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検索結果 263 件

  • 『愚公山を移す』における〈パフォーマンス〉――上海档案館から発見した撮影記録資料に基づいて

    龐 鴻 映像学 111 (0), 157-176, 2024-02-25

    ...<p>ヨリス・イヴェンスとマルセリーヌ・ロリダンが1970年代に中国で制作した『愚公山を移す』(1976)は、文化大革命の時代に中国に入国できたわずかな西洋人が手掛けた映画であるが、その信憑性について多くの議論がなされてきた。上海档案館に所蔵されている撮影現場の録音記録、撮影活動の報告書や日程表といった書類から、撮影の状況を把握することができる。...

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  • 教育の視点からみた無形文化遺産研究 ―「実践知」の概念を手がかりに―

    清水, 拓野 研究紀要 (24) 41-54, 2023-03-10

    ...中国では, 文化大革命時代に排除の対象であった伝統的無形文化を文化遺産として保護・継承の対象にするという文化政策の大転換を行い, 21世紀に入ってから数多くの無形文化遺産を登録してきたので, 文化遺産研究は近年大いに注目されている。しかし, 日本と比べても文化遺産保護の歴史が短い中国では, 政策的矛盾も多々あり, 無形文化遺産の継承過程にも少なからず影を落としている。...

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  • 近代知識人の日常生活と娯楽経験(続) : 戦後の『王伯祥日記』を例に

    楊, 韜 文学部論集 107 63-74, 2023-03-01

    ...前稿に続き本稿では同じく『王伯祥日記』を扱うが、主に1950-1966年の『王伯祥日記』を対象に、彼の中華人民共和国建国初期から文化大革命が始まるまでのおよそ15年間の日常生活と娯楽行動の実態を考察した。言うまでもなく、戦前と戦後における情況は、変化した国内外の政治的・社会的背景による異同が見られる。戦前から継承されている側面としては、王伯祥の中国伝統芸能に対する変わらぬ関心と情熱がみてとれる。...

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  • 中国における国家級自然保護区の発展と空間分布特性

    任 海, 中岡 裕章, 江口 誠一, 関根 智子, 森島 済 日本地理学会発表要旨集 2023s (0), 227-, 2023

    ...Ⅱ.中国における自然保護制度の発展と現状  中国における自然保護制度は,1956年に国家級自然保護区を指定してから成立されたが,1966年からの10年間の文化大革命の影響で自然保護行政は著しく停滞した。その後,1980~1990年代に回復し,2000年代には大きく発展してきた。...

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  • 中国南京市佘村における潘氏祠堂の内部空間の再現

    李 敏, 青木 宏展, 植田 憲 日本デザイン学会研究発表大会概要集 70 (0), 454-, 2023

    ...<p>近年、中国政府は古代建築物の保護の重要性を強調しているが、文化大革命や急速な経済発展により、全国各地の数多くの古建築や文化遺産が破壊され、それに伴い、多くの伝統行事・儀礼が消失した。潘氏祠堂は南京市の非物質遺産(無形文化財)に登録され、また、2017年には、国の文化遺産保護政策により、建物は修繕がなされたが、その使用方法やそれに伴う空間特質については十分に理解されているとは言い難い。...

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  • 主旋律/IP映画としての『タイガー・マウンテン』 : 2010年代の徐克監督作を巡って

    阿部 範之 GR-同志社大学グローバル地域文化学会紀要 (19) 1-33, 2022-10-25

    徐克の2010年代の監督作は、いずれも「IP映画」にあてはまる。これは、有名な原作や監督、題材などが売りとなった映画を指す。徐監督の『タイガー・マウンテン 雪原の死闘』も、文化大革命時に製作された『智取威虎山』のリメイクと言えるフィルムだが、当時のイデオロギーの代わりに、興行性を意識した要素が注ぎ込まれ、大ヒットした。これ以降、香港出身の監督たちを起用し、主旋律映画大作を製作する動きが広がった。

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  • 中国・陝北地方における20世紀中期以降の農牧業・土地利用の変化

    任 凌云 日本地理学会発表要旨集 2022s (0), 49-, 2022

    ...人民公社の時期は「大躍進」と「文化大革命」の影響を受け,農業生産が2回のダメージを受けたことがデータから見られた。総合的に見ると,この時代は農牧業生産が低く,全人民所有制の下で,食糧の確保に努めていた時代であった。それに続く改革開放期は「農業生産請負制」の導入により,農家の増産への積極性が引き出され,農牧業生産量の急増がデータから見られ,また生産物が多様化し,商品化が進んだ。...

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  • 科学技術立国の再興に向けて ― 日本は終わってしまったのか?

    島田 眞路 日本薬理学会年会要旨集 96 (0), 2-B-SL09-, 2022

    ...このアカデミズム否定は、かつての文化大革命を想起させる暴挙である。これらの政策のおかげで日本の研究力は顕著に低下した。そのよい例が今般の新型コロナウイルス感染症対応で露わになった。ワクチン、治療薬ともその開発は、欧米に大きく遅れをとってしまった。これらの科学技術研究を中心とするアカデミズム抑制政策を即刻転換しなければ、日本の科学技術力は本当に地に堕ちる可能性があり、深く憂慮している。 ...

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  • 文化大革命後における香港左派映画の戦略

    雑賀 広海 映画研究 15 (0), 74-95, 2020-12-05

    ...第二次世界大戦後しばらくは順調に映画製作をしていた左派は、中国で文化大革命が起きると、その影響で苦境に立たされる。文革が終結して改革開放路線に変わると、左派は中国各地に遠征して、右派には撮影できない中国の風景を作品に取り入れようとした。その目的は、香港の観客には珍しい風景を強調するためだけではなく、右派が描く中国のイメージを実景で更新しようとしたためでもある。...

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  • 文化大革命時代のユートピア的表象 : 姜文の『太陽の少年』

    朴 香芸 大阪大学言語文化学 27 15-26, 2018-03-31

    ...本文着重于具体分析少年所处的文化大革命时代的乌托邦表象和作为这些表象反面的反乌托邦表象以及它所引发的对文化大革命的思考。对于文化大革命时代的乌托邦表象,在这里分为银幕空间,恋爱,音乐,英雄主义四个部分,而反乌托邦表象分为阶级,权威的缺失,反英雄主义三个部分。...

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  • 文革後中国における幼児園教育の変容-「幼児園工作規程」を手がかりに-

    南部, 広孝, 桑原, 綾 京都大学大学院教育学研究科紀要 63 465-488, 2017-03-30

    ...本稿は、文化大革命終結後の中国において、国の体制や教育のあり方が変化する中で、幼児園の位置づけや教育のあり方、それを支える制度が政策レベルでどのように変容してきたのかを明らかにすることを目的とし、1989年に制定され、1996年と2016年に改正された「幼児園工作規程」を取り上げて検討した。まず、教育政策の変遷と就学前教育のあり方の変化についてまとめ、続いて、幼児園数と園児数の変化を確認した。...

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  • モンゴル人の中国文化大革命と不名誉な「名誉回復」

    大野(楊) 旭(海英) 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2017 (0), H04-, 2017

    ...1966年から76年まで続いた中国文化大革命期間中に、内モンゴル自治区でモンゴル人を対象とした大量虐殺運動が発生し死傷者の総数は40万人に達する。モンゴル人が分離独立を求めたのが原因。虐殺後、共産党政府は運動の「是正」を行い「名誉回復」を図り、善後政策を実施。民族問題の本質を隠蔽した為、一時的に対立は抑え込まれたものの、本質的な解決には至らなかった。...

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  • 国家的社会変化における青海チベットの生誕儀式の動態

    ガ ザン 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2017 (0), G10-, 2017

    ...本発表では、民族誌的な研究蓄積の少ない中国青海省チベット村落社会を対象として重点的な現地調査によって民族誌資料を提供することを目的にし、1950年代以降の民主改革・人民公社化、文化大革命など中国の一連の政策の実施による国家的社会変化において、チベットの伝統的な生誕儀式は如何に継続、変貌してきたのかについて考察する。...

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  • 中国映画における分身の表象に関する史的考察 : 『舞台女優』(1987)を中心に

    王 玉輝 研究論集 16 173-186, 2016-12-15

    ...まず中国映画史を軸に、一九四九年までの民国期、一九四九年から文化大革命が幕を閉じる一九七六年までの共和国期、文革後から今日に至る改革開放期という、中国近現代史の流れに沿った三つの部分に分けつつ、中国映画における分身表象のそれぞれの相貌を捉え、その歴史的展開を描き出す。次に、中国の第四世代の監督黄蜀芹による『舞台女優』(人鬼情、1987)を取り上げる。...

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  • 近現代中国の社会政治的コンテクストに於けるプロテスタント基督教

    宮城 幹夫 人文科学研究 : キリスト教と文化 (48) 245-297, 2016-12-15

    ...一方、教会の政府登録をとおして三自愛国教 会に加わることを拒否したが故に、政府の弾圧で地下に潜伏させられた地下教 会は、文化大革命後の宗教自由化政策によって教会活動を政府に黙認される存 在となり家庭教会と称されるようになった。しかし、今だ非合法的存在であり、 家庭教会が弾圧に抗議する声明で明らかにしたように家庭教会に対する政府の 弾圧は存在する。...

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  • 11教−25−口−44 中国の学校体育における人間形成に関する研究

    劉 素雲, 友添 秀則, 吉永 武史 日本体育学会大会予稿集 67 (0), 306_2-306_2, 2016

    ...中国では、1970年代末期に「文化大革命」運動が終息して以降、1980年代から学校体育は発展を遂げていく。したがって、この時期は重要な転換期であると考えられ、この時期における人間形成の変遷及び課題の明確化は、これからの学校体育カリキュラムにおける人間形成のあり方を再構築していく上で大きな示唆を与えると考えられる。</p>...

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  • 中国医療保険制度の歴史的形成過程と限局性

    Hu, Qi 西南学院大学大学院経済学研究論集 2 1-42, 2015-01

    ...1967年から1977年にかけて文化大革命を勃発し、この期間には労働医療保険が崩壊寸前の状態になった。その一方、農村合作医療保険のカバー率が史上最大になった。しかしながら、文化大革命の終了や計画経済から市場経済への推進に伴い、各医療保険制度の財政が疲弊し、制度の破綻を招来した。90年代後半から新たな医療保険制度が誕生した。これは中国の医療保険制度の略歴である。...

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  • 11 中国福建省の祭祀芸能の古層-「戯神」を中心として-

    鈴木 正崇, Suzuki Masataka 国際常民文化研究叢書7 -アジア祭祀芸能の比較研究-=International Center for Folk Culture Studies Monographs 7 -Comparative Study of Asian Ritual Performing Arts- 7 231-272, 2014-10-01

    ...社会主義国家に組み込まれ、大躍進や文化大革命の変動期を経て、伝統の復活と再創造の波の中で、現在では娯楽や鑑賞の対象とされることが多くなった。激動を経てきた「戯神」の変容と持続を検討する。...

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  • 青海省チベット族村社会の政治組織と経済の変遷

    ガザンジェ 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2014 (0), 59-, 2014

    ...それは1958年以前の(西寧馬軍閥支配下にあった)各地方部族の千百戸政権の統治時代と、1958年以後中華人民共和国が民主改革・人民公社、文化大革命、「土地承包制」などを行って以後現在までの時代をそれぞれ指している。  新旧社会はチベットにとって政治、経済、宗教制度など全く相違する二つの時代である。  ...

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  • 文化大革命と国際環境(6) 林彪事件をめぐる若干問題について

    郝, 暁卿 福岡県立大学人間社会学部紀要 21 (2), 15-33, 2013-01-08

    ...3.林彪事件は文化大革命の展開とその後の中国にどんな影響を与え、いかなる意義をもったのか、などを検討する。結論の一つとして、林彪事件は文化大革命の進行過程を大きく変え、毛沢東の運動の理念に壊滅的な打撃を与えた。その意味で、事件の発生は文化大革命運動の徹底的な破産を宣言したのである。...

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  • 【投稿論文】中国蘇州庭園住宅の機能変化と保全課題

    孫 剣氷 東アジアへの視点 24 (3), 49-58, 2013

    ...しかし,文化財として指定されたにも関わらず,文化大革命の変動や1980年代から始まった都市開発が,庭園の破壊を招いた。現在,中国では経済成長が進んでおり,これらの庭園の保全に関しては,世界文化遺産の登録 にともなう過度の観光開発,庭園の保存と生活環境の改善の対立など,様々な問題に直面している。その一方で,今日,世界遺産の分野やランドスケープ遺産の分野で新たな価値観や取組みがみられる。...

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  • 周惇頤の墓ーその歴史と現況

    吾妻, 重二 東アジア文化交渉研究 東アジア文化研究科開設記念号 ([1]) 145-162, 2012-03-24

    The tomb of Zhou Dunyi (周惇頤1017-1073), a philosopher of North Song China, is located in suburb of Jiujiang City, Jiangxi Province. The tomb was maintained by local gentries 郷紳 and literati thorough …

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  • 映画『南海長城』について : 中国当代文芸政策に関する一考察

    辻田, 智子 京都産業大学論集. 人文科学系列 45 215-231, 2012-03

    ...文化大革命では多くの映画作品,映画人が批判されたが,批判の理論的根拠となったひとつが文芸黒線専政論である。文芸黒線専政論は「林彪同志が江青に委託して開いた部隊文芸工作座談会紀要」(部隊紀要)で提起された。「部隊紀要」では建国以来のほとんどの映画が否定されたが,『南海長城』は映画作品のなかで唯一肯定的にとりあげられている。...

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  • 中国雲南省徳宏州における仏教実践の断絶と再構築

    小島 敬裕 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2012 (0), 5-5, 2012

    ...本発表では、中国雲南省徳宏タイ族ジンポー族自治州における上座仏教の、大躍進・文化大革命期における実践の断絶と、その後の再構築の過程に注目し、地域における宗教実践の変容と継続の局面を明らかにする。具体的には、フィールドワークによって得られたデータから、徳宏の仏教徒たちが文革後の実践の再構築の過程において、ミャンマー側の実践の影響を受けつつも、地域に根ざした独自の実践を主体的に選択していることを示す。...

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  • 悪と罪

    孫 軍悦 日本文学 61 (2), 37-47, 2012

    <p>一九七〇年代末から八〇年代初めにかけて、中国大陸でブームを巻き起こした日本の社会派推理小説とそれを原作とする映画は、「法」にかかわる文学として位置づけられた。実際〈翻訳〉された中国語版の映画にも「法」がはっきりと刻み込まれていた。本論は、『人間の証明』と『砂の器』を中心に、日本語版の小説から中国語版の映画に至るまでの転換過程を辿り、特殊な歴史的状況のなかで日本の社会派推理小説を原作とする映…

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  • 文革期文芸の一側面 : 映画『海霞』をめぐる問題

    辻田, 智子 京都産業大学論集. 人文科学系列 43 213-236, 2011-03

    謝鉄驪(1925-)は北京電影製片廠所属の監督である。文革時期5本の革命模範劇の映像化に関わった。小説『海島女民兵』を基に脚本『海霞』を書き上げ,自ら監督して映画化しようとする。しかし革命模範劇の映像化を命じられたため,『海霞』の撮影は銭江らに託し,折に触れて撮影の指導をする。  1975年1月にフィルムが完成し,文化部が審査するが,「三突出」の原則を守っていないなどの理由で上映が許可されなかっ…

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  • 「文芸黒線専政」論の否定について

    辻田, 正雄 文学部論集 95 129-143, 2011-03-01

    ...文芸界の文化大革命の理論的根拠のひとつであった「文芸黒線専政」論は、文革後すぐに否定されたのではない。1977年末に批判が開始されたが、その内容は「文芸黒線専政」は存在しなかったが「文芸黒線」は存在したとする、基本的に文革の論理を踏襲するものであった。「文芸黒線専政」論が発表された部隊紀要に毛沢東が関与していたからである。1978年5月に始まる真理検証基準論争によって変化が生じる。...

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  • 中国少数民族の農外就業とその歴史的変遷

    雨森 直也 人文地理学会大会 研究発表要旨 2011 (0), 38-38, 2011

    ...文化大革命期でも、大工は都市建設や家屋の建設で鶴慶県政府所在地の街や周辺の村落だけではなく、ナシ族が多い麗江やチベット族が多い中甸(現在の香格里拉)を就業領域としてきた。村には大工の棟梁や近年では建設業の社長もいる。 改革開放政策が始まり、各家庭に農地が分配されると、多くの家庭では農業で最低限自給できるレベルであった。...

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  • 観光土産としての中国農民画

    山口 睦 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2011 (0), 99-99, 2011

    ...本発表は、中国上海市近郊の金山地区において製作されている金山農民画を題材として、文化大革命時の農民芸術運動として花開いた農民画が、現在なぜ観光土産として日本人に受容されているのかを検討する。具体的な課題として、現代における観光土産としての農民画のあり方、また日本人による農民画の受容を購入者、製作者の両側面から分析し、現代の中国農民画を通して「ふるさとイメージ」が受容されていることを示す。...

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  • 1971年の出版工作座談会について

    辻田, 正雄 文学部論集 94 123-139, 2010-03-01

    ...文化大革命の段階区分として、出版の分野では実務を重視する必要性が強調されはじめる1971年を分岐点とするのが合理的である。出版座談会は実務的会議の象徴的存在である。この出版座談会によって出版の多様化への道がひらかれたし、これを機に、批判材料という名目であれさまざまな外国文学作品等が内部発行として出版された。内部発行の翻訳書は鎖国的状況下で外国の社会や文学や思想などの動向を知る手段のひとつとなった。...

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  • 八〇年代上海の表象――中川道夫写真集『上海紀聞』より

    新谷, 秀明 西南学院大学国際文化論集 24 (2), 249-267, 2010-03

    ...一九七六年に「四人組」が逮捕され、十年間続いたプロレタリア文化大革命が終息。七八年の中国共産党第十一期三中全会で 小平が実権を掌握し、改革開放路線へと大きく舵が切られる。八〇年代初頭の中国はまさに「雪解けの時代」であり、それまで資本主義世界とは隔絶した状況の中で政治運動に明け暮れていた中国の人々が、外国の文化や思想を少しずつ受け入れ始め、自由の意味を知り始めていた時代であった。...

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  • 北京什刹海地区におけるフートンの観光活用

    梁 燕玉 人文地理学会大会 研究発表要旨 2010 (0), 25-25, 2010

    ...文化大革命によって本格的に個人住宅が没収され、住宅不足を解消するため、四合院の中庭にも簡易な住宅が建てられ、十数世帯が雑居するようになった。現在の四合院の大部分は、このような大雑院に変化したのである。2002年に什刹海地区が歴史文化保護区に指定されると、西城区政府は煙袋斜街の伝統的町並みを復活させるため、什刹海煙袋斜街の特色ある商店街建設計画をたてた。...

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  • 中国少数民族における世代別通婚圏の変容

    雨森 直也 日本地理学会発表要旨集 2010s (0), 170-170, 2010

    ...<BR>  X村の村内婚の割合は、文化大革命前後と思われる世代で減る傾向にあったが、それ以降の世代における村内婚の割合は、ほぼ横ばいの状態である。他方、N村では、改革開放以降、村内婚が減るようになった。<BR>  両村ともに同じペー族どうしの婚姻の関係性という点では、通時的にほとんど変化しておらず、ペー族どうしであるならば、村外婚は許容されている。...

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  • 振り返り再考する

    金 一虹, 大橋 史恵 ジェンダー史学 6 (0), 5-28, 2010

    This essay will examine the complex influences on the movement to create Iron Girls during the Cultural Revolution, evaluating the impact of the political campaign and accompanying administrative …

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  • 文革期の出版について

    辻田, 正雄 文学部論集 93 117-129, 2009-03-01

    ...文化大革命が始まって出版界も厳しい批判の対象となった。だが文革時期には出版点数は激減したが年間印刷総量は文革以前の3倍近くにも急増している。そのなかに占める毛沢東著作関係の比率は高く、その出版組織は政治動向に大きく左右された。文革初期の出版は毛沢東著作出版弁公室が文化部出版局の指導職権を代行した。その後国務院出版口などに移行する。出版の業務を荷ったのは旧文化部出版局の中堅実務家たちであった。...

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  • 中国西南モソ人の母系社会における成人儀礼

    金 龍哲 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2009 (0), 100-100, 2009

    ...主として、学校教育が普及し、特に民族の伝統文化にとって空前の災難であった文化大革命という環境の中でも成人儀礼が生き残った理由は何か、近代化の波が押し寄せる中で儀礼は如何に位置付けられているか、成人儀礼は如何なる過程で構成され、如何に説明されているか、等について教育学的視点から整理する。...

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  • <論説>古井喜実と一九六八年の日中LT貿易交渉

    鹿 雪瑩 史林 91 (5), 881-913, 2008-09-30

    ...しかし、佐藤内閣は対中国政策において対決姿勢を取り、中国でも文化大革命の影響で対日姿勢が強硬になったため、一九六七年末に期限切れとなるLT貿易協定は厳しい交渉の結果、五年間の長期貿易から単年度の覚書取決めとなり、名称もLTからMTに変わった。この貿易交渉については、従来の研究でも取り扱われているが、交渉の矢面に立っていた古井喜実の役割は十分に明らかにされてきたとはいえない。...

    DOI HANDLE Web Site ほか1件

  • 中国のチベット系社会における僧侶教育の再構築

    小西 賢吾 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2008 (0), 78-78, 2008

    ...中国のチベット系社会では、チベット併合や文化大革命などの混乱期を経て、1980年代から僧院や宗教実践が復興された。また近年では、政府の開発計画のもとで急速な観光化と経済発展が進展している。本発表ではこうした背景を踏まえ、ボン教僧院の僧侶教育の再構築に注目する。そして僧侶教育がいかなる経済的基盤と社会的要因によって存続可能なのかを考察することで、復興した宗教が現地において果たす役割を明らかにしたい。...

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  • ジェノサイドへの序曲 : 内モンゴルと中国文化大革命(<特集>先住民と<国民の歴史>)

    楊 海英 文化人類学 73 (3), 419-453, 2008

    ...中国共産党は文化大革命中に、彼らが得意としてきた暴力で以て「民族の消滅」を実現させようとした。内モンゴル自治区では、この地域が中国領とされたがゆえに、モンゴル人を対象とした大量虐殺事件が発生した。本稿は、中国文化大革命中の1967年末期から1970年初頭にかけて、内モンゴル自治区で発生した「内モンゴル人民革命党員大量虐殺事件」をジェノサイド研究の視点からアプローチしたものである。...

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  • 文化大革命と国際環境(4) -ベトナム戦争(初期)の要素-

    郝, 暁卿 福岡県立大学人間社会学部紀要 16 (1), 27-45, 2007-11-30

    ...具体的な課題として、1.隣国のベトナムで中国封じ込めが目的の一つであるアメリカのベトナム戦争が激化し、中国の安全が深刻な脅威に直面しているときに、なぜ、毛沢東らが「内乱」ともいえる文化大革命を発動し、しかも、発動できたの か。2.毛沢東をはじめとする中国の首脳部は中国に対するベトナム戦争の影響をどのように判断したのか。3.その判断は後の文化大革命の発生と展開にいかなる意義をもつのか、を考える。...

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  • 中国における公園緑地標準についての考察

    金子, 忠一, 蓑茂, 寿太郎, 楊, ばい涵 東京農業大学農学集報 51 (3), 145-153, 2006-12

    ...中国では文化大革命の時期において多くの都市公園が破壊された。改革開放後、経済の急速な発展により、都市に人□が集中した。そのため、都市環境問題の解決は、都市発展において重要な課題となり、公園緑地に関する施策が次々と策定された。本研究は中国の公園緑地に関わる法律、条例及び標準等を把握することにより都市計画、公園計画・設計、緑地分類などにおける公園分類など公園緑地標準について明らかにする。...

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  • 「ラクダの火をまつる儀礼」から民族誌の政治性をよむ : ネイティブ人類学徒の曖昧な喪失の視点から

    楊 海英, Haiying Yang 国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology 30 (4), 493-532, 2006-03-31

    ...文化大革命など過酷な政治運動を経験してきた彼らは,同胞の国たるモンゴル国への憧れも政治的には危険な行動とされている。本論文はこのような「曖昧な喪失」感に包まれている内モンゴル人を対象とした際に,どのような民族誌が作成可能かを探ろうとするものである。具体的な事例として「ラクダの火をまつる儀礼」をとりあげている。この儀礼には「牧畜儀礼」的な側面と,「拝火信仰」的な側面,という二つの性質がある。...

    DOI 機関リポジトリ 機関リポジトリ ほか1件

  • 中国麗江納西族における東巴文字復興運動 : 1990年代以降を中心に

    高 茜, Gao Qian 国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology 30 (2), 279-326, 2005-12-27

    ...そこで本論文では,文化大革命以前における東巴文字の歴史的盛衰,改革開放以降における東巴文字の研究および保護の進展,1990 年代以降における東巴文化に対する政策転換,などを時代背景に即して概観し,現在の東巴文字の伝承活動の状況や課題についても論じたい。...

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  • ウイグルのマシュラップ

    藤山, 正二郎 福岡県立大学人間社会学部紀要 13 (2), 1-13, 2005-03-17

    ...人民公社や文化大革命の時代は中断していたが、改革開放以後の文化復興の波に乗ってある程度は復活している。しかし、民族運動の集会と誤解され、政府から中止されたこともある。マシュラップはウイグル人社会に古くから存在する自発的結社として、日本の「講」にも似た組織である。講と同じように、宗教的、経済的、親睦的など、多様な機能を担っている。...

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  • 郭沫若の自己批判の懸案

    武 継平 言語文化論究 20 93-105, 2005-02-28

    ...1966 年中国文化大革命掐近爆发之前, 郭沫若「触及灵魂j 的自我批判在《光明日报》和《人民 日报》上的公开发表使得全世界关注社会主义新中国成长的人们为之震撼。郭沫若这个人物罗自1 9 3 6 年鲁迅逝世之后被视为中国知识界的领袖人物。正由于他原来属于非解放区的民主人士的代表,市 社会主义新中国诞生以后在联合政府中有占有显赫的地位,故他一言一行都格外引人注白。...

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  • 中国朝鮮語の規範問題

    宮下 尚子 社会言語科学 8 (1), 139-150, 2005

    ...言語規範および「標準語」が定められた経緯について論じ,中国の朝鮮語が1985年の正書法以後,その規範において標準語となるべき地域を定めていないのは何故かという疑問を解明することを目的としている.中国朝鮮語の規範は,語彙規範を中心として,中華人民共和国の成立から改革開放に至るまでの期間中国共産党の政策に伴い,朝鮮語既存語を基準としたものと朝鮮語を漢語に接近させるための共通成分増加論との間で揺れ動いてきた.文化大革命以後...

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  • 共産党の政策下における葬送儀礼の変容と持続 : 広東省珠江デルタの事例から

    川口 幸大 文化人類学 69 (2), 193-212, 2004

    ...中華人民共和国の建国後、特に文化大革命期をピークとして、共産党は「封建」「迷信」というラベリングを施しながら、既存の文化・慣習・信仰等の批判と排撃を進め、そこに負の価値を定着させていった。結果として幹部や高等教育を受けた新たなエリートに関する限り、その宗教や信仰への態度規範を、圧倒的大多数の村落社会の人々が志向してきたもの-すなわち伝統-から切り離すことには成功しつつある。...

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  • 中国少数民族語政策の新局面 : 特に漢語普及とのかかわりにおいて

    庄司 博史, Hiroshi Shoji 国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology 27 (4), 683-724, 2003-03-28

    ...文化大革命期をのぞき今日にいたるまで民族言語政策は基本的にこれら二つの理念のせめぎあいの場であったといえる。しかし1980年代以降,民族言語政策は従来の対立の構造とは異なる様相を呈しはじめている。本稿では,少数民族言語擁護と漢語普及との間での対立や矛盾の鮮明化,および双語教育(二言語教育)の枠内で民族語教育の足場を確保しようとする民族言語政策に注目し考察した。...

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  • 中日両国の子どもの生活と教育に関する比較研究(第1報)

    菊地 るみ子, リュウ 智萍 日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集 46 (0), 69-69, 2003

    ...<br>2.中国では,文化大革命後1977 年に大学入試が再開され,翌年から中学入試が始まり,79年から一人っ子政策が開始された。都市部での大学進学布望者は多いのに対して,進学者は12.5%(2000年)にすぎず,受験競争が激化している。 <br>3. 中国の義務教育は,小学校・初級中学較の9年間であるが,進学教育コースの普通高等学較へと職業教育コースの枝分かれは中学校から始まっている。...

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  • 中国における「非公有制林業」の展開

    和 愛軍, 高橋 勇一, 箕輪 光博 日本林学会大会発表データベース 114 (0), 143-143, 2003

    ...その後は「大躍進」や「文化大革命」などの政治運動のため、全国の至るところで高度の「公有制度」が広がり、国家主導の林業だけが推進してきた。しかし、80年代に入って以来、トップダウン方式だけでなく南部の「集体林」地域を始め試験的に少しずつ「非公有制林業」を展開してきた。最近は新たな転換期にあたる中国林業では、これから大いに住民参加型「非公有制林業」を推進していこうとしている。...

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  • 中華人民共和国における中等専門学校の成立と変遷

    黄 学哲 産業教育学研究 32 (1), 55-62, 2002

    ...特に、高等教育の普及率が低かった「文化大革命」までは、旧ソビエト連邦のそれよりも大きな存在意義をもっていた。その教育課程は職業高校・技工学校より「理論授業」重視・「基礎理論」重視の傾向がみられる。専門の種類は細かく分類されているけれども、職業資格は大まかな分類しかない。...

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