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検索結果 236 件

  • 手中明王太郎関係資料(大工道具)調査報告

    星野 欣也, 坂本 忠規 竹中大工道具館研究紀要 34 (0), 3-44, 2023-03-20

    ...本稿は伊勢原市指定文化財の手中明王太郎関係資料のうち、手中家旧蔵大工道具について調査した結果を報告する続編である。 1. 砥石59点、研磨関連の道具類27点、昭和時代前期まで用いられた儀式用具14点を調査し、その所見を記した。 2. 砥石については、社寺彫刻、神輿製作などの湾曲部を加工する彫刻鑿、彫刻刀用のものが多く残されていた。...

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  • 「芸術知」概念に基づく感性的表象の分析指標モデルの構築とその検討

    髙橋 文子 美術教育学:美術科教育学会誌 44 (0), 181-192, 2023

    ...3 側面の分析から「木を描こう」では形式的,形成的側面の伸長が強く示され,「ヒーロー○〇明王」では形式的側面(墨の濃淡と筆致)と内容的側面(テーマ性)が感性的表象の質的上昇を促進した。「リベット工作」では仕組みを生かす流れを再考することが導かれ,その教材の特性と共に指導のポイントも明確になった。抽出された美的な表象を支える要素は,適切な教材観を導くことから分析指標モデルの有効性が実証された。...

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  • 覚鑁における不動明王説話の系譜

    郭 佳寧 名古屋大学国語国文学 114 1-16, 2021-11-10

    ...覚鑁の根来移住のきっかけについて『撰集抄』をはじめとして不動明王化現説話とともに語られる。覚鑁をめぐる不動明王説話は単なる霊験譚のみではなく、法流の移転を考える際に無視できない問題である。本稿では、覚鑁の根来移住とともに語られた不動明王説話の成立と展開について考察し、中世に流布していた覚鑁に関する記憶の系譜を整理する。...

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  • 四臂堅牢地神の形成と『摂寿経』

    田中 亜美 印度學佛教學研究 69 (2), 548-551, 2021-03-25

    ...proposes two hypotheses regarding the formation of the four-armed Pṛthivī: a) it was derived from the four-armed Sarasvatī 弁才天, or b) it emerged from a fusion of Pṛthivī with the four-armed Acalanātha 不動明王...

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  • [論文] 日宋・日元貿易期における「南島路」と硫黄交易

    山内, 晋次 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 223 253-284, 2021-03-15

    ...そして,その結果,沖縄の硫黄鳥島が中国向けの硫黄鉱山として従来考えられているよりも古くから稼働し始めていた可能性や,その島で産出された硫黄が沖縄島に分立した諸王権と明王朝との政治・経済関係の形成の初発の時点においても軍需物資として重要な役割を演じていた可能性などを推定した。...

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  • 戦時下の歴史話劇について

    楊, 韜 文学部論集 105 27-42, 2021-03-01

    ...また、歴史話劇でよく取り扱う歴史時代と人物としては、古代中国の春秋戦国の荆軻や西施;古代中国の南宋時代の岳飛や韓世忠;明王朝から清王朝への移行期の崇禎帝や李自成;清末の動乱時期及び太平天国時期の賽金花や洪宣嬌などが頻繁に登場している。...

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  • 『大山不動霊験記』における霊験主の考察

    飯田, 隆夫 佛教大学総合研究所紀要 27 17-26, 2020-03-25

    相模国の古義真言宗寺院の大山寺には、一五三二(享禄五)年の仮名本『大山寺縁起絵巻』と一六三七(寛永十四)年の真名本『大山縁起』の他に一七九二(寛政四)年『大山不動霊験記』が存在する。後者は全15巻に及ぶ大部の霊験記である。この霊験の内容に関して圭室文雄・川島敏郎氏らの先行研究で解明されてきたが、霊験主に焦点を当てた分析は行われておらず、本論はこの視点から検討する。

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  • 手中明王太郎関係資料(大工道具)調査報告

    星野 欣也, 坂本 忠規 竹中大工道具館研究紀要 31 (0), 3-37, 2020-03-20

    ...本稿は伊勢原市指定文化財の手中明王太郎関係資料のうち、手中家旧蔵大工道具について調査した結果を報告するもので本報告は分割した後編である。 1.  大工道具は江戸時代末期から昭和時代前期までに作られたものであった。 2.  調査した大工道具は鉋44点、小鉋各種35点、墨掛道具21点、予備刃物類27点である。 3.  大工道具は江戸時代末期とされる源兵衛銘の鉋をはじめとする名工の作品が含まれていた。...

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  • 芹沢銈介作「型絵染彩色仏画」5枚組

    門脇 佳代子 東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報 10 53-63, 2019-06-23

    ...染色家・芹沢銈介の「型絵染彩色仏画」(1979~1980年)は、「不動明王」「釈迦三尊」「十一面観音」「薬師如来」「地蔵菩薩」からなる5枚組のシリーズで、これらは実在する仏像や仏画に着想を得て制作された。...

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  • 明治期における廃寺復興 : 相模大山寺

    飯田, 隆夫 佛教大学総合研究所紀要 26 1-18, 2019-03-25

    ...一八七六(明治九)年、俄かに本尊を納める不動堂再建の動きが起こり、麓村民・明王寺他子院・大工棟梁景元の三者で再建協議を開始した。村民は再建資金を旧御師持の檀那場から寺僧が調達するなど三者の個人的活動に依拠していたためこの協議には限界があった。...

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  • 鎮護国家と秘仏「大元帥明王

    真鍋 俊照 印度學佛教學研究 67 (2), 542-549, 2019-03-20

    ...Among these rites was the <i>Daigensui myōō hō</i> 大元帥明王法, the rite of Great Commander Wisdom King, that was first performed in Japan by Jōgyō 常暁 of Ogurisu 小栗栖 in Jōwa 7 (840)....

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  • 手中明王太郎関係資料(大工道具)調査報告

    星野 欣也, 坂本 忠規 竹中大工道具館研究紀要 30 (0), 3-29, 2019

    ...本稿は伊勢原市指定文化財の手中明王太郎関係資料のうち、手中家旧蔵大工道具について調査した結果を報告するものである。本報告は前後編2編にて分割掲載する。 1. 大工道具は江戸時代末期から昭和時代前期までに作られたものであった。 2. 調査した大工道具は鋸36点、鑿57点、錐20点、槌14点、釿3点である。 3. 大工道具には江戸末期の鋸鍛冶中屋久作を始めとする名工の作品が多く含まれていた。...

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  • 秘仏・高野山南院「浪切不動明王」考 : 弘安の蒙古襲来と志賀島

    海津 一朗 和歌山大学教育学部紀要. 人文科学 68 (1), 81-86, 2018-01-31

    所謂「元寇」「弘安の役」において高野山の住僧集団が博多志賀島に下向して異国降伏祈禱を行なったという南院浪切不動伝説についての言説を史料批判する。高野山には鎌倉幕府の出先機関・金剛三昧院があり、恩賞奉行の安達泰盛勢力はそこを拠点に対元戦争の戦争指導を行っていた。その中心人物こそ高野検校賢隆であり、彼が破格の出世を遂げた背景は、志賀島下向をおいてほかにはないことを論証した。志賀島の神戦は真実であった。

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  • 降三世品の思想背景について

    宮坂 宥峻 智山学報 67 (0), 1-19, 2018

    ...また両経典において重要となるスンバとニスンバについて、仏典には降三世品以前から既に説かれており、特に「降三世明王の大呪」の前身が『蘇悉地羯羅経』に説かれていることから、栂尾氏が主張する<i>Devīmāhātmya</i>から降三世品へという成立の順序に対して異見を示した。最後に『金剛手灌頂タントラ』における諸天降伏との関連について考察を行った。...

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  • 芹沢銈介、布文字成立の道程 :「梵字愛染明王」の再検討を中心に

    門脇 佳代子 東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報 8 61-74, 2017-06-23

    ...布文字が登場する昭和30年代は、人間国宝となった芹沢が旺盛に作家活動を行った時期であり、他に飛白体を想起させる「福の字」(昭和33(1958)年)や「梵字愛染明王」(昭和34(1959)年)が制作されている。「梵字愛染明王」が初めて出品されたのは、昭和34年2月24日~3月1日にかけて開催された第1回无文会展であり、同年2月14日に柳宗悦へ宛てたハガキの中で制作中の作品として取り上げている。...

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  • チベット仏教寺院におけるバリン儀礼の比較研究の試み -内モンゴルのイック・ジョー(寺)を中心に-

    根敦阿斯尔, Gendunasier 非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials 14 225-251, 2017-03-20

    ...また、このチェージャル・バリンとチャムはゲルク派寺院の密宗の本尊であるヤマーンタカ(大威徳明王)の修法と関係がある。そのため、チェージャル・バリンの製作者や儀礼を行う担当者は、必ずヤマーンタカの閉関修行で本尊の観想を行う。 本稿の目的は、まず、内モンゴル地区と青海地区とのゲルク派寺院におけるチェージャル・バリンの比較研究によって、悪魔・悪鬼などを祓う法事に関する供物は何かという問題を再考察したい。...

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  • 特集1 答えはGEにあり:創業138年のスタートアップ

    日経コンピュータ = Nikkei computer (920) 24-27, 2016-09-01

    ...発明王エジソンが1878年に創業したGEで、革命が進行している。ビジネスモデルや体制、文化を一新し、「デジタル」へ突き進む。「2020年にソフト事業150億ドル」は、あくまでも革命の「副産物」に過ぎない。世界最大の重電メーカーは、何を考えているのか。...

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  • 智山所伝の『不動法』諸本について

    田中 悠文 智山学報 65 (0), 305-320, 2016

    ...<br> <br>  本稿では、智山本『不動法』の特色の内、次第の体裁、「十九布字観」加用の根拠、「散念誦」の五大明王列次の異同、ならびに同次第の本山における所用例について考証する。...

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  • 密教における纔発心転法輪菩薩

    川﨑 一洋(一洸) 智山学報 65 (0), 0249-0262, 2016

        纔発心転法輪菩薩(Sahacittotpādadharmacakrapravartin / Sahacittotpāditadharmacakrapravartin)は、『理趣経』系の八大菩薩(金剛手・観自在・虚空蔵・金剛拳・文殊・纔発心転法輪・虚空庫・摧一切魔)のうちの一尊であり、『理趣経』や『真実摂経』(『初会金剛頂経』)に登場する。その名は、「心(思い)が起こるや否や法輪を転ずる者…

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  • 『日本書紀』編纂史料としての百済三書

    仁藤 敦史 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 194 245-275, 2015-03-31

    ...その性格は,三書ともに基本的に王代と干支が記載された特殊史で,断絶した王系ごとに百済遺民の出自や奉仕の根源を語るもので,「百済記」は,「百済本記」が描く6世紀の聖明王代の理想を,過去の肖古王代に投影し,「北敵」たる高句麗を意識しつつ,日本に対して百済が主張する歴史的根拠を意識して撰述されたものであった。...

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  • 成田不動信仰と市川團十郎 : 成田山旅宿の役割を中心に

    宮智, 麻里 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 43 35-52, 2015-03-01

    ...成田山新勝寺の初めての江戸出開帳の時に上演された『成田山分身不動』の最後に登場する初代市川團十郎とその息子九蔵が演じた不動明王に江戸の人々が惹きつけられたというのが定説である。しかし「流行神」が乱立し、開帳が頻繁に行われる江戸においては、それだけでは人々を惹きつけるのは難しかったはずである。...

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  • 音を知り 音を使う

    サイエンスウィンドウ編集部 サイエンスウィンドウ 6 (3), 1-40, 2012-10-01

    ....18 音から見直す私たちの暮らし</p> <p>p.22 サマー・サイエンスキャンプ― 作り出す臨場感への驚き REPORT</p> <p><b>【連載】</b></p> <p>p.02 似姿違質:ヤマノイモ VS ナガイモ</p> <p>p.20 人と大地:スイス/アルプス山脈</p> <p>p.24 いにしえの心:日本の太鼓 林英哲</p> <p>p.25 タイムワープ夢飛翔:オーディオ/発明王...

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  • 湯立神楽の意味と機能 : 遠山霜月祭の考察

    鈴木 正崇 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 174 247-269, 2012-03-30

    ...五大尊の修法には、湯釜を護摩壇に見立てたり、火と水を統御する禰宜が不動明王と一体になるなど、修験道儀礼や民間の禁忌意識の影響がある。また、大地や土を重視し竈に宿る土公神を祀り、「山」をコスモロジーの中核に据え、死霊供養を保持しつつ、「法」概念を読み替えるなど地域的特色がある。その特徴は、年中行事と通過儀礼と共に、個人の立願や共同体の危機に対応する臨時の危機儀礼を兼ねることである。...

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  • 華光大帝の変容

    二階堂, 善弘 東アジア文化交渉研究 東アジア文化研究科開設記念号 ([1]) 173-180, 2012-03-24

    I would like to investigate the character and the origin of Huaguang (華光), and considered some gods as Wutong (五通) Wuxian (五顕) Ucchusma (烏枢沙摩) influence on Huaguang from the viewpoint of cultural …

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  • キン族村清福から見た明郷天后宮

    末成, 道男 周縁の文化交渉学シリーズ7 『フエ地域の歴史と文化―周辺集落と外からの視点―』 219-235, 2012-03-01

    ...本論では、このような特色を持つ中部村落の信仰が、中部王朝の形成後まもなく中国より渡来した明王朝遺臣の後裔である明郷の人々の信仰にどのような影響を与えているかを、具体的な資料をもとに提示した。  フエ市郊外Hương Vinh 社明ミンタイン清村にある天后宮(通称Chùa Bà)は、華人とキン族の中間にある明郷の信仰中心として、きわめて特色のある存在である。...

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  • 東寺講堂五大明王像の研究―軍荼利明王像の蛇の装飾を中心に―

    櫻田 純子 奈良大学大学院研究年報 (15) 183-185, 2010-03

    ...東寺講堂に安置される五大明王像は、空海が初めて日本に請来した五大明王の儀軌に基づき、空海自身が造立した根本図像として、重要な位置づけを占めている。しかし、空海の帰朝以後、新たな密教の儀軌を求めて入唐する僧が相次ぎ、明王関係の図像も幾通りか請来されている。本論は、このような状況の中、空海の図像である東寺像がどう位置付けられ、造像化されてきたかを改めて考察するものである。...

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  • 『悲華経』におけるDramida-mantrapada

    北條 竜士 印度學佛教學研究 55 (1), 415-412,1225, 2006

    The purpose of this research is to clarify the position of the <i>Dramidamantrapada</i> (Dravidan incantation) explained to the <i>Karunapundrika</i> (<i>KP</i>, _??__??__??_) in Indian Buddhist …

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  • 五大院考

    日隈, 正守 鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science 57 17-31, 2005

    本稿では,八幡新田宮と密接な関係を形成した五大院の起源と本来的な性格について考察した。その結果五大院は,11世紀前期頃護国祈願や調伏等を行う天台系寺院として成立し薩摩国衙の庇護を受けたと考えられる事,11世紀後期に阿多郡が日宋交易の拠点の1つとなると,天台系観音寺との関係や薩摩国衙の承認の結果,阿多郡内(阿多北方)に多くの所領を獲得したと考えられる事,12世紀前期に宇佐弥勒寺領化し,実質的に石清…

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  • 異色ある孔雀明王画像

    柳澤, 孝, Yanagisawa, Taka 美術研究 (322) 1-15, 1982-12-25

    The work reproduced in the colour and monochrome plates of the present paper is an extraordinary Mahāmayūrī painting which has never been introduced. It belongs to the third type of painted …

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  • <論説>元・明交替の理念と現実 : 義門鄭氏を手掛りとして

    檀上 寛 史林 65 (2), 177-207, 1982-03-01

    ...一三六八年、元末の混乱を収拾して、朱元璋は明王朝を創設した。王朝樹立の原動力となったのは、朱元璋が基盤とした江南地方の地主層であった。彼らの人的・物的支持があればこそ、明朝は成立したのである。だが、王朝成立後にとられた措置は、彼ら地主層を弾圧して、王朝権力の確立を図ることであった。五度に及ぶ疑獄事件を利用し、数万人もの地主が粛清された。...

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  • 初期明王朝の通貨政策

    檀上 寛 東洋史研究 39 (3), 527-556, 1980-12-31

    It is well known that the Ming 明 was the first dynasty in history which came up from the Chiang-nan 江南 area. Because of this it acted as a mouth-piece for the interests of the landowning class in …

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  • 細見家所蔵愛染明王画像について

    関口, 正之, Sekiguchi, Masayuki 美術研究 (274) 1-14, 1971-03-30

    This painting which is now registered as important cultural property was in the possession of Mr. FUKUOKA, Kōtei in the Meiji Period. Then in the late Meiji Era it was transferred to the collection …

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  • 東寺草創期の彫像

    久野, 健, Kuno, Takeshi 美術研究 (253) 39-74, 1968-03-30

    From around the seventh century, that is about one century after Buddhism was introduced into Japan, it became more of a wide-spread belief than merely a religion indulged in by the imperial family …

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  • 康平七年銘不動明王立像

    久野, 健, Kuno, Takeshi 美術研究 (245) 1-7, 1967-02-10

    The recent repair of this privately owned statue revealed an inscription with the date of the 7th year of the Kōhei Era (1064) written inside the image. The inscription adds to its importance since …

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  • 立木仏について

    久野, 健, Kuno, Takeshi 美術研究 (217) 1-16, 1962-03-24

    In old Japanese sculpture there is a group of statues referred to as Tachiki (Standing-tree) Buddhas. The majority of them are objects of religious worship in temples situated on mountains, and …

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  • 浄楽寺の仏像と運慶

    久野, 健, Kuno, Takeshi 美術研究 (204) 11-28, 1960-01-25

    Jōraku-ji Temple at Ashina, Zushi in Kanagawa Prefecture owns five old Buddhist statues, namely the Amida (Amitabha) Triad, Bishamon Ten (Vaisravana) and Fudō Myōō (Acala), which were registered in …

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  • 教王護国寺西院不動明王

    丸尾, 彰三郎, Maruo, Shozaburo 美術研究 (183) 1-7, 1956-02-29

    The statue of Fudō Myōō (Acala) discussed here is kept in the Fudō-dō (Acala Hall) at the Sai-in (West Block) in the Kyōōgokoku-ji, the cathedral of esoteric Buddhism in Kyoto popularly known as …

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