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検索結果 198 件

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  • 武田泰淳「ひかりごけ」論 : 作中における「戦争」と「罪」に注目して

    趙 文軒 研究論集 23 31-50, 2024-01-25

    ...ちなみに、多くの戦後小説が第二次世界大戦を批判する内容を示し、戦場の残酷さを描いているが、一般人の戦争責任を追及する作品は希少である。とりわけ、朝鮮戦争への批判を含む作品はあまり見られなかったという時代状況の中で、「ひかりごけ」は独特な位置を占めていると言えよう。...

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  • 戦争責任・植民地支配責任

    内海 愛子 学術の動向 27 (12), 12_59-12_63, 2022-12-01

    ...日本の戦争責任、植民地支配はどのように清算され、責任はどうとられたのか、朝鮮人戦犯から考える。</p>...

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  • 歴史からの逃亡と乖離

    千田 洋幸 日本近代文学 106 (0), 64-79, 2022-05-15

    ...しかしその多くは近代文学の後進性・特殊性と西欧文学に対する劣等感を表現するもので、国語教育者が自己の戦争責任への直接的な追及を回避するため、欺瞞的な自己批判を行ったにすぎなかった。この意味で、文学史教材は「歴史からの逃亡」の産物といえる。...

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  • 「私は生きのこった」 : 宝塚歌劇団『ひめゆりの塔』に描かれた沖縄戦

    島, 大吾 京都産業大学論集. 人文科学系列 55 157-185, 2022-03-31

    「ひめゆり学徒隊」は,沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校という2 校から動員された未成年の女学生によって1945 年に編成された。沖縄戦開始と同時に動員されて戦場で看護活動にあたった彼女たちは,その大半が戦場で命を落とした。今日に至るまで「ひめゆり学徒隊」はさまざまな媒体で物語として語られ,沖縄戦の悲劇を象徴する存在として知られている。本稿はその数多くの作品の中でも1945 …

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  • 普遍と特殊 : 近現代東アジアにおける秩序構想の語り方(下)

    茂木, 敏夫 東京女子大学紀要論集 72 (1), 93-119, 2021-09-30

    ...東アジアでは、こうした普遍価値をめぐり、例えば、戦争責任や戦後責任をめぐる日本と周辺諸国、あるいは南シナ海の島嶼の領有をめぐる中国と周辺諸国の紛争において、国際社会のルールを遵守するのは誰か、誰が普遍の側にいるのかをアピールすることで地域の主導権を獲得する、せめぎ合いが展開されるようになった。...

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  • 東アジア共同体構想のリアリズム

    河野 道夫 21世紀東アジア社会学 2021 (11), 178-190, 2021-09-30

    ...このAPTにオーストラリア(豪)とニュージーランド(NZ)を加えた15 ヵ国は2020年、地域包括的経済連携(RCEP)協定を締結するなど進展もあったが、南沙諸島・尖閣諸島など領土問題や、徴用工・従軍慰安婦など戦争責任と戦後処理の問題があり、いまだに「東アジア人」としての一体感や連帯感の育つ環境ではない。...

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  • 原爆(戦争)経験の継承論からみる震災経験の伝承

    深谷 直弘 日本地理学会発表要旨集 2021a (0), 85-, 2021

    ...例えば、核戦争の脅威が現実味を持っていた冷戦期と冷戦崩壊後に戦争責任が大きく取り上げられていた時期とでは、強調される原爆経験の語りは異なっているように思える。さらにいえば、原発事故以後に継承すべき原爆経験も同様のことが言えるのかもしれない。しかしそれでも、長崎・広島では約70年以上、原爆体験の継承実践が行われてきた点を踏まえると、時代や社会が変わっても変わらない部分がある。...

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  • 被爆ナショナリズムの政治力学

    根本 雅也 社会学評論 72 (3), 276-293, 2021

    ...</p> <p>自民党政権において,被爆ナショナリズムは次の3つの仕方で展開された.第1は,核兵器を国外の問題とすることで,国民の核兵器反対行動の矛先を国外に向けようとしたことである.第2は,原爆を戦争の被害から区別し,政府の戦争責任と国家補償を不問にすることで,被爆者問題を国内問題にとどめ,「唯一の被爆国」という被害者共同体を維持しようとしたことである.第3は,第1,第2の根底にあって,それらを支...

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  • 「戦前」日本の教育史と、社会運動、教育運動に対する「取締り・弾圧」機構の検討

    柿沼, 肇, KAKINUMA, Hajime 現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 138 67-97, 2018-09-30

    ... (1)日本教育の天皇制軍国主義的体質  (2)教育における「戦争責任」の払拭 -「空振り」と「免罪」  (3)「戦後」社会の中で -二度のチャンスを生かせず  Ⅱでは  (1)代表的な「取締り・弾圧」法令(33 項目と関連法令22 項目を列挙,一部に短いコメントを付す)  (2)「取締り・弾圧」機構(情報収集,思想統制,世論形成等を含む.24 項目.各項にやや長めの解説を付す)  なお,Ⅱでは時間...

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  • 芸術映画社による製作現場の変容

    森田 典子 映像学 100 (0), 10-31, 2018-07-25

    ...</p><p> これまでの日本のドキュメンタリー映画研究は、戦争責任論を背景にして戦後に台頭した製作者らによる「ドキュメンタリー」の実践活動を重視し、その反面で戦前世代による文化映画業界での実践活動を看過してきた。これに対して本稿では、1930年代後半から1940年代初頭にかけてローサの「ドキュメンタリー」の概念を積極的に導入した芸術映画社の実践に着目する。...

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  • 火野葦平「麦と兵隊」論 : 戦争文学への一視点

    陳, 徳超 東アジア研究 16 143-154, 2018-03

    ...従来の研究において、火野葦平がこの作品を通じて日中戦争に協力した戦争責任があるという論調と、彼はひたすら「民衆」を描いていることで反戦思想を告白しながら軍国主義の犠牲者になったという評価が並行しており、両者の間には乖離が見られるのだが、その乖離をどのように埋めていくかが本稿のモチーフである。...

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  • シリーズ 戦争とラジオ〈第2回〉 前線と銃後を結べ

    大森 淳郎 放送研究と調査 68 (1), 46-64, 2018

    前編では、日本の録音放送が戦争の中で生まれ、戦争の中で発展してきた様を概観し、1941年5月に放送された『病院船』の録音構成としての完成度を分析した。後編ではまず、太平洋戦争開戦直後につくられた『香港攻略戦』を聴く。戦場に録音隊を派遣してつくる番組は前線録音と呼ばれていたが、『香港攻略戦』は、それまでの前線録音にはない、確かな「構成」を備えるものだった。日本軍が快進撃を続けていた時期、「構成」と…

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  • 検証と血債

    城殿 智行 International Journal of Human Culture Studies 2017 (27), 337-342, 2017-01-01

    ...シンガポールの市街中心部には,戦没者記念碑が立つ.第2次世界大戦中,シンガポールを占領した日本軍は,抗日分子の排除を企図して,5万人ともいわれる華僑を粛清していた.1962年になって,粛清された華僑犠牲者の遺骸が発掘されたのを契機とし,日本軍占領下に殺されたすべての一般市民を弔うための慰霊碑が求められ,1967年に落成した.市民による抗議運動の高まりを受けて,日本は同年にシンガポールと準賠償協定を結んだが,戦争責任...

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  • 国家社会主義ドイツ労働者党 : 1920 - 1924

    金杉 高雄 太成学院大学紀要 18 (0), 19-30, 2016

    ...(1) 第一次世界大戦の敗因は軍部の共産主義者・社会民主党支持者・ユダヤ人による (2) ヴェルサイユ条約でのドイツへの理不尽な戦争責任賠償 (3) ドイツ経済が不況に陥ったのは政府の政策が間違っていたからである (4) ユダヤ人がドイツ人の職を奪っている。画家志望の青年,ヒトラーが第一次世界大戦でのドイツの敗戦に憎悪したことがナチ党の結党へと結びついた。...

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  • Historical Perceptions and the Consciousness of War Responsibility: Scholarly Interpretations of Modern (Japanese) History in Postwar Japan

    黒沢, 文貴 東京女子大学比較文化研究所紀要 75 19-39, 2014-01-01

    昭和戦前期、すなわち一九三〇年代から四〇年代にかけての日本の侵略行為を、今日の日本人がどのように認識しているのかという、いわゆる日本人の歴史認識について、近年日本内外で問題視されることが多い。本稿では、戦後の日本人が、いわゆる太平洋戦争につながる一九二〇年代から四〇年代(大正後半・昭和戦前期)の歴史過程、すなわち「太平洋戦争への道」(もしくは昭和戦前期の歴史)をどのように理解してきたのかを、日本…

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  • 堀辰雄ブームの検証

    中野 綾子 日本文学 62 (11), 55-66, 2013-11-10

    ...文学者の堀辰雄愛読者に対する批判もこのような読書行為と同様の構造を有し、堀辰雄の真の理解者だと示すことは、戦争責任を忌避する行為でもあった。文学者たちが学徒兵との関連を捨象しながら、堀辰雄の普遍性を保証する評価を下してきたことで、同時代的な読書行為の意味や自らの戦争責任を問いがたくしてきたのである。</p>...

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  • 戦争文学と笑い

    宮西, 郁実 表現文化 7 43-61, 2013-03

    ...従来、日本の戦争文学は、主に作家の戦争責任や戦争批判の視点から論じられてきた。戦後、日本の戦争文学批評の視座が政治イデオロギーの領域に固定されていた一方で、戦争の記憶の語り手である戦争体験者は、時間の経過と共に高齢化・減少し、それに伴い、戦争の語りの質そのものが変化しつつある。……...

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  • Japan's Colonical Responsibility and National Subject Formation

    Tai Eika 人権問題研究 12-13 77-96, 2013-03

    ...戦争責任は過去に幾度となく議論されてきたが、90年代での論争では、植民地支配の責任が1つの焦点になった。そうした展開の中、97年に日本の戦争責任資料センターにより「ナショナリズムと『慰安婦』問題」というシンポジウムが開かれたが、このシンポとそれに続く論争の中で、植民地支配の問題が国民主体の形成との関係で議論された。...

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  • 戦後の「混血児問題」をめぐって : 久布白落実の論稿を中心に

    嶺山 敦子 社会福祉学 52 (4), 41-53, 2012-02-29

    ...をつかんでいった.当初は「混血児」が孤児であることを問題と考えていたが,実態を把握するにつれ,政府や社会が光を当てていなかった,片親が養育している「混血児」に対する認知と扶助の必要性を認識し始めた.久布白がアメリカの宣教師モルフィと連携しその認知と扶助の斡旋を行ったことは,「混血児」の母親の権利擁護という視点から考えても意義深いものと思われる.また,混血児問題への取り組みを通して,性の問題に関する日本の戦争責任...

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  • 台湾における戦後処理の問題点

    和田 英穂 尚絅学園研究紀要 A.人文・社会科学編 5 (0), 59-71, 2011-03-31

    ...終戦直後から祖国中国に返還されるも「日本人」として戦争責任が負わされ,また一方では日本の不当な弾圧を受けていた台湾人民主派たちの祖国による日本に対する正当な処理への期待は失望へと変わってしまった。こうした「棄民」状況に陥っていた当時の台湾における戦後処理の状況はいまだ未解明の部分が少なくない。...

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  • 荒瀬豊の思想史研究 : ジャーナリズム批判の原理

    根津 朝彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 163 63-89, 2011-03-31

    ...米騒動において「解放のための運動」と新聞人の求める「言論の自由」が切り離さる過程を荒瀬は読み込み,新聞の戦争責任と絡めて「一貫性ある言論の放棄」を見出した。荒瀬の敗戦直後の新聞言説の分析をとらえ返すことで彼のジャーナリズム批判の方法が論理の徹底性にあることを明示した。...

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  • 敗戦前後の佐々木惣一--近衛文麿との関係を中心に

    松尾 尊兌 人文學報 98 117-142, 2009-12-30

    ...国体を維持するためには,昭和天皇は戦争責任を負って退位すべきだとの暗黙の合意も,二人の間には存在した。近衛が戦争犯罪者に指名されて自殺したあと,その遺志をつぐように佐々木は貴族院議員として主権在民の日本国憲法に反対する一方,皇室典範を天皇退位を可能にするよう改正せよと主張した。ただし新憲法の内容のデモクラシーには賛成し,新憲法が成立すると,国民は新憲法を尊重して,これを守るよう説いた。...

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  • 加害の戦争責任 : 「撫順の奇蹟」を事例として

    坪田 典子 日本オーラル・ヒストリー研究 4 (0), 123-141, 2008-10-11

    After 5 years of sentence in Siberia, some 1000 Japanese prisoners were transferred to Fushun, China as war criminals in 1950. At that time, they all stubbornly refused to admit they committed war …

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  • 戦後ドイツにおける戦争の記憶と現在

    熊野 直樹 法政研究 73 (2), 51-77, 2006-10-05

    ...ホロコースト」―再生・定着・反発― (一)ナチズム犯罪の司法による追及と西ドイツ社会 (二)ブランドの登場と六八年運動 (三)テレビ映画『ホロコースト』の影響 (四)集合的記憶の定着とマイノリティーによる申し立て (五)ビットブルク事件とヴァイゼッカー演説 (六)歴史的論叢 三 忘却された戦争犯罪の記憶の再生 (一)冷戦終焉と忘却された戦争犯罪 (二)国防軍の戦争犯罪の記憶の再生 (三)普通のドイツ人の戦争責任...

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  • 中日両国間における諸問題の底流

    兪, 稔生, Yu, Rensheng 長崎ウエスレヤン大学地域総合研究所研究紀要 = Bulletin of the Research Institute of Regional Area Study, Nagasaki Wesleyan University / 長崎ウエスレヤン大学 編 4 (1), 35-44, 2006-03

    ...日本では戦後、侵略戦争の責任者の多くが釈放され、政界に復帰したため、今なお中国をはじめとするアジア諸国に対する戦争責任を認めようとしない保守政治が続いている。歴史認識(教科書問題)、靖国神社参拝、台湾問題はその脈絡の中で当然起こるべきして起こった事件である。...

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  • 国家責任のポリティクス

    阿部 浩己 法社会学 2002 (56), 66-83,275, 2002

    Breaking five decades of silence, Asian women courageously emerged in the public arena as survivors of Japanese military sexual slavery. The immediate response of the Japanese ruling elite was a …

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  • 松本治一郎の公職追放

    増田 弘 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 21 147-170, 2000-03-30

    ...明らかに政府当局の誤認、というよりも、参議院副議長として天皇拝謁を拒否した「カニの横ばい」発言や皇室財産の削減要求、あるいは天皇の戦争責任論など反権力・反体制の言動著しい松本を、懲罰的にパージへと追い込もうと焦慮する余り、勇み足となったのである。...

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  • 日本の戦争責任を謝罪することば

    遠藤 織枝 社会言語科学 3 (1), 51-64, 2000

    1998年11月,江沢民中国主席が訪日した際,「おわび」「謝罪」のことばがとびかった.これをきっかけとして,日本の戦後処理に関する謝罪のことばが,過去においてどのようなものであり,現在どのように使われているかを確認したいと考えた.その方法と手順は以下のとおりである.1.発話行為としての「謝罪」のことばのあり方を考える.2.日本政府首脳と天皇の,主として中国・韓国首脳との会談の言辞を歴史的な流れの…

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  • 東京高師と日本のスポーツ

    森川 貞夫 スポーツ社会学研究 8 24-49,126, 2000

    In this paper my principal aim is to present a historical analysis of the role of Tokyo Higher Normal School in Japanese society. The alumni association “Meikeikai”—formed by graduates of Tokyo …

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  • 平和教育

    伊ケ崎 暁生, 柿沼 肇, 安川 寿之輔, 王 智新, 藤田 秀雄 教育学研究 56 (1), 79-88, 1989

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  • 女・生活・民衆の再発見 : 佐多稲子における戦後の起点(<特集>近代文学における<他者>)

    長谷川 啓 日本文学 37 (10), 46-54, 1988

    ...昭和二十年の敗戦前後に、佐多稲子は離婚と内なる戦争責任という、二つの痛切な体験に出会っている。家庭崩壊と自己挫折からの再起、これが佐多稲子が抱え込まざるをえなかった戦後再出発の問題であった。敗戦直後に同時平行して連載された二つの自伝小説「私の東京地図」と「或る女の戸籍」は、こうした重い問題を負った、いわば自己検討の書といえるだろう。...

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  • 法的立場より見た天皇の戦争責任

    小森 義峯 法政論叢 23 (0), 34-41, 1987

    This thesis consists of four parts:(1)preface, (2)responsibility for war of the Emperor viewed from the standpoint of constitutional law, (3)responsibility for war of the Emperor viewed from the …

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  • 九州大学新聞

    九州大学新聞 506 1964-04-10

    ...工事進む 法文経新館/社会・心理・英文学科に集まる 文学部進学科志望調べ発表/『全ゆる面に貪欲たれ』学長告示 入学式行なわる/武井昭夫への挽歌 自己の軌跡を明白にせよ (あ)/宍戸恭一氏への手紙 『現代史の視点』を読んで 自己と状況との接点を明確に 己れの<自己史>を語れ 私の<進歩的>意識 生活の論理化へ 知識人の自己自立 自己のない自己史(可)/戦後学生運動小史(1) 1945~1946 安易な戦争責任...

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