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  • 戦争責任・植民地支配責任

    内海 愛子 学術の動向 27 (12), 12_59-12_63, 2022-12-01

    ...</p><p> だが、戦争犯罪の追及は、連合国による極東国際軍事裁判(通称:東京裁判)と米英蘭豪中など7カ国による軍事裁判(通称BC級戦犯裁判)が実施した。BC級裁判は、捕虜虐待、性暴力など「通例の戦争犯罪」2,244件、5,700人を裁いている。日本人だけでなく朝鮮人、台湾人も「敵に使用された者」として裁かれた。...

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  • 日本研究」の哲学的根拠 ーWar Guilt Imformation Program の超克ー

    斎, 孝則, SAI, Takanori 桜花学園大学学芸学部研究紀要 (11) 1-16, 2019-11-30

    ...(1)神話を歴史の中に位置付ける、(2)「日本」という国名を歴史の中に位置づける、(3)天皇の存在を歴史の中に位置づける、(4)戦争に関わって欠落している記述(原爆を投下した主体。戦死した軍人と英霊)を補う、(5)占領に関わって欠落している記述(WGIP。プレス・コード)を補う。(6)歴史用語(太平洋戦争、人間宣言、A級戦犯/戦争犯罪者、"emperor")の適切性を慎重に吟味する。...

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  • 作田啓一における〝分裂”

    佐藤 裕亮 ソシオロジ 64 (2), 3-20, 2019-10-01

    ...作田の仕事については一九六〇年代の日本社会論や戦争犯罪に関する研究のほか、ルソー研究、さらに、ドストエフスキーや夏目漱石などの文学作品を用いた「文学社会学」などが知られているほか、「人間の非合理的な生の現れ」である「〈リアル〉の探求」という問題関心の一貫性が指摘されている。それに対して、本稿は作田における“社会学者”としての側面に注目した。...

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  • Historical Perceptions and the Consciousness of War Responsibility: Scholarly Interpretations of Modern (Japanese) History in Postwar Japan

    黒沢, 文貴 東京女子大学比較文化研究所紀要 75 19-39, 2014-01-01

    昭和戦前期、すなわち一九三〇年代から四〇年代にかけての日本の侵略行為を、今日の日本人がどのように認識しているのかという、いわゆる日本人の歴史認識について、近年日本内外で問題視されることが多い。本稿では、戦後の日本人が、いわゆる太平洋戦争につながる一九二〇年代から四〇年代(大正後半・昭和戦前期)の歴史過程、すなわち「太平洋戦争への道」(もしくは昭和戦前期の歴史)をどのように理解してきたのかを、日本…

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  • 日本軍の命令・電報に見るマニラ戦

    林 博史 自然人間社会 48 69-95, 2010-01

    ...マニラ戦はフィリピンにおける日本軍のイメージを決定づける重要な事件である。しかし日本では戦闘経過についての研究はあるが、そこで日本軍が住民に対しておこなったことの研究はほとんどない。資料が散逸していることが大きな理由として挙げられる。そこで米軍に押収され英訳された資料や日本に残っている資料を丁寧に拾い出し、日本軍の住民観や住民対策を明らかにしようとしたのが本稿である。...

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  • 敗戦前後の佐々木惣一--近衛文麿との関係を中心に

    松尾 尊兌 人文學報 98 117-142, 2009-12-30

    ...近衛が戦争犯罪者に指名されて自殺したあと,その遺志をつぐように佐々木は貴族院議員として主権在民の日本国憲法に反対する一方,皇室典範を天皇退位を可能にするよう改正せよと主張した。ただし新憲法の内容のデモクラシーには賛成し,新憲法が成立すると,国民は新憲法を尊重して,これを守るよう説いた。...

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  • 戦争と医学に関する医療倫理教育の課題

    吉中 丈志, 西山 勝夫 医学教育 41 (1), 13-16, 2009

    ...1) 戦争と医学は医療倫理教育の重要なテーマである.日本とドイツの医学部・医科大学に対して質問紙による調査を行い医療倫理教育の課題を考察した.<br>2) ヘルシンキ宣言と医師の戦争犯罪についてドイツではほとんどの医学部・医科大学の医療倫理教育で取り上げられていたが,日本では少数であった....

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  • シンガポール華僑粛清

    林, 博史 自然人間社会 40 1-31, 2006-01

    ...1942年2月にシンガポールで日本軍がおこなった華僑粛清事件は、アジア太平洋戦争期における日本軍の代表的な残虐行為としてよく知られている。シンガポールでは体験記や資料集が数多く刊行され、日本側の関係者の証言もある程度は出されているが、この事件の全容を解明した信頼できる研究が日本にもシンガポールにもない。そうした中で本稿は、この粛清事件の全体の概要を、日本側の動きと要因を中心に明らかにする。...

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  • 軍事郵便に見る兵士と戦場論(1. 兵士と村)

    山辺 昌彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 101 61-72, 2003-03-31

    ...また、日本軍の攻撃・爆撃により廃嘘になり死体が放置されている都市の様子、日本軍が軍事力で占領地支配を維持しており、日本軍のいいなりになる政権をつくり、植民地と同様に日本化している様子も見られる。さらに毒ガス戦の準備の様子を見られる。このように、農民兵士の軍事郵便からも、日本の中国への戦争が侵略戦争であり、それが中国の人びとに多大な災難、損害と苦痛を与えており、戦争犯罪もあったことがわかる。...

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  • Nurnberger Prozesse und Tokioter Prozess : ein Vergleich

    芝, 健介 東京女子大学比較文化研究所紀要 62 67-88, 2001

    ...こうした見方、扱い方は、日本ではさらに激しく表示され、1996年の東京裁判50周年のシンポジウム(『争論・東京裁判とは何だったのか』築地書館、1997年参照)では、ナチ体制の犯罪、わけてもホロコースト(ユダヤ人絶滅政策)が、日本の「通常の」戦争犯罪と比較し、類をみぬ犯罪であったにもかかわらず、ニュルンベルク裁判よりも厳しい判決が東京裁判では下された、というイメージが参加者の想起するところにはかならないことも...

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