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江原 久美子 岡山大学大学院教育学研究科研究集録 173 31-44, 2020-02-21
国吉康雄は,1931 年から1932 年にかけて帰朝した際,自らについて報じた記事をスクラップしていた。現在,そのスクラップ記事原本は福武コレクション国吉康雄アーカイブに保管されている。本稿では,そのスクラップ記事をはじめとした当時の報道記事,また当時発行された各種印刷物や手紙,写真から,帰朝中の国吉康雄の動向を検討した。その結果,国吉康雄は当時の日本の画壇から歓迎され,展覧会が大きな反応を得て…
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柳澤, 広識 文学部・文学研究科学術研究論集 9 (93)-(105), 2019-03-01
Article
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加藤 之敏 常葉大学造形学部紀要 (15) 13-23, 2017-03-01
...1914 年に新しい美術の確立を標榜して、石井柏亭・梅原龍三郎・有島生馬・坂本繁二郎らが文部省展覧会から分離して、在野の美術団体として「二科会」を結成した。...
INAGA Shigemi Japan review : Journal of the International Research Center for Japanese Studies 28 133-172, 2015-12-15
Contributing to the discourse on a “Global Cézanne Effect,” this essay examines the artistic and critical reception of Paul Cézanne in Japan during the early twentieth century. The author pays …
宮崎 尚子 尚絅大学研究紀要 A.人文・社会科学編 45 (0), A13-A32, 2013-03-31
...「①第四年十月号、②第五年正月号、③第五年二月号、④第五年第五週年紀念号、⑤第二巻第四号九月号、⑥第四年紀念特別号「芝居と小説号」、⑦第五年四月号」折口信夫、有島生馬などの名も掲載されている。主宰の石丸梧平の家族写真も掲載している。...
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目野 由希 日本文学 57 (11), 15-24, 2008
...これに伴い、有島生馬は海外向け活動の縮小を余儀なくされ、芹沢光治良は、ペンクラブ停滞理由をフリーメーソンの陰謀によるもののように『人間の運命』に書いた。本稿では、当時の生馬の状況が、約三十年ぶりに突然彼に続編の筆をとらせた『蝙蝠のように 日本篇』に反映されたと考察した。...
後藤, 新治 西南学院大学国際文化論集 21 (1), 87-112, 2006-05
...しかし一度,二科で有島生馬の持つてゐるルオーがマチスやドランと並んでかゝつてゐて少しも遜色がなかつた許りでなく,反つてより深味や強さがあるのを知つて感心した。又その畫が不思議に日本の古い宗教畫を見るやうな味があるのに驚いた。今時に宗教畫がかける人が出てくるとは誰も考へつかないことのやうに思へた。」...
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宮越, 勉 明治大学人文科学研究所紀要 59 181-214, 2006-03-31
永井,隆則, Takanori,Nagai 2006-03-31
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