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検索結果 309 件

  • 一八九九年改正条約実施以降のキリスト教宣教団体による民法法人設立を巡る日米間の交渉

    髙瀬 航平 宗教研究 97 (3), 79-104, 2023-12-30

    <p>本稿は、一八九九年の改正条約実施以降、どのような政治過程を経た結果、海外のキリスト教宣教団体の事業や組織が日本法上に位置づけられたのかを考察する。とくに同団体の多くが、民法第三四条に基づく宗教に関する社団法人を組織した事実に注目する。先行研究では、当初日本政府は、キリスト教に関係する民法法人の設立の許可に消極的であったが、米国宣教団体が米国政府と協力して宗教の自由を求めた結果、それを許可し…

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  • 戦後日米関係と沖縄をめぐる安全保障

    我部 政明 学術の動向 27 (8), 8_23-8_26, 2022-08-01

    <p> 2022年に沖縄の施政権返還から50年を迎えた。</p><p> 日米同盟を最優先する日本政府は、20世紀が終わろうとするとき、整理縮小のための代替という名目で沖縄での新たな基地建設を計画した。日本政府と沖縄の人々との間での新たな緊張の始まりであり、今なお続く。これまでアジアでの米国の戦争(朝鮮戦争、台湾海峡危機、ベトナム戦争、中東での戦争)に加え、現在の台湾をめぐる米中の対立にあっても、…

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  • Decentralizing Japan:An Interpretation of Robert Rauschenberg's Tokyo

    長妻, 由里子, NAGATSUMA, Yuriko 和洋女子大学英文学会誌 = Language and Literature of Wayo Women's University 57 63-76, 2022-03-31

    ...しかし、このコラージュにおける日米の国旗のイメージ、類似するイメージの並列、ターゲットなどに見られる円のイメージの多用など、他作品でもラウシェンバーグがしばしば採っている戦略を分析することで、この作品が、日本の首都東京や日米関係の可変性を表すメッセージであることがわかった。1960年代は、戦後復興の繁栄を迎える一方で、安保問題、大学紛争、ベトナム戦争など、国内外に大きな問題が生じていた。...

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  • 米ソ核軍備管理交渉と日本 : ニクソン政権期におけるSALT Iを中心に

    石本 凌也 同志社法學 72 (5), 1681-1748, 2020-11-30

    SALT Iに、日本は米国によってどのように位置づけられたのか。本稿はこの問いに答えようとする外交史研究である。結論として、SALT交渉で日本は、①内容に影響を与えられなかった同盟国、②西側の一員としてみなすための「コマ」、③協定結実のための口実として位置づけられた。またSALT政策では、核武装の危険性がある国として国務省に位置づけられた一方、ホワイトハウスは中ソに寝返る可能性がある国として位置…

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  • 占領下日本における芦田均の積極的対米協調論

    堀越 翔 洛北史学 21 (0), 43-65, 2019-06-01

    ...芦田の積極的対米協調論について考察する中で、本稿は対米従属―独立という視点からでは捉ええない、日米関係の「共犯性」を生み出すナショナリズム、すなわち積極的対米協調による自立を目指すナショナリズムの存在を明らかにした。...

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  • 「日米防衛協力のための指針」 再考

    板山 真弓 年報政治学 70 (2), 2_186-2_207, 2019

    <p>1978年の 「日米防衛協力のための指針」 策定は、従来、秘密裡になされていた共同計画策定が公式化された、日米安全保障関係史上、画期的な出来事だと位置づけられる。本論文では、この 「指針」 策定をもたらす契機となった米国側のイニシアチブ、すなわち公式化要請の背景には、従来見逃されてきた、米国の国内政治要因があったのではないかとの仮説を提示する。具体的には、米=タイ間の秘密裡の共同計画が米軍…

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  • 日中戦争初期における日米関係

    湯川 勇人 国際政治 2018 (190), 190_130-190_144, 2018-01-25

    <p>This article investigates that how Japan pursued inconsistent diplomatic conceptions, establishing a New Order in East Asia and avoiding the deterioration of the U.S.-Japan relationship, by …

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  • トランプ時代のアメリカと日本

    政木 みき, 吉澤 千和子, 河野 啓 放送研究と調査 68 (5), 2-25, 2018

    ...現在の日米関係については、日米ともに半数程度が良いと考え、日米同盟についてもお互いを信頼できる同盟国だと思っている人が多い。北朝鮮の核・ミサイル問題を脅威だとする認識は日米で共有していて、日米とも「話し合い」や「経済的圧力」など非軍事的な解決方法を望む人が半数を超える。...

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  • ハワイ・アリゾナ記念碑における日本の表象とジェンダー

    吉良 智子 ジェンダー史学 13 (0), 21-36, 2017-10-20

    ...</p><p>人気観光スポットとなったアリゾナ記念碑における見学者の待ち時間対策として、後に建設された付属博物館ビジターセンターでは、当初「野蛮な」敵としての日本軍のイメージを打ち出していたが、施設のリニューアル後は日米関係の歴史を世界史的な視点から丹念に追い、以前は敬遠された戦時におけるハワイの日系人男女の表象も取り入れている。...

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  • 日米関係と政府開発援助

    保城 広至 国際政治 2017 (186), 186_129-186_145, 2017

    <p>There is no question that Japan’s foreign policy has been greatly influenced by the United States. The <i>Gaiatsu</i> (U.S. pressure) has affected not only security policies but also economic …

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  • 佐藤政権と革新自治体 :

    村井 良太 年報政治学 68 (2), 2_122-2_148, 2017

    <p>1960年代から1970年代の日本では保守長期政権下にもかかわらず 「革新自治体」 が全国に広がった。ここでは事例研究の一方法である政治史を用いて, 佐藤栄作政権 (1964 ~ 1972) が革新自治体の隆盛にどう向き合ったのかを, 特に重視された東京都と琉球政府/沖縄県に注目して分析した。明らかになったのは, 第一に, …

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  • 椎名麟三作「約束」を読む/視る

    瀬崎 圭二 同志社国文学 (85) 96-110, 2016-12-20

    ...日米関係を土台とした戦後のシステムそのものを問いかけるその物語内容と、クローズアップを中心とした和田勉の演出とが、表現の襞として視聴者に作用するところにこのドラマの意義がある。...

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  • 戦後日米関係を背景とした硫黄島戦没者遺骨収集事業の変遷

    真崎, 翔 小笠原研究年報 (39) 21-36, 2016-05-31

    「戦後70 年」が喧伝される2015 年において、今なお戦後を迎えられているとは言えない人々がいる。戦没者の遺骨を故郷に迎えられないでいる戦没者遺族らである。このような現状に鑑み、本稿は特に硫黄島における戦没者遺骨収集事業の変遷について戦後の日米の安全保障関係の文脈で考察するものである。本稿は、硫黄島の軍事基地利用が遺骨収集事業の進捗を妨げている大きな要因の一つであると結論付ける。

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  • 「ジラード事件」と日米関係

    大沼 久夫 共愛学園前橋国際大学論集 = Kyoai Gakuen University Journal 16 9-30, 2016-03-31

    ...Department of State, Foreign Relations of the United States, 以下、FRUSと略) 、公文書、新聞報道等により具体的に論述し、事件の意義と日米関係について検討を加える。...

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  • 傍らに寄り添う動物

    村上 克尚 日本近代文学 94 (0), 107-122, 2016

    ...次いで、歴史と記憶に着目する読解が、歴史学の現在の知見との共通性を強調するあまり、この小説が、ベトナム戦争期の日米関係を背景に、主権が《動物》を抑圧するメカニズムを描いているのを見過ごしているのではないかと指摘した。さらに、蜜三郎と鷹四のあいだで優劣を定めようとする読解が、鷹四が見せた《動物》的な苦しみを軽く見積もらせ、赦しという重要な主題を捉え損なっていることを主張した。...

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  • 日米関係における「価値観の共有」1973―1976年

    長 史隆 年報政治学 67 (2), 2_312-2_333, 2016

    ...日米関係は一時的に動揺を見せたものの, 1970年代半ばにかけて改善に向かう。その過程で, 両国政府が強調したのが, 「価値観の共有」 であった。本稿の目的は, その要因を明らかにすることにある。米国は 「価値観の共有」 を掲げ, 冷戦対立の緩和とグローバルな政治・経済情勢の混迷のなか, 西側同盟の結束を図るため尽力した。...

    DOI Web Site 参考文献2件

  • TOPICS

    独立行政法人科学技術振興機構 JSTnews 2014 (9), 14-15, 2014-09-01

    ...</p> <p>【イベント 開催報告】科学技術協力で日米関係を深める</p>...

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  • 日米戦争勃発と山本五十六に関する一考察

    松川, 克彦 京都産業大学論集. 社会科学系列 31 249-272, 2014-03

    ...しかしながら、日米関係が緊張してくると、アメリカ太平洋艦隊の基地真珠湾を攻撃する計画を作成、その計画実現に向けて強引な働きかけを行った。  これをみると、山本は果たして本当に平和を望んでいたのかどうかについて疑問が起こってくる。一方で平和を望みその実現に努力したと言われながら、実際にはアメリカとの戦争実現に向けて最大限の努力を行った人物でもある。  ...

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  • 小笠原諸島の占領と返還をめぐる国務省と軍部の対立の構図

    マサキ, ショウ, Masaki, Sho, 真崎, 翔 小笠原研究 40 11-46, 2014-03

    ...戦後日米関係史において、国務省と軍部の対日政策は、その対立点よりも、むしろ一致点に焦点が当てられてきた。しかしながら、国務省と軍部は、対小笠原政策においては、対立していたかのようであった。国務省は、良好で安定した日米関係を構築する必要性から、小笠原の信託統治化に反対し、その早期返還を求めた。...

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  • サンフランシスコ日本町のまちづくりにみるエスニック都市空間の保存と経済再建

    小田 隆史 人文地理 66 (1), 1-15, 2014

    ...日本町は,連邦政府による強制移住政策,日米関係の歴史や経済情勢に翻弄されながら100年以上存続してきたが,戦後の再開発や日本資本の参入と撤退などにより,その構成や特徴は変化した。2000年代,日本資本の撤退が続き,町の衰退を懸念した地元関係者によって日本町保存運動が展開され,具体的な将来計画を描く参加型まちづくりが制度化された。...

    DOI Web Site Web Site 参考文献8件

  • 朝鮮におけるミッション高等教育史の展開

    李 省展 キリスト教社会問題研究 (62) 45-60, 2013-12-27

    ...その際、「改正私立学校規則」と神社参拝の強要に見られる、西洋の帝国主義近代ならびに日本の植民地主義との葛藤を踏まえながら、その葛藤関係にアメリカと日本の近代の構築における差異が明確となり、最終的には30年代の日米関係の悪化を背景として、朝鮮におけるミッションの教育が崩壊する過程を描き出している。...

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  • 第3次アーミテージ・ナイ報告書とTPP

    星野 三喜夫 新潟産業大学経済学部紀要 (41) 1-16, 2013-02

    ...3次報告書は日米関係が漂流する中にあって、日本への叱咤激励と日本「一級国家」論を盛り込んでおり、日本は、本報告書にある熱いメッセージを強く認識すべきである。報告書に示された提言に日本が応えず、日米関係と日米安全保障体制の維持・強化について強い意思を示さなければ、報告書にあるように日本は国際社会において二級国家になり下がってしまう。...

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  • 稲盛和夫の政治思想―その特徴と理想―

    吉田, 健一 鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要 3 213-248, 2012

    ...はじめに  第1章:90年代以降の日本政治と稲盛の事績1節:90年代以降の日本政治2節:90年代以降の稲盛の事績  第2章:稲盛和夫の内政についての考え方1節:反官僚主義者・自由主義者としての側面2節:「規制緩和」観について3節:経営者と政治の関係について―労使同軸における経営者と政治―  第3章:稲盛和夫の外交についての考え方1節:日米関係についての基本的認識2節:日中関係についての基本的認識3節...

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  • 日米関係のなかの沖縄軍用地問題

    平良 好利 国際政治 2010 (160), 160_122-136, 2012

    By Article 3 of the San Francisco Peace Treaty signed in September 1951, the U.S. could continue to rule over Okinawa and have the exclusive right to maintain military bases there. After the …

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  • 日米関係の過去と未来 ―共生アプローチ―

    御手洗 昭治 共生科学 2 (2), 76-85, 2012

    ...以下では日米関係を 2010年の沖縄の基地問題にも関連させ、今後日米が相互に協力できる分野で、いかにして紛争処 理に取り組もうとしているのか等に関して共生アプローチの視点で若干の考察を試みてみたい。 加えてアメリカ側から提唱のあった沖縄の普天間問題解決策の代替案とグリーン・パワー・パー トナーシップも同様な視点で取り扱ってみたい。...

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  • ハワイにおける日本人漁業者排斥問題について

    小川 真和子 地域漁業研究 51 (2), 69-89, 2011-02-01

    ...一方,米連邦政府や米海軍は日本人漁業者の台頭に対して強い警戒感を持ち,とりわけ1930年代後半に日米関係が悪化すると,軍港周辺での操業の禁止や非市民の漁船所有禁止,及び違反者に対する漁船の没収など,日本人漁業者に対する様々な締め付けを行った。...

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  • 日米関係の変容と原子力開発問題

    武田 悠 国際政治 2010 (162), 162_130-142, 2010

    The 1970s was an era of crisis and internationalization for Japan-U.S. relations. Both governments started to settle their bilateral conflicts for their policy cooperation which was required in the …

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  • ハワイ日系仏教における故国日本

    高橋 典史 宗教研究 83 (3), 953-974, 2009

    ...キリスト教勢力への対抗のため、一九世紀末からハワイ布教を開始した日系仏教は、二〇世紀前半の日米関係と排日論の悪化のなかで、日米の二つの国家に状況適合的に対応しながらハワイに定着していくことを志向していった。しかし、第二次世界大戦後は、日系アメリカ人のエスニシティと結びついたエスニック・チャーチとして存続していき、故国に関わる言説は減少していった。...

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  • 国際関係における越境問題の位相――日本の外交安全保障政策アジェンダ・セッティングの根本的誤謬――

    坪内 淳 公共政策研究 7 (0), 73-82, 2008-01-25

    ...それは,越境問題や非伝統的安全保障への取組みによって,冷戦後の新しい国際環境に対応しているかのような錯覚のもと,自らの置かれた地政学的困難さの認識と,日米関係の再構築という本質的問題を見失っていることである。国際関係における越境間題の正確な理解に加え,日米同盟の不変性への過剰な期待から脱し,正当な危機感を持った政策形成のためには,外交安全保障政策に関わる政策コミュニティの活性化こそが鍵であろう。...

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  • 1970年代の米中戦略交渉と日米中関係

    殷, 燕軍 関東学院大学経済経営研究所年報 28 94-124, 2006-03

    1970年代はじめからスタートした米中関係改善と戦略的協議は,ただ単に米中両国間の問題ではなく,国際政治の枠組みに大きなインパクトを与え,世界を驚かせた。1949年の新中国成立後から22年も「隔絶」され,また朝鮮戦争やベトナム戦争により敵国同士となった米中両国は,自国の戦略的国益のため,極めて早いスピードで準同盟関係を結び,首脳同士の間にも一時的に「水入らず」的な信頼関係が形成された。しかも米国…

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  • 「福祉社会学」研究と日米センター助成プログラム

    高野 佳男 Journal of Welfare Sociology 2006 (3), 132-147, 2006

    ...国際交流基金日米センターは,日米関係をより緊密にし,世界的視野に基づいて日米両国が国際的責任を分かち合いa協力して世界へ貢献することを目指し,「知的交流分野」「地域・草の根交流分野」の2分野で事業を行っている0特に研究機関を対象とした研究助成事業である「知的交流プログラム」においては,(1)国際経済(2)安全保障(3)持続可能な開発(4)シビル・ソサエティ(5)医療と高齢化,の5つの優先的事業分野を...

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  • 1971年以前日本的二中議政

    川島, 真 2005-11

    ...最近則有池田直隆《日米關係と「二つの中國」-池田‧佐藤‧田中內閣期》(木鐸社,2004年)等備受注目的著作出版。其他,即便將範圍設定在『兩個中國』之下,仍有田麗萍<池田內閣の中國政策-封じ込め戰略と對中積極論の狹間で>(一‧二)(《法學論叢》京都大學,137卷2號‧139卷1號,1995年‧ 1996年。)...

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  • アメリカの職業外交官の一軌跡:ヒュー・R・ウィルソンの回顧録から

    山澄 亨 社会とマネジメント 2 (2), 31-50, 2005-03

    職業外交官として政権交代にもかかわらず長期間アメリカ外交の最前線に立っていたヒュー・ウィルソンの回顧録から、20 世紀前半のアメリカ外交の特徴の一端を指摘していく。第一次世界大戦から第二次世界大戦直前までの国際情勢に対する彼の分析は、非常に興味深い視点と事実を現在のわれわれに残しており、それを紹介することで、アメリカ外交の継続性と問題点を考える手がかりを提示しfこい。

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  • 近代日本におけるナショナリズムの成立と展開様相

    金 釆洙 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 28 177-207, 2004-01-31

    湾岸戦争以降、世界の情勢はアメリカ中心になりつつある。EC(ヨーロッパ共同体)は、世界の情勢がアメリカ中心になっていくことを防ぐ方法としてEU(ヨーロッパ連合)に転換してきた。しかし、東アジア地域の国々は二十世紀のナショナリズムに縛られ、アメリカやヨーロッパの動きに対応できるような連帯形態を作れないのが現状である。

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  • 『学校図書館の手引』編集における日米関係者の協働

    中村 百合子 日本図書館情報学会誌 50 (4), 142-158, 2004

    本研究では,1948年12月,米軍占頷下日本で出版された『学校図書館の手引』の編集における日米の関係者の協働を,両国で発見された一次資料に基づいて明らかにした。編集作業のためには,文部省に「「学校図書館(室)運営の手引」編修委員会」が設置され,それに所属した7名の日本人が執筆者を分担した。そして彼らが執筆した原稿に,米側の担当者が目をとおし意見するというかたちで,基本的な作業が進められた。また,…

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  • ビキニ事件後の原子炉導入論の台頭

    山崎 正勝, 奥田 謙造 科学史研究 43 (230), 83-93, 2004

    In March 1954 a Japanese fishing vessel, Daigo Fukuryu Mam (Lucky Dragon No.5), suffered from radiation exposure from an American nuclear test at Bikini in the South Pacific. After this incident …

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  • 同盟日本を知る : 9.11後の日米関係

    サミュエルズ リチャード・J 同志社アメリカ研究 (39) 1-9, 2003-03-20

    本講演は本学アメリカ研究所の主催で2002年11月12日、至誠館で行ったものである。この講演はもともと英語で書かれた原稿を日本語に翻訳し、その日本語訳をもとに若干の修正を加えながら、サミュエルズ教授自身が日本語で行ったものである。邦訳については本学大学院アメリカ研究科博士後期課程の深豊幸氏にお願いした。記して謝意を表したい。講演の後、実際の講演と照合し、さらに校正し、サミュエルズ教授の許可を得て…

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  • 少年期の徳富蘇峰とアメリカ : 1863年〜1880年

    澤田 次郎 同志社アメリカ研究 (39) 11-35, 2003-03-20

    ...明治中期から昭和戦後の六十年以上にわたって、蘇峰は日米関係やアメリカ外交につき言論を展開し続けた。日露戦争終了時までアメリカに強い好意を示したかれは、戦争後、とくにカリフォルニアの日本移民排斥運動に反発してアメリカへの嫌悪感を深め、日米戦争中は米英撃滅を主唱した。 そうした活躍期の蘇峰を知るためには、その人生の原点に立ち返る必要がある。壮年、老年期の心の原型は青少年期に作られよう。...

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  • アメリカンセンター・レファレンス資料室(<特集>海外の情報を提供する専門図書館)

    橋本 由希子 情報の科学と技術 52 (4), 208-212, 2002

    ...現代のアメリカを日本の人々に理解してもらうことによって,友好な日米関係を築くことを目的としている。近年の電子情報の増加に対応するため,ホームページや電子メールによるサービスに重点をおき,日々その改善に努めている。インターネットを活用したレファレンスサービスや、電子メールで発信した情報案内をデータベース化し保存する新しい取り組みを中心に紹介する。...

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  • 鮎川義介の戦後電源開発構想と米国 : 1950年〜1952年

    井口 治夫 同志社アメリカ研究 (37) 79-85, 2001-03-20

    ...1950年から1952年は、日米の政治経済関係において大きな転換期であるが、両者が発表した論文は、戦後日米関係史の分野で研究されていない内容が多分に含まれている。柴山論文は、日本の再軍備を英米がどのように据え直していったのかを検証し、井口論文は、財界人鮎川義介の活動に焦点をあてながら日米における日本の電源開発構想を検証した。...

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