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  • 観察・実験場面の「対話的な学び」への参加行動と心理的安全性との関係

    亀山 晃和, 原田 勇希, 齋藤 惠介 理科教育学研究 63 (3), 537-550, 2023-03-31

    ...,我執,フリーライド)に着目し,理科の観察・実験場面においてこれらの行動が生起するのかを検討した。また,対話や我執,フリーライドなどの行動と理科教師に対する心理的安全性および実験グループのメンバーに対する心理的安全性との関連を検討した。その結果,我執やフリーライドといった「対話的な学び」で望ましいとは言えない行動が観察・実験場面で生起していることが明らかとなった。...

    DOI Web Site 参考文献16件

  • [研究論文]ネガティブ・ケイパビリティの受け取り直し

    秋山, 知宏 臨床教育人間学 16 30-38, 2022-07-25

    ...いを投げ掛けている.私は己事究明によって,一人ひとりがネガティブ・ケイパビリティという「負の経験価値のもつ潜在能力」を秘めていることに気づき,その可能性の広がりを実感した.負の経験価値を受け取り直してその潜在能力を引き出せば,自律的良心に気づいて肯定的かつ前向きな未来志向になることができる.それでもなお,自我(エゴ)は残る.それゆえ,日々新たに受け取り直しをして自律的良心を自覚し,自分に寄りかかる我執化...

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  • 三島由紀夫「美神」と幸田露伴「風流仏」

    新見 公康 日本文学 61 (8), 34-43, 2012

    ...</p><p>「風流仏」は、愛執を突き詰めたその先、我執を去ったところに、愛の感応があるとする。そこに近代を超越した愛の哲理がある。両者には、〈わたしのなかの他者〉との関係を通した新たな世界・世界観の提示がある。</p>...

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  • ブルーノ・ペッツオルトと富永半次郎の比較文化研究

    小谷 幸雄 印度學佛教學研究 59 (3), 1281-1284, 2011

    ...より釋尊末語のvayadhamma samkharaを念稱,其のあって,戦後『正覺に就いて』でガヤー正覺の,『釋迦佛陀本紀』で最晩年のチャーパーラー正覺の心理過程を文學的に創作した.ゲーテ最晩年の一年半の不安と『ファウスト第二部』の行詰りを「ある神秘的な心理學的轉換」で打開,その経緯を『釋迦佛陀本紀余論』に記す.それこそ最高度の佛陀現象で,釋迦のayu-samkharo ossattho(永壽追求の我執...

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  • 内観療法の原理と応用

    川原 隆造 心身医学 42 (6), 355-362, 2002

    ...内観療法は1941年に吉本伊信により確立された.内観療法は主として入院患者に行う集中内観と外来患者に行う分散内観とがある.集中内観は内観の基本構造である内観3項目と集中のための構造から成っている.その治療技法は父性的構え,母性的構え,症状や病理に触れないいわゆる不問,個別性と集団性を備えた治療の場から成る.分散内観には基本構造だけで集中のための構造はない.治療過程では恩愛感と自責感の情動体験,他者視点と我執...

    DOI Web Site 医中誌 被引用文献2件 参考文献34件

  • 千年目の姫 : 『まつら長者』考

    田畑 真美 富山大学人文学部紀要 34 27-46, 2001-03-21

    ...本稿では,さよ姫と大蛇たちを分かつこととなった両者の質的差異-我執を乗り越えられるか否か-に即して,少なからず我執に囚われざるを得ない弱い人間存在か,我執を超克していくことの意味について考察し,その考察を通して、さよ姫は何故神=救済者たり得たのか,そもそも人間存在にとっての救済とは何かを明らかにするつもりである。...

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  • 親鸞思想と解釈

    ヒロタ デニス 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 17 47-86, 1998-02-27

    文化的宗教的多元性を認めざるを得ない世界となっている。こうした多元性が受け入れられる現代的人間像と世界観を考察するために日本思想を探るならば、日本で展開された浄土教に一つの手掛かりが見いだされるのではないか。というのも日本浄土教、特に親鸞の思想は言葉と真実の関係をめぐる問題、または宗教における教えとの関わり方あるいは理解の仕方に直接取りくもうとするからである。

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  • カント実践哲学における独我論の問題

    倉本 香 哲学 1997 (48), 227-236, 1997-05-01

    ...カントは、幸福論者は「自己中心的な我執 (Selbstsuch) 」即ち、独我論 (Solipsismus) に陥っていると述べ (V 73) 、道徳法則こそ我執を打倒し複数主義の立場へと意志を規定することを明らかにした。...

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