陽道にかけて売升が市場升として普及していたが,東日本では15世紀に南関東,東海,伊勢にかけて市場京升と等量の下方升を使用する市場圏が存在した。この下方升市場圏は16世紀初頭には近江国を,天文年間には京都を組み込み,京都において市場京升を成立させたと考えられる。この京升は,後に公定升となり,全国に普及した。...

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  • 山陰における古代地方官衙荘厳化の一端について : 鳥取県石脇第3遺跡を中心に

    大橋 泰夫 社会文化論集 : 島根大学法文学部紀要社会文化学科編 5 1-10, 2009-03-10

    ...ここからは建物跡とともに瓦が出土しているが、山陽道を除いて駅家で瓦葺建物が知られていないために問題が残されている。地方官衙における瓦葺建物は律令支配の道具の一つとして、宮都の荘厳化と連動し、律令国家の威信を示し地方支配を支えるためにあった。そのため、「笏賀駅家」が瓦葺建物であったのかは、律令国家が山陰道の駅家をどのように位置付けていたかを知る上でも重要な問題と考える。...

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  • 芦屋廃寺跡建物基壇と関わる地震痕跡

    寒川 旭, 森岡 秀人, 竹村 忠洋 日本考古学 8 (12), 135-146, 2001

    The Seisetsu region located in southern Hyogo prefecture is an area where the remains of temples dating back to the period of Hakuho culture in ancient times are rare, and the Ashiya abandoned …

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  • 武蔵国内の東山道について : 特に古代遺跡との関連から

    酒井 清治 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 50 165-194, 1993-02-26

    ...特に道幅が大路である山陽道に匹敵することは支路と考えるには問題があり,また,大宝元年(701)の駅制成立の時期よりも遡ることは,道の築造が,当時の朝鮮半島の緊迫した社会情勢と関連していたと考えたい。おそらく,対新羅,対唐に対応するための軍事的道路であり,一方は内政に目を向けた,北への勢力拡張政策のための道であろう。...

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  • 今川了俊「道行きぶり」注釈(一)

    稲田 利徳 岡山大学教育学部研究集録 89 (1), 1-15, 1992

    ...二月二十日に京都を出発、播磨、備前、備中、備後、と山陽道を西下した了俊一行は、やがて安芸国に入り、厳島に参詣、さらに十一月二十九日、長門国の赤間関に到り、平家一門の霊を弔っているところでこの紀行文は閉じられている。その間、約九か月の旅程を六十首の和歌を縷めながら、簡潔な文章で記述する。...

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  • 古代播磨国の郡衙

    吉本 昌弘 人文地理 35 (4), 357-370, 1983

    記事分類: 歴史・地理--日本史--平安時代まで ; 歴史・地理--地理・地理学--日本

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  • 天然更新に関する研究 (IV) : 近畿, 中国地方における各種ヒノキ林の更新

    赤井, 龍男 京都大学農学部演習林報告 50 44-57, 1978-11-20

    ...本報告は近畿, 中国地方におけるヒノキ林の天然更新の実態と, その機構を明らかにする目的で, 1975年から3ヵ年間, 紀伊半島の南部から北部にかけて存在する笠塔山, 高野山 (以上和歌山県), 登奈井尾 (三重県) 国有林の5林分と, 中国山陽道の西部に位置する野路山 (広島県), 城山 (山口県) 国有林の4林分について調査を行ない, 同時にこれまでの調査報告も合せて検討したものである。...

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  • 宇佐使についての一考察

    恵良 宏 史淵 98 111-136, 1967-03-01

    ...After the middle period of Heian Era, with the collapse of the postal system (駅伝制), sending by post and supply in the way of Usa-no-tsukai was done by the provincial governor of Sanyodo(山陽道) and Northern...

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  • 超音波加工装置の試作研究

    大平 正広, 西口 克已, 影山 陽道 精密機械 27 (315), 212-220, 1961

    The constitution of an ultrasonic machining apparatus and the experimental results of its abilities are described in this paper. This apparatus is controled by a feed back loop from a pick up …

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  • 超音波加工機構に関する一考察

    大平 正広, 影山 陽道, 阿久津 修 精密機械 27 (320), 625-630, 1961

    In order to make clear the mechanism by which material is removed in ultrasonic machining, the following observations and discussions are described.<BR>(1) Appearance of a chip removed is like that …

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